湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

今回の自学教材リンク集には、ひとつ載せられなかった読書の話があります。

2005-02-14 06:18:39 | フリースクール
HPが対応していないというか、ちょっと無理かなという話。メモ風に残しておきます。
ハンデのある子の読みから見えてくる世界と飛躍があるのは、ちょっとペンディング。お許しを。

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「ちょっと、ボツになった話を割り込ませてください。」

 今回の大雑把な話には文面とかけ離れた裏がある。それはLDの子たちの「読字障がい」をどう切り抜けていくかという問題が元の自分のクラスにあって、文字のパターン認識の異常を、罫線を引いたり文字の窓を作ったりして補正する様々な試みをしてきたが、子どもは、なかなか逐次読みから脱することが出来ないでいたからだ。そしてその読み書きを保障する読書の困難さを画いていこうとして、HPサイト、参考書をたどった。しかしいずれも満足できなかった。それは次のような経験に依存している。

 文の読み書きが苦手な子でも自著の文章では様子が違っていた。同様に読めない子と、自著文なら読める子に分かれたのだった。ここの解釈は別の機会に譲るが、前者は読めない自分につぶされながら「文字を」読もうとしていたし、後者の子は記憶で補間を行っていたようだ。

 考えてみれば、僕らは文脈の中で文章を読んでいる。そのことを抜きに「文字の見え」を補助して行っても効果は薄いだろう。文字面から如何にして意味の世界に踏み込むかという道筋は、極めて経験的に「場数を踏む」と言う方法に依存してきたように思う。学校国語に見られる斉読や輪読の音読を加えたり、解釈を加えて読み直したりという繰り返しは、前提となる大意文脈を形作ることによって、意味の世界へと誘いを行ってはいるものの、個的な文書理解の道筋には立ち入ってこなかったように思う。

 初めはその一番読みの浅い層の部分を書いてみようと思っていた。読字障がいの子たちは、パターン認識のつまづきのために、文章の飛び石のような単語ジャンプが難しい。翻っていえば、単語ジャンプと補間が出来る子は、意味の世界に入りやすいのだ。

 読字障がいの子には、当人の読字と明確に分離して、読み聞かせを丁寧に行い、それがどの文節の読みかを伝えていく。実際には文字の読みよりは作品の解釈を優先するので、文字を通さない解釈の対話に入っていくが、「読み」のスキルを高めるためには、回避していた声読に戻っていく。当人にとっては最悪の道である。

 ここで問題になるのは、意味がわかっている文章をなぜ繰り返し読むのかという問いが無視されて「練習」という沼にはまっていくことだ。この意味で題材が詩や台本のような、「反復」に「表現」の意味が見出しやすい題材を使うことは意味のあることだ。

 文を読みとるということは、実は自分の「表現」と硬く結びついているのだ。ここが保障されている授業の場合、障がいのある子の場合ですら読みが動的に変化していくのが認められる。その経験を読書法の形で書いてみた。

 目は文章の間を何回も前後している。文字をたどりつつ、前後の行を含ませながら意味の染み出しを感じ取っている。このとき幼い子の口元は非常に面白い。声が内声化していく過程がみてとれるように、もごもごと文字を読んでいる。逆に言えば、声に出してまたは声を出すふりをしながら読み直すことは、理解の道筋をバックアップすることになるのではないか。

 もう一つの提案は、作者の世界の意識化ということだ。作品の中に胎児のように溶け込んでいくことも味わいであるがその対極に作者の世界を味わう自分に返るルートを前提におくという方法がある。意見・感想を持つということ。

 ことはその為の儀式なのだが、捜し歩いた本は没頭しやすいというような付加価値付けも大事なことなのだと思う。

 独学の場合、本はあっても契機が見出せないことが多い。時だけが流れてしまう。そのとき探し出してきた書を、録音してみる。再生する必要はないのだ。語るように読んでみる。言葉は人の間に生成するものだということがわかるだろう。声のあと脳裏で読む黙読。この対比が読みを揺り動かしていく。

   口先で読む・鼻で読む・目の裏で読む

 こう表現した人もいる。これも結構面白い。本当はこの辺のことについて書きたかった。しかし圧倒的に矯正と技術論の論調が多いために、それを独学ヒントの形に練り上げることはできなかった。ヒント集に書かず、未消化なまま、ここにそれを載せるのは、忘れ去らないためであり。解説は指導者が読むという読者の違いに便乗したからだ。

 こうしたことから今回は、健常者向けに「歩く読書・語る読書」を出したのだが、実は文字数上省略した部分がある。「環境の読書」だ。電車の中の読書はなぜ没頭できるのか、その辺の話だった。また書く機会もあるだろう。

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自学教材ヒント集に《直角三角形の秘密・三平方の定理》を載せました

