江藤淳の対談集「文学の現在」を図書館で借りて少し読む。
この本は、
「今、言葉は生きているか」(中上健次・1987年12月3日)
「批評はいかにあるべきか」(富岡多恵子・1988年3月11日)
「ポスト・モダンと近代以前」(川村湊・1988年6月17日)
「文学と非文学の倫理」(吉本隆明・1988年9月8日)
の4つの対談からなっている。
後ろから順番に読んで、2つ読んだ。
吉本隆明との対談はおもしろかった。江藤淳は村上春樹のものをまるっきり読んでいないのだとばかり思っていたが、この対談を読む限り、「ノルウェイの森」は読んでいないが他のは読んでいる、のではないかと思った。まあどちらでもいいことだが。江藤淳の「昭和の文人」を吉本隆明が褒めていた。
最近は倫理をなんにでも付けたがって、なんでもかんでも良い悪いを言いたがるというところに納得。
川村湊との対談で、江藤淳が高橋源一郎の「優雅で感傷的な日本野球」を評価しているのを知った。ふうん。
一昨日くらいからちょっとずつ堀辰雄を読んでいる。
「ルウベンスの偽画」と「風立ちぬ」を読んだ。
「ルウベンスの偽画」は何のことかよくわからなかったが、「風立ちぬ」は予想に反して相当おもしろかった。
女は黙っているのがいちばん良い。
結婚してしばらくするとこういう感想をもつ人がいるんじゃないかと思う。結婚ってわりとめんどくさいことも多いですから。お互いに。
その、黙ってる女、めんどくさいことは何ひとつ言わない女、何でも理解してくれていると男に思わせてくれる女、を描いたのが「風立ちぬ」だと思う。
世界としては、妻子なんか放っておいてイルカとともに深い深い海の底に沈みたいという欲望を描いた、リュック・ベッソンの映画「グラン・ブルー」に近いと思う。
この本は、
「今、言葉は生きているか」(中上健次・1987年12月3日)
「批評はいかにあるべきか」(富岡多恵子・1988年3月11日)
「ポスト・モダンと近代以前」(川村湊・1988年6月17日)
「文学と非文学の倫理」(吉本隆明・1988年9月8日)
の4つの対談からなっている。
後ろから順番に読んで、2つ読んだ。
吉本隆明との対談はおもしろかった。江藤淳は村上春樹のものをまるっきり読んでいないのだとばかり思っていたが、この対談を読む限り、「ノルウェイの森」は読んでいないが他のは読んでいる、のではないかと思った。まあどちらでもいいことだが。江藤淳の「昭和の文人」を吉本隆明が褒めていた。
最近は倫理をなんにでも付けたがって、なんでもかんでも良い悪いを言いたがるというところに納得。
川村湊との対談で、江藤淳が高橋源一郎の「優雅で感傷的な日本野球」を評価しているのを知った。ふうん。
一昨日くらいからちょっとずつ堀辰雄を読んでいる。
「ルウベンスの偽画」と「風立ちぬ」を読んだ。
「ルウベンスの偽画」は何のことかよくわからなかったが、「風立ちぬ」は予想に反して相当おもしろかった。
女は黙っているのがいちばん良い。
結婚してしばらくするとこういう感想をもつ人がいるんじゃないかと思う。結婚ってわりとめんどくさいことも多いですから。お互いに。
その、黙ってる女、めんどくさいことは何ひとつ言わない女、何でも理解してくれていると男に思わせてくれる女、を描いたのが「風立ちぬ」だと思う。
世界としては、妻子なんか放っておいてイルカとともに深い深い海の底に沈みたいという欲望を描いた、リュック・ベッソンの映画「グラン・ブルー」に近いと思う。