湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

8/15 終戦の日の墓参 (今回はつまりません、すみません)

2012-08-16 06:29:21 | 引きこもり
2012/08/15 記
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父方の盆は、長男の伯父の妻の葬儀の直後で、伯父の体調を考えて中止となった。しかし母方の墓参は父の宗教の後遺症があって、宗派を持つ弟夫婦は欠席。他には母と私しか血縁がない状態だった関係で、墓参は私ひとり、遠方の墓地に行くことが多かった。父が老健入所して2年。父との格闘はなくなったが、母も墓地の急坂が登れなくなっていた。

母の要請もあって出かけたが、乗り継ぎのバスが1時間に1本、そのバスが電車が到着する数分前に出てしまうという悪条件があり、タクシーも台数が少なく渋滞の名所を通るので、一度出てしまうと当分戻ってこなかった。

結局県内というのに3時間かかり墓地に着くと、墓前の花が売り切れているという事態で、1km離れた花屋まで買いに出なければならなかった。父が私たちを墓地から引き離そうとして決めた場所だった。(父の宗教には墓参の風習がない。)

役割を終えて帰ろうとすると雨が降り出した。用心して傘を持っていったので回避できたが、雨に意味を感じて、歯噛みしてバスを待った。ここも1時間に2本。均等間隔に来るのではないので40分待ち。タクシーどころか車が通らない。

バスに乗った頃には雨があがっていた。県内というのに往復5時間半。すべては乗り継ぎの悪さだった。

私が塾を閉じようとしていた頃、私はこの地域も通学エリアの進学塾の講師をしていた。当時は車を運転していたので、この近辺は路地まで知っていた。ゲンジボタルの飛び交う谷戸や、新生代の二枚貝化石の有名な露頭があり、子どもを車に分乗させ、ここに来たことをぼんやりと思い出していた。村上陽一郎氏を口説いて、進学塾で講演させたこともあった。

先ほどNHKのBSで、子どもの貧困の話をしていたが、生活保護世帯の急増の影響で、子どもの養育、学習が脅かされてる現実を話していた。私は障がいや社会環境によって困難な状態にある子たちの伴走支援をやりたかった。ところがいわゆる当時「ゆとり教育」を自由業の親の子弟の情操教育の形で、受験競争のサイドガードを行なおうとする英才教育の動きがあって、多少ノウハウのある私が重宝されたが、家庭の困難を抱える世帯の子の中には、学習そのものへの絶望があり、情操教育の弾力が通じなかった。そこからのキャッチアップを行なうと、一般的な補習塾を期待して来ていた子達が教室を去っていくという矛盾があって、経営的に進学塾の講師を兼業しなければならない時期でもあった。

当時、大人の半数が間違える国立教育研の問題が話題になって、経験と学習のことを論じていたことを思い出した。その問題を載せておく。教育者には誤答例を出して「なぜ?」と問うた。

私の回想はきりがない。その志向の糸は現在に至るまでつながっているのだが、路上生活者支援なら路上生活者支援、引きこもり若年者とのお付き合い、自閉症スペクトラム者の社会的居場所作り、被災者の生活支援、高齢者介護の連携と社会的再組み込み、被災ペットの飼育とセラピーへの発展等その領域の活動をされている方には、ばらばらに見えてしまう。

18日の汎用医療個人情報QRコード化提案も、小手先技術提案にしかみえていないのだろうなと思うとため息がでる。しかし昔式の言い方をすれば「国民総背番号制度」の露払いの危険をどう封じるか。その辺を追加しながら説明をまとめている。

結局今日は、墓参という小旅行の一日で、過ぎていった。


9月1・2日に陸前高田で大きな交流会がある。茅ヶ崎からも議員さんたちが行く。どうやら私の気仙地方訪問、講習会手配や文庫下準備は、ここが過ぎてからのほうがよさそうだ。


夜間傾聴:なし


(校正2回目済み)

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8/14 慈恵医大病院から、日本財団・NPO法人「舫(もやい)」を訊ねてきました

2012-08-15 05:08:53 | 引きこもり
2012/08/14 記
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慈恵医大病院は、田町から乗り継いで御成門に出るよりも、新橋に出て、そのまま歩くかコミュニティバスに乗ったほうがいい。バスは20~15分間隔で出ているが、祝祭日は2本/時なので、時間表を写しておいた方がいい。今回は25分も待っていられないので、徒歩で病院に向かった。20分位である。

しかし私のような同一薬品の長期利用者に、最長3ヶ月で再受診というのは、建前はわかるがしんどいものがある。処方箋と薬品代あわせて3千円程度なのだが、交通費が同じくらいかかるのだ。網膜色素変性症は治療法のない難病で、緑内障とも違う。このため、薬は眼圧降下と血流増進剤の目薬とビタミンAが処方されている。いわば体調改善剤で治療薬ではない。今のところ、これしか方法がないという。それならば、大学病院と地元医との分業に乗せ、検査のときだけ大学病院に通えばいいではないか。二重診療になるということ事態が、医療分業を阻んでいる。

新橋に戻り、そこから虎ノ門に出た。日本財団の警備は厳しい。ロビーをうろついているとすぐに守衛さんが尋問にやってきた。受付に仲介されたので話をするが、アポなしも災いして、**さん不在だけでなく、助成金申請書を書いて、お盆休み後に、アポを取って持ち込むように諭されてしまった。打診の話は門前払い。**さんと雑談交じりで、企画化の助成見通しを立てたかったのだが、面会申し入れは、うっかり用件を言うと、マニュアル対応で面会前に排除となる。やむ終えず、**さんにメールをだして、飯田橋の「舫(もやい)」に向かうことにした。

ちょっと面倒くさいが、虎ノ門から日本橋乗換えで飯田橋に出た。火曜日は、こもれび荘でサロン兼相談をやっている。稲葉氏と会った。私が会ったのが2年前、「湘南あすなろ会」としてである。すっかり忘れられていた。

私が訪問したのには2つ目的があった。ひとつは大船渡の大関輝一さんに協力する形で、陸前高田・広田半島の地域医療福祉ネットワーク作りついて、外出支援の形を端緒に、高齢者を中心にした寄り添い支援の支援と、孤立化防止の協力をおこなうために、「舫」が東北展開している見通しを教えて欲しいというもの。

もうひとつは、秋口に茅ヶ崎で行なう講演・交流会について、大関氏の講師依頼をお願いしたいということと、首都圏被災時、高校生が役割を得るために、「舫」の活動の中に接点は持ちうるかという、いわば東北現地訪問型ボラに対する非被災地が準備できることを相談したいというものだった。

こもれび荘には、相談者が4~5人訪れており、私としては、以前「湘南あすなろ会」のとき、「舫」の仲介依頼した方のネグレクトで、玄関が閉じていた経験があり、火・金の相談日のときに訪問しなければ空振りするという教訓があった。ところが、その火曜日に行ってみると、相談者が順待ちしており、集中して用件話を聞いてもらえない矛盾があった。HPから申し込むことができるが、企画相談というまだ煮詰まっていない話を申し込む分類項目がない。そういう応答なしの経験が2回ほどあり、それでアポなし訪問となったのだが、見事に空転した。

まず、大関輝一氏は、「舫」の東北展開で活動しているのではなく、個人として活動しているので、話はそちらにせよということ。これは誤算だった。ここですっかり稲葉氏の心は閉じてしまった。

既に東北の支援は現地滞在型の活動以外は意味がない状態に入っており、高校生の入る余地はないこと。(私は首都圏被災時の『舫』の活動の領域拡張した展開の生活支援で、『舫』のメンバーが避難所運営に散ったように、高校生が地元で成しうる支援が、『舫』の避難所メンバー補佐のような形で考えられる計画はないかと訊ねたつもりだった。)どうして「舫」と連携をとりたがっているのかという疑問に答えなくてはならなかった。

まず私は「SCFの『わーく』編集部」という引きこもり若年者の社会復帰と就労支援を路上生活者化した若者を含んで関わってきたこと。

ビッグイシューと出会い、路上生活当事者の自立活動として「湘南あすなろ会」を立ち上げ、湘南卸販売活動を初め、稲葉さんと出会ったのが、そのときだったこと。

「湘南あすなろ会」は内紛から凍結状態に陥り、再び「『わーく』編集部」として、社会的弱者の被災時の孤立化防止を核にしたセイフティ・ネットワークを作ろうと考えていること。

