ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

細道の奥に…山郷大池

2022-03-04 07:08:38 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は三重県いなべ市北勢町鼓(ほくせいちょうつづみ)にある員弁川(いなべがわ)水系の山郷大池(やまさとおおいけ)を訪れます。アクセスは六石ゴルフ倶楽部の北側にあり、その位置は県道609号から入っていきますが説明が難しいので、いなべ市が作成したため池マップを参考にしてください。

これが山郷大池です。自然の中の手つかずの池という感じでしょ?



それもそのはず。軽トラなら行けないこともないんでしょうが、こんな道を進んでいきます。もちろんワシのクルマは軽トラじゃないので歩いて進みます。





やっとこさ左岸に到着。これがダム上になります。進んでみましょう。



洪水吐は左岸側にあります。規模の小さい越流式の洪水吐があり、増水すると水はここから溢れ出て、



あちらへ流れてゆきます。



ダム上、中央から見た下流側の様子。暗く見えますが、実際は明るいんですよ。



対岸(右岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。



右岸、貯水側にあるこの小屋のような建物はなんでしょうか。もはや木々に埋もれそうになっています。



建物の名称を示すプレートはありませんが、その壁面には「山郷大池」と書かれたものが貼り付けられています。1964年3月竣工とあります。



この場所はダム便覧にも載っていますが、それを見るとダムの高さは22.0mと記されています(参考)。ところが三重県ため池データベースによれば、ここの高さは25.0m。3.0mの違いはなんなんでしょうか…。また、竣工年もダム便覧では1963年とありますが、上に書いたように現地のプレートには1964年と記されてますね。

なんとまあ適当なことか…。ネットの情報を迂闊に信じてはいけない例です。
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ため池だけどダム…上平溜

2022-03-03 06:51:01 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。いつもながらダム巡りをしているんですが、ふと、あることに気づいてしまったんです。何度も書いてますが、河川法によるダムの定義は高さが15.0m以上のものをダムと呼ぶと規定されています。ところが水を同じように堰き止めて築造される「ため池」の中にも高さが15.0m以上のものがあるんですね。でも、これらはダム便覧に載っていないものが多いんです。そこで都道府県単位で、もしくは市町村単位で作成されている「ため池データベース」や「ため池ハザードマップ」を参考にしながら、今後高さが15.0m以上ある「ため池」もできるだけ訪れてみようと心に誓った次第。

ま、そんなわけで、今回訪れるのは三重県いなべ市北勢町垣内(ほくせいちょうかいと)にある上平溜(うえびらだめ)です。上平はここの地名。アクセスは三岐(さんぎ)鉄道三岐線の東藤原駅と伊勢治田(いせはった)駅の間にある賀茂神社近くの道から入って行くと到着します。(参考:いなべ市が作成したため池マップ

これが右岸から見た、いわゆるダム上になります。訪れた前日、どうやら雪が降っていたようで、ヒヤヒヤしながらの到着。



ダム上、中央から見た貯水側の景色。時期的に水はあまり溜まっていないんですが、ここは三重県ため池データベースによれば高さは19.0mあるんだそうです。こりゃもう立派なダムですよ。



一方、下流側の景色は、こんな感じ。



左岸に来ました。そこから見た景色です。



左岸の、少し貯水側から見た様子。



地図によると、この先には「洞ヶ谷溜」という高さが17.1mのため池があるようなんですが、ご覧の通りの雪道。写真では轍の跡が写っていますが、実はこれ、途中まで行ってそれ以上進むとスタックする危険を感じたため慎重にバックしてきた時の写真です。なので、最初は全くの「白い道」でした。



機会があれば、もっと暖かくなってきたら「洞ヶ谷溜」に行ってみようと思います。それにしても、ホント、焦ったわぁ〜。
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完全ガード!…宮川調整池

2022-03-02 07:51:28 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は三重県三重郡菰野町(こものちょう)田口にある朝明川水系の宮川(みやがわ)調整池を訪れます。同調整池は三重用水の5つあるダムのうち、中里貯水池(1977年3月完成)に続く2番目に完成したダムで(1980年3月完成)、その後、加佐登調整池(1983年2月完成)、打上調整池(1989年7月完成)、菰野調整池(1989年10月完成)が続きます。なお、宮川調整池へのアクセスは国道306号沿いにある「福王神社」の看板のところの道から入って行くとダムの左岸に到着します。