2005-02-13 03:51:24 | フリースクール
--- 今回は以下の教材の解説です。

●自学教材ヒント集《直角三角形の秘密・三平方の定理》


 三平方の定理を、僕は昔、「(a+b)^2-4×(ab/2)=c^2」という数式処理で学んだ。板書した図をチョークでコンコン叩いているのを「しつこいなあ」と思いつつ眺めていたように思う。そのとき僕は図形の加減算をしていて、それが数式でなぞることが出来るから証明が出来たと考えていた。

 僕が教壇に立つようになって、その光景は少々変わってきたように思った。図形はモデル、証明は数式という発想が地崩れを起こしてきたのだ。図形操作をしてみて、それが一般性を獲得していれば証明として認めようという変化だ。問題はその「一般性」で、あれこれやってみて例外は出なかったじゃないかといっても、何億種の中のひとつがあるかもしれない。それがあれば定理は成り立たないとするのだ。反例があれば命題が真にならないという潔癖症が数学にはある。これを超えるには数式の力を借りなくては無理とするのだ。

 境界の塗りわけ問題(四色問題)は、すべての場合をつぶしていく方法を取った。これなら図形に語らせることも可能だろう。しかし教育の場で起きている変化は、こういう数学作法をめぐる動きではなかった。「数式<>図形(シェーマ)」の往復が理解の困難さを引き起こしているから、もっと素朴(経験的)に、確認できれば「いいじゃないか」という変化だ。

 三平方の定理の拡張でオイラーの予想があった。「x^4+y^4+z^4=w^4」を満たす自然数の解は無いだろうというものだが、

2682440^4 + 15365639^4 + 18796760^4 = 20615673^4

があってしまった。発見はオイラーの予想後200年経っている。やってみて合っていそうだからいいじゃないかというのは、確かにやばいが、日常の論理にはこういう発想はないから、わかりやすさ、モデル化の価値を取ろうというのだ。たしかに日常にあてはめると困ったことが起きる。

 これはアニマルセラピーの紹介をしている論者にネコ嫌いの某氏がかみついた論理だ。「犬猫によって人は癒されるというのはおかしい。なぜならネコ嫌いだっているからだ。その人は癒されない。よってアニマルセラピーは成り立たない」とぶちあげたのだ。「その人の好みを優先します」と論者は反論していたがそれが歯切れが悪く聞こえてしまう。ケース・バイ・ケースのグレーゾーンがあるからだ。論理の恐ろしさである。

 それはそうと、三平方の定理は本当は用途をしっかり押さえていかなくてはならないのだ。地震の震源を出したり、川向こうや山を挟んだ直線距離などを出した上で、直交座標系の2点間の距離などを扱っていく。この点で今回の紹介は欠陥を持っている。

 サイトの動くモデルは、以前あった図の符号A,B,C…が消えてしまった。これは教室などで教員という解説者がいる場では、煩雑なものを取っても構わないだろうという教授授業教材だからだ。独学の場合、その図の動きが何を意味しているのかが直感的にわからない問題がでてきている。

 「動きを分割し、操作によってブロック進行し、反復する」という様式でかかれたプログラム図形が少ないのは問題が大きい。数学にパソコンを利用しようという試みの焦点になっている単元だけに、玉石混交となっている。そのなかで良質のものを選んだつもりだ。

 数学は様々な角度でみることの出来る営為であるのだということを教える場としてもよい単元なのだから、証明の展示場をさまようのも価値があるだろう。


(補)
●ピタゴラスの定理とその拡張
http://www004.upp.so-net.ne.jp/s_honma/pythagoras/exp-pythagoras.htm

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高知県土佐市の光の村学園が煎餅の実践をやっていた!!

2005-02-13 01:58:43 | 引きこもり
 昨日は地元小学校教員の集まりに参加。昨年は11月末の子どもフォーラム・文化祭があったので5ヶ月ぶりの出席。教材研の話は進んでいて、落ちのついた話はちんぷんかんぷん。逆に僕が熱をいれている「地域の社会参画拠点作り」の話は、先方がちんぷんかんぷんという事態でした。概括を語る場でもなし、要点を伝えつつ、「煎餅を焼く」経験者を知らないかと話を持ち出した。

 応答は「ちくわの方がいいんじゃないの?」「ちくわ?喫茶店で??」というすれ違い。「パウンドケーキが一番」という話もあり、煎餅はどこかに消えてしまったのでした。地元煎餅屋リストも出来ましたが、地元の前に周辺で作業場を見せてもらえそうなところをリストアップ始めています。地元は現場協力もお願いするかもしれず、まずは予備知識を作っておきたいということからなのです。

-----

 しかし、がっかりする話ばかりではありません。やっと養護学校の取り組み例が見つかったのですから。高知県土佐市の養護学校「光の村学園」でした。

●光の村の案内資料 光の村は卒業生から始まった
http://www4.inforyoma.or.jp/~ifhikari/annai.htm

 この記事には勇気付けられました。煎餅作りが脈がないわけではないということです。

 もう少し煮詰まってきた段階で、問い合わせをだすつもりです。

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自学教材ヒント集に《『鉄道廃線』を取材する》を載せました