茅ヶ崎市内の高校のボランティア塾企画に、「防災と災害対策、セイフティネットの重要性を伝える授業を行ないたいと準備を進めて現在に至ること。

これが立ち話で通じるはずがなかった。東北被災地支援は現地滞在以外意味がないのではなく、そこを何とか非被災地の活動を作ることで、被災救援期の市民協力の埋れ火を地域活動につなげたいと考えていることの反論は、全くタイミングがはずれてしまい、言葉は断ち切られてしまった。

話が突然飛ぶが、ショッピングカードを最近作って不快な思いをした。申込契約書の必須書き込み項目に「独身・既婚」とあったからだ。私のような×いちはどうしたらいいのだろう。先方の発想から私は抜け落ちてしまう。こういう枠組みの谷間は、様々なところで経験する。今回は、日本財団でしかり、「舫」の多忙時の稲葉さんにしてしかりだったのだ。活動紹介のチラシ1枚手渡すことが出来ずに帰って来ることになった。

「舫」については、封書で相談することにし、大関氏の方も、改めてメールを書く予定でいる。

慈恵医大で懐具合が寒くなっていたが、気分替えになるので、母を茅ヶ崎駅に呼び出し、糖尿病の天敵「天ぷら」を食べた。贅沢なところではない、予算が足らないので「てんや」の外食となった。

母から「仏壇のない我が家、明日墓参に行ってくれ」と断れない依頼をうけた。我が家の墓は遠く、歩くところが多い、車を節約しようとすると母には無理だ。

しかし参った。今朝、2人、リストカッター(前のオーバードース)と橋本3君(就労相談中)が明け方電話をかけてくる約束になっていた。半徹夜が二日目となる。負のスパイラル、はまってたまるかと思うが、ともあれ自分の気持ちは18日の茅ヶ崎市杜の協働、意見交換会に気持ちが移っている。仏バチは勝手に当ててくださいな…と。

夜間傾聴:オーバードーズ君(仮名・臨時)
     橋本3君(仮名)


(校正2回目済み)



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8/13 特定検診をうけました、で/民間交流を深めた支援を

2012-08-14 06:25:13 | 引きこもり
2012/08/13 記
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歳を食うと、医療関係がやたらと生活の中に割り込んでくる。今日は予約しておいた特定検診を受けた。お盆の最中だから、個人医院は休診だから病院にいく。この時期だからすいているだろうと思っていたら、甘かった。交代制で一応は医師や職員はいるものの、人数が少なく、その割には、外来患者が多かった。私のように特定検診を受けている方は少なかったが。

結局、検査や診察の連携が悪く、4時間近くかかってしまった。総合診療科の医師は去年と同じ人。質問用紙を見ながら問診・触診を薦めていくのだが、ひとに質問をしておいて、応答を聞いていないので、その医師の職業意識を叩いた。覚えているかなと思ったら、案の定、初対面風の鉄面皮、全然変わっていなかったので、問診が始まったので、「応答ぐらい、話を聞いていてくださいね」とコメントをつけ、「触診をしないんですか」と注文をつけた。やっと思い出したらしく、聴診器が登場して可笑しかった。

しかしひどい。採尿のとき、コップを汚してしまったので、ここの検査士は素手で検体を扱うのを見てきているので、その場に常駐している事務員に、「検査員がコップを取るとき、コップを汚してしまったので注意して欲しい」と伝言を頼んだ、すると言葉が終らないうちに、「私は検査の担当ではありませんから、担当者に直接言ってください」と、いきなり断られた。採尿の際、トイレの前の受付に常駐する彼女に、「(採尿するので)子どもをちょっとみていてください」と頼んだ母親を、「担当が違います」と断っていた。私の伝言を断ったひとである。

以前、風邪をこじらせて治療室でネブライザをかけていたとき、ナースが場を離れた。吸入が終ったので、担当者を呼んで欲しいと他のナースに依頼したが、「少しお待ち下さい、担当者が来ますから」と伝言を断られたことがあった。担当者は15分後に私の横を通り過ぎ、私が声をかけたので忘れていたことに気付いて、マスクなどを片付けたのだが、院内連携が完全にいびつ。労務管理の責任体制がおかしいのだろうと推測された。入院、救急外来は、この病院は絶対に使うまいと心に決めた。しかし茅ヶ崎は、それを言ってしまうと実は病院が無くなるのだ。

終了が結局17時まぎわになってしまい、医事課には知人の**さんが現職か確かめるだけで終ってしまった。といっても、休暇を取っていて、本人とは会えなかったのだが。

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陸前高田市米崎町仮設の++さんに電話を入れた。巡回文庫の書籍を入れた件の今後の話だった。小規模仮設の自主巡回文庫の話の確認だった。私たちが送った本の始末法が定まらなかった。自主巡回があるから、その最後の仮設の都合があるので++さんは応答できなかったのだ。雑誌中心なので廃棄するか、図書館に渡すかこれから話が始まる。

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青森県内の認知症患者数の調査データが記事になっていた。
●「認知症高齢者3万2242人 県調査、国の推計上回る」
記事では高齢者層の人口比で論じられていたが、陸前高田市広田町の高齢者人口が不明なので、粗っぽい推測だが、青森県人口の137万人強から比率2.3%を割り出し、広田町人口の概算3千人にあてはめてみた。世代分布が違っているので、本当の目安に過ぎないが、約70名の値を得た。町には少なくともその位の認知症患者がいるということだ。ここには2つの高齢者施設が受け入れをしているが、この数字は認知症高齢者に限った数字だ。しかし在宅介護を受けている高齢者のぼんやりとした大きさが見えてくる。

この地域の高齢者に対して、私たちがなしうることを洗いなおしていく作業に入っている。

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オリンピックがやっと終わり、少しは被災地情報が入りやすくなってきたかと思っていたが、陸前高田の枯れた一本杉の保存の話を聴いていて、まだこだわっているのかと、悲しくなった。いつも災害支援のときに現われる外野活動なのだが、地域協力や統合の象徴作りにどうしてこう熱くなるのだろう。球場の外野席から声をあげる活動のパワーを、なぜ生活に寄り添った活動、環境整備や産業復興支援に注がないのだろうかと思う。被災者を混乱させるからというのは、イメージが貧困なのだと思う。

もし親戚が、親が、被災していたら、親しい友が被災していたら、どうするだろう。適正な距離は勿論ある。しかし、協力を申し出て必要な支援をもっと具体的なかたちのものへと探っていただろう。つまり被災者に名前が無い、束ねた被災者に対しどうするかとたててしまっているからだ。だから民間交流が必要だ。それは団体と団体との親交よりも、個々人がつながる知り合う友を生む活動を作っていくことなのだと思う。

押しかけ元気付け活動は、さすがに落着いてきたが、それとは別に宮城の亘理の仮設にひまわりの鉢植えを送ったニュースを見ていて、呆然としてしまった。現地の様子を少しでも観ていたら「ひまわり」というような的外れはしなかっただろう。非被災地からの支援は、気持ちの問題であるのは確かだが、より実利性のある支援を考えるべきだろう。

明日は慈恵医大に行く。その帰りに「舫(もやい)」に立ち寄る。地域医療福祉ネットワーク関連の接点話が出来たらいいのだが。

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「舫」といえば、湯浅誠氏がNHKにハートネットで、若年者引きこもり者の貧困の実態を語っていた。予約録画しておいたのだが、私は一回観終わったのだが、母が「つまらないから」と番組を消去してしまった。油断した。ハートネットでは、あと1~2回のシリーズで、貧困と生活支援を取り上げるようだ。失職して路上生活者となった青年が、ふたたび就職するが苦戦し、生活保護においこまれる話がでてくる。・

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これから仮眠し、昼前の最後に滑り込めるように出かける。今回はここまで。

<気になる記事>

●「徘徊情報、市民にメール配信 名古屋市10月から」
●「被災気仙杉で「みんなの家」 憩いの場、再生目指す  10月中に完成」


夜間傾聴:オーバードーズ君臨時登場
     橋本2君(仮名)


(校正2回目済み)

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8/12 横浜県サポに出向き/相馬の単身高齢者長屋入居が進まない理由

2012-08-13 05:58:12 | 引きこもり
2012/08/12 記
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県サポに県立図書館から借りた本の更新をしに、横浜に出かけた。母の放浪が気になったが、認知症の徘徊ではないので、「慎重に」と本人に伝えてある。県サポは久しぶりだ。帰りに有隣堂の医書コーナーに立ち寄り、OT(作業療法士)関連の月刊誌を探った。