【朝明川の由来】

ところで、朝明川(あさけがわ)という名称は平安時代中期に源順(みなもとのしたごう:911-983)が編纂した辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう』(和名抄ともいう)の伊勢国の項目に出ており、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)がここで夜明けを迎えた際、この川の水で口をすすいだという伝承に由来するそうな。

さて、宮川調整池のダム下に来ました。



上の写真では収まりきらない右側(左岸)を見ると洪水吐が見えます。



ダム下には洪水吐からの水路に掛かる玉手橋があり、



その橋から下流を望むと、こんな感じ。



左岸のダム横に来ました。そこから見るダム上は、こんな感じ。



遠巻きに撮っているのはフェンスがあってその内部は立入禁止だからです。



そこから取水塔が見えます。敷地内には調整池の案内板らしきものも見えますが、肉眼ではおろかズームしても、その内容を読み取ることはできません。これじゃあ、何のための案内板なのかわかりませんね。ちなみにダム湖名は「福王湖」。由来はここの西方にある福王山(ふくおうざん:標高 598m)にちなむものと思われます。





ちなみに右岸側に移動してみましたが、こちら側もやはりフェンスで閉ざされていました。



なお、調整池名は何に由来するものなのでしょうね。地名は田口だし、洪水吐から流れ出た川は田口川なので宮川ではありません。もしかすると上流にある福王神社あたりから流れ込む川の名称が宮川なのかもしれません。お宮さんだけに…。知りませんよ、あくまで推測です。
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ま、これがフツーか…山村ダム(山村貯水池)

2022-03-01 06:59:39 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は三重県四日市市山村町にある朝明川水系の山村ダム(山村貯水池)を訪れます。アクセスは四日市ジャンクションの東にあり、昨日記事にした伊坂ダムは同ジャンクションを軸にして反対側になります。

山村ダムは伊勢湾岸道の名古屋神戸線に接しているので、名古屋神戸線の下からはこんな感じに見えます。つまり高速道路上から見えるというわけですね。ただし、一瞬でしょうが。



左岸のダム横に来ました。ゲートがあって行けない感じですが立入禁止ではないのでクルマを近くに停めて歩いて行ってみることにします。



ダム上、中央から見た貯水池の様子。



わかります? 水の透明具合!惚れ惚れしますよ。



下流側の景色です。高速道路上をたくさんのトラックが行き交っていますね。



右岸のほうへ来ました。写真中央に見えるのが洪水吐。その向こうに建物があるので行ってみます。



これが右岸側から見たダム上。写真下側の白い手すりのようなところの下が洪水吐の水路です。



先ほどの洪水吐から溢れ出た水は、この水路を通って下流に向かいます。



洪水吐を違う角度から見ると、こんな感じ。



近くには山村ダムの案内板。なぜかピンボケ。



念のため、その概要を貼っておきます。これによると工事の着工が1971年8月で、1973年8月に完成したとあるので伊坂ダムよりも後に築造されたことがわかります。(伊坂ダムの完成は1966年7月)



同じダムでも、山村ダムが伊坂ダムと異なるのは明確な水源があること。つまり山村ダムのほうは以前訪れた岐阜県下呂市金山町にある岩屋ダムを水源とし、木曽川下流の馬飼頭首工(木曽川大堰)で取水された水がさらに下流にある弥富ポンプ場から導水路により山村ダムに付属する山村浄水場に流れ込みます。そして、やはり山村ダムに溜まった水を同浄水場に送水したものが下流のコンビナート工場群に供給されるという流れになっています。このダムが朝明川(あさけがわ)水系となっているのは水源こそ木曽川水系ですが、最終的に朝明川に流れ込み伊勢湾に達するので朝明川水系のダムとなるわけです。

それにしても伊坂ダムの賑わいに比べ、山村ダムの閑散たることといったらありません。近隣のダムなのにこんなにも違うものなのかと驚きます。静か過ぎて、ちょっと山村ダムが可哀想になりました。
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賑わう、賑わう…伊坂ダム(伊坂貯水池)

