ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

これが現地の表記!…橇曳沢溜池(ダム)

2024-08-22 07:01:36 | 岩手(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は岩手県胆沢郡金ヶ崎町西根後千貫石(いさわぐん かねがさきちょう にしね うしろせんがいし)にある北上川水系宿内川(しゅくないがわ)の橇曳沢(そりひきざわ)溜池を目指します。目指しますといっても、アクセスは実に簡単で、前回記事にした千貫石ダムのダム上の道を南下すれば到着します。

見えてきました。なかなか立派な溜池です。

近くには二つの石碑があり、ひとつは「創原」と題されたもの。そこには橇曳沢溜池築造の経緯が記されています。

転記すると以下の通り。

「橇曳沢溜池は、宝暦年間(西暦一千七百五十年代)既に高谷野原西方一千米地点の橇曳沢盆地に先住せし三戸の生活灌漑用水として、自然自流水を堰止めて造られた入り合権の小規模な溜池でありました。
 昭和の初め、金ヶ崎町名誉町民第一号である故菅原新蔵翁は、不毛の地と言われた広大な高谷野原の原野(三百七十町歩余)に農業集落を建設すべく、水の確保を第一義として橇曳沢の地に溜池を建設することとしました。
 そして昭和六年、岩手県知事の事業認可を得て、三ヶ年の歳月と七十万円の事業費を投じ昭和九年、百六十三万トンを貯水できる大規模な溜池を完成しました。
 その後、当溜池は地域開発並びに食糧生産に大きく寄与してきたところでありますが、築造後半世紀を経て、老朽化が甚だしく、溜池の安全性と管理技術上の見地から、橇曳沢水利組合は、昭和五十五年五月に和賀川土地改良区と合併し、老朽溜池の改修に本格的に取り組むことになり、関係機関のご援助を賜り、昭和五十六年県営大規模老朽溜池整備事業として、溜池全般の改修に着手しました。
 その間、昭和六十三年八月二十九日、五百ミリを越える集中豪雨に見舞われ、溜池及びその周辺は壊滅的な被害を受けましたが、復旧工事を含め、二十数億円の巨費を投じ、十数年の歳月を経て完成することに至りました。
 今、ここに当溜池の果たしてきた役割の大きさと多難な歳月を回想し、農業基盤整備に一身を捧げた開拓の父、故菅原新蔵翁の功績を顕彰し、その精神を継承するとともに、工事完成を記念して、「創原」と刻み、碑を建立するものである。
   平成四(一九九二)年十月吉日
          橇曳沢地区委員会建立」

要するに、橇曳沢溜池は昭和九年(1934年)に完成したわけですが、築造後半世紀が経過して老朽化が進み改修工事が行なわれ、平成4年(1992年)10月に竣工したもののようです。

隣にあるもうひとつの石碑は「完工記念碑」と題されたもので、下部の文字は読みにくいのですが、工期が「昭和五十六年度から平成七年度」と読めることから溜池の改修工事の完成は上に記したように1992年ですが、橇曳沢地区の県営溜池等整備事業全体が終わったのが平成七年度ということなのでしょう。たぶん。ちなみに溜池の高さは23.45mで、長さは142.0mとあるので名称は溜池ですが、立派なダムでもあります。


では、いわゆるダム上を歩いてみることにします。

越流式の洪水吐は左岸側にあり、増水すると水はここから溢れ出て、

この水路を通って、あちらへ流れてゆきます。

ダム上、中央から見た貯水側の景色。

一方、下流方向を眺めます。遠くには金ヶ崎町の街並みが見えます。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。


国土地理院の地図ではこの場所は「橇曳沢溜池」と記載されていますが、なぜかグーグル先生の地図やダム便覧の表記は「橇引沢溜池」になっています。現地の石碑の表記が「橇曳沢」なのになぜこの通りに記載しないんでしょうか。実に不可解です。
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