柄谷行人「定本 日本近代文学の起源」(岩波現代文庫)読了。
柄谷行人の本は一度読んでいたことがあって、この本も昔読んだのだけれど、本屋で手に取ったときに私小説について書いているページをたまたま開いたことと(私小説には最近興味がある)、ぱらぱらめくって夏目漱石について書いてあるのを見たこと(夏目漱石にはずっと興味がある)で読み返す気持ちになった。
とてもおもしろかった。傑作だ。
この間、盲腸炎になったときに胃の痛みを感じた。僕は普段胃の痛みを感じなくて、つまり胃の存在感を感じたことがない。胃が痛くなる人は、誰でも胃の存在感を感じているように思って、僕がお腹が痛いと言えば、胃か大腸かはたまた別のところか訊いてくる。僕が痛がっているのは胃でも大腸でもなく「お腹」なのである。
痛みの種類も「きりきり」か「しくしく」か「ずきんずきん」か訊かれることがあるのだけれど、それについても明確にお答えできない。強いて言えば「なんだか痛い」。
別の例を挙げる。
たまに「この子は勉強が嫌いなんです」という発言を聞くことがあるのだけれど、その子が嫌いだという「勉強」というのは何なんだろうか。一日中イヤホンで音楽を聴き続けることも、テレビゲームを指から血が出るほど研鑽することも、相当に勉強だと思うのだけれど、たぶん発言者の考えは違う。
「この子は勉強が嫌いなんです」で言われる「勉強」とは、「勉強」と名付けられたものなのだ。それがどのような行為であるかは関係ない。どのように呼ばれるかが重要だ。
「風景」にしても「内面」にしても「児童」にしても、それがそのように呼ばれる以前からあったわけではない。呼ばれたときから存在しだしたのだ。子供はもとからそのような存在があったわけではなく、そういう概念が発生してから出来上がったものだ。この本はずっとこの調子で繰り返される。
ゆでたまごの漫画「キン肉マン」の登場人物、悪魔将軍が実は中身ががらんどうだったこと、がらんどうのときは最強だったのに肉体を持って敗れたこと、を思い出した。たぶん「内面」を持ってしまったことで生きていくのがつらくなった近代人を思わせるのだろう。
「私はこのような人間だ」と繰り返し言い、思うことがその人の性格を形作るのだなあと最近よく思っていて、「「私はこのような人間だ」とは思わない人間だ」と思うようにしている。いや、冗談です。それではまずい。
そうじゃなくて、人間には強固な内面、性格がありそれは変わらないものである、とは思わないようにしている。
というか、思えなくなった。
夏目漱石の「文学論」を読もうと思いました。
柄谷行人の本は一度読んでいたことがあって、この本も昔読んだのだけれど、本屋で手に取ったときに私小説について書いているページをたまたま開いたことと(私小説には最近興味がある)、ぱらぱらめくって夏目漱石について書いてあるのを見たこと(夏目漱石にはずっと興味がある)で読み返す気持ちになった。
とてもおもしろかった。傑作だ。
この間、盲腸炎になったときに胃の痛みを感じた。僕は普段胃の痛みを感じなくて、つまり胃の存在感を感じたことがない。胃が痛くなる人は、誰でも胃の存在感を感じているように思って、僕がお腹が痛いと言えば、胃か大腸かはたまた別のところか訊いてくる。僕が痛がっているのは胃でも大腸でもなく「お腹」なのである。
痛みの種類も「きりきり」か「しくしく」か「ずきんずきん」か訊かれることがあるのだけれど、それについても明確にお答えできない。強いて言えば「なんだか痛い」。
別の例を挙げる。
たまに「この子は勉強が嫌いなんです」という発言を聞くことがあるのだけれど、その子が嫌いだという「勉強」というのは何なんだろうか。一日中イヤホンで音楽を聴き続けることも、テレビゲームを指から血が出るほど研鑽することも、相当に勉強だと思うのだけれど、たぶん発言者の考えは違う。
「この子は勉強が嫌いなんです」で言われる「勉強」とは、「勉強」と名付けられたものなのだ。それがどのような行為であるかは関係ない。どのように呼ばれるかが重要だ。
「風景」にしても「内面」にしても「児童」にしても、それがそのように呼ばれる以前からあったわけではない。呼ばれたときから存在しだしたのだ。子供はもとからそのような存在があったわけではなく、そういう概念が発生してから出来上がったものだ。この本はずっとこの調子で繰り返される。
ゆでたまごの漫画「キン肉マン」の登場人物、悪魔将軍が実は中身ががらんどうだったこと、がらんどうのときは最強だったのに肉体を持って敗れたこと、を思い出した。たぶん「内面」を持ってしまったことで生きていくのがつらくなった近代人を思わせるのだろう。
「私はこのような人間だ」と繰り返し言い、思うことがその人の性格を形作るのだなあと最近よく思っていて、「「私はこのような人間だ」とは思わない人間だ」と思うようにしている。いや、冗談です。それではまずい。
そうじゃなくて、人間には強固な内面、性格がありそれは変わらないものである、とは思わないようにしている。
