どーも、ワシです。今回は鳥取県倉吉市関金町松河原(せきがねちょう まつがわら)にある天神川水系小鴨川の狼谷(おおかみだに)溜池を目指します。アクセスは県道50号から関金一般農道へ入り、そのまま進んでいくと目的地は左側にあります。
到着しました。なかなか大きな池です。
これが左岸から見た、いわゆるダム上になります。
狼谷溜池は天神野(てんじんの)土地改良区が管理する水利施設で、平成22年にため池百選に選定されたそうな。ただ、狼谷の由来は不明。かつて狼が生息する谷だったんでしょうか…。
狼谷溜池それ自体は天神野耕地整理事業によって作られた人工池で、堤防から水面を見ると大山(だいせん:標高1,729m)がまるで「逆さ富士」のように見えることから別名「大山池」と呼ばれるようになったとか。そもそもこの池は大正13年頃に天神野一帯の灌漑用水として作られた池で、水田の規模が拡大したことから池も拡張されていきます。
また、この周辺には縄文時代から奈良時代にかけての遺跡が発掘されていて、「大山池遺跡」として研究対象となっているようです。
周囲の水田の拡張により狼谷溜池も昭和18年4月から拡張し、昭和20年に一旦は完成したものの、さらなる拡張工事が続きます。そして、昭和25年3月に増築工事が竣功。高さ27.9m、長さ519.0mの規模となって現在に至ります。その記念碑がこれ。
この記念碑の近くには狼谷溜池築造のきっかけを作った立役者である山根愛吉(やまねあいきち:1857-1937)を讃える石碑が立っています。彼は天神野台地の開発計画を立案し、近隣町村と交渉するなどして地域に尽力したそうな。(参考)
その裏側には山根の偉業が記されていますが、これを著した益田傳吉(ますだでんきち:1856-1948)も天神野台地の開墾事業に貢献した人物として知られています。大正9年から昭和21年まで天神野耕地整理組合の組合長という重責を担い、開墾事業に必要な費用を私財を投げ打って工事の続行に当てたといいます。その思想の根底には「勤勉と倹約で蓄えた富を地域社会に活かせ」という農政者、二宮尊徳(1787-1856)の報徳精神があったようです。(参考)
各地の溜池を巡っていますが、共通するのはそれぞれの溜池の築造には地元のエネルギッシュな名士がいて、彼らの自己犠牲を惜しまない利他精神が形となって現われ、地域の人々の生活を良くしているということ。これは本当に素晴らしいことだと思います。そう考えると現代の我々はなんと利己的なのだろうかと思いますね。よく「自分のことだけを考えるのに精一杯」などと言いますが、それは言い換えるなら「自分は器の小さい人間だ」と告白しているようなもの。そんな人が増えているからなのか、現代には小粒な奴だらけ。これが良くも悪くも社会に影響を与えるような「でかい奴」がいない理由なんじゃないかと思います。
ワシも「でかい人物」になりたい(願望)。
到着しました。なかなか大きな池です。
これが左岸から見た、いわゆるダム上になります。
狼谷溜池は天神野(てんじんの)土地改良区が管理する水利施設で、平成22年にため池百選に選定されたそうな。ただ、狼谷の由来は不明。かつて狼が生息する谷だったんでしょうか…。
狼谷溜池それ自体は天神野耕地整理事業によって作られた人工池で、堤防から水面を見ると大山(だいせん:標高1,729m)がまるで「逆さ富士」のように見えることから別名「大山池」と呼ばれるようになったとか。そもそもこの池は大正13年頃に天神野一帯の灌漑用水として作られた池で、水田の規模が拡大したことから池も拡張されていきます。
また、この周辺には縄文時代から奈良時代にかけての遺跡が発掘されていて、「大山池遺跡」として研究対象となっているようです。
周囲の水田の拡張により狼谷溜池も昭和18年4月から拡張し、昭和20年に一旦は完成したものの、さらなる拡張工事が続きます。そして、昭和25年3月に増築工事が竣功。高さ27.9m、長さ519.0mの規模となって現在に至ります。その記念碑がこれ。
この記念碑の近くには狼谷溜池築造のきっかけを作った立役者である山根愛吉(やまねあいきち:1857-1937)を讃える石碑が立っています。彼は天神野台地の開発計画を立案し、近隣町村と交渉するなどして地域に尽力したそうな。(参考)
その裏側には山根の偉業が記されていますが、これを著した益田傳吉(ますだでんきち:1856-1948)も天神野台地の開墾事業に貢献した人物として知られています。大正9年から昭和21年まで天神野耕地整理組合の組合長という重責を担い、開墾事業に必要な費用を私財を投げ打って工事の続行に当てたといいます。その思想の根底には「勤勉と倹約で蓄えた富を地域社会に活かせ」という農政者、二宮尊徳(1787-1856)の報徳精神があったようです。(参考)
各地の溜池を巡っていますが、共通するのはそれぞれの溜池の築造には地元のエネルギッシュな名士がいて、彼らの自己犠牲を惜しまない利他精神が形となって現われ、地域の人々の生活を良くしているということ。これは本当に素晴らしいことだと思います。そう考えると現代の我々はなんと利己的なのだろうかと思いますね。よく「自分のことだけを考えるのに精一杯」などと言いますが、それは言い換えるなら「自分は器の小さい人間だ」と告白しているようなもの。そんな人が増えているからなのか、現代には小粒な奴だらけ。これが良くも悪くも社会に影響を与えるような「でかい奴」がいない理由なんじゃないかと思います。
ワシも「でかい人物」になりたい(願望)。