2005-02-12 02:45:11 | フリースクール
--- 今回は以下の教材の解説です。

●自学教材ヒント集《『鉄道廃線』を取材する》


 今回は、取材拒否という大人社会の中高生に対する警戒心の強さを本文に取上げたが、少々悩んだところでもある。

 ここで取上げた例の中学生は、LDやアスペの子たちで、悪気はないのだが横柄な感じの子たちで、言葉も朴訥(ぼくとつ)なので、不快を感じた担当者が学校に文句を言いに電話したというのが実際の経過らしい。しかし、女子小学生も前の年に同様に追い返しているので、学校の管理責任を発想していたようだというのも飛躍ではないだろう。特に職場にいる男性は子どもの扱いを知らない人が多い。

 極端な話、不登校の子がそば屋さんに取材に行った時間帯が平日の午前中だたっため、尋問されて学校と親に電話を入れた事件が起こったことがある。取材の件は事前にそば屋の奥さんの方に連絡しておいたのだが、そのときあいにく奥さんは店に出ていなかった。しばらく小6の男子ふたりは、塾の教室で泣いていた。このことがあってから、事前依頼の電話は必ず回すようにしていたが、結局解決策は意外なところにあった。塾とミニFM局記者の名刺を作らせたことと、そのなかに不登校の子たちの自主学習であるという一文を刷り込んだのだった。

 ぶらり出かけていって、すぐに相手は語ってくれない。これは大人が取材しても同じことだ。しかしこの壁は、取材集団に女子がいたり、低学年児童がいたりすると様子が変わる。これまたステレオタイプ化したものの見方でうんざりするところもあるのだが、この大人の常識の壁は子どもには高校生でも越すことが難しい。相手に捨て台詞を吐くくらいで身を引いてしまうのだ。それを粘るだけの内的必然、動機が生まれていないのだ。

 これも考えさせればいいのかもしれないが、やはり取材の練習のような大雑把なステップを考えた方がいいのと思うのだ。文献資料が入手しやすく、予備調査がきくものがいい。史跡・特定の場所の自然観察というのは、その例である。その資料が真面目の証となったり、予備調査が質問の的確さを向上させたりするのだ。

 鉄道廃線は、不思議な魅力がある。足尾銅山の廃線を歩いたのは好評だった。足尾は別プロジェクトの下見だったのだがこのとき歩いた引込み線の鉄橋が、同行した子の夢の中に滑り込んだ。鉄橋の夢を今も時々みると言っていた。廃墟には生活時の余韻が残る。それは大人も子どもも感じていることだ。

 伊豆や川崎周辺を調べると廃線がある。その下調べの無駄足もまた楽しいものだ。宮脇俊三氏の「鉄道廃線跡を歩く1~10」は、廃線ブームの火付け屋だった。No.10以降が出ているのかどうかわからないが、茅ヶ崎・藤沢図書館に全巻そろっているのは嬉しい。念のためNo.8を紹介しておく。特徴があるものを、別アーティクルにまとめたので、参考にして欲しい。

----------------------------------------------------

●「鉄道廃線跡を歩く 10」'03.10(シリーズもの)
(宮脇俊三編著・JTB刊 ISBN:4-533-04908-7)

(茅ヶ崎)
資料コード 請求記号
------------------------
0113337737 /686ミ 本館 1F

(藤沢)
資料ID 所蔵館 禁帯 請求記号
0008221996 総合館   686.2



●「鉄道廃線跡を歩く 5」98.6(シリーズもの)
(宮脇俊三編著・JTB刊 ISBN:4-533-03002-5)
消えた鉄道実地踏査60 全国廃線国鉄の停車場一覧

(茅ヶ崎)
資料コード 請求記号
------------------------
0112447586 /686ミ 本館 1F
0210761870 /686ミ 分館 1F

(藤沢)
資料ID 所蔵館 禁帯 請求記号
0007184757 総合館   686.2
2002164362 辻堂館   686.2
3001122757 大庭館   686.2



●「鉄道廃線ウオーク 上 東日本編」01.2
(舟越健之輔著・新人物往来社刊 ISBN:4-404-02887-3)

(藤沢)
資料ID 所蔵館 禁帯 請求記号
0008496341 総合館   291.0



●「多摩幻の鉄道廃線跡を行く」99.7
(山田 俊明著・のんぶる舎刊 ISBN:4-931247-69-5)

(茅ヶ崎)
資料コード 請求記号
------------------------
0113252720 /686ヤ 本館 1F



●「地図で歩く廃線跡-失われた鉄道の痕跡を辿る-」98.4
(今尾恵介著・二期出版刊 ISBN:4-89050-366-8)

