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『増補 幸田文対話』

2012年12月31日 01時05分43秒 | 文学

『増補 幸田文対話』(上・下) (岩波現代文庫)を読んだ。
対談相手の大半が知らない人だった。
黒柳徹子と美輪明宏と辻邦生などが有名な人だった。
男と女の違いの話が多かったように思う。時代だろう。いまではここまで男女の話はしない。
僕は、個人的には、女の話とお酒の話さえすればみんなが微笑むに違いないと思っているひとが好きではないのだが、そういうのは時代的なものなのだと思う。
まあ、そんな雰囲気の感じられる対談が多かった。
美輪(丸山)明宏が若々しい感じだった。女の格好をしている男のひとという扱いを受けていた。なんだか時代は変わったのだなと思った。
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大河、映画

2012年12月24日 23時18分47秒 | 文学
今年の大河ドラマ「平清盛」は途中で見るのをやめてしまった。
子供を風呂に入れるので放送時間に見られない。見られないと録画する。録画するが見ない。ということになり結局録画もしなくなった。
来年の「八重の桜」は幕末から日露戦争あたりの時代のようなので興味があるのだが、見られないかもしれない。役者がいろいろ出るので興味はある。水原希子とか玉山鉄二とか。風呂に入るから地上波は無理なのでBSの放送時間にテレビの前に座ることにしたい。

大河ドラマが見られないくらいなので映画などは到底見に行けないのだが、いま気になっているのはロバート・デ・ニーロが伝説の超能力者を演じる『レッド・ライト』と、スパイ映画『裏切りのサーカス』。
『裏切りのサーカス』は原作のジョン・ル・カレの『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』を読んでいる。読んでいるがしかし、最後まで読めないのではないかと危惧している。僕には少し難しい。読者を突然物語に入り込ませるために、だか、再読させるために、だか知らないのだが、いきなりよく知らない話をして、読んでいくとだんだんわかっていく形式の語り方というのがあるが、この小説がそれで、苦手。時間をかけて読んでいると最初のほうになんて言ってたかを忘れてしまう。すでに何の話をしているのかよくわからない。
がんばって読む価値がこの小説にはあるのだろうか。
流行りもののミステリーにたまに手を出すのだが、心の底からおもしろいと思ったのはダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』だけかもしれない。あっ、鈴木光司の『リング』は相当おもしろかった。他にもあったかもしれないが、いまは思い出せない。
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大岡昇平『戦争』

2012年12月23日 18時29分58秒 | 文学
大岡昇平『戦争』(岩波現代文庫)を読んだ。
インタビューの聞き手の部分を取って大岡昇平だけが語っているようになっている。
太平洋戦争に従軍する前から復員するまでの話だった。
『俘虜記』に書いたけど、みたいな話が多くて『俘虜記』を読まねばなるまいと思った。
大岡昇平がどのようにして作家になったのかがわかった。
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猪瀬直樹『東條英機 処刑の日』

2012年12月22日 17時06分50秒 | 文学
猪瀬直樹『東條英機 処刑の日 アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」』(文春文庫)を読んだ。
タイトルが長くてそれですべて語っている感じだ。
ちょうど明日が天皇誕生日なのだけれど、その日は東條英機が処刑された日で、それはGHQが意図して合わせたものだろうという小説だった。
ノンフィクションとフィクションの部分があまりうまく混ざっていない感じで、猪瀬直樹を思わせる語り手がある女性から相談を受けて彼女の祖母の日記を読み解くというフィクションの部分が嘘くさくて、なんでこんな形式にしたのかな、と思った。『ピカレスク』でよく読みこんだであろう、太宰治の『斜陽』とか井伏鱒二の『黒い雨』みたいなものを書きたかったのかもしれない。
タバコを吸いながらホテルの喫茶店で待ち合わせて女性に逢うという雰囲気は太宰治でも井伏鱒二でもなく、村上龍に近い感じだった。
しかし村上龍であれば出会った女性と肉体関係に発展するだろうが、猪瀬直樹はそんな話にはならなかった。たぶん、ノンフィクション作家なので事実に拘るということがあるのだろう。自分と目される人物に恥ずかしいことをさせることができない。

