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ティナ・シーリグ『20歳のときに知っておきたかったこと』

2011年07月31日 00時13分54秒 | 文学
ティナ・シーリグの『20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義』(阪急コミュニケーションズ)を読んだ。
ビジネス書は最近よく読むのだが、とくにおもしろいと思った。
こちらの気持ちも大きいと思うのだが、テレビを見てティナ・シーリグというひとにわりと興味を持っているので、そのせいでのめり込んで読めたと思う。
自分というものはこういうものだという自己規制が可能性を妨げているというのはその通りだと思う。できるだけ、自分というのはこういうものだということを思わないようにしたい。できれば、これまでの自分はこういうものだった、と思うようにしたい。
はじめ図書館で借りて読んでいたのを、おもしろくて購入した。なのでいろいろなところに赤線を引いた。
ビジネス書では本田直之のものを多く読んでいるが、たまには別の人の本も読むべきだと思った。

NHKでグリコ・森永事件の番組を見た。
以前、再現ドラマの部分だけ放送していていたのを見たが、今回はそれにドキュメンタリー部分が多く足されている番組だった。
警察はアホだなあと思わせる番組になっていた。何度も犯人をつかまえるチャンスがあったのに逃がしている。
トップの言うことはどんなことでも従わなければならないということが、日本社会の弊害となっていると感じさせる番組だった。
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米林宏昌監督『借りぐらしのアリエッティ』感想

2011年07月30日 09時14分05秒 | 映画
米林宏昌監督『借りぐらしのアリエッティ』を見た。
アリエッティのお父さんがユパさまみたいだった。
ダンゴムシはオウムに見えた。
樹木希林の声のおばさんは樹木希林にしか見えなかった。
全体的に宮崎駿ふうなのだが、やはりなんか違って、宮崎駿の偉大さがよくわかる。
この映画のタイトルには「の」が入っているのだが、公開中の『コクリコ坂から』には入っていず、スタジオジブリの映画のタイトルでも「の」が入らないのだなと思った。スタジオジブリの映画のタイトルには「の」が入っていて、それがヒットにつながるというジンクスがあるとなんどかテレビ番組で聞いたような気がする。
「の」を付けない映画もあるのだな。
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デヴィッド・フィンチャー監督『ソーシャル・ネットワーク』感想

2011年07月25日 18時41分55秒 | 映画
デヴィッド・フィンチャー監督『ソーシャル・ネットワーク』を見た。
お金持ちになると、訴訟を起こされていろいろとたいへんだなという映画だった。
学内の美人コンテストから始まって、会員制の友達サイトになっていく様子が、よくはわからなかったが、まあまあ理解できた。アメリカの大学では、秘密クラブのようなものがあり、人種とか親の収入とかそういうもので入れたり入れなかったりというようなことがあるという話を、映画か本かで見聞きしたことはあるのだが、そういう文化があるからフェイスブックは出来たのだと思う。
フェイスブックはもともとザ・フェイスブックだったのをショーン・パーカーの助言で「ザ」を取ったらしい。
フェイスブックは広告収入でやっていないようなのだが、広告収入でなくてどうやって儲けているのか、映画を見る限りでは理解できなかった。サイトに広告が出るのはクールじゃないというのは、確かにその通りだよなと思う。広告はクールじゃない。
ウィンクルボス兄弟という双子の兄弟が出てきて、すごく物語的な、神話的な存在だが、あれは実在の人物なのだろうか。
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ゲーテのハワイ

2011年07月19日 21時32分49秒 | 文学
前回、本田直之のツイッターをいつもチェックしているわけではないと書いたあとに、いまどんなことを書いているかチェックした。すると幻冬舎の雑誌「ゲーテ」でハワイ特集をしていることを知り、購入した。
やっぱりハワイはいいなと思った。
「ゲーテ」は40代、50代の男性をターゲットにした雑誌のようだ。

ティナ・シーリグの『20歳のときに知っておきたかったこと』を図書館で借りて読んでいたが、とってもおもしろいので、購入して、線を引いて、トイレに置いておくことにする。
ティナ・シーリグはマイケル・サンデルの二番煎じのようなものかと思っていたけれど、マイケル・サンデルよりも話がおもしろい。NHK教育で放送していたマイケル・サンデルの講義は録画していたのに最後まで見られなかったが、ティナ・シーリグのほうは見通せるかもしれない。二番煎じのほうが美味しい、ということもある。
といって、まだ三回目くらいまでしか見れていないが。
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吉越浩一郎『英語をやっていて、本当によかった。』感想

