ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

美女池とともに…大日川ダム

2023-02-06 16:31:05 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は兵庫県南あわじ市北阿万新田北(きたあましんでんきた)にある三原川水系の大日川(だいにちがわ)ダムを訪れます。アクセスは昨日記事にした大日ダムの上流にあり、右岸・左岸どちらからも遡って行くと到着します(大日ダムまでのアクセスは昨日の記事をご覧ください)。

まずは「ご尊顔」をご覧ください。形状からすると治水ダムのようです。


昨日書いた左岸横の水路が気になったので、それを遡りながら上流へ向かいます。


すると大日川ダムのダム下に続いていることが判明。つまり当然っちゃあ当然ですが、大日川ダムの水の一部が大日川とは別にこの水路に流れていたわけです。


そこからダムを見上げてみます。おお〜っ。


続いて右岸のダム横に向かいます。これがダム上。

ダム本体に貼られた「大日川ダム」のプレート。このブルーのプレートがあるということはこの築造物がダムというよりもため池的な意味合いが強いことを示すようです。ちなみに兵庫県のため池データベースによると、このダムの高さは43.5m、長さは178mと記されています。

昭和39年(1964年)8月竣工とあるので、下流の大日ダム(1999年3月竣工)よりも前に築造されたことがわかりますね。貯水量を示すディジタル表示はもちろん後付けでしょうが、なんかオシャレ。


右岸、貯水側から見たダムの様子。


ダム上を歩いてみます。中央から見た貯水側はこんな感じ。


ダムの真下を見下ろして、

下流側を眺めます。


対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。


左岸のちょっと高い場所からの景色。ダム上の建物のところに軽自動車が止まっていますが、その所有者は可愛らしいお嬢さん。おもむろに建物の鍵を開けて入った後、しばらくして出てきました。県の職員かな?貯水量のチェックがルーティーン・ワークなのかもしれません。お疲れ様です。


左岸、貯水側から見たダムの様子。


右岸に戻り、さらに上流へ。


しばらく行ったところに石碑が…。

上部に「竣工記念碑」と記されていますが、下に記されている文言は半分以上が風化していて読めず。


さらに進んで行くと堤がパーテーションのように仕切られていて、道路沿いには「美女池」の表示。

堤はこんな感じですが、

堤の中央にある「これ」が気になります。


これが美女池で、


増水すると水はここから大日川ダムへ流れていくようです。


美女池とはなんぞや? そう思いながらさらに上流へ進むと、案内板がありました。それによると、ある夏の朝、地元の農民が山へ行く途中この池にさしかかると霧が立ち込めていたそうな。それがあまりに美しく眺めていると水の中から美しい女性が出現。驚いて山へ行くのも忘れて家に戻りそのことを近所の人たちに語りました。それを聞いた若者たちが池に向かうも誰もおらず、やがてその噂は忘れられていきました。再び夏が来て村の庄屋がお供とともに池にやってくると生臭い風とともに霧の中から池に美女が立っているのを目にします。村に戻り、彼は村人たちにそのことを話すと皆あの噂は本当だったんだと信じ、いつしかこの池を「美女池」と呼ぶようになったとか。一体美女は誰なのか?ある坊さんは大蛇の化身ではないかという。大蛇は川で100年、池で100年、そして海で100年修行を積んだ後天に昇る力を得るそうな。だから淡路島の南端の潮崎にいた大蛇がこの池に来て退屈だったので人間を驚かしたのだろうと。その昔、この池には洞窟があり、それが潮崎まで繋がっていると信じられていたので坊さんの説は人々を納得させたのでしょうね。でもこの池から潮崎まではかなり距離があり、実際には繋がっていないはず。とすれば、この坊主、とんでもない嘘つきということになります。


それにしても美女は誰だったんでしょうね。かつて身投げした成仏していない霊? いやいや、それだとロマンがありませんな。
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