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ヘミングウェイ『海流のなかの島々(上)』

2015年01月30日 00時56分12秒 | 文学
ヘミングウェイ『海流のなかの島々(上)』(新潮文庫)を読んだ。
第一部「ビミニ」はたいへんおもしろくて、会話文が多く読みやすく、とても楽しんだのだが、第二部「キューバ」になって趣きが違う。これは同じ話なのだろうか。最初は全く違う話が始まったのだと思った。主人公がハドソンということで名前は同じなのだが、ぜんぜん違う。
「ビミニ」はハドソンの息子たちが遊びに来て、帰って行くという話。いつも一人で孤独に暮らしているので、やることが無くならないために新聞を読むのを後回しにしたりして過ごしている。息子たちがくると楽しいが、いつかは帰ってしまうので寂しい。そういう、夏休みが始まった途端に夏の終わりを考えてしまうような、切ない気持ちを描いていて、ユーミン好きにはたまらない。
最後は下の息子二人が母親とともに交通事故で死ぬ。
この時代の(と言ってとても曖昧な定義だが、まあこのくらいの時代の)ものには交通事故が多いのかな。ゴダールの『軽蔑』は最後、交通事故で終わらなかったっけ。カミュも交通事故で死んでいるし、このころは交通事故で死ぬことがとてもなにか、時代を象徴する死に方であったのかもしれない。ほんとうを言うと、いまのほうが交通事故で死ぬ人は多いのだろうけれど、物語の結末が交通事故死というのはあまり聞かない気がする。そういう物語にもし出会ったら、ちょっと時代錯誤的なものを感じるかもしれない。
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のだめ、アラン、ヘミングウェイ、三島

2015年01月27日 01時06分34秒 | 文学
二ノ宮知子の『のだめカンタービレ』は6巻まで読んだ。話はまったく忘れてしまっている。
うちには20巻までしか買っていないので残りもそのうち購入しないといけない。この機会に最後まで読んでしまおうと思う。
最近は子どもが家族三人で一緒に寝たがるので、いっしょにベッドに入るのだが、そうすると眠ってしまい、そのまま朝まで眠れれば良いのだけれどどうしても十二時前くらいに目が覚めてしまう。で、そのままは眠れず、ごちゃごちゃやって、また、眠ることになる。その起きている間に本を読む。

アランの『芸術論20講』は一日一講ずつ読んでいる。
アランの言うことは結構わかりにくいので、まとめて読むよりもこうやって少しずつ咀嚼しながら読む感じのほうが理解できる。芸術は自分の情念を対象にして、それを制御するものであるということが繰り返し述べられる。情念みたいなものがなければないで、芸術をする意味がないというようなことも言われる。
『のだめカンタービレ』を読むときはいつもアランを合わせて読んでいるような気がする。

その他ヘミングウェイの『海流のなかの島々』も通勤時に読んでいる。上巻がもうすぐ読み終わる。会話文が多くて読みやすい。通勤時に読むのに合っている。
ヘミングウェイ自身がモデルらしき画家が主人公で、離れて暮らしている三人の息子が自分のところに遊びに来たときのことが語られる。
あんまりたいした内容のある本ではなくて、次男が大きな魚を釣ろうと奮闘する場面を延々と描いていたり(異常に長い。長過ぎる)、何がやりたいんだろうと思うのだが、このようにあまり考えなくてよい、会話文の多い小説というのも、たまに無性に読みたくなる。谷崎潤一郎の『細雪』なんかもたまに読みたくなる。
海辺の街でお酒を飲んで釣りをして、というのも楽しい。

NHKの「日本人は何をめざしてきたのか」という番組の三島由紀夫の回を見て、やはり三島由紀夫が読みたくなった。三島由紀夫がおもしろいと思ったことはほとんどないのだが。
『鏡子の家』はいつか読みたいと思っている。
吉本隆明の回でも思ったが、この番組はインタビューを受けている人がすごくて、可能な限り全員に話を聞いている感じ。吉本隆明の回には、上野千鶴子も高橋源一郎も竹田青嗣も登場した。
加藤典洋はなぜ登場しないんだろうか。
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『のだめカンタービレ』再読中(2巻まで)

2015年01月22日 00時21分40秒 | 漫画
二ノ宮知子『のだめカンタービレ』を再読中。
二巻まで読んだ。非常におもしろい。
読みながら、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの5番と交響曲の7番をYouTubeで探して聴く。良い時代になった。以前読んだときもYouTubeはあったような気がするが、こんなふうに手軽に検索して聴くようなことはしなかった。まだ新しいものへの抵抗があったんだろう。
ここまで読んでおもしろかったのはこたつの話で、のだめが千秋のうちでいつのまにか妻のように振る舞っていて、その後ろ姿がなんかほんとうの妻のようで良かった。
実は図書館で『サイード音楽評論』という本も借りているのだが、すこし(だいぶ?)私には難しそうなので、文章には惹かれるものがあるのだが、読まずに返却してしまうことになりそう。残念。こういうものはものすごくクラシック音楽に詳しい方が読む本なのだろう。私のような初心者向けではない。
かといって、初心者向けのものだけを読んでいたらいつまでたっても初心者のままであるということも物事の一面ではあるのだろうけれど。
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ギャレス・マローン『クラシック音楽のチカラ ギャレス先生の特別授業』