河北新報の記事に、
●「高齢者入居二の足 災害住宅2棟目完成 相馬・馬場野」

があった。入居が進まない理由に「浜から遠い印象」・「被災者住宅は、家賃が発生する」という原因を推測していたが、私は相馬の、この単身高齢者・高齢夫婦対象とする長屋に、管理臭が漂っていることを嗅ぎ取っていた。彼らには社会生活がある。そこをばっさり捨象してしまう発想がどんなものかと思っていた。生活と健康の不自由に対する集中サービスとか、孤立化監視の効率化という発想があるように思う。それは行政の都合でしかない。

はじめの記事がでたとき、単身高齢者をどのような選考を経て人選するのだろうということに関心をもった。対象となる方たちは、若いときほど生活時間を割いて働いていなくても体力の範囲内で働いていたり、親しい友人と時を過ごしているだろう。中には地縁の帰属感を断ち切らねば、移り住むことが出来ないものもいるだろう。

地域集落の単位を無視した仮設に入居者の多くの孤立が生み出されたように、コミュニティを無視した配分の発想では、それを疑問に思わぬ行政では、事態は解決しないだろう。

それゆえに、私は医療従事者の職業専門誌を当たっているが、今度は医療関係者が、高齢被災者を、生命活動を行なっている生き物として個体の檻(おり)に、被災者を閉じ込めてしまう。治療という発想が社会活動をしている人々、名前をもった個々人という認識を希薄にしている、PSWさんやCSW、CCW、MSWさんたちは、かろうじて社会生活をとらえているが。医師・ナース・心理カウンセラーや行政関係者の発想はひどい。

世代縦割りのシェアホームとか、単身高齢者の地域再組込みの方向のなかで、当人が社会的役割を持って生きること、それが寝たきりであったり、認知症の進行する方であっても、人の輪の中に生きるという基本は、どんな地域作りの構想にも反映されるべきだ。

それでもなおかつ、地域医療福祉ネットワーク作りには、彼ら関係職・専門職の起動推進チームが必要だ。高齢者の実情の認識があるからだ。そこにしっかりとした出発点を置き、大ボラではない大きなビジョンと、個別活動の具体的始動が見えるものの実践議論が始められなくてはと思う。

私が十数年前、オンライン教育の教材開発の事務所を短期間だが作った鶴屋町界隈には、当時から行きつけの定食屋があった。そこに立ち寄って食事を済ませたが、主は代代わりしているが、味は引き継がれているのだ。私はある会社のワークステーションを借りるために、そのフロアの一角に寄生させてもらっていたのだが、それでも場が有ると研究者や有志が出入りしていた。

オフラインの接点が有効な時期がある。今の私には当時おような磁力はないが、被災地と非被災地をつなぐ被災地の地域医療福祉ネットワークを進めるには、扇の要に「広田半島通信」を進めていく必要があると思っている。多極的な活動を結んでいく活動である。オフラインのたまり場はずっと実力をつけてからのことだ。第一、場を作ればたまるような時代ではないからだ。

胃切除者向けのレシピを買った。そのうちレポートする。

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弟夫婦が私の留守のときに現れて、母にウナギを食わせようと連れ出していた。先方にも認知症がらみの親御さんが在宅介護を受けているが、今日は留守番を頼んできたとのこと。弟は母の好き嫌いの多さに閉口したようだ。ウナギは食べなかったが、もっと高いコースを要求されたと弟はむくれていた。しかも、その取ったコースの大半は残してしまう。わがままだと弟は文句を言って帰っていった。

盆の入りである。祖母の枕元で邪教とばかり仏壇を焼いた父は、今は認知症が進み老健にいる。その父に優しく声をかけるたびに、嘘つきという内声がささやく。正義や真理を持つという勘違いから出発する活動は誤りだ。矛盾を克服していく過程、そこに私は価値を見出している。

夜間傾聴:中学生君(母親付き)



(校正3回目済み)


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8/11 陸前高田広田半島周辺巡回文庫始動開始/茅ヶ崎市意見交換会資料作りを

2012-08-12 05:23:58 | 引きこもり
2012/08/11 記
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8日に、復興支援団体 SET(陸前高田市広田町)の三井俊介君たちの活躍により、陸前高田市米崎町の仮設住宅の巡回文庫第1号が届けられました。(写真)書籍は、湘南のセカンドブックアーチ(山本高大代表)の提供によるものです。やっと活動の口火が切られました。今後、小友町モビリア仮設にも届けられる予定です。三井君とSETの皆さん、SBAの山本さん、感謝します。

火曜日に、私は慈恵医大に行き、日本財団を回ります。秋の講演・交流会に講師と被災地のゲストを招待するために必要な資金助成の道を開きたい。バックの活動実績のある団体がないので、そこで蹴られますが、可能性のある団体を紹介してもらえないか**さんと話をしてきます。(まだ休みに入っていないらしい。)その帰りに「舫(もやい)」に回ります。

月曜日は成人検診、ついでに医事課に寄って、救急医療の資料等の下調べをします。

先ほどオーバードースの問題を抱える方との夜間連れ添いを済ませました。当人の許可がないので、ここまでなのですが、決定的なのは孤独と不安。深い場合、私もしんどくなります。抜け出し方は慣れていますが。

しかし、県外の思春期外来情報が少なく、首都圏+静岡情報の再取得に回らないとまずいかなというところ。私はあくまでも、なり手のいない夜間相談の医療と進学・就労の仲介屋。熱い日本茶を飲んでいるところ。

18日の市との協働のための意見交流会の資料準備をしています。「汎用個人医療情報QRカード」の提案の形を取っていますが、協働をめぐるネットワーキング活動の育成提案でもあるので、NPOによる善行活動から必要と実務性を強めた連携を作る一歩にしたい。

相模原の塾生からもらった複製写真、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)」を壁側に飾って、時々視線を移しては目の調子をとって作業しています。前がピカソの「ドンキホーテ」のクロッキーだったので、多少空気が落着いているような。問題は既往症・治療中の疾患・服薬状況の更新をどうサポートするかです。

北里大サークルが協力に消極的だった件で、メールを作ったが、11月の学園祭前にサークル関係者に会いたい。事務長のルートを補佐するような人に届けたい。先ほどメール完成。

相馬井戸端長屋(GH)情報収集のための方法思案中。


夜間傾聴:1人

(校正1回目済み)
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8/10 高齢者医療福祉ネット作りに関係職の参加を!/外出支援の障害/8日に巡回文庫初配本!

2012-08-11 06:40:48 | 引きこもり
2012/08/10 記
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東京の遠縁の衰弱保護の件、最悪の方向に動いていた。母親が公的支援を嫌がるので、TVのCMで知った経口補水塩溶液を買って来て、液を飲ませつつチーズを食べさせていたが、むせて嘔吐に困っていたという。危ない、連絡を試みてよかったのだった。

私は念のため、区役所の介護高齢者福祉課に電話を入れておいた。先方の息子さんは、普段付き合いのない関係だったために、母親から指示されて、私のところに入院可能な病院を調べて欲しいという要請を、息子さんを経由してアクセスさせたのだった。

ところが意に反し、私が医師の往診や訪問看護を紹介してきたので、それを拒否したという経過が、区の担当者訪問で連絡がとれるようになって、やっとわかった。区のほうからは、下痢も起こしているので、救急隊を使って「近くの」病院に入院させたとのこと。ところが病院に電話したところ、個人情報なので事情を話すことはできないということで、ただ、そういう名前の患者さんは当院にはおりませんという応答を得ることとなった。そこで再度マンションに連絡すると息子さんが出た。

母は他人を自宅の部屋にあげるのは嫌で、病院も「近く」だと知り合いと出会うから嫌というので、タクシーの運転手にチップをだして、部屋まで運んだという。

息子さんに通告し了解を取って、区の担当者に現状を説明、今度は近所にある委託のケアセンターのケアマネさんが説得に入って、元の病院に談判して空きベッドを確保してもらった。

息子さんは、経口補水塩の液を飲ませようとしたが、むせて飲まないという。私の祖母の例を出して、液が気管に入ると、体力の無くなっている者は、誤嚥性肺炎を起こすことがあるから、この病院が嫌なら、**さんにアドバイスしてもらい、入院先を探した方がいいと説明し、「世間体と命とどちらが大事か」と迫った。