2022-02-28 07:06:00 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は三重県四日市市伊坂町(よっかいちしいさかちょう)にある伊坂ダム(伊坂貯水池)を訪れます。アクセスは四日市ジャンクションの西なのですぐにわかります。

見えてきました。これですね。





左岸のダム横には大きな駐車場があり、貸し自転車の店や喫茶店なども立ち並んでいます。なんでしょうか、ここはまるでレジャー施設ですか! 通常のダムとは異なるので、ちょいと違和感。





とりあえずダムへ向かいます。左岸の貯水池に面したところには伊坂ダムの案内図。これによれば、四日市を中心とする北勢地域の臨海部では古くから紡績業が盛んで、昭和30年代より石油コンビナートが建設され、全国有数の工業地域に発展してきた。それに伴い工業用水確保の必要性に迫られたため三重県では昭和28年(1953年)に四日市工業用水道の建設に着手。昭和30年(1955年)9月から一部給水を開始したそうな。そうした経緯の後、三重県企画庁は昭和39年(1964年)10月にアースダム形式による伊坂ダムの建設に着手。そして昭和41年(1966年)7月に完成します。



この案内板からダム上を見ると、こんな感じ。



その近くにはユニークな形の石像?が…。写真は逆光で読みにくいんですが「伊坂貯水池」と刻まれています。



その裏側には「郷土産業の発展に寄与することを永遠に希いて」と記され、昭和39年10月着工、昭和42年3月竣工」と刻まれています。あれれ、上の案内板の完成年月とこちらの竣工年月が違いますね。完成と竣工は意味が違うんでしょうか。



これがダム上になります。歩いてみましょう。



ダム上、中央から見た貯水池の様子。



一方、下流側の景色です。ダム横へは写真中央に見える道路からアクセスします。



右岸のほうには「千秋桜」と呼ばれる桜の木があります。春には素敵な眺めなんでしょうねえ。たぶん。



洪水吐は右岸側にあります。増水時になると、水はここから溢れ出て、



この水路からあちらへ流れてゆきます。



右岸から左岸を見ると、こんな感じ。



写真には多くの人たちが写っていますが、特に休日というわけではなくウォーキングを楽しむ人々が多いことを示しています。だから貸し自転車や売店があるんでしょうね。実に活気に満ちた貯水池(ダム)でした。
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大物だけど…菰野調整池

2022-02-27 06:57:02 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は三重県三重郡菰野町菰野(こものちょうこもの)にある三滝川(みたきがわ)水系の菰野調整池を訪れます。この調整池は三重用水の5つあるダムのうち最後に完成しました(1989年10月完成)。その名称はここの地名に由来するのですが、この地が菰野と呼ばれるようになったのは、昔この一帯が真菰(マコモ:イネ科の大形多年草)や草蓬(クサヨモギ:キク科の越年草)が生い茂る原野だったのを人々が開拓して住み始めたところからそう呼ばれるようになったそうな。(参考

ついでながら三滝川の由来も調べちゃいました。この川の源流は御在所岳(ございしょだけ:標高1,212m)ですが、その近くに3つの滝(蒼滝、潜戸の滝、百間滝)があるところから命名されたようです。

菰野調整池へのアクセスは国道306号の「菰野」交差点を「湯の山温泉」方面に曲がり、近鉄湯の山線の大羽根園(おおばねえん)駅を過ぎたところに「三重用水管理所」の看板があるので、そこを入って道なりに進むとT字路になるので右折。細い道ですがその先に目的地があります。

