湘南オンラインフレネ日誌

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格闘技再開・学習を阻むものは?

2009-07-11 10:13:02 | 引きこもり
父が帰ってきた。どんなに長い付き合いでもホームとの付き合いは、職員の「預けっぱなし」疑惑を晴らし続けなくてはならない。ましてや、おとなしい利用者さんではない家族を預ける場合は、その傾向は強まる。

所持品の中に「浣腸」が入っていなかった件で、宿便状態の利用者は預かれないという話について、片道乗継ぎ50分のホームに届けてきた効果は、父の即日排便という報告となって届けられた。一般企業に勤務していたら年休を取る騒ぎだったろう。特養ホームが買い置きの「浣腸」を有料で使う融通が利かない状態とは何なのだろう。

父の片足の脚力は、ますます弱まっている。送迎用の車椅子を玄関内に止め、靴を脱がさせて支えられながら階段前に移動する、この行程が一層困難となってきた。父は床を歩くことが出来ないのではない。部屋の中では幼児のよちよち歩きのような状態で、片足を引きずって歩いている。ところが送迎のときの玄関<>階段前の2mは身が固まってしまう。これには二つの理由が考えられた。ひとつは周囲に倒れそうなときのつかまる場所がないこと、もうひとつが介護者との協調が煩わしいこと。父はすべて自分でことを済まそうとし、失敗を晒すことを極端に嫌がるからだ。恥かしいというのではなく、弱みを晒さない、他者の支配が嫌なのだ。

だから床面の移動は、スケートのようだ。身が固まってしまう。父のホームでの移動は大半が車椅子だ。自分で勝手に移動するときは、つかまり歩きをして職員の注意を受けているようだ。馬の耳に念仏、職員がいなくなれば歩き出す。片言もいう事を聞かない。これは若いときから同じだ。

父の階段を登るとき、いつもより腰が落ちていることに気が付いた。足が伸びていないから、なおさら行動が不安定になる。尻を押すわけにはいかないから、後のサポートはベルト位置をがっちりと支え、倒れ掛かる体重と戦う。ときどき姿勢を正すために、立ち止まらせようとするが、父は止まらない。指示は一切聞かない。夢中になり心が閉じてしまう。

対面誘導のときも、近くにつかまれそうなものが目に入ると、介護者の肩や腕を掴んでいた手が突然伸びで、姿勢を崩してでもしがみつこうとする。時には介護者が支えきれなくなるときもあって、危険極まりないのだ。この見境のない行動は、協調というか相手を一切信用していないことから生まれている。

今回は2回、階段途中で落下の危険があった。

部屋にはいると、そこからは歩行器を使う。とことがUの字の囲いの中に身を入れることを嫌がる。前方に歩行器を押しやって、身をそこに引こうとするので、前かがみとなり、一層歩行が不安定になる。ひどいときはU字の外に身を置いて、歩行器を杖のように使って転倒する。グリップを握ったり、手を真下に突き出して体重を軽減する行動がとれないのではないかと、歩行器の高さを調整して行うが、むしろU字枠に囲われること自体を忌避しているように見える。

入口>ポータブルトイレ脇>ベッドという順路をこなしていくが、帰宅後すぐに排泄が行われるので、ポータブルトイレ前で尿意を聞き、排尿を促すが父は首を横に振る。ベッドに横たわらせ毛布をかけて、私と介助担当者が部屋を出ようとすると、勢いよく毛布を払い、起き上がって尿をするために立ち上がる。初め私達に介助されて排尿するのが嫌なのかと思った。ところが、寝かせて毛布をかけてから、近くで私と介助者が立ち話をしていても、全く同じ行動が出るのだった。つまり自分の行動が一連のプログラムで完結しており、途中からの介入変更を受け入れないと解釈した方がつじつまが合う。横たわることで、ひとつのプログラムが完了し、次に排尿プログラムがはしるという、いわばノイマン型の処理なのだ。

