湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

3/20茅ヶ崎市民活動フォーラム用添付資料です

2005-02-21 02:41:27 | 引きこもり
★★「湘南子どもフォーラム懇談会(世話人会)」は
こんな議論をしています★★

●引きこもり青年と心身障がい領域の活動が協力できる
 「地域の社会参画拠点」作りとは?



   --- お煎餅喫茶を作れないだろうか。

      保存性・付加価値性の高い
「煎餅・おかき」を協力して
作れないだろうか?>作業分割の試み


   --- 多目的スペースとして企画運営を担えないか。

      調理場のある集会場

      箱物ではなく、引きこもり青年と有志の
自主運営で、
      地元諸団体の紹介などの企画を打ち出して
      いくことが出来ないか。

       例)親御さんによる取材写真展
             Aくんの養護学校の一日

         自閉症児親の会とタイ自閉症児の
                 ミニ交換絵画展

         ドロノワ倶楽部WSの陶器展示
                    即売会
          etc.

      アートスペース・イベントスペースの
               企画運営(社会へ!)


   --- 煎餅製造から就労体験

      高知県土佐市光の村養護学校
          重度障がい者の生活工場実践
           (しょうがせんべい作り)

      >手焼き煎餅は技術的に無理なのか??


    --- 茅ヶ崎・寒川・藤沢にわたる
          湘南共用スペースは無理なのか。

      住所が他市になった場合の問題点は??


    --- 引きこもり(&ニート)領域の活動は、
              社協管轄ではない。


    --- 空中楼閣(略称:スペース『ラピュタ』
      構想)を地に下ろす資金繰りは?



●引きこもり青年の福祉系就労・心身障がい者を
          パートナーとした起業支援


   --- 引きこもり青年は「ひとと生涯」への
関心が高い。他者に必要とされる仕事を
描き出したい。

     心身障がい者の同世代のパートナーを
生み出していけないか。


   --- この構想は、世話人に大きな調整能力を
要求することになる。各団体の実務担当
者の連絡会や、OT、福祉士などの連携
も必要になる。>補間・携帯ML



●「社会参画拠点」「多目的交流スペース」の
           魅力を支えるマネジメント

     障がいの状態差の壁を超えるイベント
     地元住民との交流を支えるイベントと営業

     不登校の子たちへのスペース提供
                >調理工房かな?
    (製造作業の終わる17時以降・定休日)



●スペース作りの過渡期の企画は?


--- 年2回位の日帰り交流オートキャンプ

       初回4/23(土)
       相模湖ピクニックランド(予定)で
       協同炊飯


   --- 養護学校の休みの期間の企画は?


--- 個人レベルの散歩・買い物

       犬の散歩請負いという方法もある。


   --- 懇談会(世話人会)レベルの勉強会

       喫茶実践者の話を聞く
       互いの現状の説明による相互理解
       お煎餅等調理試作会
       etc.


   --- 月例懇談会(世話人会)開催

       茅ヶ崎市民活動サポートセンター中心
       日程相互調整して決定
       サポセン・推進センター&HPに
                次回予定を掲示

   --- ホームページ(まもなく完成)
       ・携帯メーリングリスト(常時募集中)

       ML参加申込は飛田へ(下記)

--- フリーマーケットなどへの参加&CM

--- 関連団体巡回・現状説明


連絡先:0467(82)5048 飛田
    0467(57)0333 中西(FAX共用)
    aaron3518@nifty.com 上杉
    tobita@mbm.nifty.com   飛田

    〒251-0052 藤沢市藤沢1031小島ビル2F
藤沢市市民活動推進センター mail box 5-25
      湘南子どもフォーラム懇談会 宛
   --------------------------------------------
   (茅ヶ崎サポセンに
      フォーラム私書箱設置検討中)




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自学教材ヒント集に《詩を番組にしよう・1万葉集から》を載せました

2005-02-21 02:16:16 | フリースクール

--- 今回は以下の教材の解説です。

●自学教材ヒント集《詩を番組にしよう・1万葉集から》


 優れた詩との出会いは、その人の生涯に連れ添うものとなる。ところがその出会いは滅多にないものでもあって、ものも情報も使い捨てられていく時代には、不意の出会いのような形になる。

 ところがその深い印象を与える詩は、個人の好みのようなものでありながら、結構共通の作品になるものだ。逆にいうと優れた詩は万人の心を打つのだ。だから僕は今回、作者の表情が浮かぶようなタイプの詩篇を選んで行こうと思う。僕の言う「詩」は「叙情的なる作品」ほどの幅を持たせている。俳句や、歌詞なども含んでいる。

 さてその詩の鑑賞なのだが、ちょっと脱線して三好達治に登場してもらおう。お馴染みの「雪」である。

 「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
  次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」

 この詩は、さっぱりわけがわからない歌として教員が苦戦する詩だ。向山洋一氏は「ここは都会か田舎か」>「音は聞こえるか、聞こえないか」>「眠らせたのは誰か」とたたみ掛ける授業を勧めている。徹底した誘導尋問がそこにあるが、とん、と肩を押す指導が必要なのが詩の授業でもある。言葉という世界の想像力の輪は磨かないと、くるりと回転してくれない。だから本来は他者の感じ取り(鑑賞)の交流する場があった方がいいが、その一方で解説もなにもなしに響いてくる詩もある。これは独学の場の方がいい。