T字路に至る手前で、調整池はこんな風に見えます。この時は雪化粧してますけどね。



T字路を右折して坂を登って行くと見えてくるのが「三重用水管理所」の建物。





管理所の奥がダム上なのですが、車両は通行できないので管理所の横の駐車場に停めます。そこからは歩きで。

管理所からダム上に出る場所に三重用水についての案内板があります。丁寧に解説していて、わかりやすいです。



そこから左岸方向を見るとこんな感じ。



ダム上、中央から調整池を見るとこんな感じ。あまりに広いのでパノラマで撮ってみました。



一方、下流側はこんな景色です。



なんとなく対岸(左岸)と思われるところまで来ました。振り返ると、こんな感じ。いや〜歩く、歩く。



調整池側からダム上を見ると、こんな感じ。



下流側の斜面は比較的なだらかです。



一旦、先ほどの案内板のところまで戻り、今度は反対方向へ行ってみます。その先のところには「発展の源泉 三重用水」と刻まれた石碑があります。





その裏側には三重用水事業の経緯が記されています。



さらに調整池の周囲の道を進んで行くと、クリーム色の小屋があります。見えにくいですが「取水ゲート操作室」のようです。





ここから取水されるんでしょうね。



取水ゲート操作室の前には水利使用標識が。



なぜこんなところまで歩いてきたのかというと、その向こうに洪水吐があるからです。増水時になると、水はここから溢れ出て、





この水路を通って流れてゆきます。



上のリンク先によれば、ダム上の長さは674.0mもあるということで、ワシはほぼ往復したので1.3kmほど歩いたことになります。ポンコツの脚にこれはこたえました。でも、景色も良かったし、いい運動になったと、あくまでポジティヴ・シンキングなのだ!
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奥まった場所に!…ほが谷砂防ダム

2022-02-24 06:58:19 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は三重県津市美杉町太郎生(みすぎちょうたろお)にある淀川水系のほが谷砂防ダムを目指します。

ところで「太郎生」という地名、珍しいですね。どういう由来があるんでしょうか。調べてみました。言うまでもありませんが、金太郎さんや桃太郎さんが生まれた場所じゃないですよ。その由来には3つの説があります。

一つ目は近江国甲賀郡信楽荘多羅尾(現在の滋賀県甲賀市)の荘園主だった近衛家に由来するもの。1296年、同地に隠居していた近衛家基(このえいえもと:1261-1296)が没した後、家基の次男である近衛経平(このえつねひら:1287-1318)と同地の侍の娘との間に男子が誕生。幼名は高山太郎だったが、1303年に地名の多羅尾を姓とする多羅尾師俊と改名する。これが多羅尾氏の始まりらしい。で、多羅尾氏の末裔か誰かがいつの頃からかこの地に移住してきたことから、のちにここの地名が「多羅尾」「鱈尾」「太良牟」「太良生」のように表記され、現在では「太郎生」になったというもの。この説は地元の人々から支持されているものだそうです。

二つ目の説はタラの木が生える地を意味する楤生(たらふ)が転訛したというもの。この地にはタラの木が群生していたんでしょうか。三つ目の説は小さな平地を意味する「タロー」という語があり、名張川上流に小さな平地があったところから「タロー」と呼ばれ、それが「太郎生」と表記されるようになったというもの。

さて、本題に戻りましょう。まずは今回の目的地である「ほが谷砂防ダム」のご尊顔をご覧ください。これね、道から少し入ったところにあるのでわかりにくいんです。



ダムから最寄りの道を見るとこんな感じ。向こうの明るいところが道です。わかりますか?



1993年2月に完成したとあります。ダム名の「ほが谷」は、おそらくここの谷の名称と思われます。



調子に乗って、もうちょっと近くに寄ってもう一枚!



最後にアクセス方法ですが、国道422号(国道368号)沿いの巨勢木材店(木の巨勢工房)と太郎生住民センター掲示板の間にある道を入って行くと道の左側の奥に当該ダムはあります。参考までに地図を載せておきます。ポインターの示すところが目的地です。



残念ながらダム上に行くことはできず、また貯水側がどうなっているのかも確認できませんでした。でも、奥まったところにあるこのダムを見つけた瞬間、思わず「やった〜!」と叫んだのは内緒ですよ(笑)
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充実、満足!…比奈知ダム

2022-02-23 06:59:45 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は三重県名張市上比奈知(なばりしかみひなち)熊走りにある淀川水系の比奈知(ひなち)ダムを訪れます。アクセスは名張市側から国道422号を進んでくると「上比奈知トンネル」がありますが、ダムへ行くにはその手前を右折してください。するとダムの右岸に到着します。