というか、思えなくなった。
夏目漱石の「文学論」を読もうと思いました。
山田昌弘「希望格差社会 「負け組」の絶望感が日本を引き裂く」(筑摩書房)を図書館で借りて読んだ。
希望格差とは、希望が持てる持てないというところに格差が発生しているということだった。
自分の大学卒業時のこと、大学院に行っても将来の就職先がないと思ってやめたこと、フリーターの時のこと、就職してからのこと、などいろいろと思いだすことが多かった。
一言で言えば「いろいろ大変だなあ」という感想。
まわりを見ても職業に関することでたいへんだなあと思うことは多い。
僕が就職して結婚しているのは奇跡に近い。
学校制度というのは将来就職するためのパイプラインで、段階で枝分かれしていって、さまざまな職業に必要な人員をちょうどよく分配していた。しかしいまはそれが破綻している。という話が新鮮だった。
希望格差とは、希望が持てる持てないというところに格差が発生しているということだった。
自分の大学卒業時のこと、大学院に行っても将来の就職先がないと思ってやめたこと、フリーターの時のこと、就職してからのこと、などいろいろと思いだすことが多かった。
一言で言えば「いろいろ大変だなあ」という感想。
まわりを見ても職業に関することでたいへんだなあと思うことは多い。
僕が就職して結婚しているのは奇跡に近い。
学校制度というのは将来就職するためのパイプラインで、段階で枝分かれしていって、さまざまな職業に必要な人員をちょうどよく分配していた。しかしいまはそれが破綻している。という話が新鮮だった。
映画化される吉田修一の小説「パレード」に興味を持ち本屋で立ち読みする。監督が「GO」の行定勲であることと、若者同士の距離感の描き方に興味を持つ。
行定勲にはずっと注目しているつもりだったけれど、2001年の「GO」以外作品を見ていない。これでは「注目している」とは言えない。知っている、と言った方が正しい。
ついでにこの間NHKの「クローズアップ現代」に出演していて気になった平野啓一郎の本も立ち読みしてみる。「あなたが、いなかった、あなた」という短編集(と思われる)を見てみる。
吉田修一にしても平野啓一郎にしても嫌な感じはしなかったので読んでもいいかもしれない。
始まりの最初の一文が切れ目なく長々と続いていたり、関西弁の一人称で息継ぎなしでしゃべっていたりすると、「ああまたこれか」と思い読む気が失せるものなのだが、どちらもそのようなことはなかった。
これは別に保坂和志とか町田康とかがいけないと言っているわけじゃなくて(言っているように聞こえるかもしれないがそんなことはない。どちらも読んだことないし。)、どうもなんか敷居が高く感じてしまうという、それだけのことです。ほんとうに趣味の問題だと思う。
ちなみにいま読んでいる本。
ハイルブローナー「入門経済思想史 世俗の思想家たち」
柄谷行人「定本 日本近代文学の起源」
山田昌弘「希望格差社会」
行定勲にはずっと注目しているつもりだったけれど、2001年の「GO」以外作品を見ていない。これでは「注目している」とは言えない。知っている、と言った方が正しい。
ついでにこの間NHKの「クローズアップ現代」に出演していて気になった平野啓一郎の本も立ち読みしてみる。「あなたが、いなかった、あなた」という短編集(と思われる)を見てみる。
吉田修一にしても平野啓一郎にしても嫌な感じはしなかったので読んでもいいかもしれない。
始まりの最初の一文が切れ目なく長々と続いていたり、関西弁の一人称で息継ぎなしでしゃべっていたりすると、「ああまたこれか」と思い読む気が失せるものなのだが、どちらもそのようなことはなかった。
これは別に保坂和志とか町田康とかがいけないと言っているわけじゃなくて(言っているように聞こえるかもしれないがそんなことはない。どちらも読んだことないし。)、どうもなんか敷居が高く感じてしまうという、それだけのことです。ほんとうに趣味の問題だと思う。
ちなみにいま読んでいる本。
ハイルブローナー「入門経済思想史 世俗の思想家たち」
柄谷行人「定本 日本近代文学の起源」
山田昌弘「希望格差社会」
茂木健一郎の「脳が変わる生き方」(PHP研究所)を図書館で借りて読む。
同じ話が繰り返されるし雑な作りの本だと思っていたら、出版社が茂木健一郎の講演を勝手にまとめてそれに茂木が手を入れて出来た本だということがあとがきに書かれていた。
大江健三郎がデビュー当時はたくさんの読者に読まれていたのに「洪水はわが魂に及び」や「同時代ゲーム」のあたりから読者が少なくなっていったことについて、反省すべきところがあると大江健三郎がどこかに書いていた。最近の大江健三郎の小説は昔ほど小難しい文章じゃないと思うけれど、かつてのイメージがあってなかなか手を出しにくいということはあるだろう。
お店に入ったときでも何か気に入らないことがあって「もう二度と行くまい」と思うことは数多くあり、実際に行かない。行くとしても相当の時間をおいていく。
