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ダブログ宣言!

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黒木瞳のスーパーマリオ、錦戸亮のサムライ

2015年10月31日 01時53分39秒 | テレビ
この前見たNHKの「ミュージックポートレイト」でもっとも衝撃だったのは、黒木瞳が宝塚を辞めて映画女優になるために25歳で東京に来たのだが、半年間ずうっと「スーパーマリオブラザーズ」をやっていたという話だ。
イメージに合わない話は印象に残る。

テレビドラマを最近ほとんど見ないのだが、テレビを付けていて錦戸亮の侍姿を見て惹かれ、「サムライせんせい」の二回目を途中から最後まで見てしまった。
錦戸亮を見るのが好きなんだなと感じる。
多分、演技というか、顔の表情に引きつけられるものがあるのだと思う。
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ひどい風邪

2015年10月28日 22時32分21秒 | 文学
日曜日の夜くらいから熱が出て、月曜日は会社に行ったのだが、火曜日と水曜日(今日)は休む。
まだ熱がひかない。
たまにこのような、なかなか去らない風邪をひく。もう僕は風邪とともに生きていくしかないのだから、熱があることも常態と考えるべきなのではないかと思ってしまう。つらい。

加藤典洋の『戦後入門』(ちくま新書)というたいへん分厚い新書を読んでいる。
初めのほうで加藤がすぐに読めるはず、と書いてあるが、頭が痛いせいかなかなか進まない。いまは、第二次世界大戦のときの連合国対枢軸国という構図は戦後に刷り込まれたものではないかという話を読んでいる。なるほどそうかもしれない。

橋本治の『負けない力』(大和書房)を図書館で借りて読んでいたが、いつものこねくり回すような、括弧書き多様の橋本文体で頭が痛くなる。最後まで読めないかもしれない。

片岡義男の『短編を七つ、書いた順』(幻戯書房)も図書館で借りて、最初の短編とふたつめを少し読んだが、いったいこれがなんなのかわからず戸惑っていて、最後まで読むかどうかわからない。これは頭が痛いせいには出来ない。
片岡義男はひとりで遠くに行っているように思う。
文学にならないようにする、というような言葉を登場人物に言わせていて、たぶんその辺りに入り口があるように思い、そうであるならば面白いと思うが、たしかに文学にはなっていないかもしれないが、さてこれはなんだと問われても私にはなんだかわからない。
片岡義男はなんだか凄いのかもしれないな、といつも思う。

NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、お笑い芸人の岡村隆史が過去に出演したプロフェッショナルたち3人に話を聞きにいく回を見た。
りんご農家の木村秋則はこれまで顔は何度も写真で見たことはあるが話すのを初めて見た。
義歯を入れない理由を、つらいときを忘れないためというのには感動した。
確かにいろんなことを忘れてるひとを見ると悲しくなるよね、と思った。
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沢木耕太郎『銀の森へ』

2015年10月26日 10時49分29秒 | 文学
沢木耕太郎『銀の森へ』(朝日新聞出版)を図書館で借りて読んだ。
朝日新聞に連載された映画評の、1999年から2007年までの90篇をまとめたもので、『銀の街から』を読んだのでこちらも読んでみた。
僕がよく映画を見ていた時期に連載されていたものなので、見た映画、見たかった映画、最初だけ見てやめた映画、タイトルだけ知っている映画などあった。
見たくなった映画は『トランスアメリカ』と『カポーティ』くらい。DVDを持っている『花とアリス』と『コーラス』はもう一度見てみたくなった。
『ロスト・イン・トランスレーション』に対する拒否感は、僕にはよくわからなかった。舞台が日本であるということが、この映画の日本人の評価を分けるのだろう。
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金城一紀『映画篇』