2011年07月18日 23時49分26秒 | 文学
吉越浩一郎『英語をやっていて、本当によかった。』(ワック)を図書館で借りて読んだ。
いつもチェックしているわけではないのだが、本田直之がツイッターでこの本を奨めているのをたまたま目にして、タイトルが気になって読んでみた。
吉越浩一郎という人がトリンプの元社長で、奥さんはフランス人で、ドイツ語は出来たが、英語を真剣にやろうとしたのは29歳からであるという、あまり私の参考になる境遇ではないということはよくわかった。
と、毒づいておきながらも、わりとおもしろい本ではあった。
英語の勉強法について書かれている本を期待したが、そういう本ではなかった。英語については、「LとRの発音の違いは気にするな、私も出来ない」ということと、「大人になってから英語を勉強するときは文法をやった方がいい」というくらいのメッセージしかなかった。
あとは、自分の経験からのビジネス論が中心の本だった。
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吉本隆明『真贋』

2011年07月18日 17時58分44秒 | 文学
吉本隆明『真贋』(講談社文庫)を読んだ。
最近読んだほかの吉本隆明の本(『今を生きる親鸞』『老いの幸福論』)と内容は重なる部分もあったが、この本がいちばんおもしろかった。
釈迦も孔子も倫理的に良いことしか言わないから駄目だといった安藤昌益に興味を持った。安藤昌益の本はどこかで読めるのだろうか。
文学の毒の話はおもしろかった。本を読むことはよいことだといわれているが、読むことによって実生活への興味がなくなったりというような毒が表れることがあるという話。まさしくその通りと思った。
川端康成は、女性の新人編集者がやってきたときに一言もしゃべらず、とうとうその編集者が泣いたという噂話は初めて聞く話だった。吉本隆明が川端康成について話すのを聞くのは初めてのことのように思う。そもそも、誰かが川端康成について何か言ったり書いたりするのを見たことがない。変人のようで、少し川端康成に興味を持った。
戦後の作家では、太宰治の評価が高いのは知っていたが、それと同じように武田泰淳の名前が出ていた。
夏目漱石の奥さんが書いた『漱石の思い出』に興味を持った。
小島信夫は、人の嫌がることをわざと言うような人だったらしい。
ざっと興味を持ったのは以上のようなところだ。

このところ、向田邦子ブームなのではないかと思っていて、何か読むべきかなと思ったりもするのだが、それと同じようにサマセット・モームブームなのではないかとも思っている。ここ最近で新訳が三作品も出た。
向田邦子よりもモームのほうがおもしろいだろうから、『昔も今も』と『お菓子とビール』を購入した。
『お菓子とビール』は昔新潮文庫(タイトルは『お菓子と麦酒』)で読んだことがあり、なかなか切ない感じでよかったと思うのでもう一度読んでみる。
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内田樹『最終講義』

2011年07月17日 11時54分11秒 | 文学
内田樹『最終講義』(技術評論社)を読んだ。
内田樹についてはいろいろ読んでいるのだが、講義録を読むのは初めてで、とても面白かった。
語っていることはだいたいこれまで読んだことのあるようなことを語っていて、内田樹の場合は書く文章も難しい書き方はしないので、講義録でも、小林秀雄ほどの難易度の差異はないのだけれど、それでもよりわかりやすくなっていたように思う。
神戸女学院大学の建物はとても素晴らしいという話を何度も読んだような気がするが、「行ったことないし、知らんよ」という気持ちになる。
「日本の人文科学に明日はあるか(あるといいけど)」というタイトルの講演がいちばんおもしろかった。
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イハレアカラ・ヒューレン『みんなが幸せになるホ・オポノポノ』感想

