2012/08/09 記
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橋本3君と会う。明日から帰省してしまうからだ。相模線もすいている。私は自閉症スペクトラムの困難のある青年たちと面談するとき、お互いにテーマが了解されているなら、即対話に入る形ではなく、事前に質問用紙をつくって渡しておく。出来るだけ答え易いシンプルな質問を書いたもので、「これは話の端緒を作るもので、貴方の言いたいことを私が理解しやすくするためのものだ」ということを、解きほぐして説明の上、相手に渡して、事前に応答メモを作ってもらっておく。用紙は回収しない。
「白衣とマスクだから嫌だ」という職場忌避の応答は、大概全然別のところに理由がかくれているので、その裏側も話しやすいように質問を織り込んだ。
なかなか面白い1時間だった。要は「今は嫌。医者は強制のシンボル」ということで、「彼は今やりたいことを勉強しているから、それを続けたい」ということを断片を投げつける形で主張し、拒否していたらしい。
「しばらく実家に行って、のんびりして来い」と言ったのが的外れだった。彼は親がいないと食事とお金が困る、だから行く必要が無いのについていくにすぎないということだった。困ることに「着替え」が入っていないのも特徴。彼は出不精なのに鉄道マニアだ。行き先で鉄道を撮るのなら、帰ってきたら、それを見せてくれと伝えた。
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父の老健に電話を入れる。父は食事をしてTVを観ているという。本調子ではないが回復したらしい。10日に寄ると連絡し、電話を切った。
一方、東京の方は、「本人に断られたが、事情が事情なので、時々立ち寄ってみる」という訪問看護のセンター**さんからの電話があったのだが、マンションの方は、相変わらず電話に誰も出ない状態が続いている。入院したかなと思っている。この公的支援拒否は珍しくない。家庭内の実情が周辺に漏れるもではないかという疑いと、税金を個人で使うと世間から非難されるという警戒がある。(世間体)
これから陸前高田・大船渡に地域医療福祉ネット作りを支援する活動を始めたとき、都市部以上に強い反発もでてくるだろうと思っている。年寄りは家族と血縁が面倒を見るのが「当たり前」という価値観だ。仮設という狭い生活空間に入って、またはみなし仮設にいて、通いで子どもに面倒を見てもらっている状態で、その矛盾は煮詰まっていく。これは知り合いのいない谷間に落ちた単身者の課題とずれているが、血縁に囲まれていても、家庭に閉じ込められている孤立化もある。
活動を作っていくうえで、大きな分岐は、外出困難な高齢者をコミュニティ成員として組み込みなおしていくのか、命の終焉に向かうホスピス的な安定を提供するのかという大きな区分がある。
この間の試みは対症療法的なものが多く、分類からすれば後者だった。昨年末は一関市の仮設に赤ランプを設置というものがあった。私も大槌町や宮城・登米の「命の旗」という生存証明を勧めた事もあった。しかしこれは、「単身者の孤立」を対象にしたもので、生存証明を出す行為自身に仮設コミュニティへの組み込みの契機を期待したものだった。一関の場合は、仮設コミュニティへの再帰属への意識は希薄で、命の危機への非常信号・訪問指導員の目印という機能的な対応によるものだ。
毎日新聞の下記の記事は、地域コミュニティへの再参加を主眼にしたもので、限界はあるが優れた試みが始まっていた。
●「東日本大震災:仮設の「孤独死」防止へ、高齢者自身が見守り 宮城・南三陸の「滞在型支援員」最高齢は89歳」
一方、相変わらずの既存の企業サービスを利用する機能型の仙台市の対応例もある。
●「仮設での孤立防止 携帯使い緊急通報」
さらに割り切った対応は、血縁から切れた高齢者のグループホームへの収容モデルである。ここで高齢者は、新たなコミュニティに組み込まれることになるが、特養のGH化の進む現状を見ていると、三軒茶屋で構想されたような世代縦割り居住の推進者を置かないと、なかなか実質を持つコミュニティ足り得ない、ケアのための便宜としての集合場所へとなってしまう。それでも非被災地からの支援がしやすいこともあり、注目すべき試みなので、ここに紹介しておく。
●「東日本大震災:相馬井戸端長屋、2棟目が完成 赤十字が支援 /福島」
私は住みなれた地域に、縦割り型GHを生み出し、二重化したコミュニティへと誘い込む構想がいると思っているが、その検討は別の機会に譲りたい。記事を探っていると大槌町にも「孤立化」を見つめた映画作りの活動が立ち上がっていた。陸前高田・大船渡にも問題意識を持っている方がいるはずだが、つながれない。ある期間は、現地に出向いて行かないと、情報遮断されているようで、時間は無為にすぎていく。無念さに悲しみすら覚える。お盆に遮断された今は、非被災地からの支援モデルを確立していくことに集中する必要がある。それを現地に行って突き合せねば、問題意識を持った方もつながりようがないではないか。
以下は大槌町の記事である。
●「東日本大震災:復興の姿を映画に 岩手・大槌町で撮影開始」
夜間傾聴:オーバードース対応(命の緊急性はない)
レギュラー中止連絡