2015年10月24日 01時27分37秒 | 文学
金城一紀『映画篇』(新潮文庫)を全部読んだ。
最後の「愛の泉 THREE COINS IN THE FOUNTAIN」はちょっと長く感じた。
お祖母さんは「映画」のことを「活動」とか「写真」とか言わなかったんだろうか、ということが少し気になった。しかし孫に説明するのだから映画のことを活動とは呼ばないか。
黒澤明の『八月の狂詩曲』を思い出した。
この短編集を全部読んでみると、最初の話がもっともおもしろかった、と思う。
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金城一紀「恋のためらい」「ペイルライダー」(『映画篇』所収)

2015年10月21日 22時31分29秒 | 文学
金城一紀の『映画篇』の「恋のためらい/フランキーとジョニー もしくは トゥルー・ロマンス Frankie & Jonny or TRUE ROMANCE」と「ペイルライダー PALE RIDER」を読んだ。
『トゥルー・ロマンス』と『ペイルライダー』はずっと昔に見たことがある。特に『トゥルー・ロマンス』は好きで何度か見た(あんまり憶えていないけれど、エルビス・プレスリーが出てくることととデニス・ホッパーが痛めつけられる場面が印象的だった)。しかしどちらの映画もタイトルに使われて、小説には登場しなかった。
「恋のためらい/フランキーとジョニー もしくは トゥルー・ロマンス」は語り手が思っていることをなかなか語らないこと、「ペイルライダー」は復讐シーンが印象に残った。
この連作短編集を読みながらずっと、村上龍のことが思い浮かぶ。
村上龍にも映画を題材にした短編集があったし、話がどことなく村上龍を思い出させる。
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金城一紀「ドラゴン怒りの鉄拳 精武門」(『映画篇』所収)

2015年10月20日 23時25分42秒 | 文学
昨日の続きで金城一紀の『映画篇』の二つ目の短編「ドラゴン怒りの鉄拳 精武門」を読んだ。
「太陽がいっぱい」のほうがおもしろかったが、こちらもまあまあだった。東大出身のおっさんが店長のレンタルビデオ屋《ヒルツ》は「太陽がいっぱい」の語り手が高校時代にバイトしていたが、「ドラゴン怒りの鉄拳」でも登場する。『ローマの休日』の上映会もどちらの話にも登場する。
そういう、連作短編集であることがわかる。
鳴海の映画のシーンが長いかな。

『太陽がいっぱい』も『ドラゴン怒りの鉄拳』も残念ながら見たことがない。
いまさらあまり見る気にならない。
こういうものは時機を逃すとなかなか見られない。
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金城一紀「太陽がいっぱい PLEIN SOLEIL」(『映画篇』所収)

2015年10月19日 23時42分26秒 | 文学
小説ではなくて映画の本として興味を持ち、金城一紀の『映画篇』(新潮文庫)をちょっと読んでみるが、とてもおもしろくて最初の「太陽がいっぱい PLEIN SOLEIL」を読み終える。
ひさしぶりにこのような切ない小説を読んでおもしろかった。坂口安吾の使い方とは違うかもしれないが、「文学のふるさと」を感じる。
小説や映画って、俺らを救いに来てくれるものなんだよね。最近どっちにも救われることがなかったからすっかり失念しておりました。
ありがとうございました。

欲を言えば最後がちょっと「あ、お話か」と思わせるものだったので、最後まで作家自身が自分の身辺のほんとの出来事を語っている感じだったらよかったかな。
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菊地成孔『ユングのサウンドトラック』

