湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

8/18 茅ヶ崎市との協働の意見交換会を終えました

2012-08-19 06:13:10 | 引きこもり
2012/08/18 記
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茅ヶ崎市との協働の意見交換会が終った。湘南子どもフォーラム懇談会(SCF)の当事者活動「わ~く」編集部からの提案として、「医療関連個人情報のQRコード採用とカード発行について」というテーブル提案者として、防災対策課・保健福祉課と話し合った。コーディネーターとして、市民活動推進課とNPOサポートちがさき。

私のQRカード提案は、防災対策課には、3回目の提案となった。課長が**さんに代わったこともあって、口頭では保健福祉課とともに、プレゼンは実質初めてだった。

私の提案は、昨年の3.11以前からの、地域災害一般に対する防災からの提案というより、3.11による防災見直しの線上にあり、隣接市町にまたがる震災津波を意識した広域甚災にも対応したものだ。

今回は珍しく90分という時間にめぐまれ、細論は別として、着想に至る社会的背景と震災現場の困難な事態の経過観察、大局的なはめ込む場面の確認とその効果や、実行時に注意しなければならない個人情報の取り扱いや、既存カードとの摺り合わせの件、医療関係者参加を実現する困難や、他市町村・他国籍の方の対応の問題などざっと一巡できたのは、ありがたいことだった。

行政課の方も、本技術の防災効果への関心を持っていただいたこと、この提案が具体的実現物を介していることが成果が見えやすいという意味で、もうひとつの評価をいただいたと思っている。

しかし、拗ねた見方かもしれないが、行政等大きな組織とくに公的な場における提案は、個人発案は極めて通すのが難しい。その表面は提案者の信頼度の問題となるが、この提案が中断し崩れたときの危険性まで考慮されるので、私たちのように(「わーく」は)3人という小さな所帯、今回の行政の評価を逆にサポセンの防災関係者への提案に使いたいという事情は、まず通らない。誰がどのような組織活動を背景に語っているかが、提案採用の大きな基準になってしまう。信頼度ということは、自己言及・自己証明を何万積み重ねても、それは意味を持たない。だから、判断は先方に任されてしまうのだが、協働になろうがなるまいが、タイムリーで必要なことは、ひとりでもやっていくというスタンスは、崩さない。こんな空転を繰り返して10年を経ようとしている虚しさを抱えながらの提案だった。

今回の提案は、東北被災地の特に高齢者の状況の悪化への危機感が背景にある。スポット的に語れば、県レベルの介護度認定対象者数の推移が、重症者の減少と要介護予備軍の層の増大という、いわゆる大震災による高齢者環境の激変と悪化が見えること。(重症者の死亡数の影響は恐ろしいことだ。)長期避難所生活による体調の悪化。家族若手の被災による喪失や、生活の破壊によるストレス、家庭の介護主導する若手家族の生活再建への労力分散による介助の低下、人間関係の変化による孤立化というような生活環境悪化がある。加えて自分の作り上げてきた過去の人生が全否定されるような家屋喪失と転居など、すごろくの振り出しに戻るのような無力感が静かに、世間体という公的な表情のガードの背後で、当人を深く蝕んでいる。

こういう大きな生活の地崩れを迅速に阻止していくためには、災害発生から当面の居場所が設定され、さらには仮設から定住住宅へと以降していく復興へのタイムチャートがしっかり描けるようになるという施策の安定を前提に、爆発する雑務に飲み込まれないための効率化が、被災者の個々人の名前を剥ぎ取る手前までふんばれる技術論的な吟味が加えられる必要を感じている。

今回情報不足で提案に折りこみきれなかった被災障がい者や、被災乳幼児・児童・在日外国人を含んで、包み込むような対策モデルが考えられないかという思案の中で、実際の現場設定の机上演習を自分なりに超えたものを提案したつもりでいる。またそのシステム自身が膠着したものではなく、現場の状況に沿って変容していく柔軟性を持たせることも意識した。

今回の議論のなかで、今回の技術提案(QRコードの活用)は一定程度の有効性の評価をいただいたと理解している。

それを誰がどこからどのようにという議論は、今回、問題点、予想される困難をともあれ引き出していく形で語り合った結果、現状を共通認識化できたと思う。

これは現場関係者の評価・NPOの結集と行政との役割分担等を次の課題に残しつつ、実務関係者による審議の会合を実際、実現できるかという課題が浮かび上がった。コーディネータのNPOサポートちがさきの++さんの、「防災ボランティアのネットワークの分科会のような形で今後可能性を探ってはどうか」という言葉をまとめにして意見交換は終ったのだが、実際上は社協・タージの議論は、東北被災地(南三陸)への訪問ボラへの情熱は冷め、その取り繕いのような形で「防災」が出てきていると感じさせられる関係から、今後、行動的な提案ではなく、ボラセン設立のような箱物提案であることから、活動全体が収束していく予感がしているので、いまさらの分科会提案議論は形骸化していくだろうと、悲観的な思いしか出てこないのが現状だ。

関心がある人間が集まって議論を立ち上げていく方向が、困難であるが結局実際的なのだと思う。このとき、今回のQRコード提案でも。そこに入れ込んだ「当事者希望制」と「個人情報携帯」の実行等は、自己参加の入口なのだ。これについては、まだ虚言と紙一重の域なので、今回は提案に折りこまなかったが、介護協働支援の絵をQRカードとの組み合わせを含んで検討している。先々の議論では、みなし仮設の連携や被災者住宅のシェアホームの形の検討を随時検討していく必要がある。これらの企画化にいくつもの社会参加と雇用の創出を折りこむことは勿論のことだ。

一昨日、ゴーストタウン化した地域の一角を、ひとり歩く悪夢を描いたが、それ自身は見通しが利かないことへの息苦しさを伴っているが、孤独はないと書いた。孤独は断ち切られたところに流れた血のようなもので、もともとつながっていなければ、断ち切れようが無い。そういう意味で孤独ではないのだ。しかし私は歩いて考える。先に結論をだしてしまう愛しの引きこもり君への爺ぃのアンチテーゼ、ラブコールでもある。

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会が終って、家について食事の片づけ中、猛烈な睡魔に襲われて茶の間で市場のマグロのように眠ってしまった。勿論母には、ど顰蹙。それでも夜に職場に立ち寄って、後期の夏期講習明けに陸前高田に行く日程を申請してきた。講演会助成金捻出を含んでまた10数万円は立替えがいるだろう。どう捻出したらいいものか、庶務の呆れ顔に、両手合わせて米搗きバッタをやってきた。広田町からゲストを呼びたい。被災地の地域医療関係者講師をたてたい。次の思案のしどころなのである。

夜間傾聴:明け方に南橋本君(仮名)から泥酔した声の電話あり。


(校正3回目済み)

コメント
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