 滑り込んでくる詩は稀だ。だが肩を軽く押すことで気づく詩が劣っているという意味ではない。詩の表紙を開かなくてはならない詩もあるのだ。だから味わううちに印象が深まっていく。こういう出会い方の詩は稀ではない。では、誰が、どう、肩を押すのだろう。優れた鑑賞に出会うことだろうか。

 そこで極めて心もとない方法であるが、「詩」を「再構成」する営みの中に置くという方法を考えてみた。実践としては、評価しあうという講評会授業以外は、ミニFM番組作りの数名規模の編集会議の中で語りあってきた程度でしかないから、独学の中高生の心にすとんと落ちる方法であるかどうかは胸を張って主張できるものではない。ただ、放送局ごっこの編集会議を通して、中高生は自信をもって詩を朗読できたのだ。

 今回はそこに映像を加えた。情況を表すシーンを作るという作業を課す。演技やせりふを入れる場合もある。そういうショットとして「詩」を「再構成」することを試みる。多人数の授業では重過ぎる。独学または数名だから出来る授業だと思う。自分が惚れていることに気づく授業とでもいうか、そんな実践になればいいと思う。

 さてさっぱり「万葉集」が出てこないが、僕の好きな歌が実は恋歌だからという内実もあるが、それはおいといて、「たのしい万葉集」には笑った。これ案外いいんじゃないかと思った。上古の人々の感受性を現代と重ね合わせすぎるきらいもある。実はこれが大きな問題なのであるが、まあ硬いこと言わず、とりあえずいきまひょ、というわけでシリーズ1回目としたい。(続くかなぁ…)
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子どもサポート・あねもねのお茶会で3/20

2005-02-20 17:06:27 | 引きこもり
 茅ヶ崎市の市民活動フォーラム(3/20)に湘南子どもフォーラムの活動報告をすることになっているため、報告者・あねもねの中西さんと話を詰めた。火曜日に市の打ち合わせ会があるという。焦り。

 しかし、話せば話すほどげっそりしてくる。第二部は、市のサポセンの活動報告会のようなものだが、地域通貨・千の川の環境団体・吃音自助団体と組で10分ずつ話すというものだ。サポセンにとっては昨年度の活動の中からピックアップしたものだろうが、語る側にしてみると、関連を持っているのは吃音関係の団体ぐらいで、議論の共通項も見出しにくい組み合わせになっている。奇妙な機会平等主義がお互いを殺しているのを行政は気づかないのかと思う。確認のために市の市民活動推進課やサポセン等のHPを覘いてみたが、フォーラム開催の記事すらない。掲示板も書き込みが出来ない。これでは形式主義言わんやおやである。

 予想時間の半分しか時間が与えられていないため、資料配布・チラシ配布が不可欠となる。要求されていた「昨年11月の集まりの報告」の形は取らず、「スペース『ラピュタ』構想と現状概略報告」「4/23日帰り交流オートキャンプ参加要請」の2点に絞って話してもらうことにした。打ち合わせ会では、各団体の報告がすべて終わってから質疑応答に入る形を避けて、発言の終了ごとに質問を受ける形を要求することにした。こういうとき必ず質問と称して演説をする爺さんが現れるのが常なのだ。話が分散するどころか、時間切れで機会を破壊されてはたまらないからだ。笑い事ではない。

 急に打ち合わせ会の話が出てきたために、資料とチラシのβ版を作ることになった。昨夜はこの飛び込み作業に追われていた。当日は関係者しか参加しないから、つながりたい心身障がい諸団体の面々は、参加期待薄だが、行政関係者には、構想を知っておいてもらおうと思う。だから先方から動いてはくれないのは百も承知だが。

-----

 3月6日(日)14時から、ヒッキーネットの集まりがある。「横浜にぎわい座B2F小ホール」とか。昨日FAXしたら、申込開始が2/21だった。再度明日申し込む予定。

 斉藤環・玄田有史両氏とひきこもり経験者2名の話だそうな。この「経験者」とは「丸山さん」かなと予想してみたりしている。彼の話はまとまりがあるからそのほうがいいのだが、新鮮味が…。

 申込は28日まで。045-662-1860(FAX兼用)



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自学教材ヒント集に《複雑な動きのおもちゃを作ろう・クランクとカム》を載せました

2005-02-20 06:06:48 | フリースクール
--- 今回は以下の教材の解説です。

●自学教材ヒント集《複雑な動きのおもちゃを作ろう・クランクとカム》


 今回は動力伝達機構の中の「クランク」と「カム」を考えてみた。この両者も歴史は古い。古代文明の石臼の取っ手もクランクの一部だし、中世の水車小屋の杵を落とす機構には「カム」が使われている。中国の機械文明はシルクロード経由だけではなく独自の文化の所産もある。カムが果たして欧州から伝わったものであるかどうかは定かではない。日本はその中国の影響下であったが、江戸時代に入ると出島経由の西欧文化の影響も強く受けながら独自のからくりを生み出していく。

 僕が驚いたのは茶坊主の人形の足元の車輪が傾いている事だ。芸が細かいというか、技はそこまで磨かれていたのだ。

 最近の子どもの遊びには、動きの仕掛けを作ることが遠のいている。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の朝食作り機風の仕掛けを作ろうということで、メモを描かせたことがある。中1だったが、梃子や滑車が登場した子が圧倒的に少数派で、矢印や吹き出し説明派が圧倒的。因果をつなぐイメージも途切れ途切れだった。小学生の方が描けるので、機構そのものを知らないのではなく、想像の弾力がなくなってきていると思った方が妥当だろう。

