ダブログ宣言!

ひとりでするのがブログなら、
ふたりでするのがダブログ。

☆ドラマ「坂の上の雲」初回

2009年11月30日 00時15分03秒 | テレビ
NHKのドラマ「坂の上の雲」の初回の放送を見る。
はじめ、渡辺謙が延々と小説「坂の上の雲」を朗読し、これならこれでもいいかもしれんな、と思う。渡辺謙が「坂の上の雲」を全部朗読しCDにして売り出せば、かなりの人が買うのではないかと思った。僕はちょっと欲しい。
ドラマの出来はなかなか良いと思った。
朗読があり、ドラマがあり、そして当時の実際の白黒映像が入るというごたまぜの感じが、司馬遼太郎の小説の雰囲気をよく出せているのじゃないかと思う。
これなら最後まで見ることができるだろう。

今日の昼ごはんはホテルでランチを食べたのだが、隣に座ったおじさんが、ある俳優に顔の感じも声も似ていた。やはり骨格が似ると声も似るのだなと感心していたのだが、その俳優の顔と声は思い浮かぶのだけれど、名前が出てこない。代表作も思い浮かばない。
こういうのはちょっと困る。何かに出ていたことさえわかればインターネットで調べることが可能なのだけれど、僕がなんとか思いつくのはその俳優が少しだけ國村隼に似ているということだけだ。
やっと調べてその俳優が綿引勝彦だということが分かったのだけれど、語句が思い出せず検索できない記憶(顔のイメージや声)というのは困る。
コメント

☆ドストエフスキー「白痴」下巻

2009年11月29日 18時19分22秒 | 文学
白痴 (下巻) (新潮文庫)ドストエフスキーの「白痴」下巻を読み終える。
前半に較べると、後半は話が追いにくくなった。
とくにイポリートの話が長くて、いやになった。

物語の最初にナスターシャの写真を見て、なにかを感じたムイシュキン公爵が、それと分からず彼女に会いに行き、会って彼女のことを愛していることがわかる。
ムイシュキン公爵の、そういうところ、を描いた小説なのかなあと思った。
この小説は、ムイシュキン公爵がナスターシャを好きなのかアグラーヤを好きなのかよくわからないのだけれど、実は、人間は誰かを一番好きであって他の人はそれ以上好きではなく、好きな人は誰かひとりであるはずだという考えが、そもそも虚構であるのだなと思った。
ほんとうはそのときそのときで、公爵はナスターシャが好きだったり、アグラーヤが好きだったりして、ナスターシャに泣き言を言われればナスターシャをかわいそうに思って彼女に付いて行ったり、アグラーヤといれば彼女と結婚しようと思ったりしているのだ。ある意味そこがムイシュキン公爵の白痴(ばか)なところなのだろうけれど、会う人会う人にやさしい感情を抱くという面では素直なひとなんだろう。
理屈をなくしたところでの人と人との付き合いを描いたものなのかなあ、というところです。
次は「悪霊」を読む。
コメント

☆茂木健一郎「脳を活かす仕事術」

2009年11月29日 00時32分04秒 | 文学
脳を活かす仕事術茂木健一郎の「脳を活かす仕事術」(PHP研究所)を図書館で借りて読む。
情報処理の試験勉強中に読もうと思い図書館で予約していた本がやっと順番が回ってきた。
とくに驚くようなことも新たな発見があるわけでもないのだけれど、こういう本はたまに読んでこれからも頑張ろうという気分になるところに存在価値があるのだろう。
実際、そういう気分になった。
やっぱり英語の勉強ってやらないとなあと思った。また。

今回のこの本は「感覚系学習」と「運動系学習」は違うという話が主な論点だった。
感覚系というのは見たり聞いたりの学習、運動は手や口を使う学習のこと。
僕は、本はよく読むほうなのでひとの文章を読んでこれが良いとか悪いとか、ここはうまく感情が乗っていてすばらしいとか、あるいは下手だ、一行読んだだけでもクズだとわかる、とかそのようなことにはなっているのだけれど、自分の書いた文章が自分の厳しい批評の俎上に乗っけても満足いくものであるのかといえば全然そんなことはない。
それとこれとは違う。
それが感覚系と運動系の違い。
実際に手を動かしてやらないと出来るようにはならないものなんだよ、という話だった。
コメント

☆司馬遼太郎「城塞」下巻

2009年11月28日 15時28分19秒 | 文学
城塞 (下巻) (新潮文庫)司馬遼太郎の「城塞」下巻を読み終わった。
もうほんとうに長く長く時間がかかってしまって、話の内容などあまりよくわかっていない。読んだと言うだけだ。
しばらく司馬遼太郎は読むまいと思うけれども、明日から「坂の上の雲」のテレビドラマが始まるので気になって読み始めてしまうかもしれない。
時間をかけて本を読むのはいけないことだと思う。
コメント

