ダブログ宣言!

ひとりでするのがブログなら、
ふたりでするのがダブログ。

☆iPodなの。

2008年09月28日 00時57分56秒 | 文学
テレビでラーメンズの舞台「TEXT」を見る。
ラーメンズについては全く知らないのだが、おもしろかった。
あまりに同音異義語を繰り返されると気分が悪くなるということが僕としての発見だった。

今日は「iPod nano」を買った。音楽を再生する小道具です、という説明で合っているのだろうか。
知っている人はどこまでも知っているし、知らない人は何も知らない。それで何の支障もない、という傾向がますます顕著になっていて、いったい何をどのくらい説明しておけばいいのかわからない。
昔、庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読んだ時に、じゃなくて、その解説を読んだ時だったかもしれないけれど、電話が一般的ではない社会で小説に電話を登場させるならばまずは電話についての説明を施さなければならない、という話を聞いて、なるほどその通りだと納得したので、一般的でないと思われるものは一応の説明はしたいと思っております。
iPodって僕にとってはなかなか一般にはならないような気がする。
デジタル機器に関してはいつまでも一般的じゃないのではなかろうかと思ってしまう傾向にある。「マウスのダブルクリック」ってもう普通に使ってもいい言葉なのだろうか。「ネズミ型入力装置の二度押し」って言わなくても平気だろうか(というのは冗談だけど)。
その代わり小林秀雄やヘーゲルやベルクソンは一般知名度からすればiPodよりも低いのかもしれないが、説明なしで書いているわけです。

ソニー製の似たような商品を持っていたのだが容量が小さくて茂木健一郎の講演を入れたらいっぱいになってしまうし、なぜだか再生できないファイルがあるので、今回は8ギガのオレンジ色のiPodを買った。
慣れないので操作がしにくく感じる。
しかしたくさん入るのがよい。
茂木健一郎と古今亭志ん生とベートーベンとモーツァルトとユーミンなどを入れた。それでもまだ4分の1ほどしか入っていない。
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☆英語

2008年09月27日 02時18分52秒 | 文学
最近資格試験勉強をしているせいで、英語の勉強がしたくなっている。
こういうことはよくある。
何かをやっていると他のことがやりたくなってくる。
逆に何もしてないときには何かをしたくはならない。何もしたくない。
例えば、ブログをしばらく書かなければ、そのまま書かなくなると思うのだが、ちょっと書くと続けて書きたくなる。
試験が終わったら英語を勉強しよう。

以前も英語の勉強をしていたことがあり、そのときは酒井邦秀の「快読100万語! ペーパーバックへの道」(ちくま学芸文庫)を読んだからだった。
この本は、簡単な英語の本を辞書なしで読むことから始めて少しずつ本を難しくしていけば英語が読めるようになるという本だった。
「忍者ハットリくん」のアニメを子供のころ見て、跳躍力をつけるために忍者は毎日苗木を飛び越えて、苗木の成長とともに高く跳べるようになるという話を知ったのだが(藤子不二雄の創作だと思いますが)、それと同じ理屈だと思い納得した。
これならできると思って、英語の本を読むのと、英語を聞いてそのままを繰り返すシャドーイングをしばらくやっていたんだけど、そのうちやめてしまった。
英語で小説が読めたらいいな、というのと、字幕なしで映画が見られたらいいな、ということでやっていたのだが。(外国人と会話がしたいと思うことはほとんどない。)
やはり英語の勉強それ自体が楽しいというところまで行かないと駄目なんだろうな。
お祈りは何か現実的に叶えたい想いがあると続かなくて、お祈り自体に喜びを見出さないと駄目なのです(って知りませんけど)。

しかし、インターネットを見ると、英語が苦手だと思って英語を勉強している人はかなりいるようだけれど、勉強を続けて英語が出来るようになった人というのはどのくらいいるのだろうか。
いつか「私はできるようになった。もう勉強はしなくてよい。」という地点に立てるのだろうか。そんな地点が存在するのだろうか。
仕事で言えば、俺はプロだって思ったときがいつかあったように思う。少なくとも今現在、自分のことを素人だとは思っていない。
そんなふうなことがあるのだろうか。
もう苦手じゃないって思うときがくるのかなあ。やってみないとわかんないことだな。

