ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

流量の割に…東山田砂防ダム

2023-10-20 06:58:03 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は長野県諏訪郡下諏訪町東山田(しもすわまち ひがしやまだ)地先にある東山田砂防ダムを目指します。同ダムは下諏訪町を流れる砥川(とがわ)の支流である福沢川に築造されたもので、アクセスは下諏訪北小学校を目指し、その裏門付近の道から入っていくと到着します。

これが「ご尊顔。なかなかの存在感。左岸側の本体上部にはプレートが嵌め込まれていますが、

かろうじて「東山田砂防ダム」の文字は読み取れるものの、それ以外は判読できず。


別の道から左岸のダム横へ。そこから見た「雄姿」。

ズームしてブレートを撮影。どうやら高さは20.0m、竣工は平成6年(1994年)3月のようです。

左岸の道沿いにある表示板。「福沢川 都市対策砂防ダム」と記されています。あれれ、東山田砂防ダムじゃないの?なぜ名称を変えたんでしょうねえ。意味不明。

左岸、上流側から見たダムの様子。

左岸から見たダム横。では、ダム上に行ってみます。

ダム上、中央から見た落水部の様子。典型的な砂防ダムですね。

そこから上流方向を眺めます。

ダム下を見下ろし、

下流側の遠景を眺めます。遠くに諏訪湖が見えています。


左岸、ダム横の道沿いには「竣工の碑」と題された石碑があります。

転記すると、以下の通り。
「福澤のこの地は往古より先住民の生活の場として木の実草の実を穫り田畑を耕して安住の地であったが暴れ川としても有名で近世に於いても記録に残るだけでも多くの土石流等の土砂災害を被ってきた私達の先人の苦労は大きなものがあった。
 昭和十年の大災害以来砂防工事により多くの堰堤が築かれてきたが、今日ではそのほとんどが堆積されており昭和五十六年佛供田(ぶくでん)尻が福澤川へ崩落したため下流住民から憂慮の声があがり長野県が国の都市対策砂防事業の補助を受け、ここに砂防ダムを建設する運びとなった。七億円余の巨費と六年余の歳月を掛けて完成することが出来たことは関係各位の御尽力によるものと衷心より感謝しこの碑を建立した。
   平成六年三月 下諏訪町 第七区」

なるほど、上の表示板に「都市対策砂防ダム」とあったのは同事業の補助を受けたことに由来するんですね。でも、ダム名がちゃんと「東山田砂防ダム」とあるんだから表記はそれに統一すればいいのに…と思うのはワシだけでしょうか。また、福沢川はさほど流量のある川ではないのに、その割にダムはデカイなあと思ったりします。ま、「大きいことはいいことだ!」とその昔そんなCMがありましたけどね。
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