南会津郡南会津町高野(こうや)にある阿賀野川水系の田島ダムへ行ってみました。アクセスは国道121号から国道400号に進みます。
ダムに近くなったら国道400号の脇道を入り、ダム下へ向かってみました。まあまあの規模のダムですね。
接写!
では、国道に戻りダムへ向かいましょう。昨日アップした高野大橋を過ぎ、トンネルの手前の脇道を入って行くと田島ダムです。その途中にはダムの概要説明の案内板があります。
その先にあるのが田島ダムの管理所。
さらにその奥には「舟鼻湖(ふねはなこ)」と刻まれた石碑。不思議な名前ですね。どういう経緯で命名されたのでしょうか。田島ダムは高野川を堰き止めて建設されたものですが、その源は舟鼻山(標高1,234m:国土地理院の地図では1,226m)であることからそう命名されたようです。
その場所から見たダムの様子。
では、いよいよダム上を歩いてみます。その脇には「田島ダム」刻まれた控えめな石碑。
欄干には「田島祇園祭絵巻」のプレート。ん?なんでしょうね。
調べてみました。田島祇園祭は鎌倉時代初期の1185年にこの地の領主だった長沼宗政(1162-1241)が始めたものだそうです。詳細についてはコチラをお読みください。なお、この祭は近隣にある田出宇賀神社(たでうがじんじゃ)と連携していますが、リンク先には神社の名称と田島という地名の由来が記されていて興味深いです。
そんなわけで、このダムの欄干には田島祇園祭をプレートにしたものが随所に嵌め込まれています。順次見ていきましょう。
1月15日、お党屋お千度
7月22、23日、田島祇園ばやし(シャンギリ)
7月22、23日、屋台運行(西屋台)
7月22、23日、屋台運行(上屋台)
7月22、23日、屋台運行(中屋台)
7月22、23日、屋台運行(本屋台)
7月22、23日、屋台子供歌舞伎
ダムの中央部付近から見た舟鼻湖の様子。
ダムの真下はこんな感じ。
下流の景色です。
欄干プレートの続き。
7月23日、七行器行列(ななほかい)
7月23日、お支度触れ
7月23日、神輿渡御
7月24日、太々神楽(浦安の舞)
対岸へ来ました。振り返るとこんな感じ。
こちらにもダム名の入った小さな石碑。
対岸、貯水側から見たダム。
対岸、下流側から見たダムの様子。
地元の祭事に密着しているダムでした。
ダムに近くなったら国道400号の脇道を入り、ダム下へ向かってみました。まあまあの規模のダムですね。
接写!
では、国道に戻りダムへ向かいましょう。昨日アップした高野大橋を過ぎ、トンネルの手前の脇道を入って行くと田島ダムです。その途中にはダムの概要説明の案内板があります。
その先にあるのが田島ダムの管理所。
さらにその奥には「舟鼻湖(ふねはなこ)」と刻まれた石碑。不思議な名前ですね。どういう経緯で命名されたのでしょうか。田島ダムは高野川を堰き止めて建設されたものですが、その源は舟鼻山(標高1,234m:国土地理院の地図では1,226m)であることからそう命名されたようです。
その場所から見たダムの様子。
では、いよいよダム上を歩いてみます。その脇には「田島ダム」刻まれた控えめな石碑。
欄干には「田島祇園祭絵巻」のプレート。ん?なんでしょうね。
調べてみました。田島祇園祭は鎌倉時代初期の1185年にこの地の領主だった長沼宗政(1162-1241)が始めたものだそうです。詳細についてはコチラをお読みください。なお、この祭は近隣にある田出宇賀神社(たでうがじんじゃ)と連携していますが、リンク先には神社の名称と田島という地名の由来が記されていて興味深いです。
そんなわけで、このダムの欄干には田島祇園祭をプレートにしたものが随所に嵌め込まれています。順次見ていきましょう。
1月15日、お党屋お千度
7月22、23日、田島祇園ばやし(シャンギリ)
7月22、23日、屋台運行(西屋台)
7月22、23日、屋台運行(上屋台)
7月22、23日、屋台運行(中屋台)
7月22、23日、屋台運行(本屋台)
7月22、23日、屋台子供歌舞伎
ダムの中央部付近から見た舟鼻湖の様子。
ダムの真下はこんな感じ。
下流の景色です。
欄干プレートの続き。
7月23日、七行器行列(ななほかい)
7月23日、お支度触れ
7月23日、神輿渡御
7月24日、太々神楽(浦安の舞)
対岸へ来ました。振り返るとこんな感じ。
こちらにもダム名の入った小さな石碑。
対岸、貯水側から見たダム。
対岸、下流側から見たダムの様子。
地元の祭事に密着しているダムでした。
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