英語についてもう少し書くと、高校時代に僕は「受験英語」を勉強してるんだと公言してました。
つまり発音、会話術など一切お構いなしの、テストで点数を取るためだけの割り切った勉強。言ってみれば「生きた英語」ではなく「死んだ英語」。
授業でちゃんとした発音で読もうとしてる人は馬鹿じゃないかと思ってた。だって使えなくたって、点数さえ取れればいいんでしょ?
心理としては大江健三郎が「私は戦後民主主義者です」と言うのと同じだろうか。
ほんとうの(?)民主主義ではなく戦後民主主義、ほんとうの英語じゃなく受験英語。
そんな、ひねくれた高校生だったなあ。
英語については複雑な思いがある。

今日「出張!ハートで感じる英語塾」というNHK教育の英語番組で、大西泰斗というひとを知る。
英語で丁寧な表現や仮定法のときに過去形になるのは距離を表しているのだという説明にとても驚いた。距離感を時間的な隔たりで表現しているらしい。
時間の概念は空間の概念を応用しているとベルクソンが言っていて、なんでそんなことを考えたんだろうかと思っていたが、そういう言語を使っているからそういうことを考えるんだろうな、と思った。
ベルクソンはフランス人だけれど、確かフランス語でも仮定法は半過去だか大過去だか複合過去だかを使ってたような気がする。忘れたけど。
大西泰斗は要チェックだ。
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☆池谷裕二「進化しすぎた脳」感想

2008年09月26日 00時12分26秒 | 文学
進化しすぎた脳図書館で借りた池谷裕二の「進化しすぎた脳」(朝日出版社)を読んだ。
盲点の実験のところがおもしろかった。
右目を閉じて左目だけである点を見ていると、その左にある点が消える。つまり人間の目には見えていない部分というものがあるのだが、そこを補って見ているのだという話にとても驚いた。
それと扁桃体の話。
人間は「怖い」という感情を感じるまえに扁桃体で何かを感じているらしい。
ほんとうは言葉で言い表せる以上のものを人間は感じることができるのだろうな、と思った。

そういうところはおもしろかったのだが、薬の話や脳の中の動きの話などはあまり興味が持てなかった。
「どうしてこうなるのか?」→「それはこうだからだ」という話の持って行き方を科学者だからかよくするのだが、どうもそこにいつも違和感を感じてしまった。
どうして人を殺したのか? という質問に何らかの答えがなされたとしても納得いかない感じと似ているというか、なんというか。
なんか麻雀で言うところの「後付け」みたいな感じがしてしまう。
僕が、推理小説の犯人探しに興味が持てないのもたぶん似たようなことだ。

脳については立花隆の「臨死体験」を読んだときに最初に興味を持ったのだが、最近僕には脳科学者ブームがきている。
今日も茂木健一郎の講演を聞いていた。聞いていたが途中で眠っていた。たいへん良い講演だ。

試験勉強もまあしております。
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☆池谷裕二「記憶力を強くする」感想

2008年09月22日 01時59分14秒 | 文学
記憶力を強くする―最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方 (ブルーバックス)まさしく泥縄という感じなのだが、勉強しないといけないという段階になって勉強の仕方についての本を読む。
池谷裕二の「記憶力を強くする 最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方」(ブルーバックス)を読んだ。
科学的な説明って「特命リサーチ200X」や「あるある大事典」等のテレビ番組を見てた頃からあまり興味が持てなくて、説明なんてなんとでもつくだろうと考えているのだが、この本はまあまあ読めた。
読んで分かったのは、
・年をとって記憶力が落ちるというのは嘘だということ。
・θ(シータ)波を出して勉強すること。
・丸暗記ではなくて論理や理屈で覚える。
・人に説明したほうが記憶に残ること。
・一度に多くを覚えるよりも短い時間で毎日の方がよい。なぜなら睡眠中に記憶は整理されるから。