☆立花隆のテレビ、モニターについて思うこと

2009年11月24日 17時45分12秒 | テレビ
風邪で会社を休む。
休んで、NHKスペシャルの「立花隆 思索ドキュメント がん 生と死の謎に挑む」という番組を録画していたので見る。
わりと癌を扱った番組には注目してしまう。立花隆にも興味があるし。
とてもおもしろい番組だった。
ほんとうは癌を医学的に治すとかどうこういうことよりも、どのように死んでいくかということのほうが重要なのだろうなと思った。
癌を攻撃することが自分の身体を攻撃することにつながるということも、そういうことはよくあることだなあと思った。何かを考えるときに敵と味方にわけ、敵を排除しようとする考え方には限界があるのだろうと思う。

NHKのモニターは二カ月やったがだいぶ飽きてきた。
僕は番組を見ることが好きなのであって、感想を製作者側に伝えることは好きじゃないし向いていないのだとわかった。
番組をどのように作ってほしいとかそのような希望があまりない。
勝手に作って勝手に流しててくれれば勝手に見てこっちで好き勝手な感想を抱きます、というスタンスです。ここをこうしたら良かったのに、と思うこともあるのだけれど、それを実行してもらったからって本当により面白くなるのかといえばそんなこともないだろう、一部分だけ変えるとより悪くなる場合だってあるだろう、と思ってしまう。
こちらの思いもよらないような番組が見たいので、僕の要望などは聞きいれてほしくない。
ただ、この間選挙に行ったときに出口調査を受けたときにも思ったのだけれど、このような調査に答えるときに、どうしても、どう頑張っても、答える側としてはお利口さんの答えをしてしまうという弊害が存在するように思う。
例えば、あるテレビドラマを見て、おもしろかったが取り立てて文章に書くほどの感想もないときに、そういえばあそこで煙草を吸ってポイ捨てしてたな、それはいけない(って言われているな)、だとか、車に乗るときに後部座席のシートベルトをしていなかったな、ほんとうはいけないな、だとか、なんだかそういう自分としてはどっちでもいいけれど良いと言われていることをここでは書いておこうというようなことが、調査結果として大きな数字になってしまうことがあるんじゃないかなと、そんなことを思っている。
コメント

☆ドストエフスキー「白痴」上巻

2009年11月22日 19時41分13秒 | 文学
風邪をひいたようで熱が出て昨日の夕方からずっと寝ている。
だいぶ良くなり熱は下がったが少し頭が痛い。

白痴 (上巻) (新潮文庫)ドストエフスキーの「白痴」(新潮文庫)の上巻を読み終える。
とてもおもしろく、前のめりになって、目玉が数ミリ(当社比)飛び出して読んでいる。
とくに第一編の最後の、十万ルーブルの金にどんどん火が回るところはとても興奮して読んだ。ガーニャがそれを拾うかどうするのかに注目した。「どうするんだ、どうするんだ、燃えちゃうよ!」と思いながら読んだ。
第二編の最後あたりにも、ムイシュキン公爵のお金をめぐっての騙し合いがあり面白くはあったけれど、第一編ほどの興奮はなかった。
しかしこんなにドストエフスキーを熱中して読んだことはこれまでになく、いい傾向だと思っている。
わりと読者には隠し続けて、やっと最後になって明かすという方法がとられているので、時間をかけて読んでいると忘れてしまう。一日百ページくらいのペースで読まないと読み通せないものだと思う。
コメント

☆読書は計画的に

2009年11月19日 23時25分10秒 | 文学
ドストエフスキーの「白痴」上巻296頁まで。
とてもおもしろくて早く読んでしまいたいのだけれど、長いのでそんなに早くは読み終えられない。一度読んだことがあるのだけれど、全く内容を憶えていない。
ナスターシャが登場する。傲慢な様子を見せているが、実は何かを隠している雰囲気を出してから、ガーニャの家から立ち去る。
ガーニャの父親の、嘘ばかり言うイヴォルギン将軍がとても興味深い。
そういえば黒澤明の映画「白痴」を録画しっぱなしであるので、読み終わったら見ようと思う。

河出文庫版のダンテの「神曲」を立ち読みしてみると、とっても読みやすいのでいつか読みたいと思った。
ダンテの「神曲」は絶対読めないだろう古風な文体で訳されたものしか見た事がなかったのだが、これなら読めると思う。
これを読んだら、大江健三郎の「懐かしい年への手紙」を再読しよう。

などなど、いろいろと読書計画が広がるのでした。
コメント

☆海外の長編小説をしばらく読みたい(決意)

