ダブログ宣言!

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☆生誕百年の作家たち

2009年03月30日 01時54分28秒 | 文学
敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人アメリカ人が第二次大戦後に書いた日本人論である、ベネディクトの「菊と刀」(光文社古典新訳文庫)とジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」(岩波書店)を交互に読んでいる。
「敗北を抱きしめて」の上巻を読んだ。
もうなんだかいろいろとすごいことがあったのだなあという感想しかない。
前半は「パンパン」の話が印象に残った。「パンパン」というのは米兵相手の娼婦のことです。
男の子が米兵に、女の子が「パンパン」に扮して、パンパンごっこをしている写真があって(ふたりが手をつないでいるのを見て、子供たちがくすくす笑っている写真)、なんかすごい時代だなあと思った。
後半は、マッカーサー信仰ともいうべき、手のひらを返したような、天皇からマッカーサーへの日本人の鞍替えが印象に残った。吉本隆明の本を読むとよく出てくる話ではあったのだが、ほんとうにすごいもんだなあと思った。
太宰治の話も出てきて、アメリカ人が太宰治について書いているのも初めて読んだし、文学史以外の本で太宰治が語られるのも初めて読むので新鮮だった。「斜陽」と「冬の花火」を読んでみたい。太宰治を読むときに、太宰らしさというようなものを読んでいたと思うのだけれど、で、それは時代に関係なくていまの時代でも通じるものだろうと勝手に思って読んでいたのだけれど、あの時代のあのときに「斜陽」を書いたと思って読んでみれば、また違った感じかもしれないと思う。

いま、大岡昇平、松本清張、そして太宰治と、なぜか生誕百年の作家たちに注目が集まる。
埴谷雄高にはいまのところ注目していないが、その日も近いかもしれない。
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☆ジョージ・クルーニー監督「グッドナイト&グッドラック」感想

2009年03月27日 17時39分20秒 | 映画
グッドナイト&グッドラック 通常版1945年から1952年の日本占領中に冷戦がはじまり、アメリカの方針が変わったという話に興味を持っていて、マッカーシズムが題材になっているジョージ・クルーニー監督・出演の映画「グッドナイト&グッドラック」を見る。
レンタルビデオ屋の帰りにコンビニでコーラと肉まんを買って食べながら見る。
ほんとうは映画館の雰囲気を出すためにポップコーンが欲しかったのだが、コンビニには売ってなかった。(ので、代わりになぜだか肉まん。)
正確にはよくわからないが、僕の記憶では「フォレスト・ガンプ」くらいから実際の過去の映像と新しく撮影した映像を混ぜ合わせて映画を作るということをやっていると思う。
この「グッドナイト&グッドラック」では、マッカーシー上院議員の役を俳優が演じるのではなく、当時の映像を使い、彼と対決するニュースキャスターのエド・マローは役者が演じている。
日本でもこのような手法で吉田茂物語とか昭和天皇物語とか、そのあたりの映画を作ってくれるなら、わたしはいまなら、特に今月中なら(ひまなので)確実に見る。
マッカーシズムについては思い出があって、大学の試験でマッカーシズムについて書けという問題が出たのだが、全く分からず、アメリカの赤狩りについて聞いたこともなく、マッカーサーの占領方法とかそんなことを書いたと思う。ひどいもんだ。
もっとマッカーシーにめちゃめちゃ反撃されるのかと思ったらそれほどでもなく、多少期待外れだった。日本の自主規制やタレコミ、疑心暗鬼はそんな生易しいもんじゃないぞ、とちょっと誇らしい気持ちになる。

それにしても探してはみるものの、なかなか見たい映画がない。
イッセー尾形が昭和天皇を演じた「太陽」とかブルーノ・ガンツがヒトラーを演じた「ヒトラー 最期の12日間」とか、そういうものばかりが気になる。
公開当時はいろいろと気になる映画もあったはずなのだが、いまとなってみれば特に見たい映画もなくなっている。
今日一時間ほどビデオ屋にいて、見てもいいかなと思ったのは、
「ONCE ダブリンの街角で」
「タロットカード殺人事件」
「プレステージ」
でした。
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☆司馬遼太郎「新史太閤記」下巻

2009年03月26日 15時59分38秒 | 文学
新史太閤記 (下巻) (新潮文庫)司馬遼太郎の「新史太閤記」の下巻をやっと読み終える。
もうわたしは太平洋戦争のころのことにしか興味がないので、秀吉と家康のことにあまり興味が持てなかった。
秀吉は戦う前にいろいろな調略(前準備)を行い、間違いなく勝てるようになってから実際に戦う。司馬遼太郎が何度も言うのでそれだけはよく分かった。
あと、ひとりで敵陣にすたすた歩いて行って、お話をして帰ってくる場面も何度も描かれた。相手は面喰って秀吉を殺せない、しかもそのやり方のせいで秀吉を信頼してしまう、のだそうだ。
それからひとを殺さないらしい。これは坂本竜馬といっしょだ。

長らく司馬遼太郎を読んできたがそろそろ飽きてきたような気もする。
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☆「戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く」感想