いつ来ても、また来たいと思わせる仕事をやっておく、駄目な仕事はやらないし残しておかない、というこころがけが物を売る商売では大切なことじゃないかと思う。
「脳が変わる生き方」はいつもの茂木健一郎と言っていることはだいたい同じで、まあまあ面白かったけれど、そんなことを感じました。
同じ話が繰り返されるし雑な作りの本だと思っていたら、出版社が茂木健一郎の講演を勝手にまとめてそれに茂木が手を入れて出来た本だということがあとがきに書かれていた。
大江健三郎がデビュー当時はたくさんの読者に読まれていたのに「洪水はわが魂に及び」や「同時代ゲーム」のあたりから読者が少なくなっていったことについて、反省すべきところがあると大江健三郎がどこかに書いていた。最近の大江健三郎の小説は昔ほど小難しい文章じゃないと思うけれど、かつてのイメージがあってなかなか手を出しにくいということはあるだろう。
お店に入ったときでも何か気に入らないことがあって「もう二度と行くまい」と思うことは数多くあり、実際に行かない。行くとしても相当の時間をおいていく。
いつ来ても、また来たいと思わせる仕事をやっておく、駄目な仕事はやらないし残しておかない、というこころがけが物を売る商売では大切なことじゃないかと思う。
「脳が変わる生き方」はいつもの茂木健一郎と言っていることはだいたい同じで、まあまあ面白かったけれど、そんなことを感じました。
金哲彦の「3時間台で完走するマラソン まずはウォーキングから」(光文社新書)を図書館で借りてぱらぱらと読んでみる。
近所の公園で数回歩いたり走ったりしただけなので、まだまだマラソンに出場とか考えてもいないのだけれど、”まずはウォーキングから”というところに惹かれて読んでみる。
書いてあることはこの人の他の本とだいたい同じだった。
30分くらいして汗をうっすらかいてから脂肪が燃焼するのでそれ以上やらないともったいない(僕は汗をかいたくらいでやれやれと思って家に帰っていた)というところと、納豆を食べろというところが参考になった。
ちょっと専門的で僕のようなものにはあまり読むところはなかった。
マラソン大会に参加することはものすごく興奮することらしい、ということはなんとなくわかった。なんとなくわかったが経験がないことなので、嘘だろう、と思っている(未経験なことに対する私のいつもの接し方)。
近所の公園で数回歩いたり走ったりしただけなので、まだまだマラソンに出場とか考えてもいないのだけれど、”まずはウォーキングから”というところに惹かれて読んでみる。
書いてあることはこの人の他の本とだいたい同じだった。
30分くらいして汗をうっすらかいてから脂肪が燃焼するのでそれ以上やらないともったいない(僕は汗をかいたくらいでやれやれと思って家に帰っていた)というところと、納豆を食べろというところが参考になった。
ちょっと専門的で僕のようなものにはあまり読むところはなかった。
マラソン大会に参加することはものすごく興奮することらしい、ということはなんとなくわかった。なんとなくわかったが経験がないことなので、嘘だろう、と思っている(未経験なことに対する私のいつもの接し方)。
ドストエフスキーの「悪霊」(新潮文庫)を読み終えた。とても時間がかかってしまった。
ステパンとピョートルの父子がもっとも興味深かった。自殺願望の強いキリーロフも興味深い。
スタヴローギンは、よくわからない存在だった。
登場人物が多く、話もごちゃごちゃしていて、時間をかけて読むと理解できない小説だった。最後は次から次へ人が死んでいった。ピョートルは死ななかった(と思う)。
ある思想で世界を理解しようとすると、最終的には逃げ場のないところにまで行ってしまう、という話だと思って読んだ。何かを食べておいしいとか、眠いから寝るとか、そういう自然で些細なことを無視して、神は存在するかとか、人間は生きるに値するかとかそういう面だけで考えてしまうと生きていくのがたいへんになる。
資本主義のなかでしか考えることができなくて、カネのあるなしという面でのみ考えると、人生がつまらなくなる。
そういうことを考えさせる小説です。
ステパンとピョートルの父子がもっとも興味深かった。自殺願望の強いキリーロフも興味深い。
スタヴローギンは、よくわからない存在だった。
登場人物が多く、話もごちゃごちゃしていて、時間をかけて読むと理解できない小説だった。最後は次から次へ人が死んでいった。ピョートルは死ななかった(と思う)。
ある思想で世界を理解しようとすると、最終的には逃げ場のないところにまで行ってしまう、という話だと思って読んだ。何かを食べておいしいとか、眠いから寝るとか、そういう自然で些細なことを無視して、神は存在するかとか、人間は生きるに値するかとかそういう面だけで考えてしまうと生きていくのがたいへんになる。
資本主義のなかでしか考えることができなくて、カネのあるなしという面でのみ考えると、人生がつまらなくなる。
そういうことを考えさせる小説です。