湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

自学教材ヒント集に《調べてつくる料理(04) 調味料としての『塩』》を載せました

2005-02-28 07:05:29 | フリースクール
以下は教材ヒント集の解説です。

●自学教材ヒント集《調べてつくる料理(04) 調味料としての『塩』》
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=tobipub2



(注)塩とたばこの博物館サイトは、ノートンの保護者機能などでガードされてしまう場合があります。一時解除してご覧下さい。


 今回は「塩」。特に調味料としての「食塩」が中心で、塩味が活きる食材として「はまぐり」を選んだ。元が食いしん坊だものだから旬の食材を使った料理を選んでみた。

 実のことをいうと初めは漬物・干物と塩のことを考えていた。しかし両者ともビギナーの料理という点からみると、首を傾げざるを得なくなり、当事者の関わりがしっかりと定位している料理を選んだ。

 「はまぐりと菜の花のパスタ」にしたが、細いスパゲティを使ってもいい。バターを仕上げに落とす向きもあるが、食材の香りをたたせるために本文には紹介しないことにしたが、好みで入れてもいい。しかし、菜の花のかわりに大葉(しそ)を使う場合は入れると香りがぶつかってしまう。はまぐりを「あさり」に代えても大きな破綻はないが、味わいは「はまぐり」の方が上である。

 貝類の鮮度は大事。口が開いているものが新鮮という解説もあるが、ストレスでのびている場合もある。震動を与えてしっかりと閉じるならいい。しかし実践的には冷凍物を解凍して店頭に出しているので、閉じているのが普通。これは流通と保存形態が変わってきているための経験の差が出てきていることなのだ。火を入れて開かないのは勿論ダメ。貝と食中毒まで話を広げたが、結構これはこれで話がひろがるので後日回し。

 はまぐり関連で言うと、はまぐりは蝶番が硬いが貝柱を切ると貝が開く。しかし内部を傷つけてしまうのでグラインダーで蝶番を削ってみた。しかし、貝が割れて飛び散る事があったり、手を滑らせて危険であることがわかったので注射針で高濃度の食塩水を注入してみた。効果はてきめんだが、一般には注射針が入手しにくいだろう。昆虫標本を作るときに使う注射針は太すぎて隙間に入らない。調理人のひとはどうしているのだろう。こうして開いたはまぐりを解剖する。デジカメ接写をして記録してもいいし、スケッチしてもいい。魚よりも解剖しやすい。

 また「はまぐり」の工芸品「貝合わせ」の筋から、平安朝の遊びや着物の紋様に話を広げる道もある。

 以前小学生が「しじみ・あさり・はまぐり」の違いを自由研究で扱ったことがある。小4の子だったが、大きさや形の差まではよかったが、「料理の使い道のちがい」という転倒した方向に話が流れ、味覚の差は消え、生息環境と種には思いが至らなかった。調理学や生物学筋からアミノ酸の成分分析や、生態分類学の筋の図鑑や解説などがオンライン上に無くて苦労した。今も「微小貝図鑑」はあるが、大きめの貝はサイトが無いのが現状である。これは地域図書館の図鑑に頼るのがいい。結構面白いのが魚屋さんとか漁師さんの説明。

 次に「菜の花」の話だが「菜種油」を取るために栽培されていると僕は思っていたが、豆類の次に植える畑の土壌改良剤として使われていると最近知った。この植物の名前は、「菜」かときかれて動揺した。正解は図鑑でどうぞ。アジアの原種なのだろうか。菜種は商品栽培作物だ。商品経済の発達過程を追ってみる手もあるだろう。郷土史関係が糸口になりそうだ。また、油の作り方も調べればサイトから出てくる。そうそう「菜の花や月は東に日は西に」と詠んだのは江戸中期の俳人与謝蕪村。「文学作品の中の菜の花」こちらもあるだろうがお手上げ。


●アブラナ(油菜)
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/aburana.html

●武石のともしび博物館 栽培から自前…菜種油づくり、開始
http://www.shinmai.co.jp/sityoson/199711/97111504.htm

●なたね油のできるまで
http://www.ea-gent.co.jp/ryohin/special/nataneoil/nataneoil.htm

 また、パスタの話では、うどんの乾麺との原料と製造工程の違いを追うのもいい。スープを使ったパスタの場合は、あてはまらないが、茹でた後の蒸気をたてる水分抜きの調理法をついでに覚えておくのもいいだろう。この水分発散の方法は理髪店や美容室の蒸しタオルの温度調整法と同じ方法だ。

 やっと塩の話に行き着いた。調味料としての塩の重要性はおにぎりまで量を使わなくても、白米の飯にわずかな量の塩を加えるだけで、白米の甘みに輪郭がついて豊かな味わいになる。サツマイモ・ジャガイモ・サトイモなどで試してみれば、塩の偉大さがわかる。塩は過剰な量にしなければ、地の味をつぶすことなく味をひきたてる。