 科学アニメのロボットなどのマシン群も機構の意識は薄くブラックボックス的に機能モジュールが付け加わったり、機能しているように思う。霊力モデルとでもいうか、機能が宿っているに過ぎないのだ。円周上の点の回転時の軌跡サイクロイドをたどることもハードルが高い。

 三角関数の単振動のグラフのように分割して点を作ってそれを結んでいくという紙面操作を行えば、結果を見て納得するという具合だ。果たして表象の固着化と作業経験不足の因果がどのようにとれるかは怪しい気がするが、自転車のように同一平面上の動力伝播は納得できても、ラチェットとかラックとピニオンのような力の方向が変わるものが含まれるとなかなか納得しにくいのが現状だ。

 白状すると、そんな理由は実はあとから付いたのであって面白そうだから「カム」を扱ったのだが、機械工学の教材は、やっておく必要があるように思う。

 モーターのような動力を使うと、装置の強度がその回転に耐えられないで壊れることがしばしばある。むしろクランクハンドルの手回し式の大き目の模型を作った方が機構理解には向いているように思う。これならゆっくりまわしたり、途中で止めたりして、動きをとらえやすいからだ。これは実は認識論上面白いのだが、それは以降に譲って、カム作りの面白さを伝えたいと思うのだ。

 カムを描いて予想し、実験的に確かめるということを行うのだ。円周が静止ということに気づく子が出てくるし、複数のカムの角度が相互のタイミングになることを駆使し始める子も出てくる。

 注意することは上下するバーは、ある程度重さがないといけないし、接触部が角ばっているとひっかかることだ。ここをどうするかは、試行錯誤に任せたい。

 ただ穴から出入りするだけだが、実は結構工作が難しい。モーターを使うとバーにガイドの筒がないとはずれてしまったり、折れてしまう例もあった。だから手回しがいいのだ。

 気に入った動きを利用していく。ここからおもちゃを作っていく。ただここに移るのは、他の動力伝達法も経験しておくのがいい。クランク・ウォーム歯車・プーリー・輪軸は試してみるといいだろう。

 今、ロボット工学の分野は人体の動きの模倣と、機能純化した精緻な動きを追う方向と別れながら、からみあって進んでいる。コンピュータ制御などに比重が移っているが、その実験の際にも、ロボットを作らなければならないわけで、この単純な模型作りも、実用性がないわけではない。人体の関節が回転軸を持っていることを知覚するという時その背後には物理構造・機械としての人体モデルがある。これは一例だが、動きを理解する基準がそこに生まれている。だから意味合いは大きい。しかし、それを前面に立てるより、カムは面白いから遊ぶというところを大事にしたいと思うのだ。

 この実践(遊び)の延長に、機械を分解する試みをぜひ連続させて欲しい。結構はじめて見る機構も多いはずだ。

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スペース「ラピュタ」は「調理場付きスペース」でありたい

2005-02-19 05:21:11 | 引きこもり
 第一回の神奈川県青少年サポートプラザで開かれた「相談関係機関・NPO等合同研修会」に出席したとき、リロードの岩田さんが引きこもり領域の運動にとって、夜食会のような気軽な交流の価値に言及されたのを受けて、これが個人宅を開放するようなスペースの場合、物理的条件で困難になるのだと補足発言をした。

 「火口(ひぐち)」である。せいぜい6・7人程度が同時に食事できる限界なのだ。この辺を越すと調理場のある施設を利用せねばならない。ところがこの「調理場のある施設」がないのだ。公共施設を探しても数少ない。火の管理が厄介であるのはわかる。しかし、キャンプ場ではなく集会場形式の場で多人数の調理が出来たなら、どれほど交流企画が和気藹々としたものになることだろうか。

 行政関係者の方もいらしていたので、研修会の場で「調理場付きスペース」の大切さを行政バックアップの仕事例として提案させてもらった。無論研修会の場であるから、場が違うと流されてしまうのが落ちだろうとは思っていたが…。

 スペース「ラピュタ」構想は、製造部門を喫茶の隣に置く。時間を区切って、ここを「調理場付きスペース」として切り替え使用していこうと考えている。調理場は、煎餅工場のように固定した品目の製造に特化していくのではなく、小規模生産であるが「手焼き煎餅」「おかき」を作る。時には「ラスク」を作ってもいい。これなら調理場は汎用性を持たせられる。初めから煎餅製造機を仕込んでスタートするイメージではない。予算も無理だろう。

 ここが成り立てば、学齢期の不登校の子どもと食事の会が出来る。夕食会でもいいではないか。

 心身障がい領域からも、使い道が出て来るだろうと思う。問題は防火・やけど・怪我の対策だ。しかしそれも専従がいれば、かなりの線まで持っていけると思っている。

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 藤沢大庭市民図書館の待機を済ませて、藤沢市民活動推進センターに立ち寄った際、スペース「ラピュタ」の立地条件がむずかしいことを改めて感じさせられた。推進センター自身は湘南にまたがる活動を引き受けるという。しかし例えば茅ヶ崎市の浜竹2丁目にスペースを構えたとしよう。藤沢市がスペースサポートに協力してくれるだろうか。藤沢の辻堂神台にスペースを構えたとき、茅ヶ崎市がスペースをさぽーとしてくれるだろうか。