2009年03月26日 01時53分56秒 | 文学
戦争が遺したもの鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二の「戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く」(新曜社)を図書館で借りて読む。
ずっと読んでいたので疲れた。
丸山真男に興味を持った。
吉本隆明についての話が面白かった。
鶴見俊輔については、加藤典洋つながりでいくつか本を読んだことはあるのだが、あまり惹かれなかったので熱心な読者ではない。すごく好感は持てるのだが、ど真ん中に来るものがない。同じクラスになって仲良くなれそうだったけど、結局卒業まであまりしゃべらなかった人といった感じです。
上野千鶴子が意外とオトナだった。これは驚いた。
小熊英二の「<民主>と<愛国>」は、とても良い本なんだろうなあ。いやだなあ。
(なぜ嫌かというと、長いからです。駄目な本は読まなきゃいいだけなわけだからいくら長くても構わないが、良い本が長いのは困る。)

おもしろい本だったが、わたしの興味からは外れていた。もっと第二次大戦についてだけの本かと思っていた。
鶴見俊輔の生きてきた時代についてよく分かる。
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☆気分はもう終戦 (小熊英二「日本という国」感想)

2009年03月25日 13時18分50秒 | 文学
日本という国 (よりみちパン!セ)つい最近ある場所で、中村雅俊主演の「坊っちゃん」の映画をほんの少しだけ見る機会があったのだが、そこで表現されているのは明治的、夏目漱石的世界ではなく、70年代的、中村雅俊的青春だった。
ある過去の時代の物語を描こうとしても、結局表現されるのはいまの時代であるのだな、と思った。
確か中学生の時に、ドラマ「西部警察」の再放送をちらっと見て、もう明らかに逮捕できる容疑者に手錠をかけず河原で「バカヤロウ」と叫びながら数発殴る刑事に、「いまじゃあこんなドラマは問題だなあ」と思いながらチャンネルを変えた記憶がある。
意図せずに表現される時代の気分というものがある。
図書館で借りて小熊英二の「日本という国」(理論社)を読んだ。
明治と第二次大戦後のことが詳しく書かれていた。
明治の記述については思わなかったのだが、第二次大戦後についての記述で憲法九条について(その大切さについて)予想以上にページを割いていて、ああ時代なのかなあと思った。この本の書かれた2006年当時(ってまだ3年しか経ってないが)、憲法改正についてよく言われていた時期だったような気がする。
その、時代の空気に反対しようとする気持ちが強く感じられた。
中学生向きの本ということですぐに読めたが、僕は冷静な本が好きなので半藤一利の「昭和史」のほうが好きだった。
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☆クリント・イーストウッド監督「硫黄島からの手紙」

2009年03月24日 18時48分54秒 | 映画
近所の電気屋に電気髭剃り用の洗浄剤と、妻に頼まれた単三電池を買いに行く。
行くとテレビの前にちょっとした人だかりが出来ている。
WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は興味がないので全く見ていないのだが、そういえば休みで時間もあるのに今回は高校野球も見ていない。
最近、昭和史の本を読んだり第二次世界大戦の映画を見たりしているから、野球って気分にならないのかもしれない。
硫黄島からの手紙 (特製BOX付 初回限定版)家に帰って、数日前に途中まで見ていたクリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」を続きから見る。
で、いま見終える。
それにしても戦争はいかんなあ。
何がいかんって、日本兵のやっていることを見ていて、行われていることはいまの日本でも起きそうな、(いや)そのまんまいまの日本でもやってそうなことばかりで、熱い思いで冷静な判断を失って勝手に行動したり、部下に理不尽に威張ったりするというようなことは本当によくあることだと思うけれど、それが生きる死ぬにつながるってことがいかんなあ。
予想通り渡辺謙のことが少し好きになる。
どちらかといえば「世界の渡辺謙」と言いすぎているようでいかがなものかと思っていたんだけれど、好感の持てる役だった。
渡辺謙は最後に、おれの首を切れと無名の役者には命じておいて、その無名の役者が撃たれて死ぬと、そこにひょっこり現れた二宮和也には首を切ることを命じないで死んだら埋めてくれとだけ言ってピストルで自殺する。
そして二宮和也は最後まで生き残った。
ジャニーズは強いなあと感心した。手も汚さず決して死なない。
しかし、戦争映画はたくさん人が死ぬから疲れる。

この時代のものに最近興味があるので、何か読んでみようと検討中。
大岡昇平の「レイテ戦記」と大西巨人の「神聖喜劇」は小説では必読なのだろうと思うが、長いので躊躇してしまう(「レイテ戦記」の文庫はそれに加えて字が小さい)。
松本清張もいくつかノンフィクションを書いているようで気にはなるが、僕の清張への評価はものすごく、滅茶苦茶低いので読むかどうかわからない。
あと、鶴見俊輔「戦争が遺したもの」、小熊英二「日本という国」、ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」などが気になる。
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☆半藤一利「昭和史 戦後篇 1945-1989」感想