 また青物を茹でるとき、色あせを防ぐ。浸透圧の関係。血圧を上げる話や、腎臓病・糖尿病との関係なども調べてみる筋である。ここでは熱中症の治療と電解質の重要性ということで2つのサイトを紹介しておく。世界の飢餓地帯のでは塩が大きな問題となる。ひとつまみの塩が乳幼児の命を握っている。この関係の資料が、今回間に合わなかった。日本の過去の飢饉とは様相が違うことにも注意、日本は海に囲まれた国だからだ。

 塩の概括的な資料は「(財)塩事業センター」と「たばこと塩の博物館」から得られる。ただ後者はサイトは貧弱。疑問点を整理して、博物館に足を運ばなければならない。

 塩の流通の話では「塩の道博物館 塩の道を旅する(千国街道参照)」がある。塩は戦争の火種にもなる。そして海のない国・遠い国では岩塩採掘が大事な役割を持っている。岩塩は昔の海の干上がった場所に長い時間かけて水分が蒸発した跡に生まれている。火山の影響によるものは結晶が小さく雨によって流されてしまう。しかし溶け出したミネラルの層には動物が集まり土を食べている。そうそうアゲハは動物の排尿のあとに集まりミネラルを補給する。僕の小便の最中にアゲハが寄ってきて驚いたこともある。キャッチは速い。

 地層的には安定しているために、岩塩の層のなかに放射性廃棄物を埋めることが進んでいる。この是非も考えてみたい。また塩の精製法などは上記サイトを参照のこと。風土と歴史との関連で生産地などを並行して追ってみるといい。

 塩の合成・炎色反応との関連話も後日まわし。
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東京シューレ主催「不登校とホーム・エデュケーションを考える国際シンポジウム」に参加してきました

2005-02-28 05:53:54 | 引きこもり
 東京シューレ主催の「不登校とホーム・エデュケーション国際シンポ」を覘いてきました。

 参加者150名くらいでしょうかね。英・米・韓・台・ニュージーランドのホーム・スクーリング(エデュケーション)団体の参加があったのですが、特に午後からの「各国のホーム・エデュケーション」レポートは充実していました。

 ホーム・スクーリングとかホーム・エデュケーションというと、PC画面とにらめっこしてCAIやっているとか、ドリルを黙々とやっているイメージがあるのではないかと思いますが家庭で親御さんが子どもを教えていくというスタイルや自主課題をフリースクールに持ち込む形が一般的でしょう。

 僕は家庭で親御さんが教えるというのは、あまりイメージしていなくて、教室という箱に固定されないフリースクール型のゼミ実践を考えます。ハレとケとでもいいますか、子どもの公的な活動(ハレ)のイメージがあります。自学教材ヒント集も各自が独学自主課題として取り組んでくれというのではなく、それも有りだけれど、やりたい者が集まって行うというメニュー(契機)を作っているのです。

 学校の粗っぽさ、いじめなどの原因や、時代と文化的な虚脱疲労などで、不登校・引きこもりに入った子たちの心身の居場所を狭めることにつながると思うので、僕がやるのは、後者。自主課題を親御さんを含む大人たちがバックアップしていくイメージがあります。子どもは親御さんの前では「地」でいかざるを得ない、これがしっくりしない理由です。

 今回も質疑応答のなかで、アスペのお子さんを抱えた家庭教育の悩みなどが出ていましたが、ここから出発せざるをえないという事情を抱えたり、引きこもっている方で、出発点を独学からめていかざるを得ない場合もあります。これらを否定するものではありません。

東京シューレの場合、この辺の定義は広義です。

 英国TCSのセイラ・フィッツクラリッジさんからは、市民権を得たホームスクーリングの様子と娘さんのご挨拶、ニュージーランド・ホームエデュケーターのレニー・ハリソンさんは同国の様々なホーム・スクーリングのスタイルの紹介があり、娘さんのご挨拶。アメリカのクロンララ・スクールのパット・モンゴメリーさんは、スクール創設から今に至る関連エピソードを語っておられました。アジアからは台湾のリー・ヤンチンさんが、シードリングスクール、台北自主学校創設時の行政交渉を語り、韓国からは雑誌「ミンドゥルレ(たんぽぽ)」のキム・キョンオクさんが達者な日本語で代案学校(フリースクール)の紹介を歴史的な眼で語っておられました。日本からは弁護士の多田元さん、こちらはワンパターン。

 かなり具体的な話で面白かったのですが、こうして国際シンポジウムに参加する意義に触れた発言が欲しかったというところです。いずれもCAIやドリルに拘束されているのではない自主的で多様なまなびが紹介されていたのは有益だったのですが、特に台湾のリーさんの活動は学校臭を残していました。

 自由な自主選択による教育と言っても、いずれも社会の現場、職場につながっているものではなく、仮想の隔離空間を作ってしまうし、社会参画のことも意識されていないことが学校幻想の根深さを表していたように思います。

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