 湘南子どもフォーラムの活動実績は茅ヶ崎市の中の活動だった。藤沢市は穴が開いていたからだ。心身障がいの方々との交流も、寒川町と茅ヶ崎市内の団体に偏している。ところが引きこもり領域は、藤沢カフェ・ドゥ・そうじゃんなど藤沢が主となる。となれば、両者の地理的な条件は「辻堂駅前周辺」「東小和田」など藤沢=茅ヶ崎間バス路線に沿う形だろう。寒川町は茅ヶ崎市と連携協議をしているところだから何とかなっても、藤沢・茅ヶ崎両市は足の引き合いになることは目に見えている。企業やNPO支援組織からの助成金の道をしっかりさせておかなければ、2市にまたがることは、大きな損となるだろう。子どもフォーラムはサポセンに登録しているものの、社協登録団体ではないから、この辺も育てていかないといけない筋となるだろう。

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 今日はこれから、茅ヶ崎市勤労市民会館で「子どもサポート・あねもね」の「お茶会」をする。久々だ。「湘南子どもフォーラム懇談会(世話人会)」が自立活動を始めてから、もう3ヶ月が経とうとしている。時の流れは速い。

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自学教材ヒント集に《音を創ろう・集めよう 01》を載せました

2005-02-19 04:06:41 | フリースクール

--- 今回は以下の教材の解説です。

●自学教材ヒント集《音を創ろう・集めよう 01》





「『音を創ろう・集めよう』01 覚書/放送局作りの視点から」
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 今回は個人的には思い出深い教材である。昔、塾の教室にミニFM局を作って3年ほど放送を作ってきたからだ。スタジオは浜見平団地。ここと藤沢遠藤の湘南ライフタウン側にアンテナをおいて、それぞれ週に1度、2時間の放送を創って来た。曲は流れるが中心は中高生の雑談と15分ドラマに置いてきた。当時はパソコン通信BBS全盛期で、BBS地域会員が僕らを助けてくれた。可聴エリアが半径500mほどの放送局だ。FMラジオで聴く事が出来た。

 放送をつくるという事は、フレネが新聞作りとコンフェランス(ゼミ)を学びの集約点においたように、番組内容のみならずその作業自身極めて創造的なものだ。技術もハードルはそれほど高くない。ただ初めに経験者の後押しが必要になる。今はインターネットHP作りの一環として回線に放送を載せる。ストリーミングという技術がいるが、指導者の確保は容易だ。これを地域コミュニティ放送局に載せるとなると、ケーブルTV以外は、個人の予算をはみ出してしまう。マイク・ミキサー・MP3小型レコーダとCDプレヤー合計6~7万円、それにPCのアクセスできる環境がいる。ストリーミングなら実況できるが、贅沢をいわなければ Quick Time とかReal Player などの音声ファイルのプラグインを使う。つまり充分に個人の範囲で始めることができるということなのだ。

 放送局は取材の契機ももたらせてくれる。これが新たな学びをつくる。

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「『音を創ろう・集めよう』01続・覚書/音との対話と学びの視点から」

 TVのスイッチを切る。そこには何もない普通の部屋があるだけだ。果たしてそうだろうか。目を閉じてみると窓から外の音が漏れてくる。ファンヒーターのまわる音、蛍光灯の安定器の音、そして2階の足音。実は僕らはこういうなにげない音に包まれて日々を送っている。音響メーカーの無音室に入った経験がある人なら、音が無い世界が異様な世界であることを知っているだろう。髪を洗ったとき泡が両耳にかかったとき圧迫感を感じたことは無いだろうか。閉じ込められた空気は音を遮断する。泡が音を遮ったのだ。その詰まったような無音の世界は静寂の世界ではないのだ。

 ネイチャーゲームに「音いくつ」とか「サイレント・ウォーク」というゲームがある。耳を澄ませて周囲の音を聴く。ただ黙って歩く。それだけのゲームなのに、体験後クリアな気分になるのは、身体の環境とのコミュニケーションが回復するからだ。思考によるものではない。感覚によるものだ。

 音響効果を語りながら反語的ではあるが、僕はTVドラマを観る人の様子を観察して思ったことがある。BGMでバイオリンが短調の調べを流し始めた瞬間、みな涙腺が緩んでいる。バイオリンが鳴ったら泣け、これではパブロフの犬ではないか。注意してみていると、そういう類型に見事に乗っている。

 能や歌舞伎の場合、観客と演者の間には約束事がある。その約束事の間に成り立っている。しかしそれは意識されたものである。TVから流れるマスコミの操作は意識されてはいない。その画像や音から離れたときが無価値になっているところに、現代文明の平板さが潜んでいるように思う。ジョン・ケージを持ち出すまでもなく、僕らは豊穣な音に包まれている。それを意識化していく試みと擬音作りは一体なのだと思う。

 音作りは新しい聴覚の世界を作り出していく創作活動ではないかという反論もある。僕はそれを否定しない。ただ、ゲームにおいて、SF冒険という場面設定に無造作に中世の格好を引っ張り出した発想が、類型的なのだと思う。(それを真似るのは更に論外。)つまり新しいことと思っていることが実はなんとも退屈な類型にはまっている。思考の怠惰の所産でしかないのだ。僕らはそれを突き崩す方法を持つべきなのだ。常にずらしていくこと、変容していくことの中に活動をおきたい、そう思うのだ。

