湘南オンラインフレネ日誌

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2/7 被災地行運転手難/仮設カーシェアリング、2台目の車の件でソーシャルワーカーさんと

2012-02-08 05:23:41 | 引きこもり
2011/02/07 記
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私の故祖母は102才まで生きたが、生前、生涯に出会った親しい人々が皆この世を去ってしまい寂しい、長生きはいいことではないねと言っていたことを、ふいに思い出した。

母の遠縁だが、お世話になった方が亡くなって、その息子さん夫婦が葬儀を支えていたが、息子さん自身80歳を超え、癌手術後間もない状態だったので、奥さんがひとり準備に駆け回らねばならない状態。祖母の言う「皆亡くなって、知人のいない世」の状態で、母が見かねて動いた。近くて遠い三崎の近くに、私が派遣された。普段付き合いの無い、事情がよくわからない方の応援だったので、かえって気苦労をかけてしまったのではないかと恐れている。

前線通過で気候が4月の気候で、汗ばむ場面もあった。自家用車の車庫入れをしたが、免許は持っているものの網膜色素変性症の進行で、長いことペーパードライバーだった。庭先での操作だったが、片目がだめになって、車幅感覚が無くなっていることを感じた。身を乗り出すが、右ハンドル車なので悪い右目の影響で、右側がそれでもみえないのだった。

これでは仮設まわり、ハンドルを握るわけにはいかないことを、感じさせられた。

大船で乗り換え。夕食の買い物を買い込み、ともあれ自宅に帰って、急ぎ夕食。冷蔵庫の残り物をさらう「餡かけ焼きそば」を母に食べさせ、食器はそのままで、再び茅ヶ崎駅行のバスで、有志のソーシャルワーカーさんと会った。

概要と、見守り支援を支援する、社会的弱者孤立を外を出歩くためのツールであり、地域・仮設の両コミュニティの形成・再形成促進、民間救急車の意味もあることを伝えた。仮設には足が大切。そこで後方支援の輪をしっかり再生していきたいのだと語った。

12日は、ワイワイ祭りの申込申請日だったが、ブースを組む相手の某カメラマン氏と折り合いがつかず不参加を決めたので、ソーシャルワーカーさんの紹介された会合に出ることにした。

「仮設カーシェアリング」は、世話人会を作らねばならない。いままで一緒にやったことがない方とも、手を結べる形に構造化し、提案していく。

8日は御通夜である。内緒でポメラを持っていくことにした。私の仕事は一応終わったので、内緒であるが近くのスナックで内職をやる。母を置いて帰れないからだ。9日の告別式は堪忍してもらった。

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塾長から留守電が入った。携帯を使っていると、留守電ではなくメールを残すのが習慣になっているので、留守電が案外新鮮だったりする。塾長は塾長で、深酒君の挫折がうつりそうだと、世の習いの取り付き様のなさをかみ締めていた。既存の集団に割り込むことの難しさは、専売特許の私だけではなく、深酒君も塾長も嫌というほど感じている。ここに踏みとどまり希望を探り出していく仕事が私たち教育カウンセラーの仕事である。

**子の面談の結果が、火曜日に聞くことになっていた。待っていても電話は鳴らなかった。遠慮したなと感じる。13日までは身動きができない。テスト屋の編集会議がその直後にあるので東京に出る。京浜急行線沿いの夕食会の場覘いてくる予定。

これから特例子会社等の見学が始まる。本来の就労支援の方もやっておく日地用がある。3月の就労支援のPJ講演会は、「社会参加と地域就労」のことで、被災地の試みを紹介する予定だったが間に合わない。助成金を取らないと招待に金がかかりすぎる。閉口している。

仮設生活被災者の内側からの声をとらえたドキュメント映画を4・5月、「わーく」編集部で取り組むつもりでいる。監督を招待できないか調整中。

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3/1~4の仮設環境確認の気仙地方巡回の現地の運転手候補が、平日休みをとれそうもないと連絡してきた。大船渡営業所のレンタカーで大船渡・陸前高田を回る。またカーシェアリングの行政交渉の端緒をひらいてくる。誰か立候補してくれないかと、周囲に打診を始めている。


夜間傾聴:深酒君(仮名・塾長、傾聴にあらず)
     南橋本君(仮名・母親)


(校正1回目済み)

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