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村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』

2014年11月29日 00時35分19秒 | 文学
録画していたNHKの番組「世界入りにくい居酒屋」を見ていたらスコットランドの居酒屋でウィスキーを飲んでいたので、村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(新潮文庫)を読んだ。
僕はウィスキーは飲まないのだが、ビールもたいして飲まない。日本酒もそんなにいかない。ほとんどなにもいかない。最近は少しサングリアを家で飲むことがある程度だ。
なのでこの本を読んでもそんなにお酒が飲みたくはならなかった。旅行はしたくなった。
最近は紀行文をよく読んでいるせいか、テレビも外国の風景をとらえた物を好んで見ることが多くなった気がする。

ちょっと驚いたのは村上春樹がオートマチック車に否定的だったこと。車の運転も僕はそんなに好きではないのでこれも理解できない。楽なほうがいい。
運転免許はたしか『遠い太鼓』のころに取ったはずで、そんなに若い頃からの車好きでもないのだろうに、ドライブが好きなんだな。
『遠い太鼓』のころからの違いと言えば、奥さんのことを「女房」と書いていたように思ったのに、この本では「妻」となっていた。「女房って、昭和かよ!」と思ったのでよく覚えている。(ちなみに『遠い太鼓』は昭和です。)
そのほか、ジョン・フォードの映画『静かなる男』を見るべきかなと思った。
また、ヘミングウェイがこのところ読みたい。
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名越康文『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』

2014年11月28日 21時45分17秒 | 文学
名越康文『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』(PHP新書)を読んだ。
ものすごく直球のタイトルで、しかも仏教との関連で書いているというので興味を惹かれて読んだ。カミュの『シーシュポスの神話』はたしか、自殺しないで生きるのに理由があるのかということをテーマに語り始めて、ものすごく興味を惹かれたのに、結局どういう結論をカミュが出したのか忘れてしまったが(たぶん結論などなかったのだろう)、この本も似たようなものだった。直球の質問には結局は誰も直球では答えられない。答えられたら苦労しない。しかしこのタイトルの本を読む人はわりと切実に答えを聞きたいんじゃないのかな。
途中まで(第五章まで)はとても面白く読んだ。これから生活する上で参考にしていこうというようなことがいくつかあった。背筋を伸ばすとか、深呼吸するとか、大きな木に抱きつくとか、そんなこと。
しかしそのあとの仏教についての詳細な説明はいるのだろうかと思った。ばかばかしくなってあまり真剣に読まなかった。
そういうのはほんとうに仏教に興味のある人が本当に仏教に詳しい人の本を読めばいいことだと思う。
途中までおもしろかったので残念な本だった。

内田樹周辺のひとの本は主張が内田樹にとても似てくるのだが、この本も内田樹ロジックが多かったと思う。
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太宰治「惜別」

2014年11月28日 00時49分00秒 | 文学
太宰治「惜別」読了。
この間読んだ「パンドラの匣」にちょっとした諍いが起きてそれを解決するのに、自分ではとくに何もせずに尊敬する人に委ねるという場面があったが、同じような話が「惜別」にも出てきた。
この小説は魯迅が日露戦争のころに日本に来ていて、そのころのことを回想する医者の手記という形で書かれている。太宰治はこれを太平洋戦争の頃に書いている。そのような時代背景を感じさせることを魯迅に言わせている。しかしそのようなある意味での欠点もあまり気にならなかった。
魯迅が最後は太宰治のように語り始めて、そこが私にはおもしろかった。霊媒師を見ている感じだった。
最後は魯迅の「藤野先生」の引用で終わる。
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村上春樹『辺境・近境』

2014年11月25日 20時57分55秒 | 文学
村上春樹『辺境・近境』(新潮文庫)を読んだ。
讃岐うどんのあとは適当にざっとしか読まなかったので、ノモンハンとアメリカ横断と神戸については印象が残っていない。
神戸の徒歩での旅行を終えて、ホテルでシャワーを浴びて水を飲んで新しい服に着替えるシーンは村上春樹の小説で何度か目にした風景だった。『ねじまき鳥クロニクル』でも見たように思う。
だいぶ村上春樹の紀行文にも飽きてきた。
このあとは順番から行くと、『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』であるが、すこしだけ村上春樹紀行文祭りはお休みするかもしれない。

村上春樹がヘミングウェイの『日はまた昇る』を読んでいて、興味を惹かれる。
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電子書籍

2014年11月24日 22時23分28秒 | 文学
MacBook Airを使っていて、iBooksという電子書籍を読む、または買うソフトが入っていたので使ってみる。
私はまだまだ電子書籍というものに慣れず、文章は紙で読まないと読んだ気がしない、不器用で、古い人間です。映画や音楽に最近興味がなくなったのは物へのフェティッシュな愛情がなくなったせいではないかと考えている。つまりビデオテープやカセットテープの時代にはあった、動画や音声の入っている物体への愛情がなくなったせいで見なくなったり聴かなくなったりしているのだと思う。
本も紙じゃなくなったらやっぱり愛情が薄れて読まなくなるんじゃないかな。読むにしても熱心さが欠ける気がする。
なので、iBooksを使って購入したのは(無料なので購入ではないが)、買うほどの興味が持てない作家の、愛情が湧きそうにもない作品とした。しかしそこまで全く興味がないともちろん読まないので、そのへんが難しい。
結局選んだのは有島武郎の『或る女』と島崎藤村の『夜明け前』。
有島武郎の『或る女』についてはどこかで誰かが何かを語っていた気がする。忘れてしまったがなにか興味を惹かれた記憶がある。
島崎藤村の『夜明け前』は太宰治がどこかで、眠れないときに一晩で読んでしまったとかなにか言っていた気がする。そのくらいの興味。
いつか、何かの事情で、ネットのつながらない環境で、このパソコンといっしょに放り出されて、文庫本も持っていないことになったら読むことにしよう。なかなかあり得ない想定ではあるけれど。
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MacBook Airについて

