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ライアン・ジョンソン監督『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』

2019年12月30日 23時56分56秒 | 映画
ライアン・ジョンソン監督『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』を見た。
テレビ放送されたものを録画し、前作の『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』も見直し、続けて見た。
前作の最後にルーク・スカイウォーカー(マーク・ハミル)が登場し、今回は彼が結構登場しおもしろいのかと思ったら、ぜんぜんおもしろくなくて退屈した。少し腹が立った。
あまりよく知らない縁のない人が、偉いからという理由で挨拶をするような結婚式みたいなもので、言いたいこともないのに延々と長い話を聞かされるようなそんな感じだった。

最後にルーク・スカイウォーカーがカイロ・レンに斬られる場面があるが、あれなどは何でルーク・スカイウォーカーが微笑みながら斬られて消える、というようにしなかったのががわからない。オビ=ワンがダース・ベイダーに斬られる場面を引用するならそうすべきだろう。どうせそのあとルーク・スカイウォーカーを死なせるならその前に死なせても変わらないじゃないかと思った。
あそこしか見どころがない映画だったのにそうしないとは、監督は『スター・ウォーズ』を見たことがないのかもしれない。

もう見ない。
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ジョージ・エリオット『サイラス・マーナー』

2019年12月27日 21時57分02秒 | 文学
ジョージ・エリオットの『サイラス・マーナー』(光文社古典新訳文庫)はとってもおもしろかった。
ジョージ・エリオットが女性なのでサイラス・マーナーも女性なのだろうと何となく思っていたが、孤独な男性だった。
失望した孤独な男性(サイラス・マーナー)が、お金を貯めることだけが生きがいになり、家に貯金していたのだがそのお金が盗まれてまた失望する。
一方その金を盗んだ男は行方知れずになり、彼の兄は密かに結婚していた女性が死ぬ。母親を失った娘はサイラス・マーナーに育てられる。
話が結構スムーズに進み、飽きない。
最後はきちんと幸せに物語が終わるのも良い。

『ミドルマーチ』も読むべきだろうな。
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阿部和重とミシェル・ウエルベック

2019年12月22日 12時06分51秒 | 文学
雑誌「BRUTUS」の最新号の特集が「危険な読書2020」ということなので、やはり気になり立ち読みする。
阿部和重の『オーガ(ニ)ズム』は書店で真っ赤な本を見かけて、大江健三郎の『水死』を思い出した。でも手に取って読まなかったし、阿部和重を読んだことがないし、と思っていたが少し興味を持った。今度は手に取って重さくらいは量るかもしれない。
それからミシェル・ウエルベックは『服従』が評判になったときに気になったが、フランスの政治状況がよくわからないし、と思ってそれ以上の興味をもっていなかった。が、『地図と領土』というのがおもしろそうなので読むかもしれない。
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三島由紀夫『荒野より』

2019年12月22日 09時07分54秒 | 文学
三島由紀夫『荒野より』(中公文庫)を読んだ。

「荒野より」
三島由紀夫の自宅に青年が侵入してきた事件がおそらく実際にあり、それをもとにした小説。
青年は三島由紀夫の本を読んでそれによって酒を読んで酔ったのと同じような状態になり、そして彼は三島由紀夫の分身のような者でもあるというふうに考察が進む。

「時計」
トランプを時計の針の形に並べて、真ん中に置いたカードをめくってその出た数字の時計の針の位置に置きそこにあるカードをめくって、最後までカードがめくれたら願いが叶うというようなトランプのゲームを男がやっていて、そばで女が見ている。全部めくれたら結婚することになっていて、めくれてしまって男が狼狽する話。なのだろうか。
あまり意味がよく分からない話だった。

「仲間」
煙草を吸う少年とその父親の話で、壁掛を巻いて煙草にして吸う。
『この名作がわからない』という本で小池昌代がこの短篇を自分は好きで、加藤典洋も好きだったと言っていて、興味を持っていたが、私には理解できない。
加藤典洋は三島由紀夫についてのまとまった評論を残さなかった。残念。

「ナルシシズム論」
全体的に何を言っているのか分からない話だったが、男はこうで、女はこうだ、という話は今読むと古くさい感じがして読めない。
男はこうで、女はこうだ、と言っているようなおじさんの話が、他でまともなことを言っているわけがないという気もしてくる。

「現代文学の三方向」
安部公房『他人の顔』、大江健三郎『個人的な体験』、北杜夫『楡家の人びと』の感想。
ちょっと、何言ってるかわからない。
『楡家の人びと』は読んでみようかな。

「石原慎太郎『星と舵』について」
石原慎太郎の本を読んだことがない。読むこともないだろう。

(この間も読んだけど感想がない……)