 フジテレビだったか、大昔の深夜放送に「音効さん」という番組があった。音響効果のいたずら、あやかしの音作りの番組なのだが、非常に面白かった。自転車のスポークにうちわをはさんで音を作ったり、太さの違うホースを引き抜いて音を作ったりしていた。そこでは自然界の音の模倣を意識せずに「自由に」音を作っていた。お椀で地を叩く馬のひづめの音は誰が考えたのだろう。地面を濡れ雑巾に置き換えた行為は「ずらし」、そこに創作の芽が宿る。創作は天空から舞い降りてくるものではない。抱卵していた卵が孵化するように、そこに断絶が起こる。それを創造と呼ぶ。

 作った音は記録したい。レコーダーはラジカセのそれでもいい。しかし音の取材にはMP3レコーダーがいい。紹介したサイトの中でボルネオ旅行記の音のアルバムがある。携帯機でもこの程度のものは出来る。何をどう録音しどう配置していくか、その営みが学びを豊かに孕んでいる。

 映像を遮断したラジオドラマは退屈だという。そうだろうか。部屋の明かりを落として優れた作品を聞いてみるといい。作品はNHK放送博物館あるいは横浜県庁前の放送センターに所蔵されている。ラジオドラマだから退屈なのではなく、自分がドラマの中に想像するという行為に慣れていないだけなのだ。これは作ってみるとわかる。ディズニーがファンタジーの廃墟であるのと同様に参加者の創造行為と結びつかない行為は、類型性を超えることは出来ない。

 まずはサイトを見て欲しい。演劇が心身の熱情からほとばしるものとするなら、音作りは環境との対話を図るものなのだ。ラジオドラマ作りに携わっている人がかならずしもこれを意識しているとは思わないが、音効さんは、その只中にいるのだ。

-----
(参考文献)

●「音を作る―TV・映画の音の秘密」
 木村 哲人・著/筑摩書房・刊
ISBN: 4-480-87188-8 July'91
(藤沢市民図書館)
0004245601 総合館   778.4
3001264617 大庭館   778.4

●「<キムラ式>音の作り方」
 木村 哲人・著/筑摩書房・刊
ISBN: 4-480-87299-X Oct.'99
(藤沢市民図書館)
0008403487 総合館   778.4
2002429468 辻堂館   778.4

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自学教材リンク集に《ライブカメラと疑似体験》を載せました

2005-02-18 03:57:45 | フリースクール

--- 今回は以下の教材の解説です。




●自学教材ヒント集《ライブカメラと疑似体験》


 僕がパソコン通信のBBSからインターネットに乗り換えてまもなく、この[ライブカメラ」がはやり始めた。インターネットは地球の距離感を無くした。僕らは[今」という時間を共有しているのだという宣言のようなニュアンスでそのシンボル的なライブ画像を受け取っていたように思う。

 現在眺めてみると、なんとも陳腐な映像に見える。そのメッセージがインパクトを持っていた時代は終わったのだと実感している。

 アレクサンダー・グラハム・ベルが1876年、電話機を発明したとき、「世界は隣の家のようにつながった」と評された。しかし、電話を家庭に引く話には猛烈な反対運動が起きた。当時の電話は女性の交換手が仲介して電話を接続していた。電話を引くということは娼婦を家庭に招き入れるような不道徳なものだという反対が起きたのだった。

 また電話機を通じて病気が蔓延するとか、人が出歩かずとも用が足りるので、人間の足が退化するので危険であるという議論が真剣に行われていた。当時の話を見ていると、なんともインターネット導入反対議論に酷似していることか。人は道具を使いこなしていく。時が経ったとき、化け物の正体みたり枯れ尾花なのである。

 鳴り物誇張をすべて見破ることは難しい。パソコンのご託宣によって情報が差し出される幻想がある人には、虚偽情報への嫌悪が生まれる。マスコミにしたところで、井戸端会議の噂にしたって、絶対的な真などありはしない。その情報の処理作法を知らないところに騒動が生まれている。

 今回は祭りの跡を見るような話題となったが、インターネットに過剰期待をかけるひとの開く教育改革が、迷信のはびこる社会にどれほど切り込めるのか僕は怪しげだと思っている。反動がかならずやってくる。過剰期待も反発にも押し流されないような立場が必要だと痛感している。

 僕らは今、個室から世界をのぞく穴を体験している。今回は意識的に風景サイトに限定した。室内や庭先を見せているサイトも実はある。しかし、どこも日本中サザエさんに憑依されたような、のっぺりとした日常がたれながされているからであり、またアダルト勧誘サイトもここに連なっているからだった。風景を「のぞく事」もどこか卑猥ではあるのだが。

 そういえば鉢植えトマトの生育状況をライブカメラで流していたサイトも過去にあったっけ。僕はあれには感動した。

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地域の社会参画拠点作りをスペース「ラピュタ」構想としました

2005-02-18 01:40:56 | 引きこもり
 スペースをどこに置くのかということは現実的には資金状態と提供条件によって決まってしまうものだが、ある程度は活動する側の活動のイメージによっても決まってくる。

 活動の作り方はふたつ考えられる。ひとつは茅ヶ崎市にまずは根ざし、ここから湘南全体を眺め渡し拡張していく方法。もうひとつは、初めから茅ヶ崎・藤沢・寒川を活動範囲とし、広域展開できるように構えていく方法だ。

