ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

友を偲ぶ

2006-11-05 05:47:05 | 脳みその日常
昨日は高校時代の友人が急逝してちょうど1年。というわけで、ご遺族を慰める意味も込めて別の友人とともにご挨拶に伺った。

死はいつか誰にでも訪れるもの。たまたまそいつはその時期が早かっただけなのかもしれない。もう肉声を聞くことはできないが、ワシは今でも奴を大切な友人のひとりと思っている。

よく人間関係は「死んだらそれまで」とか「仕事が終わればそれっきり」ということがある。確かにその関係が稀薄なものであればそうかもしれない。でも、ワシの他者とのかかわりは表面的な関係であることは少ない。どちらかといえば「濃い関係」である。

友人が多いことを誇らしげにする人がよくいるが、果たしてその友人がどれだけ信用に値する人なのだろうか。その人たちはいざ自分に何かあった時にどれだけ支えになってくれるのだろうか。ワシにはどうにも理解できない。

もっとも、友人といってもそれは単に仕事をする上で知り合いになっただけなのかもしれない。でも、そんな人間関係はワシのなかでは友人と位置づけられない。

仕事上の知り合いってのは、所詮互いに打算の付き合いだからである。互いにとってメリットがあるから付き合いが続くのであって、デメリットが生ずればその関係はたちまち解消されるもの。そんな関係の人たちを友人などとは呼びたくない。

といって、仕事仲間をないがしろにしているわけではない。もしかすると、そのなかから友人になれる人だっているかもしれない。だからこちらは少なくとも相手には誠意をもって対応しているし、時にはこちらに損失が生じても構わないとさえ思っている。それでもこちらの誠意が理解されなければ関係はそこまで。だから割り切るしかない。

何度も書いたかもしれないが、ワシにとっての友人とは損得抜きで付き合えることのできる人である。たとえ自分が物質的に損をしたとしても「まあ、こいつのためなら仕方ないや」と許せる人、それがワシにとっての友人なのだと思っている。亡くなった友人はまさにそんな奴だった。
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