もし病院が退院話を先方から出してもいいように、ケアセンターの**さんは、区の委託を受けているのだから早めに相談し、介護度認定を受けるようにと諭し、病院を探してもらえと言った。

しかし、頭を上げずに、上向きに空いた口に水のみの先を突っ込んで、液を飲ませる危険を全く気付いていないなど、介護経験が全くないことが、ありありとわかった。

父の発熱も、老健職員の不慣れが手伝い、食事の誤嚥から炎症を起こしたのだと推測された。老健に入って2回目だった。職員でさえそういう状態なのだから、訪問支援を受けるか、高齢者サポートの病院に入れるかだ。しかし後者は終末医療のような状態のところが多いので、ケアセンターの**さんに頼って、病院探しをするといいと伝えた。(まだ方法は実はあるが、本道をまずは行くべきだろう。)

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頭が痛くなってきた。息子さんを見ていると不慣れというより、高齢者医療看護・介護の知識は、彼に限らず関係職以外の男性は全く関わっていないことがわかる。これは若い女性も同じようだ。

私は外出支援を考え続けているが、調べるほどに否定的な環境が次々に見えてくる。地元の熱意ある方と組むことが不可欠のようだ。支援活動の初動には絶対に専門職の参加がいる。

資料を調べていると、過疎地の外出支援ボランティアが決して上手く行っていないことがわかってきた。

●「高齢者らの有償送迎サービス 「過疎地」県内登録ゼロ」

以前、美容師さん・理容師さんに震災救援期の避難所まわりをして、カットサービスをしていたところ、「地元同業者の自立を圧迫するので、止めてくれ」と申し入れがあって、茅ヶ崎・平塚の同業者組合では、カットサービスを中止して他の手伝いをして帰ってきたという話があった。

私は代行カット券を買う形の非被災地の活動がありうると告げた。被災地の同業者組合がカット券を作り、格安でカットを非被災地支援者に売ってもらう。非被災地の支援者はその券を買う代わりに、支援側の同業者組合参加のカットサロンでは、例えば「カット5%割引」などとサービスをつけて客寄せに使い、カット券を買ってもらった被災地業者は無料で、被災者のカットを行なうという結びつきだ。こうすれば、地元同業者圧迫という批判は解決する。

ところが白ナンバーの運営による外出困難者支援は、有料であろうと無料だろうと、「地元同業者の商売の邪魔」という非難はかわすことができない。

ではタクシー業者組合に有料券方式で交わすとなると券が高額の上、その活動を通じて、他の活動へと成長させる地域活動の道が断たれる。震災前の相馬市のように、オンデマンドバスを行政参加の形で管理する方式が現実的といわれている。しかし、社会活動の芽としてそれを生かすとなると、出発時点から重過ぎるという問題を抱えることになる。タクシー業者は、外出困難な高齢者の足になっても、地域コミュニティの網の目の中に、利用者さんを再組み込みしてくれるわけではない。

ここは地元社会活動関係者だけでなく、行政・区長まじりで個別説得していくいがいないのではないか。だから口火活動には活動の必要性を知っている専門職がいる。さらに交渉人がいるのだ。ただ記事は震災前の活動評価が入っているので、震災後のコミュニティ再建の力動を配慮していない。ここがおそらくは鍵になる。

ついでに、今回発見した記事を、粗っぽいが紹介しておく。

●「仮設の高齢者ら24時間見守り 仙台市、来月から無料事業」

民間企業サービスを利用した単身者向け緊急出動・巡回訪問を仙台市が導入することになったという、いわゆる機能サービスだ。ここには血縁の中の孤独とか、心のケアは、入っていない。ただ影響が大きいので、ここに記しておく。

しかし、同業者の反対というところを解決するには、単身乗り込んでいっても交渉相手になれない。しかし、やるべきことが、ひとつ具体的になったことは、実は嬉しい。形が見えてくれば、対策の打ちようもある。

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面倒がる母を夜、外食につれだした。安上がりなり、オムライス。

私の分はカロリー計算。悲しい。


夜間傾聴:なし

p.s. SETの三井君と彼のお友達の写真が届きました。次回紹介します。
8日に米崎町の仮設に初配本。三井君、ご苦労様でした。即刻、セカンドブックアーチの山本さんにメールした。



(校正2回目済み)

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8/9 困難のある青年の就労支援の難しさ/高齢者孤立化をめぐる施策を考える

2012-08-10 05:50:55 | 引きこもり
2012/08/09 記
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橋本3君と会う。明日から帰省してしまうからだ。相模線もすいている。私は自閉症スペクトラムの困難のある青年たちと面談するとき、お互いにテーマが了解されているなら、即対話に入る形ではなく、事前に質問用紙をつくって渡しておく。出来るだけ答え易いシンプルな質問を書いたもので、「これは話の端緒を作るもので、貴方の言いたいことを私が理解しやすくするためのものだ」ということを、解きほぐして説明の上、相手に渡して、事前に応答メモを作ってもらっておく。用紙は回収しない。

「白衣とマスクだから嫌だ」という職場忌避の応答は、大概全然別のところに理由がかくれているので、その裏側も話しやすいように質問を織り込んだ。

なかなか面白い1時間だった。要は「今は嫌。医者は強制のシンボル」ということで、「彼は今やりたいことを勉強しているから、それを続けたい」ということを断片を投げつける形で主張し、拒否していたらしい。

「しばらく実家に行って、のんびりして来い」と言ったのが的外れだった。彼は親がいないと食事とお金が困る、だから行く必要が無いのについていくにすぎないということだった。困ることに「着替え」が入っていないのも特徴。彼は出不精なのに鉄道マニアだ。行き先で鉄道を撮るのなら、帰ってきたら、それを見せてくれと伝えた。

-------

父の老健に電話を入れる。父は食事をしてTVを観ているという。本調子ではないが回復したらしい。10日に寄ると連絡し、電話を切った。

一方、東京の方は、「本人に断られたが、事情が事情なので、時々立ち寄ってみる」という訪問看護のセンター**さんからの電話があったのだが、マンションの方は、相変わらず電話に誰も出ない状態が続いている。入院したかなと思っている。この公的支援拒否は珍しくない。家庭内の実情が周辺に漏れるもではないかという疑いと、税金を個人で使うと世間から非難されるという警戒がある。(世間体)

これから陸前高田・大船渡に地域医療福祉ネット作りを支援する活動を始めたとき、都市部以上に強い反発もでてくるだろうと思っている。年寄りは家族と血縁が面倒を見るのが「当たり前」という価値観だ。仮設という狭い生活空間に入って、またはみなし仮設にいて、通いで子どもに面倒を見てもらっている状態で、その矛盾は煮詰まっていく。これは知り合いのいない谷間に落ちた単身者の課題とずれているが、血縁に囲まれていても、家庭に閉じ込められている孤立化もある。

活動を作っていくうえで、大きな分岐は、外出困難な高齢者をコミュニティ成員として組み込みなおしていくのか、命の終焉に向かうホスピス的な安定を提供するのかという大きな区分がある。

この間の試みは対症療法的なものが多く、分類からすれば後者だった。昨年末は一関市の仮設に赤ランプを設置というものがあった。私も大槌町や宮城・登米の「命の旗」という生存証明を勧めた事もあった。しかしこれは、「単身者の孤立」を対象にしたもので、生存証明を出す行為自身に仮設コミュニティへの組み込みの契機を期待したものだった。一関の場合は、仮設コミュニティへの再帰属への意識は希薄で、命の危機への非常信号・訪問指導員の目印という機能的な対応によるものだ。

毎日新聞の下記の記事は、地域コミュニティへの再参加を主眼にしたもので、限界はあるが優れた試みが始まっていた。

●「東日本大震災:仮設の「孤独死」防止へ、高齢者自身が見守り 宮城・南三陸の「滞在型支援員」最高齢は89歳」

一方、相変わらずの既存の企業サービスを利用する機能型の仙台市の対応例もある。

●「仮設での孤立防止 携帯使い緊急通報」

さらに割り切った対応は、血縁から切れた高齢者のグループホームへの収容モデルである。ここで高齢者は、新たなコミュニティに組み込まれることになるが、特養のGH化の進む現状を見ていると、三軒茶屋で構想されたような世代縦割り居住の推進者を置かないと、なかなか実質を持つコミュニティ足り得ない、ケアのための便宜としての集合場所へとなってしまう。それでも非被災地からの支援がしやすいこともあり、注目すべき試みなので、ここに紹介しておく。