「映画的肉体論」
ディンク・アン・ジッヒってなんだろうと思ったら物自体だそう。なんでドイツ語で書くのだろう。当時はこれで通じたのだろうか。
最初ちょっとおもしろいがだんだんおもしろくなくなる。市川崑の『雪之丞変化』に興味を持つ。

「私のきらいな人」
自分が谷崎潤一郎型で老年を迎えるか、永井荷風型で老年を迎えるかという話で始まる。結局老年自体を迎えられなかった。
気楽に自由に書けているようで、おもしろい。
よく思うのだが、三島由紀夫は理屈を言おうとして意味不明のことを言ってしまうし、おもしろいことを言おうとして詰まらないギャグを言ってしまう傾向がある。
これは自戒すべきことだ。

「テネシー・ウィリアムズのこと」
テネシー・ウィリアムズのことを結構良く知っていた、という話。

「オリンピック」
大河ドラマ『いだてん』を見ていたので昭和39年の東京オリンピックについてそれなりに詳しくなっている。
聖火ランナーの坂井君と言われると、あああの坂井君(井之脇海)ねと顔を思い浮かべることが出来る。
また女子バレーボールの大松監督(徳井義実)や河西選手(安藤サクラ)も思い浮かぶ。
閉会式での選手が入り乱れての登場も知っている。
そういえば今度の東京オリンピックの記録映画担当は河瀬直美に決まったということをぜんぜん知らなかった。是枝裕和か、市川崑好きの岩井俊二だったらもっと興味を持てただろう。
河瀬直美だったら、だいぶ個人的な映画になるのだろうか。

「実感的スポーツ論」
三島由紀夫が三十代からボデービルを始めたという話。「ボデービル」っていま書かないな。
「アドラーの劣価補償説」という言葉があり、当時もアドラーは少なくとも三島には読まれていたのだな、と思う。
《芸術家としてはむしろ、芸術の制作に必須な不健全な精神を強く深く保持するために、健全な肉体がいるのではないだろうか? 人間性の見るも忌わしい深部へ、深く、より深く井戸を掘り下げるために、鞏固な大理石の井戸側がいるのではなかろうか?》(232頁)
とは村上春樹も言いそうなことだ。

「アラビアン・ナイト」
戯曲。シンドバッドが主人公で、舞台になったとしてもぜんぜんおもしろくなさそうだった。

猪瀬直樹の「解説」
猪瀬直樹が解説を書いている。
「奔馬」に「ほんま」とルビを振っているが、「ほんば」でなく「ほんま」というのはホンマだろうか。手許にはないが画像では新潮文庫の表紙には「ほんば」と書かれてるように見える。小さいことが気になる。
やはり『鏡子の家』を読むべきかな、と思う。
猪瀬直樹はきちんと、本が当時どのくらい売れたかを数字で示してくれるので分かりやすい。後からだとなかなか分からないことだ。
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「いだてん」最終回

2019年12月16日 23時03分41秒 | テレビ
NHKの大河ドラマ「いだてん」の最終回を見た。
最初から最後まで見られて良かった。
ものすごく熱狂するほどはおもしろくはなかったけれど、昭和の歴史を振り返るには良いドラマだった。

来年の大河ドラマは見ないかもしれないなあ。
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「SONGS」尾崎豊

2019年12月15日 13時21分07秒 | テレビ
NHKの「SONGS」で尾崎豊の曲を若手の歌手が歌っていたが、秋山黄色という方の「シェリー」が良かった。
ものまねではなくて、尾崎豊の伝えたかったのはこういうことだろう、自分がそれを表現してみよう、という感じに聴こえた。
尾崎豊ってこうだったなと思った。
他の曲を歌うのを聴いたことがないので、いつもこんな歌い方をするのかもしれないけれど、とっても響く歌手だと思った。
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エーリッヒ・フロム『愛するということ 新訳版』

2019年12月15日 01時11分11秒 | 文学
エーリッヒ・フロム『愛するということ』(紀伊國屋書店)を読んだ。
必要なときに必要な本を読むということがあり、いまちょうど嘘とか不誠実に触れすぎていて、この本を読んで背筋を伸ばされるような気持ちになった。泥沼のようなものに触れていて、自分も泥沼のような気持ちになっていてはいけない。
たまにこういうことがあり、真面目に生きなければならないなと思い、夏目漱石やトルストイが読みたくなる。
確か岸見一郎のアドラーについての本に出てきて興味を持ったのだが、『愛するということ』はとても良い本だった。
特に考えさせられたのは最後のほうの次のような文章だった。

《教師は、たんなる知識の伝道者ではないし、知識の伝達が教師のおもな役割というのでもない。教師のつとめは、人間としてのあるべき姿を伝えることだ。》(174頁)

《どういうときに自分が客観的でないかについて敏感でなければならない。他人とその行動について自分が抱いているイメージ、すなわちナルシシズムによって歪められたイメージと、こちらの関心や要求や恐怖にかかわりなく存在している、その他人のありのままの姿とを、区別できるようにならなければならない。》(179頁)