θ波というのは興味を持った時に出る脳波らしい。つまり興味をもって勉強しろってこと。
当たり前のことを言われただけという感じはするのだが、この人の脳科学者という面よりも東大合格者という面を信用しよう。何事もプロのいうことは聞いとくべきだ。
「年をとっても記憶力は落ちない。俺はいま勉強していることについてものすごく知りたい。」と考えて勉強しよう。最近自己暗示ということがもの凄く大切だと感じる。
「おれはキレやすいんだ」と自分でも言って、「あのひとはキレたら何をするかわかんないよ」と周りの人間(とくに女房)にも言わせている人は、たぶん本当にキレやすい。それはなぜかと言うとそうやって暗示にかけているからだ。
人間の情念は、僕のイメージだと凧みたいなもので、風に吹かれて飛んでどこに行くかわかんないんだけど、しかしきちんと糸もついててある程度の操作はできるものだ。
だから、僕はθ波を出すように自分を導きながら勉強していきたいと思います。
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☆養老孟司「養老訓」感想

2008年09月21日 16時39分02秒 | 文学
勉強していたが腕がだるいので少し休憩。
クロールのやりすぎだ。

養老訓図書館で借りた養老孟司の「養老訓」(新潮社)を読んだ。
養老孟司の本はもう読まなくていいやと毎回思う。
おもしろくないというわけでもなくて、毎度のNHKと全共闘とホリエモンの話も「ずっとおんなじこと言ってるな」と笑えるのだが、しかし読んで何か得るものがあったかと言うと、ない。
まあ当たり前、というか穏当なことしか言ってないなという気がして、どうにも物足りなさが残る。もっと毒のあるものの方がいい。
おそらく僕よりももっと常識的な方向きなんだろう。

何箇所か「妻がいなければこうしている」という発言があり、やっぱり非常識な人間は結婚して奥さんがいて重しになっていることが正解なんだろうなと思った。
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☆竹田青嗣「人間的自由の条件」感想

2008年09月21日 02時45分56秒 | 文学
人間的自由の条件―ヘーゲルとポストモダン思想長らく読んでいた竹田青嗣の「人間的自由の条件 ヘーゲルとポストモダン思想」(講談社)を読了。
最近の竹田青嗣の本はなんかすごい。ぜんぶ分かってるんだろうなこのひとには、と安心して読める。なんでも読んでるし。
しかしなかなか大変な本だった。疲れた。
ルソーの「社会契約論」は読むべきなんだろうな。
僕はこれまでずっと「アルセチュール」だと思っていたのだが、「アルチュセール」だったんだな。読んだことないけど。

自分が正しくて周りの人間の言っていることがすべて間違っていると思えるとき、そういうときはかなりの確率でその正しいと思っている人が間違っている。
というか、そんなような正しさはぜんぜん正しくない。
大小さまざまなイデオロギーの対立というのはあって、どちらが正しいかという問題の立て方では解決しない。どちらも自分が正しいと言い張る。
そこで、正しいことなんて何にもないんだよとポストモダン思想的に逃げないで、どれだけ一般人の幸福を掬っているかに正当性の根拠があり、そこから判断すべきだ、という本だった。
(難しい本の常として上手くまとめられない。)

さらっと書いてあるけど凄いと思ったのは、
《本質的な「悪」は、衝動が自然性として理性に打ち克つところでは生じない。そこでは弱さがあるだけだ。「悪」が本質的な「悪」となるのは、それが「自己意識」の中での「正当化」を通して現われる場合である。》(320ページ)
というところ。

なんだかもっときちんと世の中の出来事を見ないといけないなと思わされた本でした。
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☆「BSマンガ夜話」を見た

2008年09月20日 22時48分38秒 | 漫画
今日は1キロ泳いだ。
ちょっと疲れた。

録画していたNHKの「BSマンガ夜話」を見た。
今回は、
「ハチワンダイバー」
「蒼天航路」
「よつばと!」
で、どれも読んだことはないのだが、「蒼天航路」が最もおもしろそうだった。しかし、長い。
僕と同年代の男子はだいたいにおいて「三国志」が好きなのだが、僕はこれまでまったく興味を持ったことがない。歴史に興味を持ったことがなかったせいだと思う。
吉川英治の「三国志」でもそのうち読んでみよう。
「よつばと!」は番組で好評だったので、これまでの経験からおもしろくないんだろうな、と思ったのだが、公式ホームページで試し読みするとなかなかおもしろかった。そのうち機会があれば読んでもいい。
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☆上手い講演には何かがある