2011年07月13日 00時05分43秒 | 文学
イハレアカラ・ヒューレン『みんなが幸せになるホ・オポノポノ』(徳間書店)を読んだ。
カマイリ・ラファエロヴィッチの『ホ・オポノポノ ライフ』では、何かと言えばクリーニングしなさいと書かれていたのだけれど、肝心の”クリーニング”についてどのようにすればよいのか、詳しく書かれていなかったので、この本を読んでみた。
しかしこの本を読んで、クリーニングの仕方が具体的に分かったのかと言えば、よくはわからなかった。たぶん、それこそがホ・オポノポノの考え方の基本なのでそんなに簡単には分からないことなのだろう。浄土真宗で、南無阿弥陀仏を唱えればよいと言われても、実はよくわからない、というのと同じようなことなのだろう。
カマイリ・ラファエロヴィッチの本では、クリーニングすることで過去の記憶が消去され生きやすくなるという、まあそれはそうだろうな、と納得はしていたのだが、このイハレアカラ・ヒューレンの本では、自分がクリーニングすることで、自分の周りのひとも幸せになるという、より宗教的に踏み込んだ本だった。ホ・オポノポノの導師たちは、ひとに会う前にクリーニングを行っているので、実際に会うときには特に何も話す必要はないらしい。
宗教的に踏み込んでいると思えると、「そこまで私は行けない」と思ってしまうのだが、もしかするとそこに踏み込めないことが、私の限界を作っているのではないかという気が最近よくする。苦しいときに南無阿弥陀仏と呟いたり、勾玉を握ったり、「(死んだ)おっかさん助けて」と言ったり、そんな小林秀雄がやっていたようなことをすることが生きていく上で重要なのだろう。そんな気がする。ずっと超越的な存在があることを認めないで生きてきたので、そこまで行くにはもう少し時間がかかる。

自分のなかに潜在意識があり、それをウニヒピリと名付け、自分のなかにいる子供として認識するというやりかたは違和感なく読めた。自分をひとりの人間ではなく、母親と子供のふたつにわけることで、問題の見え方が変わるということがあるのではないかと思う。書いていて思い出したが、この話は、夏目漱石について柄谷行人が書いた文章のなかに似たようなことがあった。
《興味深いことに、漱石が写生文に関して述べたことは、フロイトがユーモアにかんして指摘した「精神態度」と完全に合致している。《誰かが他人にたいしてユーモア的な精神態度を見せるという場合を取り上げてみると、きわめて自然に次のような解釈が出てくる。すなわち、この人はその他人にたいしてある人が子供に対するような態度を採っているのである。そしてこの人は、子供にとっては重要なものと見える利害や苦しみも、本当はつまらないものであることを知って微笑しているのである》(『ユーモア』高橋義孝訳、「フロイト著作集」第三巻、人文書院)。》(柄谷行人『定本日本近代文学の起源』、岩波現代文庫、89頁)
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安西水丸・和田誠『青豆とうふ』

2011年07月10日 13時19分38秒 | 文学
安西水丸・和田誠の『青豆とうふ』(新潮文庫)を読んだ。
安西水丸と和田誠が交互にエッセイを書いて、相手のエッセイのおしまいの話題につなげて次の人が書くという、しりとり風のエッセイ集だった。解説は村上春樹。
村上春樹の『1Q84』が出たときに、安西水丸か和田誠のどちらかが、登場人物の名前が青豆であることとこの本の関連について書いていたように記憶する。内容はよく覚えていない。たぶん、そのことがあって書店でこの本を見かけたときに買ってしまった。
気軽に読める本だった。
「青豆とうふ」というタイトル自体はそんなに良いとは思わない。
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カマイリ・ラファエロヴィッチ『ホ・オポノポノ ライフ』感想

2011年07月06日 00時30分33秒 | 文学
カマイリ・ラファエロヴィッチ『ホ・オポノポノ ライフ ほんとうの自分を取り戻し、豊かに生きる』(講談社)を読んだ。
生きていくうえでの智慧、みたいなことについて興味があって、宗教の本とか読むのだが、この本もその一環で読んだ。
ウニヒピリという潜在意識が自分のなかにいると仮定して、そのように思うことによって、記憶をクリーニングし、ほんとうの自分とつながるという思想だった。クリーニングするということが何度も言われるのだが、それがどういうことを指しているのか、いまいちよくわからなかった。何か思い浮かぶことを「愛しています」と言ってクリーニングする、というような表現で語られる。「南無阿弥陀仏」と同様の発想だろうか。
念仏を唱えたり、クリーニングしたりすることで生きてきた人々について、よく考えてみる必要があると思う。
そういうことを禁じ手にしてしまっていることで、生きづらくなっているということがあると思う。

南無阿弥陀仏とクリーニングでは、クリーニングのほうが理屈っぽくて自分には合っている気がする。
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