2014年11月23日 00時58分15秒 | 文学
操作が少し慣れる。
二本指、三本指の操作もなかなかいいものかもしれない。
インストールの概念がウィンドウズと少し違う。そのことを少し了解できた。
しかし説明がめんどうくさい。
僕がインストールだと思っていたものはインストールではなく、インストーラをゴミ箱に捨てても使用中だからと消去できなかったのは、まだ完全にインストールできてなかったということだった。インストーラを解凍しただけで解凍したフォルダ内で動かしていたということらしい。
デスクトップにゴミがなくなりすっきり。
文章を打つのも時間がかからず嬉しい。
起動も速い。
本体が軽い。
いまのところいいことしかない。

村上春樹『辺境・近境』を読んでいる。
香川県にうどんを食べにいきたい。
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MacBook Air購入

2014年11月22日 01時04分13秒 | 文学
MacBook Air(というアップル社のノートパソコン)を購入。大きさは11インチ。
非常に使いにくい。まだ慣れない。
マックを使うのは初めてなのでほんとうに、絶望的に操作がわからない。
だんだん慣れていけるだろう。
すべてをウィンドウズの感覚でやろうとするからいけないのだ。これはウィンドウズではないのだ。メニューは窓の上ではなく画面の一番上にくっついているのだ。その、切り離された感覚がなかなか慣れない。文字の変換の仕方もまだ慣れない。スペースキーを押すことに慣れないといけない。
なんでマックにしたかと言うと、いま使っているパソコンが遅くなってきて、立ち上がるのは遅いし、ちょっと日記をつけたいだけなのに何分待たせるんだい、しかも文字変換もごりごりいいながら遅いし、いらいらする、もしかしたらこれはウインドウズのせいなのかもしれない、もしかしたらマックは劇的に速いのかもしれないと思って乗り換えました。乗り換えましたは言い過ぎかもしれない。ちょっと試しました、というくらい。
速いのは間違いないように思う。

疲れた。
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太宰治『パンドラの匣』

2014年11月20日 23時17分26秒 | 文学
太宰治『パンドラの匣』(新潮文庫)読了。
どちらかといえば昔読んだ時におもしろかった印象の「正義と微笑」が目当てで買ったのだが、「パンドラの匣」のほうがおもしろかった。
ぜんぜん覚えていなくて、このひとが実はこんなひとだった、手紙にはこう書いていたけど本当はこうだった、というところにきちんと驚かされた。
本当の気持ちは言わない、というカズオ・イシグロ的な小説をもっと読みたくなった。
昭和二十年の戦争の終ったすぐ後の太宰治の気持ちのよく表れたいい小説だと思う。日付のきちんと書かれてあるものに最近非常に興味を持っている。

作者なんてどうでもいいのだ、という思想が語られ、いま読むと井伏鱒二のこと? と思ってしまう。
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村上春樹『雨天炎天』

2014年11月19日 00時00分06秒 | 文学
村上春樹『雨天炎天 ―ギリシャ・トルコ辺境紀行―』(新潮文庫)を読んだ。
『遠い太鼓』にこの旅行の話が出てきて、ついでに読んだ。
ギリシャにもトルコにも行きたくない。どちらもひどいところだ。どちらがよりひどいかと言えばトルコのほうがひどい。
最後は奥さんに電話を掛ける場面で終わる。『ノルウェイの森』を思い出した。

日付はきちんと書いていないが、これまで読んだものの中に並べると、こんな位置。
『富士日記』 1964年7月 ~ 1976年9月
『成城だより』 1979年11月 ~ 1980年10月
『成城だよりⅡ』 1982年1月 ~ 1982年12月
『成城だよりⅢ』 1985年1月 ~ 1985年12月
『246』 1986年1月 ~ 1986年9月
『遠い太鼓』 1986年10月 ~ 1989年秋
『雨天炎天』 1988年9月 ~ 1988年10月
『日日雑記』 1988年 ~ 1990年(?)

高倉健逝去。
高倉健の映画はいくつか見たが、『単騎、千里を走る。』が一番好き。
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ドラマ「昨夜のカレー、明日のパン」

2014年11月18日 00時10分53秒 | テレビ
NHKのドラマ「昨夜のカレー、明日のパン」が終わった。
おもしろかった。木皿泉脚本の作品をはじめて見たが、あまり他で見ない感じの思想があると思う。ドラマのなかで登場人物が明確に作者の思想を語ることってこんなにあるのだろうかと思うが、まあ考えてみたら普通のことか。ただ思想がちょっと珍しい感じなのでそこだけ浮き立つ感じがするのだろう。
木皿泉作品は今後も注目だ。
この間NHKの「SWITCHインタビュー 達人達」に木皿泉が出ていた時に、ドラマがいろいろあちこちに行っても軸となる思想を語らせることで戻ってこられる、私はこれを山田太一先生からパクった、みたいなことを本人が語っていたが、そういうことをドラマを見ていて感じた。
よしもとばななの小説と似ているのかもしれない。

「昨夜のカレー、明日のパン」が終わったので見ているテレビドラマが一つ減った。うれしい。
日曜日は「軍師官兵衛」と「ごめんね青春!」とこれがあって、録画して子供が寝てから見るのが習慣となっているのだが、数が多いとたいへん。
見る連続ドラマはあまり増やしたくない。
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