湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

8/4 就労体験サポートは「四角」くおさまり/活動再開/高齢者地域医療の寒々しさ

2012-08-05 06:03:42 | 引きこもり
2012/08/04 記
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橋本3君の就労体験3日間は、冷や汗のかき通しだった。詳細はカットだが、ともあれ彼は白衣が嫌いだった。困ったなと思いつつ、私は理屈づめでその感情は不合理ではないかと、最後には彼の流儀で理屈で説得したが、やはりそれは嫌。

今日は最後なので、お互いの気持ちを話してから帰ろうと、横浜某所の喫茶で話していたら、どしゃぶりの雨が降ってきた。彼がトイレに席をはずしているときに、11時台に茅ヶ崎サポセンから電話が入っていた件の、確認電話をかけた。

それは「茅ヶ崎市行政との意見交換会」の割り振り日程が決まったという知らせだった。

8月18日(土)朝10~12時
茅ヶ崎市役所分庁舎コミュニティホール(6F)
交渉相手:市防災対策課・健康福祉課
オブザーバ 市民活動推進課
      またはNPOサポートちがさき

橋本3君が戻ってきたら、彼は私の電話を就労体験をした会社の担当者と話しているのと勘違いして、仕事がいかに不愉快なものであったか、怒りを交えて語り始めた。ともあれクールダウンをしてから、早計に結論を出すのを避けることにした。彼の説明は白衣とマスクの不合理性と、彼の作業処理後の製造品の受け取り担当者が腕時計を見ていたことへの不快感を語りだしたからだ。(彼は遅番の昼食の時間を気にしていたのだった。)

ジョブコーチの真似事は、企業との非公式の話があったとき、以前は知的障がいB2程度の子まで、さまざまなといえるほどではないが、青年をサポートしてきたが、中心は、いわゆる「引きこもり青少年」や「就労挫折若年者のリターンマッチ(再就職)」であり、精神症の方の社会復帰のような形で、症状が固定した、いわゆる自閉症スペクトル・うつ病・パニック障がい・境界性パーソナリティ障がいの方は、中継ぎのようなかかわりをしていたのだった。

彼は普段から相模原の塾まで、ひとりで行き来しており、通勤、行きはまっしぐら型、帰りはお気に入りの場所道草型だった。だから同伴をいらないと繰り返し主張した。帰りの楽しみ方を知っているところが特徴的なところだった。

彼と橋本で別れたときは、雨が本降りとなり、まさに「にわか雨」の状態だった。北茅ヶ崎で下車、茅ヶ崎サポセンに立ち寄った。

茅ヶ崎市とNPOとの協働をめざした意見交換会は4日間行なわれ、4テーブルそれぞれに担当者が着いて話し合う。16グループのうちのひとつとなる。先方が何人になるかわからないが、私の経験したプレゼンでは、NPO側は、私ひとりか、参考人のふたり。行政が5~6人というところだった。今回災害関係は私だけのようだ。時間は90分ある。例年より長い。

これだけあれば、予定の「汎用医療個人情報カード発行とそのQRコード化」の話だが、「住基カード」「背番号制」導入の露払いに当てはまる意図はないこともはっきりさせながら、いかに単純防災の技術論ではなく、障害者・高齢者等被災弱者支援ネットワーク作りの契機として、提案していくことを概括的な限界はありつつも、行ないうるのだ。

ここでは、茅ヶ崎市行政としては、議論は市政の枠内の話に閉じることになるが、茅ヶ崎の実践は、全国へのモデル提案になるという副次効果を持っていることや、ネットワーク作り研究会設置と被災地研修という形で、行政担当者を誘い、活動を外に開かせる方向でプレゼンを行なう。そのはじめのテーマが「QRコード汎用個人医療情報カードとシステムの導入」から手がけようという誘いになる。

防災の件は、茅ヶ崎の官民ともに災害ボランティア活動が、被災地の新たなニーズの生活支援への拡がりに対して、環境整備&産業復興支援現地訪問活動の派遣支援活動に限定的に係わる(潮時)ことで、災害議論を唐突に東北の被災者支援を切り捨てて「防災」に移ってしまう傾向が出ている。東北の被災者支援はまだ決して終ってはいないのに、だ。だから「防災」論の内閉傾向は常に打破しておく必要がある。

橋本3君の件はお盆明けに再開ということになるが、当座は電話サポートで気持ちを整理していく。

これからは、ひとつは陸前高田の広田半島とその周辺の移動文庫と、外出支援の芽をスタートさせること。地域福祉医療ネットワークの構想と既存の類似活動との接点を整理していくこと・湘南の活動共鳴者探し、そしてこの協働の意見交換会を有効に活かしていくことを私は行なう。またそのために、秋口の講演交流会に関係講師の選定を行なうこと。この辺に力点がおかれる。大船渡の大関さんとの接点も育てるために、「舫(もやい)」にも近々訪問する。専門学校訪問は、市との意見交換会後の研究会設置提案に、市外からだが参加を呼びかけていく。

<参考図書>
●「事例を通して学ぶ避難所・仮設住宅の看護ケア」

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私の母方の遠縁にあたる94歳になる方は、昔、薬剤師をしており、自尊心が高い方だが、現在の都内のマンションの最上階に住んでいるため、足腰の弱まりと同時に、外出が困難になっていた。公的支援を嫌がり、独身の息子さんが介護をしていた。外出できなくなると、ころげるように短期記憶が弱まり、レビー小体型の認知症が出てきていた。それに加えて、最近の猛暑で食事が出来なくなり、体力の急激な衰退が始まり、7月の末に救急車騒ぎとなっていた。ところが点滴を打って家に戻され、昨夜、息子さんから緊急相談が飛び込んできた。

あいにく曜日が土曜日である。先方は公的支援のことを全く知らない状態で、私と母が救急外来再受診と訪問看護の手配をした。東京の場合、区の担当課が医療情報を統括し、地域ごとに神奈川のような包括支援センターではなく、訪問介護と重なった民間委託の「ケアセンター」が設置されていて、ここは「月~土」まで受付・相談業務が動いている。土曜日午後5時まで受け付けているため、滑り込みで対応につなげることができた。

月曜日にケアマネさんと訪問看護師さんが訪問してくれる段取りとなったが、いわゆる「老衰」について、いかに病院の地域医療が貧弱な状況にあるかわかる事態となった。この数日は救急隊を使い、たらい回しの病院が不誠実なときには、「死んだらあなたのせいだ」と意地悪なことを言えと吹き込み、会話を録音しろと伝えておいた。

この猛暑は、本当にひとを窮地に追い込んでいる。

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広田町の定住ボラの三井君に、彼の活動支援と巡回文庫・外出支援の芽作りのために、中古車を仲介プレゼントしていたが、整備料金を今日やっと払い終わった。少しほっとしている。言いだしっぺが言葉を翻すようなことはしない。愚かといわれようと、提案した事はやりきらねば、信用の芽すら育たない。ともあれ、今日は一段落の日。

意見交換会の提案の中に「汎用医療個人情報カード」の原稿打ち込みとパウチorシール化の作業を、発達障がい者の仕事としてキープする件を提案の中に入れ込んでいることを、やまびこ(発達障がい児者親の会)に連絡した。

夜間傾聴:ここにかけないひとのラッシュなり


(校正2回目済み)

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