(茅ヶ崎)
資料コード 請求記号
------------------------
0112434311 /291イ 本館 1F

(藤沢)
資料ID 所蔵館 禁帯 請求記号
0007176910 総合館   291.0
2002159776 辻堂館   291.0
3001130446 大庭館   291.0



●「地形図で辿る廃線跡-古地図とともにいまはなき鉄道を歩く-」98.5
(吉田恭一著・心交社刊 ISBN:4-88302-345-1)

(茅ヶ崎)
資料コード 請求記号
------------------------
0112441159 /291ヨ 本館 1F

(藤沢)
資料ID 所蔵館 禁帯 請求記号
0007179310 総合館   291.0
3001119910 大庭館   291.0
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煎餅作りは授産施設には無理な商品なのだろうか?そこで…

2005-02-11 22:46:51 | 引きこもり
 鎌倉小町通りの煎餅を焼く軽快な手さばきをみながら、煎餅は難しいのかなあと思いつつ製造工程を調べてみることにした。

 案の定、火炉(ほいろ)という余熱の工程が数年の熟練を要することがわかった。ことはそう簡単には進まないものだ。上新粉を蒸して餅に突き上げて寝かすという準備段階があり、焼きのひとつ前の工程が火炉(ほいろ)にあたる。煎餅の板状に延ばした餅を遠火で時間をかけて水分を飛ばしてく。ここが、煎餅の味や硬さを左右する大事な工程なのだという。

 まずは、下記のHPをみていただきたい。


●パリッと焼けたら最高!「せんべい」
http://www.ajiwai.com/otoko/make/senbei.htm

●草加せんべい志免屋HP 製造工程
http://www.shimeya.com/make.html


----- 煎餅つくりには、誰かプロの援助がいるのだろうか。


 そこで火炉(ほいろ)以外の前段の工程もチェックしてみた。

 まず上新粉を「こねる」工程から。
 「熱湯」でこね、「やけどしないくらいに温度が下がったら」手でこねる。

 熱湯を使うのだ。そして「温度がさがるのを判断する」ここも注意が必要。この工程はダウン症や自閉症の子に任せられる工程なのだろうか。


 次に気になったのが「つく」工程。
 かなりの力作業になりそうだ。手早くすりこぎが使えるようになるには、相当失敗を覚悟しなければならないだろう。


 天日乾燥一日。
 場所が必要。


 開放系での火炉(ほいろ)
 数枚の煎餅を作るのなら話は楽だが、枚数が増えてくると、均一に加熱する方法や作業場スペースが問題になる。


 要は準備段階の餅の熟成にあるので、即焼けるというものではないことがわかる。それはデモンストレーションのオヤジさんの軽快な手さばきを見ていれば職人仕事なのだということは百もわかる。

 さて、この作業は不可能なのだろうか。これは当たって砕けたほうがいい。作業場見学をして、工程分割や工夫が出来ないか覘いてみようと思う。


 煎餅の魅力は、万人に好まれ商品の保存性がよく付加価値をつけやすいことだ。ただ予想外の特許もあるようだが、これは先の話。

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湘南子どもフォーラムと「地域の社会参画拠点」案スケッチ・販売商品のこと

2005-02-11 05:29:55 | 引きこもり
「地域の社会参画拠点作り」は従来の、当事者の利用施設と様相が異なる。なしうる仕事の協同作業によって、社会と取り結ぶ場だからだ。

引きこもり・ニートの人たちと、心身障がいを持つ人たちとの出会いという、一見荒唐無稽な組み合わせが新たな価値を産出するためには、双方のニーズがしっかりかみ合っている必要がある。

心身障がいと言っても様々な状態が想定されるために、企画は様々な関わりが可能で、アメーバの如く変容し繁殖していく生命力を持ちたい。つまり、この提案が何らかのひとつの類型となることだ。

常識的には、こうした提案は、特定の団体の強い支持があり、メリットがわかりやすく魅力的であること、その上に乗ってさえ不安定なものだし、採算などという概念はそぐわないといえるほどに、社会の支持は薄い。行政や企業の補助金を除いては、全く考えられないほどのものがある。

事業化という危うい橋を渡る内実があるか、そこが問われている。

「地域の社会参画拠点」という性格上、飛田案は形態的には次のようになっている。

1)工房・調理場等生産の場
2)軽食喫茶・売店
3)出前・通信販売
4)ギャラリー・イベント会場
5)施設統括運営・企画運営

この4)の運営が個性化の鍵となるだろう。箱物運営を拒否し、企画を自らが提案し、関係団体と企画について協力していく。ここは地元団体の紹介を兼ねるような地元密着型のイベントをたてる。CMはオンラインや広報が主になるが、工夫のしどころ。

例)2月10日、A君の養護学校の一日(写真集)
  陶芸即売展(名前付)
  ホットケーキを焼こう
  etc.