ノンフィクションの部分では東條英機の自殺未遂についていままでの印象とは違った書き方をしていた。
半藤一利の話では東條英機は死ぬ気がなかったような印象だったが、猪瀬直樹では東條英機はほんとうにピストルで自殺するつもりだったという書き方だった。これは当時の雰囲気を知る半藤一利のほうがそのときの印象につられて、間違っているのだろうなと思った。
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年末のミステリー

2012年12月16日 19時15分17秒 | 文学
年末になると本屋の戦略にはまってミステリーが読みたくなり、去年は年末年始でエラリー・クイーン『Xの悲劇』、デイヴィッド・ゴードン『二流小説家』、高野和明『ジェノサイド』を読んだ。
今日本屋に行くと、やはりミステリーが並んでいて、少し物色した。
ジョン・ル・カレの『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』を今年は読んでみようと思う。
チャンドラーの、村上春樹の新訳『大いなる眠り』が並んでいた。タイトルは「ビッグ・スリープ」ではなかった。村上春樹がチャンドラーの長編を全部訳したら順番に読んでいくことにする。
ミステリーではないが、大江健三郎の『水死』が文庫になっていて、このシリーズをずっと読んでいるのでこれも読むべきかと迷ったが、ひとつ前の『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』がいまいちだったので、もうしばらく放っておく。しかしやはり読むべきかなあ。
結局はミステリーも大江健三郎も買わず、太平洋戦争関連を二冊買った。
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津島美知子『回想の太宰治』

2012年12月15日 22時56分12秒 | 文学
津島美知子『回想の太宰治』(講談社文芸文庫)を読んだ。
太宰治について、猪瀬直樹の『ピカレスク』を読んだり、猪瀬直樹の講演や井上ひさしの講演を聴いたりしたので、ついでに何年か前の太宰治生誕百年のときに買ったまま読んでいなかった太宰治の奥さんの書いたこの本を読んだ。
太宰治が犬嫌いであることを初めて知った。
また、以下の部分にとても驚いた。
《終戦直後のこのころ、日本中の町村の例に漏れず嘉瀬でも、戦地から運よく無事に帰還したものの若者たちは生きる指標を失って何も手につかない有様だった。》(130頁)
坂口安吾の「堕落論」や、太宰治の小説が流行った背景などの、文学史的な説明として敗戦ということがよく言われてはいて、話としては知っていたのだけれど、普通のひとの語る話としてこんなことが言われると、「ほんとにそんな感じだったんだ」という気になる。
いまはものすごく人間が傷つきやすくなっている時代で、昔の人は立派だったとなんとなく思ってしまっているが、こういう話を聞くと、いまと同じように傷ついていていたんだなと思う。
確かNHKの朝ドラの「ゲゲゲの女房」で、貸本屋の主人が戦争から帰ってごろごろしている人だった。

太宰治についてだが、猪瀬直樹や井上ひさしの話では、世間で考えられているように太宰治は弱い人間ではなく、身体も頑丈で午前中から仕事をするくらいきちんとした人間であるというふうな話であったのだが、この本を読むと太宰治はやはり太宰治だよと思った。ひとの人生というのは見る人間のバイアスが相当かかる。
税金が高くて泣く話が強烈に印象に残った。
自殺がそのあとで、奥さんはそれが原因ではない、と言っていたが、それも原因のひとつなんじゃないの、と思った。
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茂木健一郎・南直哉『人は死ぬから生きられる 脳科学者と禅僧の問答』

2012年12月15日 00時35分19秒 | 文学
茂木健一郎・南直哉『人は死ぬから生きられる 脳科学者と禅僧の問答』(新潮新書)を読んだ。
たまたま茂木健一郎と南直哉の対談をネットで手に入れて聴き、この南直哉(みなみ・じきさい)という禅僧に少しだけ興味を持ち、古本屋でこの本を見つけて買って読んでみた。
しかしあまりおもしろい対談ではなく、南直哉というひとが面倒くさい感じの印象だった。同じ話ではないが、対談を声で聴いたときはそんな風に思わなかったので、文字にすると印象が違うということがあるのだろう。
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猪瀬直樹『黒船の世紀 あの頃、アメリカは仮想敵国だった』

