遠藤周作『死海のほとり』(新潮文庫)を読んだ。
没後二十年ということで遠藤周作を読み返してみたが、やはり時代遅れという感じが強い。この小説は以前読んだときには最もおもしろかったように記憶していたが、今回読んでみるとおもしろくなかった。
遠藤周作が、「私たちはみんな弱虫なので」と話を進めていくところが多くあり、そこでいちいち引っかかりを感じる。案外そういうところがいちばん読めない原因かもしれない。あなたといっしょにしないで欲しい、と感じてしまう。わたしが弱虫ではないとは言わないが、そのようにひとくくりに(私も含めてすべての日本人を)してしまうことに違和感を感じる。
キリスト教を認めない登場人物たちが、キリスト教の論理に則って考えるところも違和感を覚える。遠藤周作にはキリスト教を信じないひとたちが、どのようにキリスト教を信じていないのかが理解できないのではないかと思う。
キリスト教を信じていないひとたちはキリスト教を理解して否定しているわけではない。キリスト教にそもそも興味がないから理解していないし理解しようとも思わない。キリスト教的な問題に出会ったことがない。
いろいろなことに違和感を感じるが、遠藤周作が一時期は人気作家であったこともあり、時代の流れを感じる。この感じは松本清張に感じるものに似ている。
没後二十年ということで遠藤周作を読み返してみたが、やはり時代遅れという感じが強い。この小説は以前読んだときには最もおもしろかったように記憶していたが、今回読んでみるとおもしろくなかった。
遠藤周作が、「私たちはみんな弱虫なので」と話を進めていくところが多くあり、そこでいちいち引っかかりを感じる。案外そういうところがいちばん読めない原因かもしれない。あなたといっしょにしないで欲しい、と感じてしまう。わたしが弱虫ではないとは言わないが、そのようにひとくくりに(私も含めてすべての日本人を)してしまうことに違和感を感じる。
キリスト教を認めない登場人物たちが、キリスト教の論理に則って考えるところも違和感を覚える。遠藤周作にはキリスト教を信じないひとたちが、どのようにキリスト教を信じていないのかが理解できないのではないかと思う。
キリスト教を信じていないひとたちはキリスト教を理解して否定しているわけではない。キリスト教にそもそも興味がないから理解していないし理解しようとも思わない。キリスト教的な問題に出会ったことがない。
いろいろなことに違和感を感じるが、遠藤周作が一時期は人気作家であったこともあり、時代の流れを感じる。この感じは松本清張に感じるものに似ている。