さて1)工房・調理場等生産の場 だが、藤沢市民活動推進センターからは、パン工房はどうかという提案を受けている。藤沢にパン工房をやっている団体があるのだろう。

しかし、クッキー・パンは定番と言っていいほどのもので作業がかなりラフなこともあって、あちこちで採用されている。しかし、福祉のレッテルを剥がしたときに、市場に太刀打ちできる味のものに出会ったことがない。

市場価値が付加できるものはないかと考えた。その結果、直火の危険と焼き加減の微妙さを含むが「煎餅」作りはどうかと考えている。煎餅喫茶である。

おにぎり案もあった。しかし施設まで買い物に来てくれる人数を考えると、鮮度と日持ちが問題になってしまうのだ。

「おかき」をご存知だろうか。餅のかけらを油で揚げて、塩を振ったものだ。これは油を使う・直火を使うというリスクを超えたとしても、変化に乏しい。煎餅なら様々なバリエーションが考えうる。

果たしてこれが可能か。15日の月例会では、自分たちで煎餅を焼いてみようと提案する予定だ。また煎餅屋さんの助言を聞きたいので、あたり始めるつもりだ。

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自学教材ヒント集に《切手から見る世界・下/科学と文化》を載せました

2005-02-10 23:04:43 | フリースクール
--- 今回は以下の教材の解説です。

●自学教材ヒント集《切手から見る世界・下/科学と文化》



 今回も資料掲示のみである。僕は手元の操作を拡大表示する接写カメラアイを使って印刷物をプロジェクター表示していた。お札はさすがに芸が細かいが、切手も気づかなかったタッチがあったり、鳥が実は背後をにらんでいたりと奇妙なところで笑いが起こった。

 切手をサイトでのぞく場合は、ここまでの解像力は期待できないが、その切手の紙質やスタンプの文字など付随情報がよくみると読み取れる。そこを推理するのは、コレクタまがいの発想だが、例えば書誌学などは文字のずれから活字の損傷まで研究の対象なのだから、野暮な話ではない。

 しかし世界は多様な生物種で埋め尽くされているものだ。写実的な動植物切手を並べてみるとため息がでる。ありがたいことに「切手に見る世界の昆虫(昆虫と脊椎動物)」のサイトでは、種を系統樹に載せて整理してくれた。系統樹の問題点が分類学では問題になっているが、これはこれで生命の進化の流れを統括して見せてくれるのでありがたい。

 昆虫などは食草などと共に描かれているものもあるので、成虫の形状だけではなく生態の片鱗をつかむことが出来る。図鑑のように採取した生物の同定をするのは目的が違う。種の網の目をシンボル的に固定してやることと、展覧会の絵の比較のように差異をつかむことに利用してやる。つまり机上の学問を展開するのだ。これがフィールドで活きる。

 もうひとつ例外的には「シーボルト図譜」のように、絵を書誌学的に読み込んでいく。西洋と当時の日本の種の話などを書籍でつかんで、絵で再度探ってみるというようなものもある。

 しかし、まずは展覧会をやってみることだ。そして同じ種の切手なら、自分の気に入った絵を選んでみる。それがなぜ気に入ったのかを問う。すると種「らしさ」なる視覚的なリテラシーが自分の中にあることに気づく。それが的を射ているものであるかどうかは、次の吟味にのるのだが、そこを言語化していくことは、特徴を把握していく道なのである。

 蛇足だが「原子力・天文・医学」という舞台裏が見えてきた夢の残骸がサイトに登場していることは面白い。これはこれで「技術の夢の虚実」の議論に載せる道もある。

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自学教材ヒント集に《切手から見る世界・中/世界史2+日本史》を載せました

2005-02-10 21:18:59 | フリースクール
--- 今回は以下の教材の解説です。

●自学教材ヒント集《切手から見る世界・中/世界史2+日本史》


 切手を使って歴史を覘くという方法は、あちこちのHPで試みられているが、その成果をまとめたサイトは圧倒的に少ない。そんなことをしなくても写真と絵の画像を使ったHPは十分能弁だからである。HPをめぐりながら、実はこの切手を使う手法は教授側の教材簡易入手法だったのではないかとか、切手を使って歴史を語りうるが、逆は困難なのではないか(前述)という疑問がわいてきた。

 しかし、切手は未知の情報のこもった価値ある断片という趣味性を帯びたポータルな資料であり、知を開くカギなのである。こういう思い自身がもはや過去の遺物なのかもしれないが、かのポケモンカードで再現をみた熱気の片鱗の資格はあると思う。勿論デザイン畑では健在だ。

 切手の場合、悲惨な出来事や関係者のプライバシーに触れる内容はかわされている。また発行者が民間ではなく国であることから、国の威信に関わる内容には触れていない。そういう内容の狭さと同時に、間接的な歴史遺産(建造物など)の間接的な内容の史料が多いことも扱いを難しくしている。しかし一方では民俗的な歴史の視角などには優れている。