 このふたつの方法は、自ずと決まってくるように思う。それは次のような現状から出発するからだ。


1)引きこもり領域は、「カフェ・ドゥ・そうじゃん」との協力関係のスペースをたてるということ。組織性格が違うので差異の部分で利用してもらうことを考える。

  >>場所が藤沢からも利用しやすい場所


2)心身障がい領域は茅ヶ崎・寒川の展開

  >>茅ヶ崎側から不便な場所はパス


 こうした地理的な条件からだけで考えると、次のような場所に限られてくる。


 A)JR東海道線「茅ヶ崎」駅<>「辻堂」駅・駅近辺

 B)神奈中バス「茅ヶ崎駅北口」<>「藤沢駅北口」
   路線上


 純粋に地理的条件のみで考えて、次のような場所を探している。


(辻堂駅近辺)
--------------
  辻堂市民図書館周辺辻堂2丁目
  辻堂新町(商店街)
  浜竹2・3丁目
  本宿町
  赤松町
  東小和田(国道1号線沿い)

(茅ヶ崎駅周辺)
---------------
  本村1丁目(コミセン周辺)
  元町
  幸町
  東海岸北3丁目


 不動産屋はまだこれからだが、店舗・作業場込みだと物件も限定される。

 カフェ・ドゥ・そうじゃんは、基本はフリー・スペース。販売は可能だが、店舗よりフリマなどに出店販売している。

 この辺が、今回のスペース案とずれている。煎餅屋・煎餅喫茶&イベントスペースということからすれば、営業諸活動は共用可能。こちらは心身障がいの方がいる「職場」のイメージ。

 スペース利用者は心身障がい領域のものとし、「引きこもり側のたまり場にはしない。」これは、そうじゃんの機能として分業。


引きこもり側の重点就労分野は

Δ1)工房・調理場等生産の場
 2)軽食喫茶・売店
○3)出前・通信販売
○4)ギャラリー・イベント会場
○5)施設統括運営・企画運営

これに対して…

心身障がい領域分野重点就労分野

○1)工房・調理場等生産の場
○2)軽食喫茶・売店
Δ3)出前・通信販売
Δ4)ギャラリー・イベント会場
Δ5)施設統括運営・企画運営

(○…適 Δ…準ずる)

 つまりスペースは心身障がいの方が主、支援スタッフ的に引きこもり領域の方が関わる。活動が活発になるまでの間、スペースを不登校関係者が並行利用。

 学齢期、不登校の子たちの昼間の立ち寄り場は仮利用の形でスペース共用使用。スペースを隣接させる見通しの中で動く。喫茶・作業部門の手伝いを含ませる。当面は学習個別指導を喫茶の場でしてもいい。

-----

 今、煎餅屋プロジェクトを始めていますが、地元タウンニュース屋筋も考えている。これは生協ルートに流す地元情報。「ぱど」の出発点に似ている。つまり起業拠点としても動く。ただしこれは煎餅優先。スペース第二の課題に入ってから。

 話をするのにスペースに仮の名前が欲しい。そこでこのスペースを根無しの「ラピュタ」と呼ぶことにした。「ハウル」よりはよさそうだ。
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「ろうきん」のNPO講座を申し込みました

2005-02-17 05:44:22 | 引きこもり
 今回の湘南子どもフォーラムの社会参画拠点のような場合、担当行政組織がクロスオーバーしているので、助成金申請などが難しくなる。企業・財団助成金のことを考えると、どこまで当初の企画を具体的に煮詰める必要があるのかつかんでおきたいと思った。

 ろうきんは、NPO活動助成に熱心なところだ。そんな関係もあって、3月に2回あるセミナーに参加することにした。(詳細略)

 3月は奇妙な月になりそうだ。煎餅を求めて、鎌倉小町・草加・浅草合羽橋を回ったり、オートキャンプの下見をしたり、3・30茅ヶ崎市市民活動フォーラムで発言したりと、状況が動く。今のうちに基礎作業は、やっておきたい。

 今月の末、神戸大学に行った足で、阪神淡路の震災復興支援のNPOの知人を訪ねる。参考になることが聞き出せればいいのだが。

 明日から、学齢期の子の「日常交流」スケッチも始めていく。基本はスペースで交わっていくが別立てだ。あねもねの中西さんが冷や汗を書いているだろうから、こちらも準備していく。

 昨日の鎌倉小町煎餅屋さんまわりは、雨天順延となった。

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自学教材リンク集に《M.C.Escher 錯視の版画家の絵から》を載せました

2005-02-17 05:27:14 | フリースクール
--- 今回は以下の教材の解説です。

●自学教材ヒント集《M.C.Escher 錯視の版画家の絵から》



 今回は、初めバックミンスター・フラーの仕事と二重企画で書くつもりで頓挫。エッシャーだけ先行させ、エッシャーの仕事を取上げた。夢と現実の境界をさまよう人物は世界をとある方法で縛っていく。そこですくい上げられた世界が作家の世界のわけだが、その世界が別の世界と取り結ぶとき、作品はその世界の価値観からの評価を得る。バックミンスター・フラーの場合もエッシャーの場合も化学や工学、幾何学筋を中心に評価されてきたのは、その創造性の切れ味ゆえのことなのだ。

 エッシャーの空間分割は、学校数学の実践が始まって久しい。その原理・方法論的な面白さと広がりの可能性を踏まえたとしても、エッシャーの探求の熱は伝わっていない様に思う。創造性は空中楼閣を創る力なのだろうか。状況を切り開く切れ味のよさのなかにみるべきなのではないか。その先見性ゆえに浮き上がっているように見えても、経過のない世界に楼閣を出現させるのとは違っているのだと思う。エッシャーの作品をまずみて考えよう。

