どーも、ワシです。えー、今回は三重県伊賀市柘植町(つげまち)にある淀川水系の鴉山池(からすやまいけ)を訪れます。アクセスは国道25号(大和街道)沿いにある余野部(よのべ)建材株式会社柘植工場の前なので迷うことはありません。
大和街道から見た様子。この、こんもりとした向こうに池があるようには思えないでしょ? でも、あるんです。
上の写真の左側に向かって行くと、いわゆるダム上のところに「鴉山池竣工」と題された石碑があります。その内容を要約すると伊賀の東北旱魃地域は全国特殊災害地として知られていた。そのため古くは寛政年間(1789-1801)以降、明治・大正に至るまで租税を免除される恩恵に浴してきた。しかし昭和22年(1947年)になってこの地域は旱魃に見舞われた。それがきっかけとなって農業用ため池を建設する計画が持ち上がる。そして昭和25年(1950年)8月6日、ため池工事に着手。そして昭和29年(1954年)4月17日に完成したと記されています。残念ながら「鴉山池」の命名の由来は記されていません。
その石碑からダム上を見るとこんな感じ。写真では見切れていますが、右側に大和街道が走っています。写真の奥のほうに洪水吐があるので行ってみます。
トコトコ歩いて洪水吐のほうに来ました。そこから池を見るとこんな感じ。
そこから洪水吐はこんな風に見えます。
少し横から洪水吐を見るとこんな感じ。越流式です。
溢れた水はあの橋の下を抜けて、
柘植川として下流へ向かうのです。
鴉山池は「伊賀市ため池ハザードマップ」に掲載されていて、そのデータを見ると高さは16.2mと書かれています。ダム便覧には高さが15.0m以上あればため池であってもダムとして掲載されるはずなのですが、三重県のダムを見ても鴉山池は出ていません。
なんでだろ〜、なんでだろ〜、なんでだ、なんでだろ〜♪(ふ、古いな…)
大和街道から見た様子。この、こんもりとした向こうに池があるようには思えないでしょ? でも、あるんです。
上の写真の左側に向かって行くと、いわゆるダム上のところに「鴉山池竣工」と題された石碑があります。その内容を要約すると伊賀の東北旱魃地域は全国特殊災害地として知られていた。そのため古くは寛政年間(1789-1801)以降、明治・大正に至るまで租税を免除される恩恵に浴してきた。しかし昭和22年(1947年)になってこの地域は旱魃に見舞われた。それがきっかけとなって農業用ため池を建設する計画が持ち上がる。そして昭和25年(1950年)8月6日、ため池工事に着手。そして昭和29年(1954年)4月17日に完成したと記されています。残念ながら「鴉山池」の命名の由来は記されていません。
その石碑からダム上を見るとこんな感じ。写真では見切れていますが、右側に大和街道が走っています。写真の奥のほうに洪水吐があるので行ってみます。
トコトコ歩いて洪水吐のほうに来ました。そこから池を見るとこんな感じ。
そこから洪水吐はこんな風に見えます。
少し横から洪水吐を見るとこんな感じ。越流式です。
溢れた水はあの橋の下を抜けて、
柘植川として下流へ向かうのです。
鴉山池は「伊賀市ため池ハザードマップ」に掲載されていて、そのデータを見ると高さは16.2mと書かれています。ダム便覧には高さが15.0m以上あればため池であってもダムとして掲載されるはずなのですが、三重県のダムを見ても鴉山池は出ていません。
なんでだろ〜、なんでだろ〜、なんでだ、なんでだろ〜♪(ふ、古いな…)