●「東日本大震災:相馬井戸端長屋、2棟目が完成 赤十字が支援 /福島」

私は住みなれた地域に、縦割り型GHを生み出し、二重化したコミュニティへと誘い込む構想がいると思っているが、その検討は別の機会に譲りたい。記事を探っていると大槌町にも「孤立化」を見つめた映画作りの活動が立ち上がっていた。陸前高田・大船渡にも問題意識を持っている方がいるはずだが、つながれない。ある期間は、現地に出向いて行かないと、情報遮断されているようで、時間は無為にすぎていく。無念さに悲しみすら覚える。お盆に遮断された今は、非被災地からの支援モデルを確立していくことに集中する必要がある。それを現地に行って突き合せねば、問題意識を持った方もつながりようがないではないか。

以下は大槌町の記事である。

●「東日本大震災:復興の姿を映画に 岩手・大槌町で撮影開始」



夜間傾聴:オーバードース対応(命の緊急性はない)
     レギュラー中止連絡


(校正2回目済み)

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8/8 応答を待つ一日/新人研修2回目/地域福祉医療提案のための基礎固めに

2012-08-09 05:57:30 | 引きこもり
2012/08/08 記
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父の容態は治まってきたらしい。調子の悪化があったときには、私のところに連絡が来る。そのとき、先方のケアマネさんと、入院先を決まる手はずになっていた。連絡が来ないのが良い事…果たしてそうだろうか。9日に老健に行くことにしている。

同様に東京の遠縁から依頼をうけて、地元包括支援センターから訪問看護師がマンションに行っている。一度本人の強い反発で訪問をやめたが、衰弱は命にかかわる兆候を離れた玄関先からの様子で感じたということで、電話で息子さんを説得したという報告が、センターから私のところに届いていた。センターとの関連で、私が関われるのはここまでだ。そこで夕食後、先方から連絡が来ないので、先方に電話を入れたが応答がなかった。夜はふたりともマンションにいるので、何かが起きているのには違いなかった。

私たちの契約講師たちは、後期夏期講習が始まる前日まで、長い休みとなる。相模原の塾の方は、もっとルーズな自習開放日があって、そこに相談役として学習指導すれば最賃並みの安い時給が出る。休みだと言って無給のところとはちがう。専任たちは特別授業が有る。私だけはその特別授業の合間に新入教員研修の授業があり、今日はその歓迎せざる授業をやってきた。

数日間程度あれば自分の担当教科、私教育論と進学状況と指導の関連を話す。高校生どころではない、大人たちは顔だけ私に方向を向け、何も聞いていない。もうひとりの教科指導者は、自分の娘ののろけ話で終った。時間がかかるが悪名高いワークショップ形式を取って、最低限、生あくびだけは堪忍してもらう手立てをとった。時間が短いので、縛りのきついテーマを立て、模擬授業の批評をさせた。2グループ討論させ、公表し、全体討論に持ち込んだが、両グループとも大差ない結論をだしていた。

議論のなかのテーマは、糸口のようなもので、織物を解いていくように、様々な物事が糸に導かれて引き出されていく。しかし、ある場面を観たとき、それに触発される経験が一向につながらないし膨らまないのに驚いたことがある。関連知識は持っているしかし、知識を束ね文脈に編みこんでいく経験の網目が欠けているのだ。物事の多様性をつかんでいくとき、多角的な切り口をつくる刃がない。物事は漠然と見ているときは、その価値の果汁が出てこない。

絞っても金太郎飴かと思いつつ、研修を終えた。子どもの背後に生活がある。それが見えますかと話を結んだ。手ごたえは返って来なかった。私語もしないのが侘しかった。

私は相模大野校の外勤の特例の中学生ひとりと、JR相模原の、このブログにも登場する者を含む若年者と、親の学習相談を受持っている。この子たちと訪問学習などをすることは、正規の授業が休みの期間中も授業可能で、糊口をついでいる。実際のところ、受験生のような正面からの危機感がないので、お盆過ぎまでは、実質長期生殺しである。自習補佐をすればいいのだろうが、これは午前中が勝負。昼夜逆転の者には睡眠時間勝負になってしまう。

大船渡市の支援活動をしている逗子・鎌倉の青年会議所有志が、朝市をやったらしい。彼らは陸前高田市の支援もしており、間接的に情報が入ってくる。しかし、生活支援情報は求めて行って、たまに入る程度しか入らない。それは活動が不活発というのではなく、広報の意欲が薄い特徴があるからだ。茅ヶ崎が南三陸一辺倒なので、警戒されてしまうのが常だが、地域情報を得るために会ってみようと思う。

この間の経験交流会WSのときもそうだったが、グループごとの自己紹介のとき、阪神淡路のころからの支援者で、行政に協働の提案をしていると言った途端、地元の青年会議所の**さんが固まってしまった。長い道のりだけは歩いてきた。それを虚勢の道具にするほど愚かではないつもりなのだが、いつも遠回りを余儀なくされる。だから初めから遠回りを前提に自分の行動を決めている。

もうひとり、災害看護関連の方を横浜に見つけた。高齢者訪問介護サービスをしている方だ。申し入れ方を考えているが、被災地のネットワーキングとの取り結び方の構想の粗さに呆れられるだろうと思う。もっとインタラクティブな支援関係を搾り出してこなければ、非被災地の活動は成り立たない。

陸前高田の広田水産高校跡地の仮設訪問時、区長さんにあしらわれて追い出された帰り道、仮設の入口で杖を頼りに町への坂道を眺めていた白髪の外出困難な高齢の女性の姿が焼きついている。区長さんは明らかに焦り、私とその女性の接触を警戒していた。そばに区長さんがいたので、挨拶で別れたが、このような方は、仮設調査巡回をしたとき、あちこちで見かけた。広い田舎の家から狭い仮設のなかで、家族と年中顔をつき合わせている状況、孤立化は物理的環境ではなく、心の距離でもある。放置していいはずがない。

<図書館書籍リクエスト>
次の本をリクエストした。県内他館も在庫なし。
●「災害救護-災害サイクルから考える看護実践」
●「発達障害のある高校生への大学進学ガイド~ナラティブ・アプローチによる実践と研究」
在庫あり。
●「オランダの社会住宅-住宅セーフティネットのモデル」


夜間傾聴:橋本2君(仮名)

(校正2回目済み)
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8/7 高齢者医療の現実と被災地の地域福祉医療ネット作りの連携のヒントについて

2012-08-08 05:39:20 | 引きこもり
2012/08/07 記
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父の体調の崩れの件で老健に行く。父はナースセンターのすぐ横にベッドを移動させられ、点滴を受けていた。カーテンで仕切られた隣から、ラッセル音が離れていても聞こえてくる。CRP値がやや高い(感染症の疑い)が熱は下がってきているという説明。ひとを預けるということ、そこでおきていることは、どこまで凝視しても闇がある。専門用語を使えば何か言ったかのように煙に巻ける。その対応の背後に実情がある。

父は嚥下障がいがある。今、食事をやめて点滴をしているという父が、夕食を待っている。話し疲れたか、すぐに私に背を向けてしまった。息子に上から覗き込まれる不快感を感じる程度に、父の意識は崩れていながらもしっかりしている。しかし、ここも順待ちの結果、やっと見つけた場所だが、病気となれば、ここには居られない。病院を探し、入院手続きを取って治療しなくてはならない。その病院の空きベッドも空き待ちだ。父はさらに明日まで、様子見となった。老衰はこうした病を節目に階段を降りるように進んでいく。母も私も、30年弱、その高齢者医療の現実を何代も相手に通してきた。

私は災害後の高齢者・障がい者などの社会的弱者特に単身者のセイフティ・ネットを考えてきた。地域福祉医療ネットワークの形で、その実現のためのモデル地域を設定して、逆に災害を梃子に洗い直しを考えたいと思っている。父のことを思っても、寒々とした高齢者福祉医療の現場を、今以上に改善していく内実を込めたいと思う。そのことは、関係者の誰もが思い、既存の制度を精一杯利用しながら、訪問介護の会社をNPOが立ち上げたり、GH(グループホーム)を作ったりしてきた。それを一番現実的な、そして実現への近道であると考えてきた。

しかし、大きな災害の後、社会活動を行なう者として、見落としてきたベクトルがあるのではないかと思うようになってきた。それはひとの生涯にわたる十全な生き方をめぐって、様々な地域活動のアプローチを地域ネットワークの形で支えていく活動を定常的に位置づけ実現していく、いわば諸施設・諸コロニーをつなぎ、サポートしていく「ネットワーキング」の活動を先行的に生み出していくことだ。

