2012/08/30 記
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今年度は一日早い30日で、後期夏期講習を終えた。JR相模原の塾の方で、守らなければいけない子の保護と、橋本3君の就労支援を塾長とのふたりで担当したのが、少々しんどかった。それ以外は、まあ新婚旅行にでかけた講師ふたりの代わりを分担サポートしたが、肝心の生徒が来ない、電話したらお留守という具合で、「これはおそらく退学だな」といやな予感がしている。
8月の後半は、茅ヶ崎市との協働の防災提案以外関わりきりだったが、陸前高田広田町の地域保健福祉の短期訪問プログラムの搾り出しを再開する必要があった。
被災地訪問の災害ボランティアを行なうために、私は湘南(茅ヶ崎)に、陸前高田・大船渡から生活支援の活動立ち上げにふさわしい講演・交流会ゲストを絞り込もうと思っていた。また、小友町のモビリア仮設の文庫協力の話や、地元保健師さんや仮設訪問員の方たちとの協力関係を確認し、湘南に持ち帰らねばならない用事がたまっていた。車で移動できない私は、陸前高田高田病院・小友町モビリア仮設・広田町コミセンを始めに数箇所・大船渡大関氏との面会という最低限の巡回も最低3万円+α、そして謝金・交通費立替用準備(2名)に10万円弱の10数万円を、ここ2・3ヶ月のうちに用立てておく必要があった
訪問型支援の志願者の火はまだ消えていない。(例:「『復興応援隊』に応募殺到 募集10人に98人」)しかしその活動が非被災地のどれほどのひとの思いを背負っているかといえば、その活動は個人の自由意志に基づくものであって、その活動が、非被災地の訪問していない者の思いにも還元されるものであるかといえば、積極交流の姿は見えない。つまり被災救援期を過ぎて、非被災地の支援協力者が、ふたつの意味で退潮しており、そこの退潮に無策のままというか、訪問型支援者に関心が無い。退潮は、生活支援期に入って、被災者にどう協力していいかわからないという人々、もうひとつはこれからは、被災者自身に任せるべきと語りつつ、支援の志を風化させていったという支援活動のすそ野が疲弊している状況がある。
被災地の活動は、訪問支援者に任せて、非被災地のこれからの課題は、南海トラフ地震・首都圏直下型地震の発生確率が高まっているので「防災」であるとして、福島を初めとして何も解決していない東北の被災者支援から身を引いてしまうこと、ふたつの課題、被災者支援と防災を、前者を訪問支援者に委ねて放置することになってしまっている。
東北の被災者支援の実践のノウハウは、かならず南海トラフや首都直下型地震の防災・発生後の救援活動に生きてくる。その意味で「民間交流」の形を通した支援の連携を生み出していくべきなのだ。ふたつの全くの別物を抱えることではない。この「民間交流」型の非被災地を耕していく活動が、私の立場だと思っている。連携の糸を取り結んでいく、東北被災者に何をなしたらいいかが見える活動をつくることにある。東北に被災者家族の友や擬似親戚をつくっていくといえばわかるだろうか。
前の記事にも書いたように、生活支援・復興期に入ったこの時期、私が気になっているのは、被災した社会的弱者の身の立て直しが後回しになり、自己解決力が弱い方の孤立がひどくなることだ。その深部には「孤立死」がある。それは地域協力から抜け落ちた単身者の出来事だけではないことは、阪神淡路大震災が教えてくれたことではないか。再建の道が見えず就労の道を断たれて生計に行き詰る家族、介護が必要だが、地域サポート力復活が立ち遅れているために、家族経営が行き詰った主婦と家庭という分厚い復活困難者の層を背景にして、家族を失った単身者の病死・自殺が出てくることだ。
これはSETの三井君にも語ったことだが、就業支援や環境整備はいわば表舞台、私は「世間」というご近所さんへの公的な顔とは別の、いわば「家庭の事情」といわれる私的な顔への寄り添い、あえて裏舞台というが、距離感の難しい世界の支援活動を非被災地の支援活動と連携させつつ、形作りたいと願う。表面的には、仮設住宅と被災者住宅を背景に、ぽつり、ぽつりと病死・自殺者が出てくる。それが被災後、数年の非被災地支援協力者退潮の時期に顕在化する傾向が出てくる。
これを手遅れにしないために、滞在支援以外の活動企画立ち上げをする必要を感じているのだ。ケアの活動だ。
今までは、被災地の状態把握のためという形の訪問が主だったが、これからの訪問は企画化実現のために、手を差し伸べる背景がなくては、被災者のお荷物になるだけだ。湘南を動かしたい。微動だにしない生活支援活動の湘南の連携を作りたい。講演会にしろ、被災者活動協力にしろ、受け皿を作らねば、招待することすらままならない。今、私にはケアの活動の必要性を感じ取っている方と出会う活動を強引であろうと、足で稼いでいこうと思っている。そのためにも、より明快な呼びかけ探索の軸つくり活動を再開する。
車を提供しておきながら矛盾しているが、私を岩手気仙地方で車に乗せてくれる方はいらっしゃらないだろうか。陸前高田側の生活支援をされている関東の方と私を取り結んでくださらないだろうか。
ともあれ夏期講習が終わり、活動再開なのである。
夜間傾聴:**子(仮名)
橋本3君(仮名・母親から)