2015年10月19日 21時29分35秒 | 文学
菊地成孔『ユングのサウンドトラック 菊地成孔の映画と映画音楽の本』(イースト・プレス)を図書館で借りて読む。
最近河出文庫からこの本の「ディレクターズ・カット版」と称する文庫版が出て、それがきっかけでこの本のことを知ったのだが、僕の通っている図書館には文庫版はないし、買うほどの興味はなかったので単行本版を読んだ。
昨日も書いたように、読んで見たくなった映画はあまりないのだが、菊地成孔というひとの映画評には興味を持った。きちんと正直に感想が書いてあると思った。とくに映画評は、正直に書いているひとが少ないような気がするので(衒学的だったり商業主義的だったり蓮實重彦的だったり)、素直に正直に自分の言葉で書いてある人は貴重だ。
「いつでも脳内で撮影快調」という、菊地成孔の妄想映画について書かれた文章があって、「ついでに読んでみるか」というくらいの気持ちで読んでみたがおもしろかった。「21世紀の若大将」宮崎哲弥氏の敵役「青大将」をはんにゃの金田哲氏が演じるというところで大笑いしてしまった。どうして金田。
この本は字の大きさが、大きくなったり小さくなったりする(アーティスティックな雰囲気を心掛けた本ではよくある)が、このようにすると字の小さい文章は読まなくていい文章だと私などは勝手に解釈して読み飛ばしてしまう。それで扱いとしては正しいのだろうか。
なので最後の日記からの抜粋はぜんぜんきちんと読んでいない。文庫版ではなくなっていたので、やはり読まなくてもいいのだろう。
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続・映画の本

2015年10月18日 23時58分02秒 | 文学
上野千鶴子の『映画から見える世界』を図書館で借りて読んでいたがつまらないので途中やめ。
決まった字数で、出来るだけの情報を詰め込み、賢そうにまとめる、といった文章を続けて読んでいると「このひとは結局映画を紹介したいのか自分を紹介したいのかわからないな」と思った。
同じく借りてきていた菊地成孔の『ユングのサウンドトラック』をあんまり期待せずに読み始めたが、こちらはとてもおもしろかった。
松本人志の映画にも、ゴダールの映画にも興味はないのだが、読んでいるととてもおもしろい。恐れていた蓮實重彦臭も感じなかった。
松本人志の映画は見たことはないし、見ることもないだろうが、おもしろくなさそうだなと思った。評価されていない『しんぼる』もそうだし、評価されている『大日本人』もおもしろくなさそうだった。を無意識に描いてしまった映画で、そのことがタブーであるということが僕にはよくわからないのだが、見て確認するほどの興味は持てなかった。
ゴダールでは『アワーミュージック』に興味を持った。
《この作品の評判を聞いたり、ストーリーを読んだりして「なんだかちょっと面白そうな粗筋じゃないか。でもダマされないね。どうせ始まってしまえばいつものゴダール印なんだろ。まあ寝るよ」という人々は、80分後には体温が上昇し、頬が紅潮していることでしょう。》(126頁)
という文章にはとても興味を惹かれた。しかしそれでもやっぱり「ゴダール印」なんだろうと思ってしまって、見るのは躊躇われる。ゴダールへの疑惑は深い。
ゴダールが音楽を唐突に始めて唐突に終わらせるということがよくわかった。その、なにがいいのかよくわからない。
その他、ここまで読んだところまでで見たくなった映画は『ラースと、その彼女』だ。この映画は沢木耕太郎の『銀の街から』でも取り上げられていて少し面白そうと思ったのだった。
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有元葉子『有元葉子 うちのおつけもの』

2015年10月16日 21時04分30秒 | 文学
有元葉子『有元葉子 うちのおつけもの』(文化出版局)を図書館で借りて読む。
有元葉子がべつの著書でたくあんは簡単と書いていたから、やってみようかと思いこの本を借りてみたが、たくあんは私には無理と思った。
たくあんの材料のところに「たくあん用の干し大根 10kg(35本前後)」と書いてありひっくり返りそうになった。大根35本も買えないよ。おいしいのかもしれないが、無理です。たくあんはスーパーで買います。
ぬか漬けも梅干しも無理だな。ぬか漬けを毎日かき混ぜるという生活に少し憧れるが、自分の母親もやっていなかったようなことをなかなかする気がしない。やはり料理は(特に古風な日本料理は)、母親の影響が大きい。おそらく母親がぬか漬けを毎日かき混ぜる姿を見て育っていたら、そんなに抵抗感はないのだろう。
冷蔵庫でバットを使って簡単に出来そうな、塩漬けは作ってみようと思った。キャベツや白菜が余ったら今度作ってみる。
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