《自分自身を「信じている」者だけが、他人にたいして誠実になれる。なぜなら、自分に信念をもっている者だけが、「自分は将来も現在と同じだろう、したがって自分が予想しているとおりに感じ、行動するだろう」という確信をもてるからだ。》(183頁)

エーリッヒ・フロムについては今後も読んでいく必要がある。
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向田邦子『父の詫び状』

2019年12月13日 21時21分46秒 | 文学
向田邦子『父の詫び状』(文春文庫)を読んだ。
向田邦子は有名で、その周辺の人々、黒柳徹子や樹木希林の話によく登場し何度か興味を持ったことはあるのだが本を読むのは初めてだ。ドラマもそんなに見たことはない。『阿修羅のごとく』と『あ・うん』くらいは見たことがある。
時代が少しずれているせいで、彼女が脚本を書いたドラマが熱心に見られていた時代に彼女のドラマを熱心に見る年齢ではなかったせいか、この本もそこまで好きにはならなかった。続けて彼女の本を読むこともないだろう。
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岸見一郎『アドラー 人生を生き抜く心理学』

2019年12月10日 00時10分49秒 | 文学
岸見一郎『アドラー 人生を生き抜く心理学』(NHKブックス)を読んだ。
アドラーの考えには考えさせられるものが多くあり、例えば
《教育における一番の問題は、子どもが自分には限界があると考えることから起こる》(59頁)
というようなところを読むと、上手く子どもを育てるのは難しいなと感じる。
そして、自分自身も上手く育てられなかったのかもしれない、と思う。自分には限界があるといつも感じている。
アドラー心理学は、フロイトと違って過去を固定的にとらえるのではなく、未来に向けて考えるものだというようなことが書かれて、「それは結構なことです」と思うのだが、いまだにちょっと、では具体的にどうすればよいのかが、実はよくわからない。
子育てについても、具体的にどのように、というところがちょっと分かっていない。
まず叱るな、叱る人は相手を自分と対等には見ていない、と言われるのだが、どうやったら叱らないでいられるのかが分からない。
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家族性高コレステロール血症

2019年12月05日 23時24分08秒 | テレビ
会社の産業医との面談があり、コレステロール値が高いので病院に行くことを勧められる。
若い頃からで、しかも家族も高いということで「家族性」かどうかを調べたほうが良いと言われる。
初めて会うのだが、賢そうでなかなか良さそうな先生だった。
こんな先生なら、毎年病院に行けと言われ続けてもいいな、と思った。一年に三十分くらい面談して私のコレステロールについての疑問をぶつけてみたい。なかなか病院に行くとこんなふうにゆっくり話はできないだろう。
たまたま今日の新聞のテレビ欄にNHKの「きょうの健康」という番組で「家族性高コレステロール血症」について取り上げられるというのを見て、録画した。
番組では、
・悪玉コレステロールが180mg/dL以上
・家族が若くして狭心症や心筋梗塞を起こしている
・アキレス腱が通常より太い
の三点を見分け方に挙げていた。
「悪玉コレステロールが180mg/dL以上」(LDLコレステロールを悪玉と呼び続けることがすでにおかしな気がするが)というのはもちろん該当。
「家族が若くして狭心症や心筋梗塞を起こしている」という「若くして」というところが微妙なので△。父は煙草も吸っていた。
「アキレス腱が通常より太い」というのは×だ。
ということで「家族性高コレステロール血症」ではないだろうと思った。LDLコレステロールがものすごく年々上昇しているわけでもないし。
もう普通にコレステロールが高いというだけではあまり誰も心配しなくなってしまって、病院にも行かないひとが多くなっているので、「家族性」ということをものすごく言い出したのかもしれないな、と思う。番組で言われるように、気付いていないひとが多い、実は結構たくさんいる、というのであれば心筋梗塞で死ぬひとは増えている(または昔から多くてそのかなりの人数が家族性高コレステロール血症の疑いがある)ということなのだろうか。そこが疑問だ。
今後も「家族性高コレステロール血症」に注目していきたい。

テレビは見始めると止まらないもので最近よく見てしまっている。
「報道ステーション」で「薬剤耐性菌」を取り上げていて最後に、抗生物質はもらったら医者に言われた通りきちんと呑み切りましょう、と言っていた。
よくわからないけれど、私の感覚としては「そもそも呑まないようにしましょう」というのが最初に言われるべきことだと思うが、違うのだろうか。

小泉進次郎は「桜を見る会」について訊かれて、何も言えなかった。
ここで言えずにこのひとは何の役割をするひとだろうか。田中眞紀子なら何か言えてたろうなあ。
今後彼が何を偉そうに言おうが、「あのときに何も言えなかったひと」と思うことだろう。
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