(校正2回目済み)
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橋本3君と会う。明日から帰省してしまうからだ。相模線もすいている。私は自閉症スペクトラムの困難のある青年たちと面談するとき、お互いにテーマが了解されているなら、即対話に入る形ではなく、事前に質問用紙をつくって渡しておく。出来るだけ答え易いシンプルな質問を書いたもので、「これは話の端緒を作るもので、貴方の言いたいことを私が理解しやすくするためのものだ」ということを、解きほぐして説明の上、相手に渡して、事前に応答メモを作ってもらっておく。用紙は回収しない。
「白衣とマスクだから嫌だ」という職場忌避の応答は、大概全然別のところに理由がかくれているので、その裏側も話しやすいように質問を織り込んだ。
なかなか面白い1時間だった。要は「今は嫌。医者は強制のシンボル」ということで、「彼は今やりたいことを勉強しているから、それを続けたい」ということを断片を投げつける形で主張し、拒否していたらしい。
「しばらく実家に行って、のんびりして来い」と言ったのが的外れだった。彼は親がいないと食事とお金が困る、だから行く必要が無いのについていくにすぎないということだった。困ることに「着替え」が入っていないのも特徴。彼は出不精なのに鉄道マニアだ。行き先で鉄道を撮るのなら、帰ってきたら、それを見せてくれと伝えた。
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父の老健に電話を入れる。父は食事をしてTVを観ているという。本調子ではないが回復したらしい。10日に寄ると連絡し、電話を切った。
一方、東京の方は、「本人に断られたが、事情が事情なので、時々立ち寄ってみる」という訪問看護のセンター**さんからの電話があったのだが、マンションの方は、相変わらず電話に誰も出ない状態が続いている。入院したかなと思っている。この公的支援拒否は珍しくない。家庭内の実情が周辺に漏れるもではないかという疑いと、税金を個人で使うと世間から非難されるという警戒がある。(世間体)
これから陸前高田・大船渡に地域医療福祉ネット作りを支援する活動を始めたとき、都市部以上に強い反発もでてくるだろうと思っている。年寄りは家族と血縁が面倒を見るのが「当たり前」という価値観だ。仮設という狭い生活空間に入って、またはみなし仮設にいて、通いで子どもに面倒を見てもらっている状態で、その矛盾は煮詰まっていく。これは知り合いのいない谷間に落ちた単身者の課題とずれているが、血縁に囲まれていても、家庭に閉じ込められている孤立化もある。
活動を作っていくうえで、大きな分岐は、外出困難な高齢者をコミュニティ成員として組み込みなおしていくのか、命の終焉に向かうホスピス的な安定を提供するのかという大きな区分がある。
この間の試みは対症療法的なものが多く、分類からすれば後者だった。昨年末は一関市の仮設に赤ランプを設置というものがあった。私も大槌町や宮城・登米の「命の旗」という生存証明を勧めた事もあった。しかしこれは、「単身者の孤立」を対象にしたもので、生存証明を出す行為自身に仮設コミュニティへの組み込みの契機を期待したものだった。一関の場合は、仮設コミュニティへの再帰属への意識は希薄で、命の危機への非常信号・訪問指導員の目印という機能的な対応によるものだ。
毎日新聞の下記の記事は、地域コミュニティへの再参加を主眼にしたもので、限界はあるが優れた試みが始まっていた。
●「東日本大震災:仮設の「孤独死」防止へ、高齢者自身が見守り 宮城・南三陸の「滞在型支援員」最高齢は89歳」
一方、相変わらずの既存の企業サービスを利用する機能型の仙台市の対応例もある。
●「仮設での孤立防止 携帯使い緊急通報」
さらに割り切った対応は、血縁から切れた高齢者のグループホームへの収容モデルである。ここで高齢者は、新たなコミュニティに組み込まれることになるが、特養のGH化の進む現状を見ていると、三軒茶屋で構想されたような世代縦割り居住の推進者を置かないと、なかなか実質を持つコミュニティ足り得ない、ケアのための便宜としての集合場所へとなってしまう。それでも非被災地からの支援がしやすいこともあり、注目すべき試みなので、ここに紹介しておく。
●「東日本大震災:相馬井戸端長屋、2棟目が完成 赤十字が支援 /福島」
私は住みなれた地域に、縦割り型GHを生み出し、二重化したコミュニティへと誘い込む構想がいると思っているが、その検討は別の機会に譲りたい。記事を探っていると大槌町にも「孤立化」を見つめた映画作りの活動が立ち上がっていた。陸前高田・大船渡にも問題意識を持っている方がいるはずだが、つながれない。ある期間は、現地に出向いて行かないと、情報遮断されているようで、時間は無為にすぎていく。無念さに悲しみすら覚える。お盆に遮断された今は、非被災地からの支援モデルを確立していくことに集中する必要がある。それを現地に行って突き合せねば、問題意識を持った方もつながりようがないではないか。
以下は大槌町の記事である。
●「東日本大震災:復興の姿を映画に 岩手・大槌町で撮影開始」
夜間傾聴:オーバードース対応(命の緊急性はない)
レギュラー中止連絡
(校正2回目済み)