おー、見えてきました。これですね。



右岸、貯水側からダムを見ると、こんな感じ。



右岸側の壁面には「比奈知ダム」と記されたプレートがデーンと嵌め込まれています。



ダム上は後で行くとして、先に右岸側の道を進んでみます。すると、遠くからだと「ん? トイレか?」と思える建物が。



近づいて回り込んで見ると比奈知ダムについての案内板の数々を展示している場所でした。説明によると、名張川から淀川にかけての流域では、これまで何度も大きな水害が発生。そしてこれらの流域では急激な人口増加と大規模な住宅団地の開発により水道用水の確保が急務となっていた。こうした諸問題に対応するため1972年に比奈知ダム建設事業が立案され、ダムは1999年3月に完成したと書かれています。



そしてダム周辺はご覧のような環境整備がなされています。



さらに比奈知ダムの位置関係と、その上流と下流の地域が紹介されています。なるほど、わかりやすいですね。




【比奈知の意味・由来】(参考
なかなか珍しい地名なので調べてみました。3つの説があるようです。ひとつは「日当たりの良い場所」と言う意味の「日の地」が転訛して比奈知になったという説。もうひとつは「山間の鄙びた場所」を意味する「鄙の地」が転訛して比奈知になったという説。3番目の説は谷間の地形からついたというもの。「渓谷」は蝦夷(えぞ)語で「ヒナィ」と言い、そういう場所なので「ヒナィ地」→「ひなち」→「比奈知」になったという説です。


さあ、いよいよダム上を歩いて見ることにしましょう。もちろん車両通行可です。



ダム本体の親柱に相当する部分には「比奈知ダム」と見やすく刻まれ、



その側面には、上の案内板にあったように「1999年3月竣工」と記されています。



ダム上、中央から見た貯水湖の様子。良い眺めです!



一方、ダム下はこんな感じ。これは副ダムですが、周囲の建物の大きさと比べても、これがいかに大きく深いものであるかわかると思います。



下流側の遠景。嗚呼、逆光が恨めしい。実際はとても美しい眺めなんですけどねえ。



対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。



左岸側の親柱にも右岸と同様のものが。



左岸のダム横には「比奈知ダム管理所」。立派な建物です。





左岸、貯水側から見たダムの様子。



左岸側には「ひなち湖」と刻まれた石碑。これがダム湖名です。



その裏側に回ってみると諸元が記されていました。



築造から20年余のダムですが、見学者の立場からすると有益な情報が色々提供されていて、かつダムも見応え十分。楽しい時間を過ごすことができました。
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県道からの入口がポイント!…津元谷砂防ダム(堰堤)

2022-02-22 06:57:03 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は三重県伊賀市高尾にある木津川水系の津元谷(つげんだに)砂防ダムを目指します。津元谷とはおそらくこの谷の名称と思われます。アクセスは県道39号(青山美杉線)から入って行くとあるようです。

まずは「ご尊顔」をご覧ください。



アクセスの仕方をごく簡単に書きましたが、これね、県道から入る場所の説明がとっても難しいんです。県道沿いにあるビニールハウスの下にある車庫と石垣の間の道を入るとしか言いようがないから。とりあえず目的地を示す地図を載せておきますね。ポインターの示すところが目的地です。



やれやれ、県道から入れたゾ…と思いきや、その先には野生獣を通行させないためのゲートが待ち構えています。でも安心してください。人間様は手動で開閉すれば通れますからね。



「関所」を通過してさらに進んで行くと目的地に着きます。これがダム横から見た様子。ダム上に行きたいところですが、フェンスがあって行けません。



名称を見ると「津元谷堰堤」と書かれています。これは間違いじゃありません。なぜなら高さが15.0m未満の13mだからです。ただ、その形状は砂防堰堤なので厳密にいえば「津元谷砂防堰堤」なんでしょうね。1984年10月完成。



左岸、上流側から見るとこんな感じ。ね? 砂防堰堤(ダム)の形でしょ?



目的地に着いてしまえばな〜んてことないんですが、県道からの入口を見つけられるかがポイントとなります。これ、意外に難しいかもよ〜。
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野が底に…君ヶ野ダム

2022-02-21 07:02:16 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は三重県津市美杉町八手俣(みすぎちょうはてまた)にある雲出川(くもずがわ)水系の君ヶ野ダムを訪れます。アクセスはJR東海の名松線の伊勢竹原駅付近を走る県道29号を行くと当該ダムの右岸に到着します。

県道からダム横に向かって走っていると「ご尊顔」が見えるナイスなポイントがありました。おおーっ!