 このとき「ようこそエッシャーの世界へ(絵の特徴)」はいいガイドになってくれるだろう。変容する境界の旅は、その境界の存在を知ることだ。エッシャーの絵はいじりまわす絵だ。部分にこだわりつつ、全体をつかみなおす鑑賞法がいる。恐れず、現代美術展に足を運んでみて欲しい。追従者たちの苦悶をそこにみると同時に、直線と平面を取り出した近代科学からの転換の時代の影がそこに見えるだろう。エッシャーの作品はそれを感じ取る触媒になっている。

サイトから画像を取って印刷することをお勧めする。


(関連書籍)-------------------------------------

●「エッシャーの宇宙」
(ブルーノ・エルンスト著・朝日新聞社刊・83.7
 ISBN:4022550880)

(茅ヶ崎)
資料コード 請求記号
------------------------
0111086575 /727エ 本館 1F

(藤沢)
資料ID 所蔵館 禁帯 請求記号
1000475796 南館   732.3


●「エッシャー・変容の芸術 : シンメトリーの発見 」
(ドリス・シャットシュナイダー著・日経サイエンス刊
 91.10 ISBN:4532520061)

(茅ヶ崎)
資料コード 請求記号
------------------------
0111375341 /723エ 本館 1F


●「エッシャーからの贈り物」
(野崎昭弘著・小学館刊・90.5 ISBN:4097270516)

(茅ヶ崎)
資料コード 請求記号
------------------------
0110518339 /723エ 本館 B2


●「無限を求めて : エッシャー、自作を語る」
(M・C・エッシャー著・朝日新聞社刊・94.6
 ISBN:4022596023)

(藤沢)
資料ID 所蔵館 禁帯 請求記号
2001950282 辻堂館   732.3
3001334014 大庭館   732.3


●「M. C. エッシャー : その生涯と全作品集」
(M.C.エッシャー画&エッセイ・メルヘン社刊・95.10
 ISBN:4943988164)

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2/15第二回湘南子どもフォーラム懇談会レポート

2005-02-16 04:37:08 | 引きこもり
今回の懇談会の内容は


1)引きこもり領域の団体への働きかけの経過
  報告

   >参加者との交流を


2)飛田提案の骨子説明>会全体周知の一案へ昇格

   >茅ヶ崎市民活動フォーラムの「11月子ども
     フォーラム・その後」に
    折込み説明を行う。(生産交流拠点・4/23)


3)3/20茅ヶ崎市民活動フォーラムへの参加&CM

   >CMチラシなどの積極的な対応を
    次回懇談会の議題
    大枠 地域の社会参画拠点実現を
       4/23オートキャンプのお誘い


4)4/23日帰り交流オートキャンプ候補地絞り他

   >「自閉症児を引き受けられるひきこもりの方は、いるのか」の問い。

    極端にケース・バイ・ケースなので、当人と会って話そう。

   >プロ応援(作業療法士の卵の生徒さんに呼びかける。
    県下の学校心理士・臨床心理士関係に応援呼びかけ。


以上が概要です。

ここで2)の地域の社会参画拠点作りの一角は…、

1)工房・調理場等生産の場

を実現するための生産品目について

「せんべい作り」

を提案した。

食品の保存性・安定販路の可能性・付加価値性いずれもクッキー・パンより優れている。
高知県土佐市養護学校の「せんべい工場」実例あり。


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 鎌倉小町の三煎餅店に問い合わせ、OKなら

 茅ヶ崎市内煎餅店
 鎌倉小町煎餅店

 の見学を企画化する。

 藤沢労働会館ともしびショップ喫茶の
 見学と交流。

 が提案された。

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売店販売品の他の例などをTV画面で紹介しようと準備したが、時間切れ。
いずれも次回の懇談会に持ち越しの話題。


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次回の懇談会は

  3月6日(日)19~21時半
     茅ヶ崎サポセン

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報告し忘れたこと

  1)茅ヶ崎市・藤沢市への懇談会団体登録済み

  2)神奈川県青少年課青少年サポートネット
    神奈川県ボランティアセンター
    への子どもフォーラム(全体)の登録済み

  3)藤沢市民活動推進センター私書箱開設
      > 5-25


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検討し忘れ

   >ML参加者の拡張

   >懇談会レポートの発行

   >売店販売品例画像確認

   >煎餅作りWS

以上です。
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大阪・寝屋川市立小教職員殺傷事件のニュースを読んで

2005-02-15 05:06:06 | 引きこもり
 家に戻り、ニュースを見て愕然としている。また引きこもり・不登校の青少年が犯罪者予備軍のレッテルを貼られるという憂鬱な予感からだった。

 またメールボックスをみて、別事件だが同根の社会の歪みを感じてしまった。

 勿論初めのものは、大阪・寝屋川市立中央小で起きた17歳の少年の教職員殺傷報道だ。

 時間が経たないと真相は判明しないが、逮捕時少年は、逃げずに煙草を吸っていて逮捕された。逮捕覚悟の犯行を匂わせている。

 話は変わる。札幌市の中学生への家庭内暴力。石川県かほく市の「グループホームたかまつ」の高齢者介護施設の施設職員による入所者の虐待死。加えて、あるMLで現在起きている施設入所者への虐待通報すべきかの緊迫した論議。愛媛県の告発者は報復を受け、調査は形式に終わる実態という重い現状を踏まえつつ、命のかかった議論が進んでいる。

