ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

和賀川のダム(1)…石羽根ダム

2024-08-13 06:53:38 | 岩手(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回から北上川水系の和賀川(わがかわ)に築造されているダムを辿っていきます。最初に向かうのは岩手県北上市和賀町横川目(わがちょう よこかわめ)4地割にある石羽根ダムです。アクセスは国道107号沿いにある「東北自然エネルギー(株)石羽根発電所」の看板のある交差点を和賀川方面へ入っていくと到着します。

そのまま進むとダムの左岸横に到着しますが、右岸から見るとダムはこんな風に見えます。

では、左岸からのアクセスで順番に見ていきましょう。国道から入ってくるとこんな光景が目に飛び込んできます。

左岸、ダム横から見た様子。歩いていきます。

ダム本体に嵌め込まれたプレート。これを見ると当該ダムは石羽根発電所のために築造されたことがわかります。上のリンク先のデータによると、このダムは高さ20.5m、長さ283.0mの越流型直線重力式コンクリート・フィル複合ダムだそうですが、気になったのはダム名の「石羽根」。これは左岸ダム横の地名なんですが、その読み方が国土地理院の地図では「いしぱね」と表記されているんです。ところがダム便覧をはじめそれ以外の表記はすべて「いしばね」なんですよね。国土地理院の地図ではわざわざ「ぱ」と表記しているので単なる誤植とも思えません。いったいどちらが正しいんでしょうね。

さて、ダム上、中央から見た和賀川の上流方向はこんな感じ。

左岸側には何かの装置が見えます。あとで行ってみることにします。

洪水吐から勢いよく流れ落ちる水。

そして下流方向の遠景。写真左側に見える水路はなんだろう…。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。写真右下に見える屋根のところが石羽根発電所。

先ほど見えた左岸にある「装置」に行ってみます。どうやら取水装置のようですね。



近くにある水利使用標識。灌漑のために取水されるもので、ここから取水された水は先ほど見た水路を通って下流へ向かうようです。

この取水装置は新しく見えますが、この石碑を見ると取水堰自体は昔からあったようです。内容を転記すると次の通り。

「   植樹記念碑
和賀川の流れは永遠である。改良区の幹線水路は三百年前、元祖奥寺氏が和賀川から取水した上堰を、大正十五年県営事業で改修し、石羽根ダムは昭和二十六年東北振興化学工場が築造した。改良区は農業用水優先を前提とする契約の下に取水している。この流れを近代河川に改修し、豊水を後世に伝え、良質米の主産地としたい。幸いに明治百年祝賀の年、昭和四十一年国営和賀中央水利事業が採択、着工、これが完成こそ吾ら最大の念願である。
緑の山と清流は人心を和らげる。奥寺氏三百年、国営和賀中央事業採択、着工、明治百年を記念植樹した。
  昭和四十一年五月一日
    和賀中央土地改良区
      理事長 照井一郎」


和賀中央土地改良区は、他の四つの改良区(更木島東部、鬼柳、和賀川、千貫石)と合併し、現在は岩手中部土地改良区と改称されていますが、この地域の水田開発はなんと文治5年(1189年)頃から和賀一族により開始されたそうな(参考)。和賀川の名称はこれに由来するのかもしれません。また、元祖奥寺氏とは江戸時代前期の盛岡藩士で、建物の建設や修理を司る作事奉行(さくじぶぎょう)を務めた奥寺八左衛門(おくでらはちざえもん:1628-1686)のこと(参考)。

こうしてみると、石羽根ダムはそれ自体が同発電所のために築造されたものですが、実は古くからあった上堰に付随する形で建設されたものであることがわかると思います。
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