ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

恩師の訃報

2008-12-14 06:22:17 | 脳みその日常
先週の月曜日、老父の様子を見に帰省しました。もちろんそれだけが目的ではなく、友人の父が9月に亡くなったということで彼を慰める予定もあったのです。通常帰省する場合、ワシは中央道で行くのですが、この日はなぜか別の道で行こうと思い立ちました。その道は時間的にも距離的にも長いのは知っています。にもかかわらず、敢えて遠回りをしたのです。

ある場所まで来た時、ふと気づきました。「ああ、ここは●●先生のお宅の前の道じゃないか」と。●●先生はワシが小学校の時にお世話になった人で、今では考えられないでしょうが、なんと六年間ずーっとワシの担任だったのです。そして卒業以来こんにちまで何かとアドヴァイスをくださる貴重な存在でした。お宅の前を通り過ぎながら「そういえば、先生、元気で過ごされてるかな?」と思いつつ自宅に。

老父の健康に異常がないことを確認して帰京した翌々日、小学校時代の同級生から電話が。いやいや珍しいこともあるもんだと思いつつ電話に出ると、

「●●先生が亡くなったそうだよ」

同級生の話によれば、先生が亡くなられたのは火曜日とのこと。それを聞いた瞬間、悲しい気持ちと同時に驚きを禁じ得ませんでした。偶然といえばそれまでですが、先生が亡くなられる前日にワシはご自宅の前を通ったからです。そのことを同級生に話すと会話はしばしストップ。そして同級生はおもむろに

「きっとそれは先生が呼んだんじゃないの?」

そうかもしれません。頻繁にコミュニケートしていたわけではありませんでしたが、先生とは毎年の年賀状をはじめ、ことあるごとに話を聞いていただいていたのです。先生のほうは先生のほうで、お会いするたびに「長年教員をしてきたが、お前のクラスが一番印象に残っている」と仰っていました。そしてそのあとには必ず「お前がクラスの中では出世頭だからな。俺はお前を誇りに思っているぞ!」と。

いえいえ、先生、ワシはちっとも出世してませんし、うだつの上がらんモノ書きですってば。これについてはどうも誤解されていたフシがあります(苦笑)まあ、でも最後は校長まで務められて定年を迎えられた先生が、ウチのクラスが最も印象的だったと思われていたとは何となく嬉しい気持ちでした。

悠々自適の生活を送るはずだった先生ですが、定年後ほどなくして脳梗塞で倒れられました。奥様は懸命な介護をされ、先生もリハビリに専念。数年後には何とか普通の生活を送れるまでに恢復されます。ところが喜びも束の間、今度は献身的な介護をされていた奥様が疲れからか亡くなってしまいました。

それからというもの、先生の落ち込みようといったらありませんでした。元気を絵に描いたような先生なのに、それ以後の年賀状の文言には弱気な発言の連続。教え子に弱音を吐く教師なんて、まずいません。それほどまでに先生は落胆していたのだと思います。

教師といえば本来生徒に勉強をはじめ、いろいろなことを与える存在ですね。生徒のほうもそれを当たり前と思っています。ですが、この歳になってみて思うのは「教師もひとりの人間」だということです。子供の頃に見上げていた元気の塊のような先生も、実は喜怒哀楽の感情をもつ普通の人間だったのです。

今までは生徒として与えられるばかりでしたが、ここはひとつ恩返しをしなくちゃならんな。そう思ってからワシは弱気になっている先生をことあるごとに励まそうとしてきました。いくら老人が元気だからといっても、すべての老人が元気なわけじゃありません。年齢に関係なく体力的・精神的に弱っている人はいるのですから。

そういう時に受けた訃報です。悲しい気持ちよりも後悔の気持ちが勝っています。まだまだ恩返しが足りてなかったのですからね。偶然ご自宅の前を通りがかった時、ことによるともう危篤状態だったのかもしれません。最後にちょっとでもいいからお会いしたかったなあ。

遠方に住んでいるのと仕事の関係で先生の葬儀に出席することはできませんでした。でも、先生、年内には伺いますよ。出来の悪い教え子だったでしょうけど、先生から教えられたさまざまなことは忘れませんからね。それがたとえ形のないものであっても、今度はワシが誰かにそれを与えようと思ってますから…。

合掌
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