2008年09月17日 01時21分46秒 | 文学
「おくりびと」という滝田洋二郎監督、本木雅弘主演の映画があり、伊丹十三の映画「お葬式」を見て以来、冠婚葬祭のなかでは葬式が最も好きで、シブがき隊のなかではモックンがいちばん好きな私としては注目していたのだが、テレビでこの映画の予告を見て、見る気が失せてしまった。
客の興味を失わせるというのは予告編としてどうなんだろうと思うのだが、きちんと本編の内容を伝えるという面ではよくできた予告編だ。
おそらくモックンの妻、または恋人役と思われる広末涼子が一度嫌な人になり、そして最後にモックンと和解する話なんだろうな、そしてみんなよく泣くなあ、というのが予告編を見た主な感想なのだが、その二点だけで見ない理由としては充分だ。
ドラマにはよく、倒されるために登場する敵が出てくるのだが、そして予定通り倒されてしまうのだが、そういうのなんか退屈なんだよなあ。(と言いながらも「篤姫」を楽しんで見ているのですが。)
見るとしてもテレビ放送時でいいかな。

暇があると(ないんだけど)、ついつい聴いてしまう茂木健一郎の講演(今回はこれ)。
掲示板での意見は、匿名ということで特定の個人の意見ではなくてその場の意見ということになってしまう、という考えには唸った。う~ん。
茂木健一郎の本は一冊だけ読んだことがあり、あまり惹かれなかったのでそれからは読んでいないのだが、講演はいい。
小林秀雄の講演を聞いて以来、上手い講演には何かがあると思っている。
感じているのは、言っている内容よりも、その躍動感なんじゃないかな。
そんなふうに思っている。
子供のころは、話を聞かされると言えば校長先生のお話で、始まった瞬間に「早く終わらないかな」と考えていたような子供で、その延長でいまでも人前で話をするのも人前でしている話を聞くのも嫌いなのだが、しばらく聴いてみたいと思っている。
ただ茂木健一郎のブログには検索機能がないようで、講演をどうやって探していいのか分からなかったので、ちょっと内田樹のブログを参考にして作ってみました。
クオリア日記音声ファイル検索
興味のある方はどうぞ。
他にもどこかに講演音声ファイルはないかなあ。
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☆勉強経過

2008年09月15日 17時36分24秒 | 勉強
資格試験。
午前の過去問題をやる。
66点だった。
70点まであともう少し。

試験が終わるまで新たに本を読まないと言っていたのに、モンゴメリーの「赤毛のアン」を読んでいることについて。
とくに弁解はございません。
そういうものです。
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☆アン

2008年09月15日 12時30分18秒 | 文学
昨日は850メートル泳いだ。1キロまでもう少し。
最初よりは疲れなくなった。

茂木健一郎の「赤毛のアン」についての講演(茂木健一郎クオリア日記)を聞いていて、「赤毛のアン」が読みたくなり本屋で買ってくる。
前回読んだのは講談社版で読んだのだが、今回は新潮文庫。
マシュウが「そうさな」と言っているのがよろしい。
講談社版は「その、なんだ」だった。アニメの雰囲気と違うのでずっと違和感を感じていた。
アンとマリラのしゃべり方も新潮文庫の方がアニメに近いように思う。
前回読んだ時は新潮文庫版が全訳でないらしいということで講談社版を読んだのだが、最近改定されて新潮文庫版も全訳になったようだ。
アンがレイチェル・リンドの家に謝りに行くところまで読んだ。
ずっと謝りに行くのを拒んでいたアンだが、マシュウのためなら謝りに行けると言う。そういうところがいい。

12月に講談社文庫から出るという茂木健一郎の「赤毛のアン」についての本も楽しみだ。
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