湘南オンラインフレネ日誌

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自学教材ヒント集に《音を創ろう・集めよう 01》を載せました

2005-02-19 04:06:41 | フリースクール

--- 今回は以下の教材の解説です。

●自学教材ヒント集《音を創ろう・集めよう 01》





「『音を創ろう・集めよう』01 覚書/放送局作りの視点から」
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 今回は個人的には思い出深い教材である。昔、塾の教室にミニFM局を作って3年ほど放送を作ってきたからだ。スタジオは浜見平団地。ここと藤沢遠藤の湘南ライフタウン側にアンテナをおいて、それぞれ週に1度、2時間の放送を創って来た。曲は流れるが中心は中高生の雑談と15分ドラマに置いてきた。当時はパソコン通信BBS全盛期で、BBS地域会員が僕らを助けてくれた。可聴エリアが半径500mほどの放送局だ。FMラジオで聴く事が出来た。

 放送をつくるという事は、フレネが新聞作りとコンフェランス(ゼミ)を学びの集約点においたように、番組内容のみならずその作業自身極めて創造的なものだ。技術もハードルはそれほど高くない。ただ初めに経験者の後押しが必要になる。今はインターネットHP作りの一環として回線に放送を載せる。ストリーミングという技術がいるが、指導者の確保は容易だ。これを地域コミュニティ放送局に載せるとなると、ケーブルTV以外は、個人の予算をはみ出してしまう。マイク・ミキサー・MP3小型レコーダとCDプレヤー合計6~7万円、それにPCのアクセスできる環境がいる。ストリーミングなら実況できるが、贅沢をいわなければ Quick Time とかReal Player などの音声ファイルのプラグインを使う。つまり充分に個人の範囲で始めることができるということなのだ。

 放送局は取材の契機ももたらせてくれる。これが新たな学びをつくる。

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「『音を創ろう・集めよう』01続・覚書/音との対話と学びの視点から」

 TVのスイッチを切る。そこには何もない普通の部屋があるだけだ。果たしてそうだろうか。目を閉じてみると窓から外の音が漏れてくる。ファンヒーターのまわる音、蛍光灯の安定器の音、そして2階の足音。実は僕らはこういうなにげない音に包まれて日々を送っている。音響メーカーの無音室に入った経験がある人なら、音が無い世界が異様な世界であることを知っているだろう。髪を洗ったとき泡が両耳にかかったとき圧迫感を感じたことは無いだろうか。閉じ込められた空気は音を遮断する。泡が音を遮ったのだ。その詰まったような無音の世界は静寂の世界ではないのだ。

 ネイチャーゲームに「音いくつ」とか「サイレント・ウォーク」というゲームがある。耳を澄ませて周囲の音を聴く。ただ黙って歩く。それだけのゲームなのに、体験後クリアな気分になるのは、身体の環境とのコミュニケーションが回復するからだ。思考によるものではない。感覚によるものだ。

 音響効果を語りながら反語的ではあるが、僕はTVドラマを観る人の様子を観察して思ったことがある。BGMでバイオリンが短調の調べを流し始めた瞬間、みな涙腺が緩んでいる。バイオリンが鳴ったら泣け、これではパブロフの犬ではないか。注意してみていると、そういう類型に見事に乗っている。

 能や歌舞伎の場合、観客と演者の間には約束事がある。その約束事の間に成り立っている。しかしそれは意識されたものである。TVから流れるマスコミの操作は意識されてはいない。その画像や音から離れたときが無価値になっているところに、現代文明の平板さが潜んでいるように思う。ジョン・ケージを持ち出すまでもなく、僕らは豊穣な音に包まれている。それを意識化していく試みと擬音作りは一体なのだと思う。

 音作りは新しい聴覚の世界を作り出していく創作活動ではないかという反論もある。僕はそれを否定しない。ただ、ゲームにおいて、SF冒険という場面設定に無造作に中世の格好を引っ張り出した発想が、類型的なのだと思う。(それを真似るのは更に論外。)つまり新しいことと思っていることが実はなんとも退屈な類型にはまっている。思考の怠惰の所産でしかないのだ。僕らはそれを突き崩す方法を持つべきなのだ。常にずらしていくこと、変容していくことの中に活動をおきたい、そう思うのだ。

 フジテレビだったか、大昔の深夜放送に「音効さん」という番組があった。音響効果のいたずら、あやかしの音作りの番組なのだが、非常に面白かった。自転車のスポークにうちわをはさんで音を作ったり、太さの違うホースを引き抜いて音を作ったりしていた。そこでは自然界の音の模倣を意識せずに「自由に」音を作っていた。お椀で地を叩く馬のひづめの音は誰が考えたのだろう。地面を濡れ雑巾に置き換えた行為は「ずらし」、そこに創作の芽が宿る。創作は天空から舞い降りてくるものではない。抱卵していた卵が孵化するように、そこに断絶が起こる。それを創造と呼ぶ。

 作った音は記録したい。レコーダーはラジカセのそれでもいい。しかし音の取材にはMP3レコーダーがいい。紹介したサイトの中でボルネオ旅行記の音のアルバムがある。携帯機でもこの程度のものは出来る。何をどう録音しどう配置していくか、その営みが学びを豊かに孕んでいる。

 映像を遮断したラジオドラマは退屈だという。そうだろうか。部屋の明かりを落として優れた作品を聞いてみるといい。作品はNHK放送博物館あるいは横浜県庁前の放送センターに所蔵されている。ラジオドラマだから退屈なのではなく、自分がドラマの中に想像するという行為に慣れていないだけなのだ。これは作ってみるとわかる。ディズニーがファンタジーの廃墟であるのと同様に参加者の創造行為と結びつかない行為は、類型性を超えることは出来ない。

 まずはサイトを見て欲しい。演劇が心身の熱情からほとばしるものとするなら、音作りは環境との対話を図るものなのだ。ラジオドラマ作りに携わっている人がかならずしもこれを意識しているとは思わないが、音効さんは、その只中にいるのだ。

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(参考文献)

●「音を作る―TV・映画の音の秘密」
 木村 哲人・著/筑摩書房・刊
ISBN: 4-480-87188-8 July'91
(藤沢市民図書館)
0004245601 総合館   778.4
3001264617 大庭館   778.4

●「<キムラ式>音の作り方」
 木村 哲人・著/筑摩書房・刊
ISBN: 4-480-87299-X Oct.'99
(藤沢市民図書館)
0008403487 総合館   778.4
2002429468 辻堂館   778.4

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