2009年03月23日 20時50分39秒 | 文学
昭和史 〈戦後篇〉 1945-1989半藤一利の「昭和史 戦後篇 1945-1989」(平凡社)を読んだ。
いろいろなことがよく分かった。
わたしたちがいろいろと、核にたいして嫌なイメージを持っていたり、アメリカに好意を持っていたり、北朝鮮に不気味なイメージを持っていたり、天皇制に複雑な気持ちを持っていたり、というようなことは、その時代の政治の時代状況によるものなのだなあと強く感じた。
太平洋戦争に負けたことは良かったとしか思えないが、「良かった」と思うことがもう現在の状況、教育によるものなので、それ以外の考え方がわたしにはできない。
映画「ワルキューレ」を見て思ったが、ヒトラーが自殺したことも良かったとしか思えない。
それがいけないと思っているわけではない。
それがいけないなんてことは言えない。
まるっきり白紙の上に物事を積んでいって正しいとか悪いとか言うことはできないわけで、もうすでに置かれた歴史状況のうえにしか、正しいとか悪いとかは言えないだろう。
歴史を勉強して最後に行きつくのはそのような、善悪の彼岸なんだろうなあ。で、そこで斜に構えるわけではなく、その与えられた状況のなかでの最善を探すことが大切だということも学べる。

歴史の勉強は、たのしい。
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☆映画「ワルキューレ」を見た

2009年03月23日 20時24分06秒 | 映画
会社を辞めるので、今日から月末まで有給休暇。
ひとりで映画を見に行く。
しかも見るものを決めずに出かける。
ひとりで映画を見ることはほとんどない。最近は映画館に行くこと自体が珍しい。「崖の上のポニョ」以来だと思う。
ひとりで映画館に行くのは「エイリアン4」以来だ。
ハワイ系センチメンタル映画(そんなジャンルがあるならば)「ホノカアボーイ」と迷って結局ヒトラー暗殺計画の「ワルキューレ」を見る。
「ホノカアボーイ」は「かもめ食堂」みたいな映画なのだろうと思って興味を持ったのだが、失恋でハワイに行くというあたりが
ついていけないかも
と思い、やめた。
もう何年も失恋をしていないので、失恋した大学生に感情移入できないと思います。
トム・クルーズの「ワルキューレ」は、ヒトラーの暗殺計画が失敗するという、実話をもとにした話だった。
ヒトラーがそっくりだった。
ほかのひとは普通なのに、ヒトラーだけは「そっくりに真似しました感」がありありと出ていて、不自然だった。ひとりだけ着ぐるみが混じって芝居している感じだった。

ワルキューレ作戦というのがどういう作戦なのかがいまいちよく分からなかった。
もっとミッションインポッシブルみたいなトムが見られるかと期待したが地味なトムだった。
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☆旅行から戻る

2009年03月22日 21時54分45秒 | 文学
二泊三日の温泉旅行から戻る。
食べすぎて恐らく太ったと思う。
それにしても、なんとか記念館とかなんとか文学博物館とか全国にあるけれど、どれもつまんないものだ。今回いくつか見て回ったがほんとうにくだらなかった。
旅館の料理はおいしかった。
カーナビはやはり使いにくい。自動車も自転車も走行禁止の商店街のなかを走らされそうになり冷や汗をかく。まだまだ駄目だ。
旅行中は、よく寝たはずなのにやはり眠い。

持っていった本はほとんど読めず。
これは仕方がない。
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☆「硫黄島からの手紙」配達中

2009年03月17日 22時51分19秒 | 映画
週末に旅行に行くので、電器店でデジカメを買う。そこでついでにカーナビも買う。
昨日はメガネを新調。
大散財を行っている。
私が買い物した後はぺんぺん草も生えない。
そんなことはないが、とにかくいろいろと買う。

「父親たちの星条旗」に続き、クリント・イーストウッドの「硫黄島からの手紙」を見ている。途中まで見た。
(映画をぶつ切りで見るのはよくないのかもしれないが、私にそのような常識は通用しない。)
「硫黄島からの手紙」は「父親たちの星条旗」よりもおもしろい。
こんな日本兵をこれまで見たことがない。
これは、外人が見たへんてこな日本人になっているというよりも、ほんとうは日本人はこんな感じだったのかも、こんな感じの人がもしかしたらいたのかもしれないと思わせる。僕はそのように思った。
旧日本軍のような(と形容されるべき、やかましくて規律を重んじる、嫌味な)日本人はいまでも存在するわけだから、逆に軟派な日本兵がかつて存在したとしても不思議ではない。
基本的に文学に残っている軍人の姿は、軍隊にはこんな嫌な奴が威張っていたという姿を文人が描いたものなのだろうから、そこが強調されて、そんな人ばっかりだったというふうな印象になっているように思う。
しかしまあ、たぶん、そんな人ばっかりでもない(おそらく)。
そういうことを思った。
この映画を最後まで見ると渡辺謙(栗林中将)のことが好きになるのだろうと思う。
しかし日本映画は声がちいせえなあ。(ま、この映画は日本映画みたいなものだろう。)
何いってるかよくわからん。そこが駄目だ。
渡辺謙と二宮和也と伊原剛志以外は何を言っているのかほんとにわからん。
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