湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

8/15 終戦の日の墓参 (今回はつまりません、すみません)

2012-08-16 06:29:21 | 引きこもり
2012/08/15 記
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父方の盆は、長男の伯父の妻の葬儀の直後で、伯父の体調を考えて中止となった。しかし母方の墓参は父の宗教の後遺症があって、宗派を持つ弟夫婦は欠席。他には母と私しか血縁がない状態だった関係で、墓参は私ひとり、遠方の墓地に行くことが多かった。父が老健入所して2年。父との格闘はなくなったが、母も墓地の急坂が登れなくなっていた。

母の要請もあって出かけたが、乗り継ぎのバスが1時間に1本、そのバスが電車が到着する数分前に出てしまうという悪条件があり、タクシーも台数が少なく渋滞の名所を通るので、一度出てしまうと当分戻ってこなかった。

結局県内というのに3時間かかり墓地に着くと、墓前の花が売り切れているという事態で、1km離れた花屋まで買いに出なければならなかった。父が私たちを墓地から引き離そうとして決めた場所だった。(父の宗教には墓参の風習がない。)

役割を終えて帰ろうとすると雨が降り出した。用心して傘を持っていったので回避できたが、雨に意味を感じて、歯噛みしてバスを待った。ここも1時間に2本。均等間隔に来るのではないので40分待ち。タクシーどころか車が通らない。

バスに乗った頃には雨があがっていた。県内というのに往復5時間半。すべては乗り継ぎの悪さだった。

私が塾を閉じようとしていた頃、私はこの地域も通学エリアの進学塾の講師をしていた。当時は車を運転していたので、この近辺は路地まで知っていた。ゲンジボタルの飛び交う谷戸や、新生代の二枚貝化石の有名な露頭があり、子どもを車に分乗させ、ここに来たことをぼんやりと思い出していた。村上陽一郎氏を口説いて、進学塾で講演させたこともあった。

先ほどNHKのBSで、子どもの貧困の話をしていたが、生活保護世帯の急増の影響で、子どもの養育、学習が脅かされてる現実を話していた。私は障がいや社会環境によって困難な状態にある子たちの伴走支援をやりたかった。ところがいわゆる当時「ゆとり教育」を自由業の親の子弟の情操教育の形で、受験競争のサイドガードを行なおうとする英才教育の動きがあって、多少ノウハウのある私が重宝されたが、家庭の困難を抱える世帯の子の中には、学習そのものへの絶望があり、情操教育の弾力が通じなかった。そこからのキャッチアップを行なうと、一般的な補習塾を期待して来ていた子達が教室を去っていくという矛盾があって、経営的に進学塾の講師を兼業しなければならない時期でもあった。

当時、大人の半数が間違える国立教育研の問題が話題になって、経験と学習のことを論じていたことを思い出した。その問題を載せておく。教育者には誤答例を出して「なぜ?」と問うた。

私の回想はきりがない。その志向の糸は現在に至るまでつながっているのだが、路上生活者支援なら路上生活者支援、引きこもり若年者とのお付き合い、自閉症スペクトラム者の社会的居場所作り、被災者の生活支援、高齢者介護の連携と社会的再組み込み、被災ペットの飼育とセラピーへの発展等その領域の活動をされている方には、ばらばらに見えてしまう。

18日の汎用医療個人情報QRコード化提案も、小手先技術提案にしかみえていないのだろうなと思うとため息がでる。しかし昔式の言い方をすれば「国民総背番号制度」の露払いの危険をどう封じるか。その辺を追加しながら説明をまとめている。

結局今日は、墓参という小旅行の一日で、過ぎていった。


9月1・2日に陸前高田で大きな交流会がある。茅ヶ崎からも議員さんたちが行く。どうやら私の気仙地方訪問、講習会手配や文庫下準備は、ここが過ぎてからのほうがよさそうだ。


夜間傾聴:なし


(校正2回目済み)

コメント
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