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山本周五郎『寝ぼけ署長』

2012年09月29日 23時07分03秒 | 文学
山本周五郎に注目したきっかけはNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」の高倉健の回で、山本周五郎の『樅ノ木は残った』についての言及があり、そういえば耐える主人公というのが高倉健の演じる人物と同じなのだなと思い興味を持った。
しかし『樅ノ木は残った』は長いのでどうしようかと思った。
ちょうどどうでもいい作家のどうでもいい小説が読みたい時期でもあり(そういう時期があります)、私にとってどうでもいい作家の筆頭である遠藤周作で読みたいものがないかと探したけど、どうでもよくない小説しかなく、山本周五郎の『寝ぼけ署長』(新潮文庫)を読んでみることにした。
どうでもいい感じでおもしろかった。一応「探偵小説」(最近あまり聞かない言葉だが)なのだが、そこまで論理的であることに拘らないところが良かった。一応密室トリックがあったり、アナグラムの問題があったりした。
最後の話「最後の挨拶」で、旅館で酒を飲んで将棋を指して署長との別れを惜しむところは、昭和っていいなあ、と思った。
旅館に泊まる昭和文学を読みたくなった。太宰治の『富嶽百景』とか。他にも温泉に入って料理を食べて酒を飲んでというだけ、の小説って昭和文学にたくさんありそうなのに思い浮かばない。

黒澤明がなぜ山本周五郎を好きなのかはよくわかった。貧乏人を愛し、金持ちを憎む。
次は『赤ひげ診療譚』を読みたい。
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トルストイ『復活(上)』

2012年09月22日 20時38分51秒 | 文学
トルストイ『復活(上)』(新潮文庫)を読んだ。
ネフリュードフが罪もなく牢屋に入れられている人のために活動しようとして、そしてさらに別の人の話を聞いて、ほかの人まで助けようとし始めたり、自分の土地で働いている農民に土地を譲ろうとするのは、トルストイとしては正しい在り方なのかもしれないが、読んでいると、ネフリュードフがどんどん道を踏み外して行っているようにしか思えない。
あまりにも正しいことをやりすぎていると道を踏み外したようにしか見えない、ということは実はよくある、当たり前のことなのかもしれない。
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NHKドラマ「負けて、勝つ」第二回

2012年09月17日 23時26分52秒 | テレビ
NHKのドラマ「負けて、勝つ ~戦後を創った男・吉田茂~」の第二回まで見た(全五回)。
戦後の歴史では吉田茂にとても興味があるのだが、演じるのが渡辺謙ということで躊躇した。が、やはり見ている。
昭和天皇がしゃべったりしてなかなかおもしろい。(昭和天皇をテレビドラマに登場させてしゃべらせるというのはなかなか難しい問題があると思う。『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」でキリストがしゃべらない、しゃべれないのと同じ問題があるのだろう、たぶん。いつか『カラマーゾフの兄弟』をまた読むことがあったら昭和天皇がテレビドラマに登場するところを想像しながら「大審問官」を読もう。)
今後の昭和天皇の描かれ方に注目してしまう。
渡辺謙については特別嫌とは思わないのだが、永井大が気になる。
ドラマの「砂の器」で彼が線路で泣いていたシーンを思い出した。渡辺謙と永井大はセットなのだろうか。そんなにいい俳優のようにも思えないが結構よく映る。若い人が社会の不正に生まれて初めて(?)気付いて、(ほんとうを言えばそれはそのひとの責任ではないのに)目の前にいるひとに大声で訴えるということが、最近の日本のドラマではよくあるのだが(「事件は会議室で起きてるんじゃない」)、これには目をつむるしかないのだろうか。必ず出てくる。時代劇のチャンバラと思ってやり過ごすしかないのかもしれない。

トルストイの『復活』を読んでいる。
トルストイを読むと、いつも背筋を伸ばされるというか、きちんと真面目に生きなければいけませんと思わされる。
キリスト教の教会への批判がすごい。それが登場人物の意見としてではなく、語りとして語られる。こんなことをするのは日本の旧陸軍に対する恨みを述べる司馬遼太郎だけかと思っていたら、ここにもいた。
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内田樹『映画の構造分析 ハリウッド映画で学べる現代思想』

2012年09月13日 23時23分12秒 | 文学
内田樹『映画の構造分析 ハリウッド映画で学べる現代思想』(文春文庫)を読んだ。
内田樹の初期のものらしく、確かに内田樹のこういう文章に私は魅了されたのだった、と思う部分がたくさんあった。一例を挙げるとこんなところ。

≪無知とは「自分は知っている」という思い上がりのことではありません。「『自分が無知である』ということを他人は知っている」ということを知りたくない、という欲望の効果なのです。≫(143頁)

内田樹はよく、こんな感じの、彼自身が言うところの「問題の次数をあげた」文章を書く。
人を魅了する文章というのは(というか、私を魅了する文章というのは)、言っている内容がほんとうに正しいかどうかはあまり関係がなく、どちらかといえばわりと怪しいのだが、なんだかすごく、誰からも聞いたことがない話だなと思わせるようなものなのだろう。

ところで、映画の本を何冊か読んだのだが、思い当たるもので読むものがなくなってしまった。
蓮実重彦は読む気がしないし、スラヴォイ・ジジェクは難しそうだし。
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高倉健とか山本周五郎とか岩井俊二とか

