ダブログ宣言!

ひとりでするのがブログなら、
ふたりでするのがダブログ。

遠藤周作でたどる聖書

2016年02月28日 23時49分49秒 | 文学
山本七平の『小林秀雄の流儀』を読んでいるとドストエフスキーの話になり、それまでも本居宣長の話でもゴッホの話でもそうだったのだが、ますますキリスト教についての話が多くなる。
よく知らなかったのだが山本七平は聖書に造詣が深い。『聖書の常識』という本もある。
そのうちトルストイの『戦争と平和』やスタインベックの『怒りの葡萄』や『エデンの東』を読もうと思っていて、どうせキリスト教の話になるだろうからちょっと読んでみようかと思ったのだが、難しそうなのでもう少し簡単そうなところから始めることにする。

いつか遠藤周作の『イエスの生涯』を読んだときに読みやすくて解りやすいと思ったのでまずはこれを再読している。
それと橋爪大三郎と大澤真幸の『ふしぎなキリスト教』を読んでいる。この本はものすごく話題になっていた印象だけれど、まあまあ解りやすく書かれている。大澤真幸はまえがきで、自分で読みながら何度も笑ってしまったと書いているが、私はまだ笑っていない。一度くらいは笑いたいのだが、まだ笑っていない。半分くらい読んだ。
その他は、遠藤周作の『キリストの誕生』、『死海のほとり』を再読する予定。『沈黙』、『侍』、『深い河』まで手を伸ばせたらいいな、と考えている。
遠藤周作以外では、コルム・トビーンの『マリアが語り遺したこと』と若松英輔の『イエス伝』。
このくらいまで行けば安心して山本七平に行けると思うのだが、そのころには山本七平のことなど忘れているかもしれない。
トルストイとスタインベックは読みたい。
コメント

塩田明彦『映画術 その演出はなぜ心をつかむのか』

2016年02月27日 22時48分53秒 | 文学
塩田明彦『映画術 その演出はなぜ心をつかむのか』(イースト・プレス)を図書館で借りて読んだ。
このひとは映画監督らしい。
ところで、先週と今週のNHKの「岩井俊二のMOVIEラボ」はとてもおもしろかった。ゲストが是枝裕和であることもよかった。やはり興味のある監督の話を聞きたい。今週の放送を見て、岩井俊二が絶賛していた『太陽がいっぱい』を見ないといけないと思った。(岩井俊二はNHKで放送する映画の解説を放送前にしたら良いのではないかと思う。そうすれば毎日見てしまう。)
先週の話では、題材の映画は『ビフォア・サンセット』だったと思うが、ひとを動かして観客や出演者の視線を変えて行くという話をしていた。とても興味深かった。そのように考えて映画を作っているのだなと思った。
そしてそのように映画監督はひとの作品を見るのだなと思った。
塩田明彦の本でも「動線」の話があって、登場人物がどういう場所でどこまで動いてどこで止まって後戻りするかということで、何かを表すという話で、興味深く、成瀬巳喜男の『乱れる』が見たくなった。
「顔」の話にヒッチコックの『サイコ』が取り上げられ、ついこの前見たばかりなのでおもしろかった。
そのあとはあまり興味を惹かれなかったが、『男はつらいよ』で寅次郎は周りの人の感情とずれているのだ、という指摘があり、重要だなと思った。蓮實重彦がどこかで、ドラマの山場と登場人物の感情の山場が一致しているのがつまらないテレビドラマだ、というような発言をしていたことがあり、それを思い出した。

が、結局プロの映画監督の見方で映画を見ることがほんとうにいいことなのかどうかがどうしても疑問として残る。
そのように見ることで上手に語ることができるようになるかもしれないが、上手に語ることが出来る映画とおもしろい映画というのは違う気がする。しかも素人が何のために。
素人はおもしろい、おもしろくない、と勝手なことを言っていればいい、という小林秀雄の発言を思い出す。
コメント

レオ・バボータ『減らす技術』

2016年02月26日 22時41分09秒 | 文学
レオ・バボータ『減らす技術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を図書館で借りる。
この本の新装版を書店で見かけて興味を惹かれた。
しかしこの本に書かれていることを真面目にやっていると、私の場合やることが減らずに却って増えてしまいそうなのであまり参考にならないな、と思い、後半は読み飛ばす。