(校正2回目済み)
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今年度は一日早い30日で、後期夏期講習を終えた。JR相模原の塾の方で、守らなければいけない子の保護と、橋本3君の就労支援を塾長とのふたりで担当したのが、少々しんどかった。それ以外は、まあ新婚旅行にでかけた講師ふたりの代わりを分担サポートしたが、肝心の生徒が来ない、電話したらお留守という具合で、「これはおそらく退学だな」といやな予感がしている。
8月の後半は、茅ヶ崎市との協働の防災提案以外関わりきりだったが、陸前高田広田町の地域保健福祉の短期訪問プログラムの搾り出しを再開する必要があった。
被災地訪問の災害ボランティアを行なうために、私は湘南(茅ヶ崎)に、陸前高田・大船渡から生活支援の活動立ち上げにふさわしい講演・交流会ゲストを絞り込もうと思っていた。また、小友町のモビリア仮設の文庫協力の話や、地元保健師さんや仮設訪問員の方たちとの協力関係を確認し、湘南に持ち帰らねばならない用事がたまっていた。車で移動できない私は、陸前高田高田病院・小友町モビリア仮設・広田町コミセンを始めに数箇所・大船渡大関氏との面会という最低限の巡回も最低3万円+α、そして謝金・交通費立替用準備(2名)に10万円弱の10数万円を、ここ2・3ヶ月のうちに用立てておく必要があった
訪問型支援の志願者の火はまだ消えていない。(例:「『復興応援隊』に応募殺到 募集10人に98人」)しかしその活動が非被災地のどれほどのひとの思いを背負っているかといえば、その活動は個人の自由意志に基づくものであって、その活動が、非被災地の訪問していない者の思いにも還元されるものであるかといえば、積極交流の姿は見えない。つまり被災救援期を過ぎて、非被災地の支援協力者が、ふたつの意味で退潮しており、そこの退潮に無策のままというか、訪問型支援者に関心が無い。退潮は、生活支援期に入って、被災者にどう協力していいかわからないという人々、もうひとつはこれからは、被災者自身に任せるべきと語りつつ、支援の志を風化させていったという支援活動のすそ野が疲弊している状況がある。
被災地の活動は、訪問支援者に任せて、非被災地のこれからの課題は、南海トラフ地震・首都圏直下型地震の発生確率が高まっているので「防災」であるとして、福島を初めとして何も解決していない東北の被災者支援から身を引いてしまうこと、ふたつの課題、被災者支援と防災を、前者を訪問支援者に委ねて放置することになってしまっている。
東北の被災者支援の実践のノウハウは、かならず南海トラフや首都直下型地震の防災・発生後の救援活動に生きてくる。その意味で「民間交流」の形を通した支援の連携を生み出していくべきなのだ。ふたつの全くの別物を抱えることではない。この「民間交流」型の非被災地を耕していく活動が、私の立場だと思っている。連携の糸を取り結んでいく、東北被災者に何をなしたらいいかが見える活動をつくることにある。東北に被災者家族の友や擬似親戚をつくっていくといえばわかるだろうか。
前の記事にも書いたように、生活支援・復興期に入ったこの時期、私が気になっているのは、被災した社会的弱者の身の立て直しが後回しになり、自己解決力が弱い方の孤立がひどくなることだ。その深部には「孤立死」がある。それは地域協力から抜け落ちた単身者の出来事だけではないことは、阪神淡路大震災が教えてくれたことではないか。再建の道が見えず就労の道を断たれて生計に行き詰る家族、介護が必要だが、地域サポート力復活が立ち遅れているために、家族経営が行き詰った主婦と家庭という分厚い復活困難者の層を背景にして、家族を失った単身者の病死・自殺が出てくることだ。
これはSETの三井君にも語ったことだが、就業支援や環境整備はいわば表舞台、私は「世間」というご近所さんへの公的な顔とは別の、いわば「家庭の事情」といわれる私的な顔への寄り添い、あえて裏舞台というが、距離感の難しい世界の支援活動を非被災地の支援活動と連携させつつ、形作りたいと願う。表面的には、仮設住宅と被災者住宅を背景に、ぽつり、ぽつりと病死・自殺者が出てくる。それが被災後、数年の非被災地支援協力者退潮の時期に顕在化する傾向が出てくる。
これを手遅れにしないために、滞在支援以外の活動企画立ち上げをする必要を感じているのだ。ケアの活動だ。
今までは、被災地の状態把握のためという形の訪問が主だったが、これからの訪問は企画化実現のために、手を差し伸べる背景がなくては、被災者のお荷物になるだけだ。湘南を動かしたい。微動だにしない生活支援活動の湘南の連携を作りたい。講演会にしろ、被災者活動協力にしろ、受け皿を作らねば、招待することすらままならない。今、私にはケアの活動の必要性を感じ取っている方と出会う活動を強引であろうと、足で稼いでいこうと思っている。そのためにも、より明快な呼びかけ探索の軸つくり活動を再開する。
車を提供しておきながら矛盾しているが、私を岩手気仙地方で車に乗せてくれる方はいらっしゃらないだろうか。陸前高田側の生活支援をされている関東の方と私を取り結んでくださらないだろうか。
ともあれ夏期講習が終わり、活動再開なのである。
夜間傾聴:**子(仮名)
橋本3君(仮名・母親から)
(校正2回目済み)