この行為と習性の固さは、服薬のときにも現れる。薬の量は1回8錠に及ぶ。そこでキャップの中に錠剤を入れている。そのキャップをあおるようにして飲むと、こぼさないで済む。ホームで使われている方法だ。ところが父はそのキャップの錠剤を掌にあけてから口にほおる。片手が不自由なひとがそれをやれば、錠剤をこぼす。周囲にこぼして探すのに大騒ぎとなる。ところがすでに数年毎日のようにそれを注意し、やめさせようとするが何一つ変わらない。理由を説明しようが、キャップを口に運ばせようとするが、拒絶してしまう。相変わらず掌にあけて、こぼしてしまう。

ポータブルトイレの開け放ちも、毛布を巻いたままベッドから出ようとする行為も、なにひとつ変わらない。この行為の固さは何なのだ。介護者の胸に開く空洞の隙間風を堪えることが介護のひとつになっている。

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夕食後、盆を下げに部屋に入ると、父はポータブルトイレを祭壇のように対面し、尿で湿った床に座り込んでいた。足にしびれがきていることから、時間が経っていることが分かった。汚れた座布団を買物のビニ袋に入れて尻にあてがい、足を延ばさせしびれを取った。その上で立たせようと、一度うつ伏せ姿勢をとらせようとするが、どう説明しても協力しない。周辺につかまろうにも、高い位置にしか、つかむところがない。掴む手の力で身を引き寄せて立ち上がるという方法は、何回も家具を転倒させ事故を起こしてきた。それにもかかわらず、他の方法をとろうとしない。

結局背面両脇を抱え、父の胸の位置で手を組み、背筋を使って父の腰を上げた。この方法は非常に危険で、介護者が腰を痛めてしまう。スペースのないところで、立ち上がらせるには階段状の物とか箱が使いやすい。しかし我が家にその準備が無かった。

立ち上がったところで父を歩行器につかまらせ、グリップを握っているように指示し、下がったパジャマを直そうとしたそのとき、父は両手を話し、ベッドに戻ろうとして、歩行器の枠ごと背面に転倒、もうひとつの椅子の足に後頭部をぶつけ、椅子を吹き飛ばした。

さすがに焦った。大声を上げて母を呼び、母に父を監視させて、階段を駆け下り、濡れタオルと救急箱を持ち帰った。父はすぐに立ち上がろうとする癖がある。母を見張りに立たせたのは、それを防止するためだった。ひとりだったら、この場に拘束されてしまう。

そのまま様子を30分ほど見て、毛布の中に移し、ベッド脇に引き寄せた。もうひとり力を出せる者がいれば担架状にしてベッドに運び込むが、母では無理。私とてへっぴり腰でしか持ち上げられないだろう。

30分ほどベッド横にいて、救急連絡の必要はなさそうだと思いつつ、その夜は3回、1時間おきに巡回して様子を見た。

私が深夜、夜間傾聴を終えて、トイレに入ったとき、大きな音がして父の私を呼ぶ大声が聞こえてきた。急いで上がるとベッド内で父がもがいている。トイレの蓋が空いていた。どうしたのかと聞き出した。やっとのことで話した言葉の断片をつなぐと、トイレに立ち、帰りにベッド枠に腰掛けた、そのとき体重をいっきにかけてベッドの縁に腰掛け、金属部分で足腰を打ったらしい。動くなと注意しておいたにもかかわらず、トイレにたって、下げたままのパジャマが足にからみ、ベッド際に腰かけたというより落ちたらしい

私はそのことより後頭部の様子が心配だった。父は無頓着にベッド上で痛みに暴れている。その部分をさすれば、蹴飛ばされてしまう。動きが収まってから、あざや傷を確認し、インドメタシンを塗った。シャワーを浴びたが、午前4時になろうとしていた。

やり残した事務仕事を終えて5時。眠ったところで、父のカーテンを開ける音に目が覚めた。危ないから禁止していた行動だった。午前8時10分。父の朝食の時間だった。朝食を作り、持って行くと父は下半身裸だった。失禁して目が覚めたのだった。紙パンツ交換と着替え。母が起きだし、もう眠ることは出来なかった。今日は、遅れているBig Issue 東京事務所に行く。帰りに横須賀の県立保健福祉大に寄って帰る。母の友人親子の留守番応援が入る日だからだ。

「進化するソーシャルワーク―事例で学ぶアセスメント・プランニング・介入・再検討」を入手。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     ******君(仮名・今夜会えるか時間調整中)


(校正1回目済み)

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