 僕が戦おうとしている現状は、抜き差しならないところにきている。しかし劇薬対症療法は完治しない。だからその構造を突き崩す新しい枠組みを生み出したいと考えている。早急にかつ持続的に。

 健常者に切り詰められた社会は、もう終わりにして欲しい。これ以上の悲劇を繰り返さないためにも。

 今夜の湘南子どもフォーラム懇談会は、このため息から始まることになる。

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ぼけっと神奈川(^^; 主催で横浜・片倉うさぎ山公園で竪穴式住居もどきを

2005-02-15 02:45:47 | 不登校
作ってきました。

 風邪で午前中医者に寄って、その足で横浜・地下鉄「片倉町」付近の「片倉うさぎ山プレーパーク」にお邪魔しました。不登校の子、約10名と親御さんが焚き火しながら待っていてくださって、ぼけてもいられず、ちょっとがんばってきました。きっと明日、足腰が痛いだろうと覚悟しています。

 片側で落とし穴作りが始まると、こちら側も穴を掘り始め、途中で池になったり、竪穴式住居になったりと、子どもの遊びの特徴(移ろい)のまさにそのもの。形が出来てきてからは、竪穴式住居を唱えた女の子ががんばる、がんばる。

 煽られつつ、スコップ作業をやってきました。先を地面に突き刺したあとは、片足で踏みつけなくてはなりません。このとき片足で立ちます。これが情けないほど安定しないし、深さが1mに満たないのに穴から出ることが出来ない。

 幸い建材の「笹」はぎりぎり間に合ったし、数時間で出来ました。しかし、遊びの中の様々な場面で、技術や人間関係の知が動いています。豊かな時間でした。

 来月は科学未来館、ちょっとつまらない。

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共同作業所に「手焼き煎餅」工程は可能か、その下調べを!

2005-02-14 06:26:24 | 引きこもり
珍事が起きてしまった。煎餅作りの工程を下調べする意味で、上新粉を買ってきたのだが、厨房に出しておいたのがいけなかった。母親が団子を作るのと勘違い。たれ・アンコが準備され、言い訳無用で団子に化けてしまった。ここ何年も作ったことがないのに団子とは頭痛がしている、風邪あがりのせいもあるが…。

明日は港南冒険遊び場の会や、千の夢を運営している親御さんたちと、片倉うさぎ山パークの開園式にでる。夜に練るのでは、15日、子どもフォーラム懇談会にまにあわない。無念。

16日、鎌倉小町通りの煎餅屋さんまわりを決めた。どのみち昼食後だが、煎餅屋で杖をついている白髪のおっさんを見たら、それが私。奇襲かけて欲しい。一緒に煎餅食べながら話しましょう。奇襲って暴行は、別の人にしてください。痛いの嫌いだから。

「手焼き煎餅」の店で、器具や工程の写真撮影を許可してくれるところを探しています。出来たら交流をしたいので、湘南か湘南に出やすいところのお煎餅屋さんをご紹介下さい。

食品加工機会会社の知人がいるので、問い合わせをした。アドレスがわからないので、封書郵送などということをしてしまった。だめなら合羽橋に行く。

これから茅ヶ崎・辻堂の駅周辺をできるだけ細かく歩く。場所探しだが「地域の社会参画拠点」という話となると、やはり交通の便が整っているところが欲しい。不動産屋も呆れるだろうが、ともかく歩く。
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自学教材リンク集に《歩く読書・語る読書のすすめ》を載せました(前の続きです)

2005-02-14 06:21:43 | フリースクール
--- 今回は以下の教材の解説です。

●自学教材ヒント集《歩く読書・語る読書のすすめ》


 インターネットの読み物群を検索した。中高生向きのものは実に貧弱だ。HPの文章をそのまま読んだ方がいいとすら思える。文は商品であり無料配布は出来ないという壁がひとつある。しかしインターネットは、作りかけの公開というか仲間内の作品制作中の見せ合いのような中途半端な掲示をたっぷりと含んでいるのが身上なのだ。それはそうなのだが、文学作品というジャンルに限定すると、豊富な試作品が提供されているわけではないのだ。

 HP上の話だけでなく、好みの作品のランキング上位には、類型化したSFやゲームストーリーの文章など、出来事が先行する話が圧倒的で、エロ・グロが後に続いている。暗喩・心理描写は排除される。ナンセンスや純文学などは希少価値すらもっている。これは素晴らしいというサイトにはなかなか出会えない。

 作品のオンライン化は「青空文庫」が進んでいる。しかし、偏屈にポーズで取り込んだり、骨董趣味でもないかぎり、若年層がここの作品を読むとは思えない。(骨董趣味の若年層も怖いが。)

 「プロジェクト杉田玄白」も読書が身についている物にはその反骨心が心地よいが、読書をしてこなかった人たちには青空文庫と同じインテリの慰みにしか見えないだろう。

 図書館のコレクションのオンライン化と並行して、このふたつの試みは今後も大きく育っていくだろう。通俗読み物群との二極分解は今後も続くのだろうか。

 独学の子の中に独自の道を求める欲求があるなら、取り付きにくいが、青空文庫のようなところから作品を格好をつけて読み始めるのもお勧めではあるのだが。

 自費出版図書館・現代マンガ図書館も本の虫が作った図書館だ。行って話すと本の世界もまた違った印象をもってもらえるだろう。湘南から東京まで本のために出かけてみるのも体験ではないか。


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