2012年12月14日 22時13分13秒 | 文学

猪瀬直樹『黒船の世紀 あの頃、アメリカは仮想敵国だった』(中公文庫)を読んだ。
日露戦争に日本が勝利した後、アメリカと日本でそれぞれ日米が戦争するという小説がいくつも出版されたという話で、興味深い話だった。
当たり前の話だが、戦争というのは勝手に始まるわけではなくて、世界の雰囲気というものを反映して始まるものなのだなと思った。
この文庫本の腰巻に、夏目漱石やコナン・ドイルが登場すると書いてあって、そこに興味を引かれたのがきっかけで読んだのだが、夏目漱石とコナン・ドイルはあまり登場しなかった。コナン・ドイルの「最後の挨拶」はつまらんと書いてあり、ついこの間『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』を読んだばかりなので、確かにな、と思った。
ペリーが日本に来たあとにイギリスに寄り、そこで『緋文字』のホーソーンに会ったという話が最初のほうにあり、ペリーとホーソーンといういままで並べて考えたことのない人物が同時代であるということに驚いた。猪瀬直樹の本はそういうことに驚くための本だ。

しかし、猪瀬直樹の本も読み続けているので少し飽きてきた。
あと三冊読みたいと思っているのだが、読まないかもしれない。菊池寛の話と、ジミーの話と、昭和16年の敗戦の話を読みたいと思っているのだが。

司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んだときに初めて思い、今回もまた思ったのだが、僕は戦闘シーンが苦手だ。特に海戦が苦手。何が行われているのかを読んで追う気がしない。結論だけ教えてくださいという気分になる。いや、結論すらたいして知りたくない。
こんなことでは『坂の上の雲』も『レイテ戦記』も読めない。
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猪瀬直樹『欲望のメディア』

2012年12月07日 19時36分54秒 | 文学
猪瀬直樹『欲望のメディア (日本の近代 猪瀬直樹著作集)』を読んだ。
テレビの歴史がよくわかったが、あまり興味を惹かれなかったのですぐに忘れてしまうだろう。
「よくわかった」と書いて、どこがよくわかったのか詳しく書こうと思ったが、すでに書けない。
皇太子と美智子妃の成婚のテレビ中継の時に、石を投げつけようとした人がいて、テレビ中継には映ったのだが、翌日の新聞には小さくしか取り上げられなかった。警察の調べで精神分裂病ということになった。そのひとが石原慎太郎に会いに行った。という話がおもしろかった。
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テレビの歴史

2012年12月02日 22時38分28秒 | 文学
図書館で猪瀬直樹の『欲望のメディア』を借りてきて読んでいる。
『黒船の世紀』も借りてきて読もうかと思ったのだが、「日本の近代 猪瀬直樹著作集」では二段組なので文庫で買って読むことにする。二段組はページがなかなかめくれないせいか、あまり読みたくない。本が二段組かどうかは実物を見ないとわからない。ページ数はアマゾンでもわかるけれど。
『欲望のメディア』はテレビの歴史を物語風に語るノンフィクションでとてもおもしろい。マッカーサーや昭和天皇が登場する。猪瀬直樹の本には必ずといってよいほど天皇(またはその一族)が登場する。とても興味深いことだ。
本の内容とはまったく関係ないが、読みながら、小林秀雄の講演が古今亭志ん生に似ていたり、太宰治の小説が落語的であったりするという意見を聞くと、昔の文人は文化的なものがやはり好きだったのだなと思いがちなのだが、実はそうではなくて、落語というのは大衆の娯楽で、いまで言えばテレビタレント(明石家さんまとか)のおしゃべりに小説家が影響を受けるようなものではないかと思った。
昔の文人にとっての落語というのをいまの落語の位置と同じようにとらえるのは間違いだろう。
いまの落語の位置というのは僕にとっては歌舞伎やクラシック音楽に近い。たぶんクラシック音楽というのも小林秀雄にとってといまの僕らにとってとはずいぶんと違うと思う。
そんなようなことを考えていきたい。
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