私はたぶんどちらかというとやることを減らすのは得意なほうだ。
しかし最近インターネットの時間をもっと減らしたいと思っている。無駄だと思う。しかしやってしまっている。
あと体重も減らしたい。今日計ったらとうとう80キロになっていた。これはいけない。5キロ減らしたい。
毎日早起きして走るというのが解決方法なんだろうなと思う。どちらの悩みも解消される。

会社での過ごし方について、メールの確認を一日二回にするとかは、あまり参考にならなかった。そんなに効率化する必要がない。
会社というのはゆっくり過ごしたいひとがゆっくり仕事をして残業する場所だと思っている。本気でやれば半日以下で終わるようなことを十時間以上かけてやっている、と確信している。
早く帰るわけにもいかないので私も八時間かけてやっている。たまには例外もあるが、会社員を二十年近くやって来て基本的に変わらない認識だ。
コメント

タチアナ・ド・ロネ『サラの鍵』

2016年02月26日 00時31分25秒 | 文学
タチアナ・ド・ロネ『サラの鍵』(新潮社)を読んだ。
重い内容の話は重たい文章で書くというのが、なんとなく常識というか、そのように思ってしまっていて”不謹慎”という言葉すら思い浮かべた。
ホロコーストについてこのように語ることができるのだなと思った。
前半は確かに重苦しく読むのが辛いくらいだったが、後半はもう何を読んでいるのかわからない感じだった。子供を産んで離婚して恋をする女の話だった。お葬式の最中に楽しんでいるような、そのような印象を受けた。
いや、べつにそれがいけないと言っているわけではないのだが、こんな小説もあるんだなと思った。

サラが弟を部屋から救い出すためにパリに戻ろうとするところも迷惑で強引だと思ったが、ジュリアがサラの息子に会いに行くところも強引だと思った。強引なことが多くて、お話を読んでいるのだなと思った。そこがホロコーストの話と合わないと感じた理由のひとつかもしれない。途中、ディケンズ? と思うことがあった。
原爆の話や、終戦の話、満州の話なんかで、ディケンズのように話が進んだらどうなるんだろうな、と思った。
深刻な物語で、出来事が歴史の事実であることを強調しながら、ディケンズみたいな話になったらどうすればいいのかわからない。
「こんなところで”ディケンズ”したら駄目でしょ!」と両手を顔の横でチョキにして「”ディケンズ”」と言うときに立てた指を曲げて、誰かが(私ではない)叱りつけるのではないかと思ってしまう。

しかし思えば村上春樹にしても水村美苗にしても、深刻な物語のなかでどれだけ”ディケンズ”するか、それを試しているのだと言える。
タチアナ・ド・ロネの場合ちょっと話が(私には)強引すぎて、”ディケンズ”しているのが目立ち過ぎただけなのかもしれない。
コメント

「退屈に堪へる練習」

2016年02月23日 22時19分31秒 | 文学
山本七平の『小林秀雄の流儀』(文春学藝ライブラリー)を読んでいたら、小林秀雄を読みたくなって引用されていた「偶像崇拝」(『小林秀雄全作品18』所収)を読む。
山本七平の読んだように(読んだことを確認するために)読んだだけだがおもしろかった。
絵を見るのは「退屈に堪える練習」である、というようなことは小林秀雄しか言わないなと思った。
言葉で解るとか解らないとか、そういうのとは別の仕方での認識があるということをすっかり忘れてしまっているし、想像すらできないので、すこし時間をかけて絵を見たり、音楽を聴いたりしてみたい。

『小林秀雄の流儀』はほんとうにおもしろい。
小林秀雄がいて、折口信夫がいて、山本七平がいるって、すばらしい世の中だったな。
コメント

『サラの鍵』で一息つく

2016年02月23日 00時10分06秒 | 文学
タチアナ・ド・ロネの『サラの鍵』を読んでいる。
フランスでフランス人が行ったユダヤ人強制収容の話で、あまり語られることはないが最近よく聞く話で、あまり語られることのない話を耳にすると興味を持つ。で、読んでみる。映画化されていて、映画の本を読んでいたときに興味を惹かれ、どうせならば本を読もうと思った。
現代のフランスに住む元アメリカ人女性の話と、第二次世界大戦中のフランスのユダヤ人少女の話が交互に語られる。
ユッシ・エーズラ・オールスンの『特捜部Q』は警察の状況と被害者の状況が交互に語られるがなんだか似ている。
警察の部分になるとほっとする感じも似ている。『サラの鍵』では強制収容の話がつらい。
最近こどもがひどい扱いを受ける話を読むのがほんとうに苦しい。自分に子供が出来るとこんなにも感覚が違うものかと思う。子供がいないときに、私にはひとの苦しみが全く分かっていなかったのではないかとさえ思う。