 奇妙な例だが「おひつ」と聞かれて、某大学社会学部の学生たちはひとりもわからなかったという話があり、ではその「おひつ」を教官が持って来ようとしたら、民俗資料館から借りなければ入手できなかったという話をきいたことがある。半世紀前には日用品であったものが、すでに入手できなくなっている。「おひつ」の切手があるわけではないが、風俗史料は案外集めにくい。だから画像は貴重なのだ。(『おひつ』…飯びつ・おはち。炊いた飯を保温保存していた木製の入れ物。保温機能のある電気釜の出現で衰退した。)

 そんな切手への思い入れをこめて、サイトを眺めてみると光ったサイトがいくつかあった。残念なことに自然科学系サイトなのだが、歴史サイトもある。「Japanese Stampsand History」(日本の古代史)もそのひとつだ。もうひとつは国連関連なのだが歴史史料という切り口が適当とは思えなかった。

 書籍はビジュアルな本がいくつもでている。しかし新しい本が少ない。今回紹介した本は、いまだ新刊本市場に流通している本だ。ただ「ナチスの謀略」は在庫のみではないかと思う。

 前述したように授業実践経験は薄い。どなたかのお話をいただけたらと願う。

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湘南子どもフォーラム懇談会(世話人会)ML作り

2005-02-10 03:36:53 | 引きこもり
 懇談会は月例会形式で議論と提言を積み上げていくが、懇談会のメンバーは、さまざまな引きこもり・不登校関連団体と心身障がい関連団体の中心になっている人たちの交流会だ。具体的なニーズをぶつけ合って、「地域の社会参画拠点」を生み出そうというものだ。

 ところが団体世話人は忙しい。なかなかスケジュールが合わせられないという問題がある。そこを解消していくものとして「湘南子どもフォーラム懇談会メーリングリスト」を始めている。参加資格は関連団体世話人であること。個人の積極的な方を排除はしないが、ここではかなりプライベートな調整も行う予定なので、個人の方はまもなくできる「湘南子どもフォーラム掲示板」の方で議論していただけたらと思う。

 4月23日の交流日帰りオートキャンプの顔見せまでに、参加会員を集めていくつもりだ。MLは、まだ発言数は少ないが徐々に広がってくる予定。

 リロードの方が入ってくれたので、具体的な引きこもりの活動の話も突っ込んでいけるのではないかと期待している。

 参加希望の方は、

 氏名
 団体名
 電話番号

を明記の上、tobita@mbm.nifty.com にメールしてください。

電話で話し合った上で登録します。

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自学教材ヒント集に《切手から見る世界・上/世界史》を載せました

2005-02-10 03:20:08 | フリースクール
--- 今回は以下の教材の解説です。

">●自学教材ヒント集《切手から見る世界・上/世界史》



 さて今回は「切手」を使った学習を考えてみた。僕は、理科教育の学習論をやってきた関係で、題材が理科に偏っている。「切手」も動植物や自然景観、技術・人物というような画像を読み解くことでテーマに接近することができた。しかし、「社会と歴史」ということになると、画像のエピソードに通じていないとピンとこない。その画像の有効なコードを抽象しなければ検索にかけられないから、既知の解説に切手を使うのはいいが、未知の知識への探索には経験がいる。

 そのときヒントを提供してくれるのが切手愛好者のサイト群だ。彼らが発行データと照合してくれた切手のデータを流用していくのだ。しかし一筋縄ではいかない。学校のような時間枠のある場面では使えない。

 しかし切手を歴史教材に使うことにこだわるのは、歴史教材画像がなかなか入手できないという事情もある。

 もうひとつ特筆すべき特徴は、切手は収集の興味を伴うものなのだということだ。前述の「子どもが持ち込んだ外国切手」のときも、小6の子は夢中になった。切手の画像に吸い寄せられるように、語り、分類を行ったのだ。あたかも知の断片が掌にまとまったかのような充足感があったように思える。僕は、この魅力を学習に結びたいと思うようになった。

 切手自身は話題の契機にすぎないとしても、知はその糸口から説きほぐすことが出来るだろう。予備知識を必要とするという意味で、歴史のエピソードを知るものが、切手を契機ににして認識を深めたり、断片が接合されたりというような事が起きていく。つまり「社会と歴史」教材として切手を使う場面は中高生以上の年齢層を考えていくべきだろう。

 僕は切手のマニアックな関心に流れても構わないと思っている。そこには画像の歴史的な意味だけでなく、切手の発行をめぐるエピソードが学習されていくからだ。植民地の切手や戦争のために使わずに終わった切手など、歴史の周辺から、歴史の大河に至ることは可能だからだ。

 だから学校教材屋は、個々のエピソード集めを熱心にやった。しかし自学自習の中にそれを置くとき、エピソード集の様なサイトが少ない現状は寒々しくもある。意識して拾い上げて提供する必要があるのかもしれない。