非被災地に於いては、様々な施設・コロニーが底無し沼のような現実、経営の経済基盤の安定化に、なかなか地域の活動の必要性、連携の価値が日々の活動に追われて、見出せない日々が続いている。被災地の場合は、結果的に地域がリセットされてしまったことから、ネットワーク作りの社会活動が、地域からのトップダウン型で展開しうる余地が生み出されている。しかし実際は、旧来の訪問介護やGHの立て直しを疑わずに復活させようとしている。勿体無い。そう思うのだ。

行政や住民、企業のさまざまな立場との協働がそこには不可欠であり、情けないほどに動かない利害対立がある。個々が支配権を確立する前に、青臭い社会活動が割り込むべきだし、こういう環境だからこそ、実現可能性の隙間があると考えるのだ。

残念ながらこの形の社会活動は、災害という現実に依存しているがゆえに、非被災地の企画としては、微力でしかないだろう。

私は以前、災害ボランティアは社会的挫折者のリターンマッチの場として非常に有効であると語ったことがある。書籍紹介でも「災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか」を紹介した。ここにも紹介されている「善意の共同体」の存在は、生ものであり、活動の退潮の中で消えていく。今だからこそ出来るデザインを考えていく。ひとが現状の脱却と未来を渇望しているときに、それを実現していこうとする活動の中で、ローステップでも、手がかりをつかんでいく活動を立ち上げていく志向、これが必要なのだと思う。

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**子と沼津のPSW氏から残暑見舞いの応答があった。**子は。新たな場所へのひとり外出の見守りを要望する一歩前進の内容のメール。PSW氏は仕事の合間に茅ヶ崎に出て行く距離的な限界を述べるメールだった。残念、私はオンライン会議とサポートの勧誘をしたのだが、オフラインのことを書いてきたので、望み薄と判断した。彼もまたプロ、常識人なのだ。

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父の様子見の後、伊勢原に出てから、橋本に出た。橋本3君の就労体験のことで母親と話をした。むずかしい…、そう思った。


夜間傾聴:なし


(校正3回目済み)

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8/6 60代と医療の近さのこと/残暑見舞いをとにかく出しつつ支援者集めを

2012-08-07 06:15:41 | 引きこもり
2012/08/06 記
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父の入所する老健から電話が入った。父の急な発熱の報だった。以前,誤嚥(ごえん)性肺炎で老健から病院に移された嫌な記憶が蘇った。担当医の診察があり、血中酸素濃度の低下が認められず、咳・痰等の症状も無い上、夏風邪とも様子が違うという。採血して様子を見ているのだとか。

東京の高齢の親戚の急性衰弱の件も今日が、区の訪問看護師とケアマネが訪問することになっていた。しかし夜になっても先方からの連絡は無かった。非科学的な発想ではあるが、曾叔母・祖母・祖父の在宅介護を支えてきた記憶からも、他者との発病の重なりが多い。これは台風の接近や猛暑というような天候が同時性を触発しているのかもしれない。

最近父は食事後、睡眠をとることが多い。父のベッドは窓際に置かれている。私は2000~2002年、交通事故入院したとき、神経が再生されるまで長い入院生活をした。そのときは、病院の窓側の西日が入るところで寝起きしていた。カーテンが無く昼間はベッドごと直射日光があたり、とても寝てはいられなかった。それは触ると熱いほどで、もしかすると窓際にベッドのある父も、熱射病の可能性もあると考え、認知症のフロア看護師にそれを尋ねた。やはり診察の際チェックすべきではと告げた。火曜日、職場からの帰り、父の様子を見に行く。

夕飯の前、母が初めて利用するリハセンターから帰ってきた。そのとき、東京のケアマネさんから、電話が入ってきた。「国に面倒を見てもらうなんて、そんな恥かしいことは出来ない」と、本人が頑として受け入れないという。再度説得にいくが、今日は息子さんに食事や水分の注意点を説明して終ってしまったという。階段が自力で降りられない以上、明日医師の往診依頼をかけるが、症状急変のときは、迷わず救急隊を使うべしと、息子さんに強く伝えたという。明日、医師が往診したら連絡をくれるとのこと。

私も今日は、朝から糖尿病の定期検査。薬を受け取って帰ってきたが、胃切除して慢性の食欲不振とダンピングを起こしている母用の高カロリーの食事を母に拒否されたとき、手付かずで料理を捨てる気になれず、ついつまんでしまうために、私の症状がじりじりと悪化している結果が出ていた。この歳になると、家族経営にも医療が大きく割り込んでくる。私の不調は、新たに加えられたインシュリン分泌促進剤が薬効が強く、低血糖を起こしているようなのだった。対処法はわかっているが、活動意欲が大きく削がれてしまう。明日は父の老健と母のリハセンターの契約確認をし、成人検診の申し込みをしてくる。医療関係ばかりである。お盆が重なる前に始末しておきたい。

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広田町の三井君に活用してもらう車の金銭的な始末が済んだ件を、整備業者**さんを仲介してくれた++さんにメール、報告をした。**さんが良心的に車検整備と寒冷地仕様への変更をしてくれたこと、私のように複数収入者はある金額以上の分割は業者の面倒な審査がはいるところを、部品までの明細を出して,私的に分割請求してくれたこと、車の移送費などはキャッシングになるが、その支払いの後にしてくれたことなど、カンパは結局経費の1割に満たなかったから、これは助かった。そんな話を書き込んだ。私は提案者の企画への自己責任にこだわった。たとえひとりでキャッチボールをせよという要請を受けても、やるべきものは、やるだろう。社会活動はひとを強制して動かすものではないが、呼びかけが、ぶれては、なにもならないのだ。そういうメッセージのつもりでいる。

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残暑見舞いの形をとって、知人のPSW,CCWの方に、この間の資料を添えて、その3人にメールをだした。しかし書いている最中に広田半島の島社会の結束下の地域保健福祉医療ネットワークの意味と、地域混在型仮設にかけるネットワークの課題の違いが気になっていた。しかしここは、いわゆる小規模集落のコミュニティにすら、「公と私」の形で高齢者在宅看護・介護や成人障害者の補佐は親子、極論すれば母親と子、嫁と舅・姑の関係に対外的な家族という聖域が形作られていることは、大家族的干渉の差はあれ、両者とも変わらない。その意味でネットワークは普遍の課題を抱えるので、いわゆる「孤立化」の課題は、「単身者所帯の課題」を差として残して、一見世話の行き届いている縁故集落型コミュニティの場でも、関わることが出来る。都市型か縁故集落型かの、構想が的外れにならないかという不安は、田舎特有の高齢者の肉体年齢の若さに目くらましされつつも、「外出」という「QOLをめぐる活動」として、成り立ちうる。しかしここは、健常者・男社会・世間体という攪乱層バリアの向こうが見通せる専門職・経験者から活動をたちあげていかなくては、孤立化の「孤立」の意味すら互いに伝わっていかないだろう。

だから久々だが、話が通じる友人に手紙を出したのだ。ひとりは東京郊外、もうひとりは沼津、最後のひとりは県内だがかなり前に引退された方なのだが、気持ちのある方たちなので、アドバイスや紹介を期待している。

-------

以前、救急医療の現場について、「個人申告の医療情報が間違っていたとき、担当医が事故を起こす可能性と責任の所在を問う」という質問をもって、救急病院関係を歩き、東京の日赤に立ち寄った。そのとき、忙しい中、お時間をいただいた医師の方にも、被災地の地域医療の育て方や、地域で出されている計画とNPOとの連携の可能性について、相談に乗ってもらえまいかとメールした。

今は遠回りに秋の講演会の講師選択を行なっているが、同時に謝金・交通費の助成金探しもしておかなくてはならない。まもなく慈恵医大眼科の受診があるので、時間調整して日本財団に相談してみようと思う。

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市社協にビッグイシューを届けに行った。エレベータのところで##さんと久々に出会った。服装が違っていたので、瞬間わからなくてすみませんでした。


夜間傾聴:なし(**子に残暑見舞いを出す。)



(校正3回目済み)

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8/5 北里大サークルOBと会う 他 体調悪し、すみません