右岸のダム横に来ました。そこから見るダムの様子。



その近くには君ヶ野ダムの案内板。当該ダムが建設された直接のきっかけは1959年に来襲した伊勢湾台風で、相当な被害を出したことから抜本的な治水対策の見直しが必要と考えられたのでした。そこで雲出川総合開発事業が計画され、1963年4月から現地での実施計画調査を開始。そして1972年3月、治水、灌漑、上水道、工業用水確保を目的とする多目的ダムが完成しました。ちなみに、ダム名の由来は、建設にあたり水没することになった地名が「美杉村大字八手俣字君ヶ野」だったことからその地名を残す意味で命名されたようです。(参考



右岸のダム横にあるこの建物が「三重県君ヶ野ダム……」。撮影の関係上、ダム上から撮りました。



「……」は剥がれた感じからすると○○○の三文字が入るようですが、なんですかね。管理所? 監視所? 見張所? こんなことで悩ませないでください。たぶん正解は「管理室」のようです(参考)。



これがダム上です。車両総重量12.0tまでなら通行可。ワシはキョロキョロしながら歩いていきます。



ダム上、中央から見た貯水側の景色です。



一方、高さ73.0mから見たダムの真下の様子。



そして、下流側の遠景。白いガードレールのところが県道29号です。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



左岸、貯水側から見たダムの様子。



同、下流側からダムを見ると、こんな感じ。



ダム完成から今年でちょうど半世紀。まさか50年以上前に「野」だった場所が「湖底」になるとは誰もが予想しなかったでしょうね。
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山あいの奥…榊原池

2022-02-20 06:51:57 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は三重県津市榊原町(さかきばらちょう)にある雲出川(くもずがわ)水系の榊原池を訪れます。アクセスは県道28号沿いにある「榊原自然歩道」の看板のあるT字路から入り、そのまま道なりに谷杣川(たにそまがわ)沿いの道を遡っていくと到着します。

県道の入口から目的地までは意外に距離があります。山間の道を延々と進み、道もどんどん狭くなってくるので少し不安になりますが、めげずに行くと…見えてきました。これですね。



貯水側からダム上を見るとこんな感じ。



そして、これがダム上。歩いてみましょう。



ダム上、中央から貯水側を見るとこんな感じ。訪れた日が快晴だったせいか、とても清々しい気分。



一方、下流側はこんな景色。ダム下の斜面が綺麗に刈り込まれていますね。管理の行き届いている証拠です。



洪水吐は右岸側にあります。越流式で、増水時になると水はここから溢れ出て、



この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



その水路のあるところの橋を渡ると対岸(右岸)になります。振り返るとこんな感じ。



右岸、貯水側から見た様子。



津市のため池ハザードマップを見ると、ここが榊原池であるのは間違いないんですが、現場にはそれを示す看板などはありません。あるとしてもこの看板だけ。なお、看板に書かれている「久居市(ひさいし)」は1970年8月1日から2005年12月31日まで存在した名称で、2006年からは津市になっています。



榊原池はダム便覧にも載っていますが、その高さは18.9mと書かれています。しかし津市のため池ハザードマップでは18.4mとの記載。ほんの50cmの違いですが、データの元になる典拠は違うんでしょうか…。

謎だ。
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背後に砂防堰堤あり!…大日池

2022-02-19 06:57:51 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は三重県津市美里町船山(みさとちょうふなやま)にある農業用のため池である大日池(だいにちいけ)に行ってみることにします。アクセスは県道28号沿いのHORIKOSHI 近くの道から入って行きます。

到着しました。山の中の綺麗な池という感じ。



場所がわかりにくいので、念のため地図を載せておきます。写真の中のポインターを示したところが今回の場所です。



右岸の横には意味不明の石像。このサイトによれば、これは弁財天として祀られる岩だそうで。同サイトによると大日池という名称は付近に古くから存在している大日堂に由来するものらしい。



