ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

子のほう…葛丸ダム

2024-08-10 06:58:49 | 岩手(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は 岩手県花巻市石鳥谷町大瀬川(いしどりやちょう おおせがわ)にある北上川水系葛丸川(くずまるがわ)に築造されている葛丸ダムを目指します。ダムの位置は東北縦断自動車道の紫波サービスエリアの西側、そして前回記事にした山王海ダムの南側にあり、アクセスは県道13号から葛丸川渓流方面へ行き、葛丸川沿いに進んでいくと目的地に到着します。

到着しました。右岸側から見た様子。ロックフィルダムのようですね。

右岸、ダム横には「葛丸湖」と刻まれた石碑があり、これがダム湖名なんですね。

その裏側にはダム築造の経緯が書かれています。それを転記すると次の通り。

「葛丸ダムは、石鳥谷町、紫波町、矢巾町の三町にまたがる四千ヘクタール余の農地の水不足を解消し、農業の近代化と一層の発展を図る国営山王海農業水利事業の一環として築造された。
 建設にあたっては、山王海土地改良区はもとより地域の人びと、関係三町、岩手県より言い尽くせぬ支援と協力を得た。そして、ともに未来の農への希望と水の恵みを確信しつつ施工し、十年余の歳月を経て、今日、竣工を迎えた。
 眼前に湛えられた水が潤す大地は、いにしえより水田が開け、農をなりわいとするものにとって無限の可能性を秘めている。葛丸ダムがこの地の永遠の繁栄を約束することを信じ、建設にたずさわった者の思いを後世の人々に伝えるものである。
  平成三年吉日
    農林水産省東北農政局
     山王海鹿妻農業水利事業所」

近くにある案内板。これによると、葛丸ダムは耕地の用水不足が山王海ダムだけでは賄うことができないことからそれを補う目的で築造されたもののようです。そして葛丸ダムと山王海ダムは2本の水路トンネルで結ばれていて、葛丸ダムで貯めた水を山王海ダムへ導水トンネルから送水し、必要に応じて山王海ダムから取水トンネル経由で葛丸ダムへ戻すという親子ダム方式が採られています。なお、葛丸ダムは中心遮水ゾーン型ロックフィルダムで、高さは51.7m、長さは220.0m。なお、山王海ダムの記事でも書きましたが、葛丸ダムが完成したのは平成3年(1991年)ですが、これを受けて山王海ダムは高さを嵩上げする改修工事を行ない、2001年に完成しています。


近くにある別の案内板。実際の地図によるもので、葛丸川の水は葛丸上流頭首工から導水トンネルを経て山王海ダムへ流れ込んでいるのがわかります。

現在は葛丸湖になっていますが、そこにはかつて畑集落があったそうで、ダム築造に伴い住民は移転したそうな。それを証明するものとしてこの案内板が作られたようです。

その付近から見たダムの様子。向こうの左岸の山腹には「葛丸湖」の文字が書かれています。

で、ダム上に行こうとしましたが、山王海ダムと同じく、ご覧の通り立入禁止で行けず。とほほ。

右岸のこの場所には宮沢賢治(1896-1933)の歌碑があります(歌碑建立は1994年)。「ほしぞらは しづにめぐるを わがこゝろ あやしきものにかこまれて立つ」

1918年、稗貫郡(ひえぬきぐん)役所から盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)に稗貫郡の地質および土性調査の依頼がありました。これを受けて、関豊太郎(教授)、神野幾馬と小泉多三郎(助教授)そして賢治(実験補助嘱託)が石鳥谷地区の山間調査を開始。この調査の体験をもとに生まれたのが賢治22歳の時に書いた連作短歌「北の又」「鶯沢」「葛丸」なのでした。「葛丸」は葛丸川沿いの山中で野宿をしていたときに生まれたものだそうで、歌の中の「あやしきものにかこまれて」とは暗闇の中で野生動物の気配を感じたという意味らしい(参考)。


余談ですが、葛丸ダムを訪れた日、たまたま葛丸湖の上でヘリコプターが爆音を立てながら何度も上下していました。

どうやらレスキュー隊の訓練らしく、ダム横からヘリコプターを見守る隊員がいたのでちょいと話を聞くことに。

「これは訓練ですか?」
「はい、そうです」
「定期的に行なっているんですか?」
「はい、ほぼ毎日やっております」
「え? 毎日?」
「はい、大変なお仕事ですね」
「いえ、いつ何が起こっても出動できるようにしております」

彼らは岩手県の防災航空隊のようで、湖上を飛んでいるのは防災ヘリコプター「ひめかみ」と思われます(参考)。こういう人たちが毎日訓練しているおかげで我々は災害時に助けられているんですよね。真近に聞くヘリの爆音は本当にうるさいんですが、彼らの懸命な訓練の様子を見ていると本当に頭が下がります。仕事とはいえ尊敬に値しますね。
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