 なお、話の流れにあっていない日本工業技術史や、メールマガジンの混入はお許しを。メルマガ「世界史授業」は良質のものであるので、特に高校生に勧めたい。

 次回は「日本史」、そして「科学」の話へとシリーズを組んでいる。

 切手の博物館は、ぶらり出かけても地味で面白くない。調べるテーマを持ち込むといい。
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湘南子どもフォーラムと、リロードとの協力関係を詰めてきました/自閉症のコミュニケーション講演会

2005-02-09 03:57:08 | 引きこもり
 茅ヶ崎やまびこの会の会合に参加しました。「自閉症のコミュニケーション」ということで、海老名わかば学園園長の諏訪利明さんの話を聞いてきました。親御さん向けの内容でしたから、個々の場面の話が面白く、軽度発達障がいのステージとはかなり場面が異なりました。

 しかしわかりやすくていい雰囲気。朝の10時の集まりにおっさん参加は少数派。風邪を引いて微熱があったので、かんばる気もなく、表現と受容をめぐる話を聞いて帰ってきました。

 サポセンで招請状を書いて出し、リロードに直行。偶然先方で小田原くだかけの和田さんと出会う。今回はリロードの4/23交流オートキャンプと、3/20茅ヶ崎市民活動フォーラムへの参加要請をしてきました。4/23については、更に具体化したら連絡をすることを確認。前回より活動の提案が絞られてきた感じがします。

 しかし、改めて説明してみると、仲介に立つものの労力は相当なものと覚悟しておかなければなりません。資金もないし、間をつなぐ企画のアイデアが大きな鍵をにぎっているという話になり、ずは持ち帰り検討してくれることになりました。

 和田さんには、構想チラシができてからご挨拶としようと思っています。

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 僕の構想では「共生による社会的弱者の社会参画の拠点」であり、重層的な関わりの実現です。事業化の線に乗せるため、行政からの支援は微妙なものがからみます。ただ自閉症親の会との交渉から活動が出ているので、ダウン症などの遅滞の関係や身体障がいの領域との協同作業と比較して難しいところがあります。オートキャンプの炊事プログラムにしても、引きこもり関係者には初めての方が多く、管理実務に取り込まれない範囲のシュミレーション論議が必要なのだ。


 p.s. 風邪で気力が失せています。今日はヒント集を休みます。

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湘南子どもフォーラム・社会参画拠点作り:基本に返る>当事者のニーズと突き合わせること

2005-02-08 04:39:54 | 引きこもり
これから基本構想を持って団体まわりを始める。卵が先かニワトリが先かの論議ではないが、まずはラフ・スケッチを描いた。これからが本番。必要に根付くためのニーズを固めること。

 今日、夕方からリロードにお邪魔する。引きこもり側の掘り起こし。始められることはなにか、その水路を拓くこと。

 構想は規模の伸縮自在、多様な参加、地域交流、働く価値の見える場、スタッフ利益の出る活動という点をクリアしていくつもりだ。ただその場所が箱物のような空疎な場と一線を画すのは、必要に根ざし、自ら表現していくことにある。生かすも殺すもここにあると言っていい。磁場作りだ。

 世話人の力量が問われることにもなる。先達の経験を聞かせて欲しい。
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自学教材ヒント集に《橋に隠された技術・パスタ模型を作ろう》を載せました

2005-02-08 04:19:47 | フリースクール
--- 今回は以下の教材の解説です。

●自学教材ヒント集《橋に隠された技術・パスタ模型を作ろう》


 今回は「橋の技術」がテーマだ。建造物には歴史が隠れている。文化史と技術史の視点から見直してみると面白い発見がある。

 教育の分野で「建築構造と技術」が取上げられることは少ない。技術家庭科の「住居」ぐらいのものだろうか。内容に一歩踏み込むとすぐに高度な計算が出てくるからだろうか。

 子どもにとっては、ただその場所を見学するというのは、「前からあったもの」を見るにすぎないことが多い。大人のように変遷の中で風景を見ていないからだ。だから「建造物」を扱うときは、エピソードや模型作りのような再構成の過程を提供して、問題意識を喚起する必要がある。こういう前提にたてば、漠然と見ていた世界は多彩な秘密を明かし始めるだろう。

 今回紹介したサイト群は、奥のディレクトリまで覘いてみて欲しい。そこには橋の構造の概括的な説明や、視点が書き込まれているからだ。

 U.S. Vanier College では、パスタを使った橋作りの技術教育が行われている。日本ではストローが素材として試みられてきたが、いつの間にか話が消えてしまった。あの弾力が返って邪魔になるし、加工しにくかったのだろう。パスタを使うという案は、もっと練られていい。ただ、強度のことだけでなく、重量や景観デザインを取り込んでもいいように思う。競争にすれば判断基準の明確化が要求される。それが、競技の視野を狭くしてしまう。アメリカはこのコンテストが好きだが、この視野のことは注意しなくてはならない。指の間から抜け落ちるものの価値をどう拾うかということだ。