2015年01月21日 00時38分11秒 | 文学
図書館で借りたギャレス・マローン『クラシック音楽のチカラ ギャレス先生の特別授業』(青土社)を読んだ。
いろいろなことが書いてあって、いろいろと忘れたのだが、おもしろい本だった。初心者にも入りやすい本だった。
「調性」についてなかなか理解できないのだが、この本を読んでも理解できなかった。理解しなくてもいいのではないかとも思った。ハ長調とかイ短調とか、いったいなんなんだろうか。なんとなく明るそうとか暗そうとかを長調とか短調で言い表しているのだろうか。音楽にはわからないことが多い。
モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を例にして、同じフレーズを何度も聴かせて記憶させるという話があって、そういうものかなるほどなと思った。プルースト的。『失われた時を求めて』のどこかで(どこだかわかりません)、音楽は最初に聴いたときが一番よくない、という話があったような気がする。音楽は記憶して、それをなぞるときに快感があるのだろう。
「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」といえば、昔CMでこの曲に乗せて、
〽︎とーにかーく、乗せましてー、とーことーんつくりましょー
みたいな歌を歌っていたものがあって、パンに何かを乗せて食べるというものだったと思うのだが、いまだに頭から離れない。
クラシック音楽にはこういう頭にこびりついて離れない替え歌が存在する。
ベートーヴェンの「運命」は「じゃじゃじゃじゃーん」が刷り込まれすぎていて聴く気がしない。「じゃじゃじゃじゃーん」を聴きたくない。
「第九」も恥ずかしいな。
いまはヴァイオリンの音が好きなのでそういうものをYouTubeでよく聴いている。チャイコフスキーやモーツァルトのヴァイオリン協奏曲をよく聴く。
図書館でCDを借りて聴きもするのだが、そろそろ購入するかもしれない。お金を払うと、一歩進んだ気がする。

クラシック音楽は、やはりコンサートに行くべきなのだろうなと思った。
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宮本輝『錦繍』

2015年01月17日 22時28分25秒 | 文学
宮本輝『錦繍』(新潮文庫)読了。
期待して読んだがモーツァルトについてもあまり登場せず期待はずれ。
「モーツァルト」という名前のモーツァルトの曲しか流さない喫茶店が登場し、火事で燃え、そのあと再建するのだが、肝心のモーツァルトについてはいまひとつ語られない。生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれない、というのがモーツァルトを聴いて登場人物の一人が感じること(そしてこの小説でもっとも重要な台詞となる)なのだが、どこか『ノルウェイの森』で聞いたような、あまり印象に残らない言葉だった。書かれた時代に読んでいればもっと印象も違うのかもしれない。
松本清張や遠藤周作などを読んでも感じる、古臭さと、決して自分にとってなにか重要なことは言われないだろうという安心感があった。
地の文が標準語で会話文が関西弁というのも、なんだかあわなかった。関西弁である必要はあるんだろうか。普段は標準語なのに、何かの機会に親近感を出すために急に関西弁になる女優、みたいな感じがした。
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宮本輝、岩井俊二

2015年01月16日 01時25分41秒 | 文学
音楽関係の小説を探していて青柳いづみこの『音楽と文学の対位法』という本を読んでいたら(この本は結局最初をぱらっと立ち読みしただけだが)、宮本輝の小説『錦繍』にモーツァルトのことが出てくるとわかり読んでいる。
宮本輝は読んだことがない。興味を持ったこともない。全く別の視点から本を探すとそれまで読まなかった本を読むことになる。
が、半分くらい読んだが、この小説はおもしろいのだろうか。古い気がする。
どのくらい古いって、私の感じでは松本清張くらい古い。
この場合の「古い」は実際の年代とはあまり関係なく(ちょっとは関係ある)、文章を読んで匂い立つ古くささなので、どうにも説明のしようがない。貧乏と貧乏臭いのとは違う、みたいな感じかな(違うか)。
松本清張は私にとって最も古くささを感じさせる作家なので、宮本輝は次に何かを読むことはもうないのかもしれない。こればっかりは趣味嗜好の問題なのでどうしようもない。

NHKの「岩井俊二のMOVIEラボ」はもちろん見ています。
第一回と第二回はSFと特撮だったのであんまり興味がなかったのだが、それでもおもしろい番組だった。特撮に大林宣彦が出てこないのが納得がいかない(もちろん冗談です)。
次回はラブストーリーなので楽しみだ。
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藤谷治『船に乗れ! Ⅲ』

