湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

今日はこれから「不登校とホームエデュケーション国際シンポ」に行きます

2005-02-27 03:57:21 | 引きこもり
昨日の横浜・紅葉坂の研修会は、体調とみぞれ雪で国際シンポを優先して休んだ。
明日は、早稲田大・井深大記念ホール(西早稲田キャンパス)にて10時半からシンポがある。
\2,500-

杖をついている変なオヤジがいたら飛田だということ。ブログの読者の方、声をかけてみるといい。

今日はPatricia Howlin の「自閉症成人期にむけての準備 能力の高い自閉症の人を中心に」
(ぶどう社・May 2000)を買ったので読み始めた。

共同作業所の経験を聞かせて欲しい。特に実践者の方、早大昼食を食べませんか。(甘いかな?)





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自学教材ヒント集に《旧刊書籍紹介『絵本パパラギ』》を載せました

2005-02-27 03:40:25 | フリースクール
--- 今回は以下の教材の解説です。

●自学教材ヒント集《旧刊書籍紹介『絵本パパラギ』》



 同質の集団の中からその集団の姿を見ることは難しい。異質の価値観、差異との衝突の光が己の姿を照らし出す。

 前にも父方の実家のおばさんの会話を例に出したかと記憶するが、

「○坂の**ちゃんが、結婚してね…」(知らない人)
「*☆屋の野菜は安いねえ」(*☆屋自身を知らない)

というような同質性にどっぷり浸かった言葉は周囲にあふれている。僕を地元の人と同じ扱いをして、平然と語りかける。「○坂の**ちゃん」・「*☆屋」を、地元ではない相手がどううけとめるかという発想自身がないし、言葉の距離に微塵の疑いも無い。

 今、日本と学校を覆っている文化の霧は、この同質性の霧。マスコミによってそれは地ならしされているから、姿に光を当てることは容易ではない。その内側で充足する者には外側のみならず内側も問うことがない。些細な同質の証をたてて、そこに差異を作ろうとする。これがいじめの根源にある。

 ツイアビの演説はサモアの同質性を抱えている。それがはからずも、近代文明側の者にとって、己の姿を見る鏡になっている。

 ただ問題はもうひとつある。ツイアビの指摘は淀みに沈む文明への疑問を覚醒させる意味は持っていても、それを受けて文明を批評していく精神の動力足り得ない事態にまで、近代文明は肥大しすぎていることだ。それゆえ個人の価値観と生活改革という方向に短絡し、イデオロギー化してしまう。宗教とディープエコロジストたちの動きだ。これでは別の同質集団を生み出すに過ぎなくなる。異質なものとの出会い自身をセルフチェック機能に組み込んだ開かれた社会システムが必要である。

 そういう歯がゆさをかみしめつつ、旧版「パパラギ」を読んでいるが、和田誠の絵がツイアビの言葉の切れ味を鈍磨させなければいいがと思う。

 蛇足だがルリアの「史的認識の発達」(明治図書'76)は、30年代の中央アジアの調査をもとに、この文化の同質性が及ぼす発想の差異を論じていて面白い。論争があった本だが、再刊されないか願っている。詳細はまた取上げることもあるだろう。

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