 また石橋ではなく「流れ橋」と「潜水橋」を生み出した日本の技術観も、味わってみると面白いだろう。ただこれは解説が入りそうだ。

 またここでは取上げていないが橋脚保護の治水技術も、粘土板に川を描き、環境を作ると実験できる。川の湾曲の話と組み合わせて、橋脚の土台が削れる現象や、漂流物が溜まる現象などを再現できないだろうか。橋の形は橋脚も含むのであるから、今後の課題である。


(補充サイト)
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●引っ張り」を体感!~人間フォース橋~
http://www.gijyutu.com/kyouzai/kakou/hipari.htm


(参考資料)
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●岡山文庫205『岡山の流れ橋』 July'00
(ISBN:4-8212-5205-8 渡邉隆男著・日本文教出版(株)刊)

●アーチの力学 橋をかけるくふう  Aug.'04
(ISBN:4-7735-0179-0 板倉聖宣著・仮説社刊)
茅ヶ崎市立図書館
0113382782 /501イ

●橋の文化史 桁からアーチへ  June 1991
(ISBN:4-3060-9320-4 ベルト ハインリッヒ著・鹿島出版会刊)

●橋 ものと人間の文化史 Oct.1991
(ISBN:4-5882-0661-3 小山田了三著・法政大学出版局刊)

茅ヶ崎市立図書館
0111379384 /380モ

平塚市立図書館
西館 300451019 /515.02 /T


(補)橋は様々な話も生み出している。
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●橋と遊びの文化史 July 1994
(ISBN:4-5600-2238-0 平林章仁著・白水社刊)
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湘南子どもフォーラムの飛田案スペース企画書作成中

2005-02-07 05:30:14 | 引きこもり
 絵に描いた餅を沢山描けば、食えるかもしれない…現実論議に耐えられる妄想を。

 東海大(代々木)に知人がやってくる。僕の芽がでてきたばかりの仕事を語りたい。語る言葉が熟せばいいのだが。

 火曜日にリロードにお邪魔する。それまでにスケッチだけでも、仕上げておきたい。では。

 補)唐突ではあるが、小松川二中夜間学級が公開授業をする。見ておくつもり。
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自学教材ヒント集に《丼物・孤食技を磨こう!》を載せました

2005-02-07 05:06:56 | フリースクール
--- 今回は以下の教材の解説です。

●自学教材ヒント集《調べてつくる料理・02/丼物・孤食技を磨こう!》


 今回は極端に実践的な「丼物」を取り上げた。昔、フリースペース的な塾の集まりで、「不登校の子は孤食が多い」という議論があった。「だから食事指導を」という話なのだが、僕は「余計なお世話」と退けた。

 このとき取り上げられていたのが「親子丼」だった。「(不登校)親子丼」と挿入して嫌がられたが、生活技術としての自炊は要不要の棚に載せれば必要だろう。僕は調理の中の遊びを失いたくない。「賄い」としての「食事」に閉じるのも嫌だ。ましてや「指導」とは何事ぞというわけだった。

 丼物を覚えると、調理が非常に気楽になる。いざとなれば何とか形に出来てしまうからだ。

 その集まりでは塾の火口の数の少なさが、多人数の調理実践(実習と言わない)を難しくしているという話になった。カセット・プロパンボンベを挿入するガスコンロや携帯コンロでは火力が足らず、安定が悪く事故が多発するという問題が話された。今のガスコンロは安全装置がついているが、吹きこぼれで消えたコンロにライターで付けようとしてやけどした話もあった。焚き火は場所が難しいしムラが出る。どうしたらいいかという話だった。

 料理教室の空き時間に部屋を貸してもらうという話もあったが、僕が持ち出した案は、昔の「練炭コンロ」だった。一酸化炭素が出るので室内使用が厳禁だが、これなら屋外調理も数が揃えられるし、火力も強い。ただ着火に熟練がいる。うちわでぱたぱた扇ぐのも楽しい。

 これは防災用品としてダイクマとか東急ハンズなどにもある。陶芸窯に転用も出来るから結構いい。

 大きく脱線してしまったが、この丼物は、ひとりで調理挑戦する子にも「器」という「フレーム(枠)」を与えてくれる。丼はパッケージなのだ。これがイメージしやすさに繋がっている。

 何種類も見つかるから、片っ端に「たくわん丼」とか「ネギミソ丼」とか命名して書いてみるといい。相手がいると、これは結構楽しい。そしてその中の一番美味そうな丼を作ってみる。相手がいれば試食会も楽しい。椀を小さくすれば多人数分すぐにできるのも、丼のパッケージ性あればこそだ。

 ここでは「食材の対比」ということが美味さの背後に隠れている。「ひきたてあう関係」というか。そのことに気づいてくれれば、調理の大きなカギを握ったことになるだろう。

 あとはインターネット、レシピめぐりをすればよし。淀みは排除。食卓は明るくして、目と鼻でも、いただきます…だ。
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