--- 今回は以下の教材の解説です。
●自学教材ヒント集《切手から見る世界・下/科学と文化》
今回も資料掲示のみである。僕は手元の操作を拡大表示する接写カメラアイを使って印刷物をプロジェクター表示していた。お札はさすがに芸が細かいが、切手も気づかなかったタッチがあったり、鳥が実は背後をにらんでいたりと奇妙なところで笑いが起こった。
切手をサイトでのぞく場合は、ここまでの解像力は期待できないが、その切手の紙質やスタンプの文字など付随情報がよくみると読み取れる。そこを推理するのは、コレクタまがいの発想だが、例えば書誌学などは文字のずれから活字の損傷まで研究の対象なのだから、野暮な話ではない。
しかし世界は多様な生物種で埋め尽くされているものだ。写実的な動植物切手を並べてみるとため息がでる。ありがたいことに「切手に見る世界の昆虫(昆虫と脊椎動物)」のサイトでは、種を系統樹に載せて整理してくれた。系統樹の問題点が分類学では問題になっているが、これはこれで生命の進化の流れを統括して見せてくれるのでありがたい。
昆虫などは食草などと共に描かれているものもあるので、成虫の形状だけではなく生態の片鱗をつかむことが出来る。図鑑のように採取した生物の同定をするのは目的が違う。種の網の目をシンボル的に固定してやることと、展覧会の絵の比較のように差異をつかむことに利用してやる。つまり机上の学問を展開するのだ。これがフィールドで活きる。
もうひとつ例外的には「シーボルト図譜」のように、絵を書誌学的に読み込んでいく。西洋と当時の日本の種の話などを書籍でつかんで、絵で再度探ってみるというようなものもある。
しかし、まずは展覧会をやってみることだ。そして同じ種の切手なら、自分の気に入った絵を選んでみる。それがなぜ気に入ったのかを問う。すると種「らしさ」なる視覚的なリテラシーが自分の中にあることに気づく。それが的を射ているものであるかどうかは、次の吟味にのるのだが、そこを言語化していくことは、特徴を把握していく道なのである。
蛇足だが「原子力・天文・医学」という舞台裏が見えてきた夢の残骸がサイトに登場していることは面白い。これはこれで「技術の夢の虚実」の議論に載せる道もある。
●自学教材ヒント集《切手から見る世界・下/科学と文化》
今回も資料掲示のみである。僕は手元の操作を拡大表示する接写カメラアイを使って印刷物をプロジェクター表示していた。お札はさすがに芸が細かいが、切手も気づかなかったタッチがあったり、鳥が実は背後をにらんでいたりと奇妙なところで笑いが起こった。
切手をサイトでのぞく場合は、ここまでの解像力は期待できないが、その切手の紙質やスタンプの文字など付随情報がよくみると読み取れる。そこを推理するのは、コレクタまがいの発想だが、例えば書誌学などは文字のずれから活字の損傷まで研究の対象なのだから、野暮な話ではない。
しかし世界は多様な生物種で埋め尽くされているものだ。写実的な動植物切手を並べてみるとため息がでる。ありがたいことに「切手に見る世界の昆虫(昆虫と脊椎動物)」のサイトでは、種を系統樹に載せて整理してくれた。系統樹の問題点が分類学では問題になっているが、これはこれで生命の進化の流れを統括して見せてくれるのでありがたい。
昆虫などは食草などと共に描かれているものもあるので、成虫の形状だけではなく生態の片鱗をつかむことが出来る。図鑑のように採取した生物の同定をするのは目的が違う。種の網の目をシンボル的に固定してやることと、展覧会の絵の比較のように差異をつかむことに利用してやる。つまり机上の学問を展開するのだ。これがフィールドで活きる。
もうひとつ例外的には「シーボルト図譜」のように、絵を書誌学的に読み込んでいく。西洋と当時の日本の種の話などを書籍でつかんで、絵で再度探ってみるというようなものもある。
しかし、まずは展覧会をやってみることだ。そして同じ種の切手なら、自分の気に入った絵を選んでみる。それがなぜ気に入ったのかを問う。すると種「らしさ」なる視覚的なリテラシーが自分の中にあることに気づく。それが的を射ているものであるかどうかは、次の吟味にのるのだが、そこを言語化していくことは、特徴を把握していく道なのである。
蛇足だが「原子力・天文・医学」という舞台裏が見えてきた夢の残骸がサイトに登場していることは面白い。これはこれで「技術の夢の虚実」の議論に載せる道もある。