2012-08-06 05:24:07 | 引きこもり
2012/08/05 記
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北里大サークルのOBと会う。事務長も同席。やはりすでに被災地支援活動に取り組んでいた。伝えたい私の提案の主旨は3つ。陸前高田の広田半島に地域福祉医療の地元ネットワークを作りたいから、支援者から見れば、外出支援を軸に社会的弱者、特に外出困難な高齢者・障害者の被災地訪問サポートを現地に作りたいということ。

非被災地、神奈川に地域福祉医療と見守り支援重点の被災地状況紹介の「広田半島通信」編集部を作りたい。民間交流の専門職の卵の視点からフォト中心の新聞をだす。そのために学生の手助けが欲しいということ。

もうひとつは広田半島の訪問のこと。しかしこれは、来年の春まで無理という話。基本は個人単位の選択で活動しているので、私が9月以降の集まりの席で話すことは調整してみるが、期待に沿えるかどうかはわからないとの全般に低調な話で終った。

事務長が、「あとで友人にもう一度話をしてみる」と言い出したので、無理押しは逆効果なので、厚意だけはいただいておいた。おそらくは、応答なしだろう。応答が来ても飲み会とか軽いコンパに場違いな参加をすることになるのだろうなと思う。望みは薄くとも、それまでに紹介資料をつくっておく。

-------

帰りに遠縁の親戚に依頼された訪問看護の件、マンションに行ってみた。古い建物なので階段が狭く、救急隊が毛布で担架をつくって搬送するにもドアと踊場の回転するときが大変そうだ。今朝、好きな味噌汁を多少口にできて、少し持ち直しをしたという。明日、区の関係課担当と今回連絡を取った地域生活支援センター担当がマンションを訪問して、公的支援を申請するように説得が始まる。

息子さんいわく、今日になってから表情を取り戻したとのこと、なるほど少しむくみがまだ残っているが、ここ数日は、入院せずに持ちそうだ。

--------

年を食うと、疲れは数日経ってから表れる。肩がつまってきたので、帰宅後、寝床に直行し仮眠をとった。

今日はこれでお休み、すみません。


夜間傾聴:臨時休業


'(校正2回目済み)
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8/4 就労体験サポートは「四角」くおさまり/活動再開/高齢者地域医療の寒々しさ

2012-08-05 06:03:42 | 引きこもり
2012/08/04 記
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橋本3君の就労体験3日間は、冷や汗のかき通しだった。詳細はカットだが、ともあれ彼は白衣が嫌いだった。困ったなと思いつつ、私は理屈づめでその感情は不合理ではないかと、最後には彼の流儀で理屈で説得したが、やはりそれは嫌。

今日は最後なので、お互いの気持ちを話してから帰ろうと、横浜某所の喫茶で話していたら、どしゃぶりの雨が降ってきた。彼がトイレに席をはずしているときに、11時台に茅ヶ崎サポセンから電話が入っていた件の、確認電話をかけた。

それは「茅ヶ崎市行政との意見交換会」の割り振り日程が決まったという知らせだった。

8月18日(土)朝10~12時
茅ヶ崎市役所分庁舎コミュニティホール(6F)
交渉相手:市防災対策課・健康福祉課
オブザーバ 市民活動推進課
      またはNPOサポートちがさき

橋本3君が戻ってきたら、彼は私の電話を就労体験をした会社の担当者と話しているのと勘違いして、仕事がいかに不愉快なものであったか、怒りを交えて語り始めた。ともあれクールダウンをしてから、早計に結論を出すのを避けることにした。彼の説明は白衣とマスクの不合理性と、彼の作業処理後の製造品の受け取り担当者が腕時計を見ていたことへの不快感を語りだしたからだ。(彼は遅番の昼食の時間を気にしていたのだった。)

ジョブコーチの真似事は、企業との非公式の話があったとき、以前は知的障がいB2程度の子まで、さまざまなといえるほどではないが、青年をサポートしてきたが、中心は、いわゆる「引きこもり青少年」や「就労挫折若年者のリターンマッチ(再就職)」であり、精神症の方の社会復帰のような形で、症状が固定した、いわゆる自閉症スペクトル・うつ病・パニック障がい・境界性パーソナリティ障がいの方は、中継ぎのようなかかわりをしていたのだった。

彼は普段から相模原の塾まで、ひとりで行き来しており、通勤、行きはまっしぐら型、帰りはお気に入りの場所道草型だった。だから同伴をいらないと繰り返し主張した。帰りの楽しみ方を知っているところが特徴的なところだった。

彼と橋本で別れたときは、雨が本降りとなり、まさに「にわか雨」の状態だった。北茅ヶ崎で下車、茅ヶ崎サポセンに立ち寄った。

茅ヶ崎市とNPOとの協働をめざした意見交換会は4日間行なわれ、4テーブルそれぞれに担当者が着いて話し合う。16グループのうちのひとつとなる。先方が何人になるかわからないが、私の経験したプレゼンでは、NPO側は、私ひとりか、参考人のふたり。行政が5~6人というところだった。今回災害関係は私だけのようだ。時間は90分ある。例年より長い。

これだけあれば、予定の「汎用医療個人情報カード発行とそのQRコード化」の話だが、「住基カード」「背番号制」導入の露払いに当てはまる意図はないこともはっきりさせながら、いかに単純防災の技術論ではなく、障害者・高齢者等被災弱者支援ネットワーク作りの契機として、提案していくことを概括的な限界はありつつも、行ないうるのだ。

ここでは、茅ヶ崎市行政としては、議論は市政の枠内の話に閉じることになるが、茅ヶ崎の実践は、全国へのモデル提案になるという副次効果を持っていることや、ネットワーク作り研究会設置と被災地研修という形で、行政担当者を誘い、活動を外に開かせる方向でプレゼンを行なう。そのはじめのテーマが「QRコード汎用個人医療情報カードとシステムの導入」から手がけようという誘いになる。

防災の件は、茅ヶ崎の官民ともに災害ボランティア活動が、被災地の新たなニーズの生活支援への拡がりに対して、環境整備&産業復興支援現地訪問活動の派遣支援活動に限定的に係わる(潮時)ことで、災害議論を唐突に東北の被災者支援を切り捨てて「防災」に移ってしまう傾向が出ている。東北の被災者支援はまだ決して終ってはいないのに、だ。だから「防災」論の内閉傾向は常に打破しておく必要がある。

橋本3君の件はお盆明けに再開ということになるが、当座は電話サポートで気持ちを整理していく。

これからは、ひとつは陸前高田の広田半島とその周辺の移動文庫と、外出支援の芽をスタートさせること。地域福祉医療ネットワークの構想と既存の類似活動との接点を整理していくこと・湘南の活動共鳴者探し、そしてこの協働の意見交換会を有効に活かしていくことを私は行なう。またそのために、秋口の講演交流会に関係講師の選定を行なうこと。この辺に力点がおかれる。大船渡の大関さんとの接点も育てるために、「舫(もやい)」にも近々訪問する。専門学校訪問は、市との意見交換会後の研究会設置提案に、市外からだが参加を呼びかけていく。

<参考図書>
●「事例を通して学ぶ避難所・仮設住宅の看護ケア」

-------

私の母方の遠縁にあたる94歳になる方は、昔、薬剤師をしており、自尊心が高い方だが、現在の都内のマンションの最上階に住んでいるため、足腰の弱まりと同時に、外出が困難になっていた。公的支援を嫌がり、独身の息子さんが介護をしていた。外出できなくなると、ころげるように短期記憶が弱まり、レビー小体型の認知症が出てきていた。それに加えて、最近の猛暑で食事が出来なくなり、体力の急激な衰退が始まり、7月の末に救急車騒ぎとなっていた。ところが点滴を打って家に戻され、昨夜、息子さんから緊急相談が飛び込んできた。

あいにく曜日が土曜日である。先方は公的支援のことを全く知らない状態で、私と母が救急外来再受診と訪問看護の手配をした。東京の場合、区の担当課が医療情報を統括し、地域ごとに神奈川のような包括支援センターではなく、訪問介護と重なった民間委託の「ケアセンター」が設置されていて、ここは「月~土」まで受付・相談業務が動いている。土曜日午後5時まで受け付けているため、滑り込みで対応につなげることができた。

月曜日にケアマネさんと訪問看護師さんが訪問してくれる段取りとなったが、いわゆる「老衰」について、いかに病院の地域医療が貧弱な状況にあるかわかる事態となった。この数日は救急隊を使い、たらい回しの病院が不誠実なときには、「死んだらあなたのせいだ」と意地悪なことを言えと吹き込み、会話を録音しろと伝えておいた。