2012年09月12日 22時47分33秒 | テレビ
この前のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」の高倉健の二回目も見た。
結構ふつうのひとなので、インタビューはそんなにおもしろくなかった。高倉健が珍しくインタビューに答えているという以上の喜びはない番組だった。あれだったら(よくテレビに出ておしゃべりしているが)黒柳徹子ロングインタビューのほうがたぶんおもしろいと思う。
番組の第一回目で山本周五郎についての話が出て、山本周五郎に興味を持った。これまで何度か山本周五郎の名前を聞いたことはあるけれども、時代小説家だろうと思い一度も注目したことがなかった。黒澤明の映画と原作をじっくり見比べて過ごすのも良いかもしれない。
『赤ひげ診療譚』と『寝ぼけ署長』と『樅ノ木は残った』(番組ではこの作品の名前が出た)を読もうかと思う。

最近映画評論の本を続けて読んでいるのだが、いまは内田樹の『映画の構造分析』を読んでいる。
『エイリアン』と『大脱走』に興味を持った。『エイリアン』は2と3と4は見ているのに、1は見ていない。
小説ではポーの推理小説に興味を持った。
それとイーストウッドの『許されざる者』はいろいろな本に出てくるので久しぶりに見たくなった。

最近の映画では岩井俊二の『ヴァンパイア』にものすごく興味がある。太宰治の『人間失格』へのオマージュだという記事を見たけれど、あらすじだけ聞くと、ヒッチコックの『サイコ』に似ているんじゃないかと思う。
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木田元『ハイデガー拾い読み』、高倉健

2012年09月08日 22時28分37秒 | 文学
木田元『ハイデガー拾い読み』(新潮文庫)。
このひとの『反哲学入門』はもっと面白かった気がするのに、今回はぜんぜん楽しめなかった。
私には難しかったのかもしれない。
ハイデガーの『存在と時間』の構想を逆からたどる形で出来上がっている講義『現象学の根本問題』はアリストテレスの話が中心であるということがわかった。
ハイデガーの講義録はおもしろい、おもしろいというので、どれだけおもしろいのかと興味を持って本書を読んだのだけれど、まったくおもしろさがわからなかった。木田元がおもしろがっているということはわかった。しかしそれをおもしろがることはできなかった。

NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」に高倉健が出るので見た。
映画『あなたへ』は見る気がしないが、おもしろい番組だった。
高倉健は本番は基本的に一度しかやらないらしい。俳優が一度しかやらないと決めることができる映画というのはどういうものなんだろうかと思った。私は映画監督の作家性のようなものを見るのが好きなので、俳優が作品に口を出すのは好きではない。
しかし高倉健は嫌いではない。
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島田裕巳『映画は父を殺すためにある 通過儀礼という見方』

2012年09月05日 22時05分16秒 | 文学
島田裕巳『映画は父を殺すためにある 通過儀礼という見方』(ちくま文庫)を読んだ。映画の本が読みたかったのと、表紙の感じと、『魔女の宅急便』が取り上げられてあることで読んだ。途中くらいまでものすごく退屈し、短い本なのに読み終えられないかと思った。映画は通過儀礼のためにある、わけじゃない、という気持ちになった。
他人のことをカネに汚いと言う人間がいちばんカネに汚いという話があるのだが、どういう理屈かというと世の中を金銭面でしか見ていないので他人の金の汚さが目につくのだということを岸田秀が言っていた。それと同じようなことがこの本にも、というか文化人類学的な芸術のとらえ方にも言えて、通過儀礼という面で映画を評価すると、ある程度はそれはなんだって時間が経過しているのだから通過儀礼という面はあるのだけれどそれだけじゃないという気がしてくる。
最終的には『魔女の宅急便』は理屈にはまらないからよくない、というふうになっていた。
ひとつの理屈ができるとそれにあてはまるものだけが見えてきて、はまらないものがあると例外、考えが足りない、というふうに評価してしまうのは、やってしまいがちなことだと思った。
『男はつらいよ』が久しぶりに見たくなった。
『櫻の園』はほんとうに好きな映画だったけれど、どんな映画だったかさっぱり忘れていた。
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町山智浩・柳下毅一郎『ベスト・オブ・映画欠席裁判』

2012年09月01日 17時33分32秒 | 文学
町山智浩・柳下毅一郎の『ベスト・オブ・映画欠席裁判』(文春文庫)を読んだ。
この間NHKで「哲子の部屋」という番組をやっていて、デヴィッド・フィンチャー監督の『ファイト・クラブ』を題材にして國分功一郎が贅沢について語るというものだったのだが、この『ベスト・オブ・映画欠席裁判』でも『ファイト・クラブ』が登場し、見てみようかという気になった。『ファイト・クラブ』は絶対に見たはずなのにどういう内容のものだったのか全く覚えていない。おそらく僕には難しい話だったのだろう。
この本には、僕が映画をよく見ていた時期に公開された映画が多くあった。
シャマランの『サイン』を久しぶりに見返したくなった。シャマランとソフィア・コッポラに対して厳しいのが気になった。どちらも好きな監督なので。ソフィア・コッポラが父親の『ゴッドファーザー3』に出演していることを初めて知った。マーロン・ブランドの映画をなぜか見る気がしないので、『ゴッドファーザー』はパート1しか見たことがない。
対談形式にはなっているが、最後にオチがきちんと決まっていることが多かったので、対談そのままではなく、かなり手を入れているのだろうなと思った。そもそも対談ではないのかもしれない。
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