ため池の洪水吐はたいてい左岸側もしくは右岸側にあるんですが、ここはダム上の中央にあります。増水時になると、水はここから溢れ出て、



あちらへ流れてゆきます。



ダム上、中央から貯水側を見るとこんな感じ。



おや? よく見ると木の向こうに砂防堰堤らしきものが…。気になるなぁ。あとで行ってみましょう。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



左岸、貯水側から見たダム上の様子。



では、先ほど気になった砂防堰堤に行ってみます。これが堰堤横から見た様子。



堰堤の中央の落水部分には木が生えちゃってますね。



堰堤の中央から見た上流側の様子。長年災害がないせいか草だらけ。



下流側の景色。池の向こうに見えるのが先ほど歩いたダム上です。



堰堤中央から右岸を見るとこんな感じ。



ひとくちに農業用のため池といってもその規模は大小さまざまで、それこそ無数にあります。ただ、ため池の中には高さが15.0m以上のものもあり、定義の上ではダムに相当します。でもダム便覧に載っていないものも見受けられるんです。じゃあ、この大日池はどうなのかというと実は高さが5.7mしかありません(参考)。なので最初は記事にするかどうか迷いました。でも、ため池の北側に砂防堰堤があって、ちょっとした冒険ができたので特別にご紹介したという次第。
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あのぅ、確認してね…安濃ダム

2022-02-18 06:58:25 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は三重県津市芸濃町河内(げいのうちょうこうち)にある安濃川水系の安濃(あのう)ダムを訪れます。ダム名は安濃川を堰き止めて築造されたことから命名されたもののようです。アクセスは伊勢湾側から県道42号を進んで行くと「安濃ダム管理所→」の看板のあるT字路があるので、そこを入って行くと安濃ダムの左岸に到着します。

まずはダム下にある橋から撮った「ご尊顔」をご覧ください。



同じ場所から下流側を撮るとこんな感じ。



安濃川の左岸のダム横近くまで来ました。そこからダムを見るとこんな感じです。



すぐ近くにはダム本体に貼り付けられた水利使用標識。灌漑のために築造されたダムなんですね。



左岸、上流側にあるこの建物は「安濃ダム管理事務所」。





そのあたりからダムを見るとこんな感じに見えます。



これがダム上。歩いて行きます。



ダム上、中央から見た貯水側の様子。なかなかの景色です。



一方、ラジアルゲートの間から見たダムの真下はこんな感じ。



そして下流側の遠景。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



右岸、下流側から見た様子。



同、上流側からダムを見るとこんな感じ。



「安濃ダム」と刻まれた石碑。



その裏側には諸元が記されています。完成は1986年のようです。



石碑の近くには安濃ダムの概要が記された案内板があります。



ここにもダムの諸元が記されています。その中の「位置」を見ると三重県安芸郡芸濃町河内地内(あげぐんげいのうちょうこうちちない)とありますが、これはダム完成当初の住所です。安芸郡芸濃町が発足したのは1956年9月30日に河芸郡椋本村(かわげぐんむくもとむら)・明村(あきらむら)、安濃郡安西村(あのうぐんあんさいむら)・雲林院村(うじいむら)・河内村(こうちむら)が合併してスタートし、2006年元旦から津市、久居市(ひさいし)、安芸郡河芸町(かわげちょう)・美里村・安濃町(あのうちょう)、一志郡香良洲町(いちしぐんからすちょう)・一志町(いちしちょう)・白山町(はくさんちょう)・美杉村(みすぎむら)とともに合併し、改めて津市として発足したため同日、安芸郡芸濃町は廃止となりました。なので、現在の住所は上に記したものになります。



おっと、見落とすところでした。なんですか「Summay」って…。そんな単語はありません。「概要」ならば「Summary」なんですけどね〜。



安濃ダムは三重県が管理するダムなんですから、お役人が英語が苦手というのはまずないでしょう。でも、こんなスペルミスをずっと放置しているのはどうなんですかね。ワシでさえ気づくんですよ。まあ、チェックが甘いと言われても仕方ないですなぁ。
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田代池はちょいと、大平池はアウト〜!