この猛暑は、本当にひとを窮地に追い込んでいる。

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広田町の定住ボラの三井君に、彼の活動支援と巡回文庫・外出支援の芽作りのために、中古車を仲介プレゼントしていたが、整備料金を今日やっと払い終わった。少しほっとしている。言いだしっぺが言葉を翻すようなことはしない。愚かといわれようと、提案した事はやりきらねば、信用の芽すら育たない。ともあれ、今日は一段落の日。

意見交換会の提案の中に「汎用医療個人情報カード」の原稿打ち込みとパウチorシール化の作業を、発達障がい者の仕事としてキープする件を提案の中に入れ込んでいることを、やまびこ(発達障がい児者親の会)に連絡した。

夜間傾聴:ここにかけないひとのラッシュなり


(校正2回目済み)

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8/3 橋本3君の就労体験2日目(内容薄くてすみません、明日で終了です)

2012-08-04 04:26:56 | 引きこもり
2012/08/03 記
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高認神奈川会場は、家をでたあと会場に来ない子が出て騒ぎだったらしい。東京会場は無事だった。ないても笑っても8/27以降の月末に結果がわかる。昔は年1回だったが、今は2回。その意味で人生の節目のような感覚は、薄れている。だから付き添いまではねという予備校や塾が増えてきている。しかし、実のことを言えば、神奈川会場のように受験忌避者が出ることもあるので、引率の意味合いが濃い。

私は昼夜逆転生活をしているから、二日間の徹夜出勤はきつかった。眠気後遺症がまだ抜けない。午後から橋本3君の就労体験をバックアップする。詳細を書くことはできないが、以下のことは親御さん・本人の了解済みである。プロフィールが自閉症スペクトラムであるが手帳取得の範囲外。固執の反面,転動性が見られ、いわゆる場の文脈をとらえることは不得手だが、枠をしっかり作っていけば、職種によっては彼に適する作業は、単純作業の範囲を超えて見つけることも可能だ。ただ自転車に乗れないなど、身体的な配慮が必要となる。大学などでも見つけることができる生き方が不器用な分、彼にあったスタイルを見つけ出すことが大事になる。

彼は初日(昨日)私を橋本駅の改札口まで迎えに出てきた。実はこれは注目すべきことであって、彼の家に戻り予定通りに再出発できたのだが、ここでも、自分で調べた時間に身を委ねる自由さを持っている。今回のトライアル雇用ならぬトライアル就労は、職場の対人関係は勿論だが、技能的にも、固執の出て来方、作業の適合可能性、持続力と気の散らし方、彼の生涯の進路の観点で見たときの彼の生計や彼の興味などとの一致点を探っていく。

結果的に言えば、短時間だったこともあって、一応クリアだが彼は身の丈の彼の王国を「つくろう」としてしまう。彼がこの作業を継続的に続けていく気持になったか、確認もいる。

チャート図とチャート図の間のことがある。そこまで追加すればいっそう窮屈になってしまう。こわかったんだなとも思う。

彼と近くの喫茶に入った。彼と話しつつ、明日の土曜日の予定の再確認。そのころ、異様な眠気が襲ってきた。聞き取りメモは要点のみ。

彼を自宅まで送りというか、橋本駅に戻り。終了。
相模線で仮眠を取る。

明日で終了。疲れた。内容が薄くてすまない。
日が過ぎてしまうので、バス巡回。動物病院巡回12ヶ所済み。


夜間傾聴:橋本2君、事情を説明し、堪忍してもらった。


(校正1回目済み)

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8/2 山場なんとか過ぎていく 夢うつつ

2012-08-03 05:36:50 | 引きこもり
2012/08/02 記
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高校卒業資格認定試験(高認)二日目。睡魔との闘いの一日。

当事者が多少入れ替わる。取得科目がある子たちだからだ。「がんばれよ」と若手講師から学生に言葉がかかる。私はあくびだらけ。前から授業が有るたびに、高認受からないようでは、大学進学やめとけといってきた。この日、実は青ざめる位彼らは真剣だ。しかし、教科書やノートなどを持ち込んでくる子は圧倒的少数派だ。自販機からジュースやお茶をかかえ、反対の手には携帯を持って、もぞもぞしながら、不安そうな顔で、お互い励ましあっている。それでいて、下手すると筆記用具や受験票を忘れてくる。どうにもちぐはぐな状態が毎回繰り広げられる。自分の名前を書けよという。これは授業時、人の名前をを書いてくれた珍しい子がいたから、その子が私を殴りにきた。当たるも八卦、当たらぬも八卦、じゅげむじゅげむ…の意味も通じない。古典だといってある。

彼らと別れて、私はすぐに調布経由で橋本に向かった。

橋本の改札口に、大緊張の奴が待っていた。橋本3君とは、彼の自宅で合流の予定だったのに、待ち合わせ時間からバスを推測し、そのバスに間に合う京王線を彼は調べていた。彼と信楽(しがらき)までの机上旅行をしたことを思い出した。時刻表操作は彼の得意技なのだった。

彼と一緒にバスに乗り、彼の家まで戻った。奇妙な話だ。

職場に定時にたどり着き、職場見学で、今回は終わり。担当者の都合だった。帰りは橋本まで。ここからは、母親が出てきていた。

相模線は麻酔をかけられた様に熟睡した。帰りに寒川図書館でうたた寝をする予定だったが、駅から図書館までの徒歩の距離が嫌になって結局茅ヶ崎まで帰ってきてしまった。この年になると連続の徹夜が堪える。しかし、明日から数日は、午後の横浜線通い。通勤は親がチェックしてくれる。

駅ビルでコーヒーを飲んで、駅の近くの動物病院4箇所にチラシを配布。そう、木曜日は休診日のところが多いのだった。幸い最後の医院を出たとき、すぐにバスが来て、帰宅できた。エアコンのない古びた旧家。日が傾くまで、扇風機の風に身を陰干しして寝ていたらしい。

思考停止。今日はここまで。


夜間傾聴:できたの・できないのと、メールばかり繁盛して、傾聴は成り立たず。

(校正1回目済み)

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8/1 高校卒業程度認定試験中(8/1~2) 内容薄くてすみません。

2012-08-02 04:52:30 | 引きこもり
2012/08/01 記
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高校卒業程度認定試験(高認)の初日。私は東京会場の明大和泉に行く。今回は引率に女性事務員が入ったので、雰囲気がだいぶ変わった。当事者の女の子たちは、勝手にまとまって私たちについてくるのが常だったが、今回は集団はひとかたまり。こうも違うものかと、男の講師たち。「お前のせいだ」のなすりあいをしながら会場に入った。私の役割はここまでで、私は母の心療内科の病院近くの調剤薬局まで移動し、不足している薬を受け取った。大した薬効の薬でもないのに、茅ヶ崎市内の調剤薬局では取り寄せになってしまう。大きな薬の袋を下げていると、あちこち歩き回る気になれない。橋本3君の体験就労が控えているので、準備もあるのでそのまま辻堂に戻った。

明日高認最終日。いつもは下北沢で時間つぶしをするのだが、明日はすぐに調布経由で橋本に出る。橋本3君すんなり行ってくれないと、私の最悪な午前中からの連続となるので、身が持たない。それはわかっているのだが、毎月の仕事である動物病院まわりも済ませねばならない。

浜竹起点に今日は8ヶ所。これで半数が終った。

家にもどれば家事雑用が底無し沼のように待っている。今回は徹夜。明日もそうなる。だから今回は徳州会病院の外来で、何回も中断されたが仮眠をとった。夕食後、耐え難い眠気に襲われ1時間半ほど眠った。明日の高認が終れば、橋本3君の方は、13時(午後から)と約束してあるので、なんとかなる。

しかし橋本3君の体験就労が終るのが5日。ところが動物病院回りをしていると、話せば当然いかなくてはならない企画が出てくる。

「(社)神奈川県獣医師会 市民講座『動物たちの命を考える』」
 講師:村田 浩一氏 8/6(月)14~16時30分 さがみ農協ビル5F
 後援:茅ヶ崎寒川動物愛護協会 高校生以上150名

とまあこんな調子。午後だから行くことになりそうな。

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3日:4日は、「三陸・大船渡の夏祭り」だ。だれかレポーターしてくれるだろうか。>怪しげだ。

今夜は2時間ほど仮眠してまた明大前にいく。ここが山場なり。

夜間傾聴:本人了解がないので書けないが、試験中なので新人3人。


(校正1回目済み)

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