2015年01月14日 22時21分36秒 | 文学
藤谷治『船に乗れ! Ⅲ』(ポプラ文庫ピュアフル)読了。
一巻は非常におもしろかったが、二巻と三巻にはそこまでの感動はなかった。きちんと書かれていて、すべての話に結末がついている。
金窪先生はやはり嘘くさい。こんなひといるかなあ。
南枝里子が幸せになっていてよかった。俺とつきあっていなかったから不幸になった、という話になっていない。「いまでも好き」と言わせなかったのも素晴らしい。
伊藤慧にはモデルがいるのだろうか。いるなら演奏を聴いてみたい。

わりと青春から遠く離れても、人生には成功か失敗しかなく、自分は失敗した、と思って生きている男性(女性のことはよくわからない)は多くいると思うのだが、その後悔を上手く描いていると思う。

音楽については、二巻三巻はあまり印象に残らなかった。それが小説の評価にも重なるのだろう。
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藤谷治『船に乗れ! Ⅱ』

2015年01月14日 00時15分37秒 | 文学
藤谷治『船に乗れ! Ⅱ』(ポプラ文庫ピュアフル)読了。
音楽の場面と哲学の場面があって、哲学の場面はあまり必要ないのではないかと思っていたが、この巻の最後への伏線だったのだろう。
金窪先生というのが嘘くさい(作り物っぽい)と思っていたが、ソクラテス的な最後(最期)はやはり嘘くさかった。ほかの登場人物は作者本人の周りに実際にいたのではないかという気がするが、この金窪先生にはあまりリアリティが感じられなかった。しかしこの作者が、主人公に読者から愛されない罪を負わせることで、話をどういう風に持っていこうとしているのかには興味を持った。
南枝里子は、だんだんと村上春樹の『ノルウェイの森』の直子のようになっていった。小説の最初で、『失われた時を求めて』と『ノルウェイの森』についての話があったのでそれなりに『ノルウェイの森』を意識はしているだろう。話は村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』に少し似ていた(しかしこれは村上の小説の方が発表はあと)。二巻の最後の方はいらいらした。南枝里子の態度にいらいらして読まされた。
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藤谷治『船に乗れ! Ⅰ』

2015年01月12日 00時35分59秒 | 文学
藤谷治『船に乗れ! Ⅰ』(ポプラ文庫ピュアフル)読了。三巻ある小説の一冊目。
とてもおもしろい。
楽器を演奏したことはないのだけれど、こんな感じかというのがよくわかる。
楽器はひとりひとりで練習してきて、合奏は最後にみんなが集まって指揮者の棒の振るタイミングに合わせて演奏するだけ、だから指揮者の役割というのも何のためにいるのやら、何で威張っているのやらよくわからない、というのが正直なところなのだが、本を読んでみてそうではなさそうだということがわかった。別の楽器の演奏者とあわせるというのはぜんぜんちがって、難しいものらしい。
主人公はピアノ・トリオ(ピアノを三台並べて演奏するわけではなくて、ピアノとヴァイオリンとチェロ)を好きな女の子と先生と組んで練習するのだが、その練習風景はとても上手く書けていて、演奏中はこのような感じなのだろうということがよくわかる。
協奏曲はオーケストラとソリストの戦いというような言葉もあり、納得がいった。
はじめの方のオーケストラの練習で、新しく言われたことができるようになると前言われたことができなくなっている、と指揮者の先生に叱られる場面があったが、このようなことはテニスをやっていてよくあり、私は大人でスポーツクラブに通っていてお金を払って練習しているのでコーチに叱られることはないのだが、楽器の練習もスポーツもいっしょだなと思った。
二巻は彼女とオペラ「魔笛」を見に行く場面から始まる。
ついこの前「魔笛」の絵本を読んだばかりなのでいい予習になった。
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バーネット『小公女』

2015年01月10日 02時38分36秒 | 文学
バーネット『小公女』(新潮文庫)読了。
『秘密の花園』がとてもおもしろかったので、同じ作者のこの本もおもしろいのだろうと期待し、新訳が出たので読んでみた。
おもしろかった。
物語を読んで、主人公と一緒に悲しんだり、わくわくしたり、つらかったり、喜んだり、というのは素晴らしいことだと思った。ほんとうに堪能しました。
最近読んだ本ではディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』に印象が似ているが、あちらは長いので手短かにわくわくしたければこちらの方が良い。でも物語というのは読んでいると長く続いてほしいとも思ってしまうんですよね。
屋根裏部屋でアーメンガードの持って来たお菓子を食べようとしたらミス・ミンチンに見つかって、でもそのあとにもっと幸せなことが待っているという、あのあたりはほんとうにいい。
主人公のセーラは仏のような人なのかと思っていたら、案外骨のある感じの、ミス・ミンチンに立ち向かうタイプでそこが意外だった。
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