ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

恨み節?…鵜ノ池堰堤

2024-09-14 06:57:09 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は鳥取県日野郡日野町下黒坂(ひのぐん ひのちょう しもぐろさか)にある日野川水系下黒坂川の鵜ノ池を目指します。グーグル先生の地図を見ていたら「鵜ノ池堰堤」というのがあったので行こうと思ったわけですが、ここはダム便覧には登録されていません。とりあえずどんなものなのか向かってみることにします。アクセスは県道46号から鵜の池公園キャンプ場に入るところにあります。

到着しました。池ですが、確かに堰堤がありますね。

鵜ノ池は奥日野県立公園に属しているそうな。

【鵜ノ池の由来】
昔、隣村に卯野左内という浪人がいて、その娘のお藤が池のほとりで友達とわらび取りをしていた時、この池に落ちて溺死してしまったという。お藤は賢く器量も良かったことから村の者が皆悲しんだそうな。お藤の母親は「前の晩、不思議な夢を見た。お藤が白い顔をして『私は今、下界に生まれてきているけれど、元来天上の神としていなくてはならないものだ』と言って姿を消した」と語った。その白い顔はお藤が池に落ちた時、岸に立つ友達を見てにっこりと微笑みながら沈んでいった姿に似ているということからお藤を神様として祀ることになったという。それ以降、この池を「卯(鵜)の池」と呼ぶようになったそうな。うーん、ならば「藤の池」でいいんじゃないの?と思うのはワシだけでしょうか。

それはさておき、これが右岸側から見た、いわゆるダム上になります。歩いてみましょう。

ダム上、中央から見た鵜ノ池の様子。

一方、堰堤の下を覗き込むとこんな感じ。

対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな景色。写真左に見えるのは県道46号。

左岸には「堰堤改築記念碑」があり、

裏側には「昭和10年12月竣工」と刻まれています。

記念碑正面の下には「鵜ノ池返還記念」と題されています。これは昭和56年12月24日とあるので後年になって設置されたものであるのは明らかですね。

以下はその内容を転記しておきます。

「鵜ノ池返還記念
一、コノ池ハ我々ノ祖先カラ、古来幾多ノ危険ヲオカシ、年々歳々、堰堤ヲ築造シ、飲用灌漑等ノ多目的ニ使用シ今日マデソノ維持管理ヲシテ来タ
一、大正二年法令ニ依ル部落有財産統一ニヨリ、旧黒坂村ニソノ使用慣行ヲ永久ニ認メル条件ノ下ニ寄附シタ
一、大正十一年時ノ山陰電気株式会社ト旧黒坂村長トノ間ニ発電事業ノ契約ガ行ワレタ
一、昭和十五年七月、日本発送電株式会社ニヨツテ発電開始トナツタ
一、昭和二十七年旧黒坂町ヨリ一部池敷(新湛水敷)ガ無償払下ゲトナツタ
右ノ経過ニヨツテ旧池敷ハ合併日野町ニ引継ガレ町有ノママトナツテイタ。
昭和四十六年ヨリ部落民ハコノ部落固有ノ財産ノ払下ゲニツイテ町ニ陳情シ数多ノ困難ヲ重ネ昭和五十四年日野町議会ノ払下ゲ決議ヲ得タノデアルガコノ執行ハ容易デハナク、町議会・部落トノ折衝ノ結果十年間ヲ要シ昭和五十六年十二月二十四日町議会ニオイテ政治的解決トナツタ。部落ハ鵜ノ池周辺林野六五三〇九㎡ト現金五〇〇万円ヲ町ヘ寄附スルコトヲ条件トシテ旧池敷一六三、六三六㎡ノ払下ゲヲ受ケルコトトナツタ次第デアルガ部落ハ涙ヲノンデコノ条件ヲ受ケザルヲ得ナカツタノデアツテコノコトヲ子々孫々ニ伝ヘルベク茲ニ記スモノデアル
 昭和五十六年十二月二十四日  下黒坂部落」

いや〜、下黒坂の人々の悔しい気持ちが滲み出てます。恨み節って感じですね。なお、堰堤の諸元についてですが、高さは14.5mと記載しているサイトがありますが典拠が不明なので、これはあくまで参考データとみたほうが良さそうです。
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