2009年11月18日 00時10分03秒 | 文学
ドストエフスキーの「白痴」(新潮文庫)を読み始める。109頁まで読んだ。
おもしろいように思う。
身なりの良くないムイシュキン公爵を追い返そうとしたエパンチン将軍が、ムイシュキンの顔を見て何か気持ちに触れるものを感じ、やさしくなるところがいいと思った。
ナスターシャは少女のころにトーツキイに犯されてしまって、それで大人になって、”新しい”ナスターシャとなる。どう新しいのかまだよくわからないが、楽しみだ。

このまま「悪霊」と「未成年」も読みたいと思っている。
トルストイの「戦争と平和」も。
ちょっと読んでいなかったので、しばらくの間、海外のがつんとした長編小説を読んでいこうと思う。
コメント

☆「大江健三郎 作家自身を語る」

2009年11月17日 00時19分39秒 | 文学
大江健三郎 作家自身を語る大江健三郎のインタビューをまとめた「大江健三郎 作家自身を語る」(新潮社)を図書館で借りて読む。
滅茶苦茶おもしろかった。感動的でもある。
これはものすごく面白いので文庫化されたら絶対に購入しようと思う。
以下おもしろかったところを抜き出す。

《ある日ふと、自分のめがねはどうも読書に向かない、という気がしてきたんです。そこで本をよく読んだ人たちの写真を探して見ていった。すると作家も学者も、だいたい丸めがねをかけている(笑)。折口信夫とか柳田国男、ジャン=ポール・サルトルとか、ジョイスとか。(中略)それで私はね、同じものを十個買ったんです。十個ともレンズを入れてもらって、ずいぶんの値段でしたよ。》(184頁)
このような話は初めて聞いた。僕も丸めがねにしようか、とふと思った。

《瀧井孝作とか、志賀直哉でも尾崎一雄でもいいですが、こういう人たちは、現実の自分と、自分が書く人物を、かたく結び付けなければならないという律義さに駆られていたと思いますね。こうした私小説家はもとより、私小説家ではないと目されている人の作品にも、やはりかれ自身に似た人物が出てくると、それは書かれた自分としての「私」からハミ出さない場合が多い。》(261頁)
自分で作っておきながらそのイメージが自分と重なると格好悪いことがさせられなくなってしまうというのは重要な指摘だと思う。

《渡辺一夫さんから、日記を書くのは良いがある時期がたてば焼き棄てるように、といわれそうしています。》(291頁)
「今、一番用心していらっしゃることは?」の質問に、
《渡辺一夫さんの言葉「自分の思い込みの機械になる」こと。老年とは、まさにその方向に向けて下降することのようですから。》(307頁)
大江健三郎にとって、渡辺一夫は大きい存在なんだなあ。
しかし渡辺一夫は確かにすごいんじゃないかと思い、興味を持ってしまった。言ってることが確かにすごい。

さてさて、今後大江健三郎を読もうかどうしようかちょっと迷っているんだけれど、「「雨の木」を聴く女たち」などの短編を読んでいってもいいかな、と思った。一度読んだときに好きだったし。
そして、大江健三郎の影響を受けて、ということもあり、ドストエフスキーを読んでいこうと思っている。まずは「白痴」。
コメント

☆サガン「悲しみよこんにちは」感想 (臈たし工藤夕貴煙草吸いつ眺めつ)

2009年11月15日 22時06分50秒 | 文学
大河ドラマ「天地人」は次回が最終回。
大坂冬の陣と夏の陣が一回の放送で終わった。しかも真田幸村しか登場しなかった。ほかにもいろいろとあっただろうに。
司馬遼太郎の「城塞」(上・中・下)を僕はかなり時間をかけて読んでいていまだにまだ読み終えていないのだが、大坂冬の陣と夏の陣はこんなにあっけないものなのだなと思った。
徳川家康が「ごめんなさいと言えなかった子がごめんなさいと言えた」というふうなところに陥れられていて気の毒だった。私には上杉の義というものがどういうものか結局理解できないままだ。直江兼続のことはあまり好きになれない。

悲しみよこんにちは (新潮文庫)サガンの「悲しみよこんにちは」(新潮文庫)を読んだ。
たしか工藤夕貴だったと記憶しているのだけれど、彼女主演で「悲しみよこんにちは」をテレビドラマ化していたように思う。それで、ドラマの最後で少女だった工藤夕貴が誰かをはめて海で溺死するようにして、それを煙草を吸いながら眺めるというようなものだったような気がするが、この小説の主人公セシルは誰も殺さなかった。アンヌが事故で死んだ。
この小説の結末を勘違いしたままにならなくてよかった。
読みやすかったが、とくに面白いと思ったところもなく、ただ「ふーん」と思いました。
コメント