いまやっと少女がもうひとりの少女と逃げ出して、優しそうなおじいさんとおばあさんに助けてもらうところまで読んで一息つく。
読んでいると歴史の話なのにまるでディケンズを読んでいるような気分になる。そしてディケンズが読みたくなる。こんな感じの、主人公が苦しい状況にあって、出会いがあって救われる、みたいな話を読みたい。

物語では、少女は「サラ」とは呼ばれず少女と呼ばれるのだが、まだこの少女が生き残るのかどうかわからないまま物語は続く。
現代の話では、主人公の前にお祖母さんが”ヴェルディヴ”から生き残ったという男性が登場するが、このお祖母さんがサラかサラの連れの少女なのかもしれない。
コメント

中野ジェームズ修一『世界一やせる走り方』

2016年02月21日 23時31分11秒 | 文学
中野ジェームズ修一『世界一やせる走り方』(サンマーク出版)を図書館で借りて読んだ。
知っていることは当たり前、知らないことは嘘くさい、と思いながら読んでしまったので新たな驚きや発見や、参考になることはなかった。

あまり痩せようとは思っていないのだが、週末に三十分程度は近所をジョギングしている。
いつから始めたか忘れてしまったが、Tシャツと短パンで夏くらいから始めたので半年くらいは続いているかもしれない。
ほんとうは毎朝会社に行く前に早起きして走りたいとは思っているのだが、早起きが苦手なのと、いまは朝が暗いのでできていない。
が、できていないことを数え上げるのではなく、出来ていることを評価していきたい。半年くらいは週末走っている。
コメント

雑誌クロワッサンを読む

2016年02月21日 01時03分09秒 | 文学
マガジンハウスから出ている雑誌「クロワッサン」のちょっと前の号「料理上手の台所。」を図書館で借りてきて読んだ。
雰囲気のいい台所というのはいいものだなと思った。
作家山本一力の着ているホットケーキ12段重ねの絵が描かれたTシャツはどちらで購入したのだろうと思った。すごい。
ミランダ・ジュライの『あなたを選んでくれるもの』という本が紹介されていておもしろそうだった。
将来この本を読んだら、興味を持ったのはこの雑誌を読んだおかげだということを忘れないために記載しておく。
コメント

ヒッチコック監督『サイコ』

2016年02月21日 00時27分47秒 | 映画
そういえばシャワーシーンで人が殺されてからはどんな話なんだっけと気になり、録画していたヒッチコック監督『サイコ』を見た。
やっぱりおもしろく、やはりおそろしく、わくわくした。
犯人がわかっていてもおもしろいが、わかってなかったらどれだけおもしろかっただろうと思う。こんな映画はそれまでなかっただろうし。
たぶん初めて『シックス・センス』を見たときの感覚に近いのだろうな、と想像する。

最後のシーンで、アンソニー・パーキンスの顔が一瞬骸骨に重なった気がした。
ヒッチコックは細かい。
ヒッチコックと言えば、この映画にヒッチコックが出ていることを気づいていなかったか、忘れてしまっていたが、ちゃんと最初のほうの事務所の扉の向こうにいた。

やはり名作は名作だなと思った。
コメント

吉行淳之介『娼婦の部屋・不意の出来事』

2016年02月18日 22時11分25秒 | 文学
吉行淳之介『娼婦の部屋・不意の出来事』(新潮文庫)を読んだ。
安岡章太郎の『文士の友情 吉行淳之介の事など』がとてもおもしろかったので、読んで以来吉行淳之介のことが気になっていたのだが、本屋で見かけて買って読んでしまった。
はじめのほうのひとつふたつの短編は興味を持てて読めたが、だんだんと同じことの繰り返しで飽きてきた。
(たぶん敗戦によって)深く疲弊した主人公が娼婦たちとの交わりによって回復しようとする話、とひとくくりに出来そうな短編が続いた。
また、あまり話に現実味がないように思って興味が持てなかった。CGを多用した映画はものの手触りが感じられず、ふわふわした感じがして僕にはおもしろくないのだが、それと似たような感じ。
コメント