2022-02-17 07:10:10 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は三重県伊賀市山畑(やばた)にある淀川水系の田代池(たしろいけ)を目指します。アクセスは名阪国道の「上柘植インター」を下りて伊賀コリドールロードを南下し、「白藤滝 2.0km」の表示のあるT字路を曲がり、滝川沿いに進んで行くと到着します。

目的地のすぐ下流に滝川を渡る橋があり、ちょっと行ったところから田代池の「ご尊顔」を拝むことができます。あまりに横長なのでパノラマで撮ってみました。左岸側に洪水吐があるのがわかりますね(写真では右側)。



で、先ほどの場所に戻り、さらに奥に進むと田代池への道があるはずなんですが…。なんとワシの行き手を遮る憎っくきバリケードが!





田代池へは釣りが目的じゃないのでこの看板には該当しません。だから行っても良いはず。しかし道路が鎖で塞がれているためクルマで進むことは不可能。もし田代池だけが今回の目的ならばそこからほんの200mの道を歩いて行ったと思います。しかし、田代池を過ぎて、直線距離にして約1.2km先にも、やはり淀川水系の大平池(三重県伊賀市下柘植字奥大平)があり、そこへも行ってみたいと思っていたんです。さすがにそこまでの元気はありません。なので、今回のチャレンジはこれにて終了!

ちなみにダム便覧には田代池(高さ:19.0m)もその奥にある大平池(高さ:15.1m)も載っていますが、伊賀市の「ため池ハザードマップ」を見ると前者が20.6m、後者が15.4mと記載されており数値に違いがみられます(参考)。一体、どういうことなんでしょうねえ。

う〜ん、なんか消化不良だなぁ。
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嫌な形で有名に…竹谷池

2022-02-16 06:58:01 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は三重県伊賀市柘植町字竹谷(つげまちあざたけたに)にある淀川水系の竹谷池を訪れます。池の名称はそこの地名に由来します。アクセスは名阪国道の伊賀インターを下りて伊賀ドライブインの横の道を登って行くと到着します。

見えてきました。あれですね。でも、池ですか? ホントに。



池に向かおうと進んで行くと道が二又に分かれています。方角的には左と判断。その先はクルマで行けそうですが、万一のことを考え、歩いて進みます。



この小さな橋を渡り、



登っていきます。



おっ、登りきったところがダム上でしょうか。



正解! ダム上でした。



左岸、貯水側からダムを見るとこんな感じ。



同、下流側から眺めるとこんな感じです。



では、いわゆるダム上を歩いてみます。中央から見た池の様子。



一方、下流側の景色はこんな感じ。



対岸(右岸)まで来ました。振り返るとこんな感じ。



右岸、貯水側からダムを眺めます。



同、下流側から眺めるとこんな感じ。あれれ、左岸のほうに水路のようなものが見えますね。ということは洪水吐は左岸側にあるのかな?



そんなわけで、左岸側に戻り、洪水吐を探すことにしました。左岸側は意外に広いスペースがあります(写真の奥がダム上になります)。



そしてそのスペースの奥に橋があり、この下が洪水吐の水路になっています(写真の奥がダム上)。



その橋から洪水吐を見るとこんな感じ。一応越流式のようですが、はっきりしませんね。



で、増水すると、水はこの水路を通って下流に向かい、柘植川に合流します。



ダム便覧によると竹谷池の高さは22mとありますが、伊賀市のため池ハザードマップによると23.3mになっていて数値が違いますね。これはどういうことなんでしょうか。ダム便覧の示す数値は何に基づいているんでしょうねえ。(参考

ところで、この竹谷池は今から30年前の1992年に起きた通称「鈴鹿市ベルシティ殺人事件」の遺体発見現場として知られることとなりました(実は昨日記事にした鴉山池も関係があるのですが)。犠牲者は当時14歳の女子中学生。将来は宝塚歌劇団に入るのが夢だったそうです。もし事件に巻き込まれなかったら今年で44歳。良き家庭人になっていたかもしれません…。犯人の男は無期懲役の判決が下った約一年半後の1999年2月12日に収監先の岡山刑務所で自殺。事件の内容については書くのが辛いので省略します。興味ある方はリンク先をお読みください。

…ったく、やりきれんな。非道にもほどがある!
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