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☆村上春樹「1Q84」読了

2010年04月30日 21時27分12秒 | 文学
村上春樹の「1Q84」をBOOK3をようやく読み終えた。疲れた。長い。
BOOK3は主要な三人の人物が三人とも部屋から出ない状態が続き、BOOK1やBOOK2と違いあまり動きがない。しかし後半はなかなか盛り上がった。暴力を描くと話が盛り上がる。
青豆の「失われた時を求めて」の読書は「ゲルマントの方」までで終わりだった。
言うまでもなく(江藤淳の真似です。本心ではありません。)プルーストの「失われた時を求めて」は、「スワン家の方へ」「花咲く乙女たちのかげに」「ゲルマントの方」「ソドムとゴモラ」「囚われの女」「逃げ去る女」「見出された時」と続くので、七巻のうちの三巻までしか読んでいない。なんでこのようなことをしたのだろうか。意図が酌めない。
僕の記憶によれば、村上春樹の小説で登場人物が小説を読み始めて、最後まで読み終えなかったことはない。「ノルウェイの森」では、「魔の山」も「八月の光」も「車輪の下」もたしか読み終えた。「海辺のカフカ」では、確か谷崎潤一郎訳の「源氏物語」を読んでいたと思うが、読み終えなかったとは聞いていない。
せっかくタマルが用意してくれたのに、しかも「空気さなぎ」は何度も(10回?)読んでいるのに、青豆はなぜプルーストは読まないのだろうか。タマルはマドレーヌの差し入れまでしてくれようとしていたのに。
村上春樹の個人的なアレかなあ。
(個人的なアレってつまり個人的な恨みとかそういうことですが。)
個人的なアレと言えばNHKにも恨みがあるのかなあ。テレビがないって言っても信じてもらえなかったとかそういうことがあったのかもしれない。今回のNHKへの攻撃は尋常ではない。

天吾の書きかけの原稿がひどく大事に扱われるけれど、これはその原稿が「1Q84」というこの小説そのものであるというような、そんなことを表しているのだろう。
この長い小説三冊を最後まで読むと、数学の難しい問題がきれいに証明されたような、そんなような気分に、僕にはならないけれど(そんなに理解できません)、村上春樹にとっては「解けた!」という気分になったんだろうなあということはなんとなく想像できます。

世の中に起きる出来事は、基本的には良いことでも悪いことでもない、ということをリトル・ピープルということで言いたいのだろうなと思った。

全体的にわかったようなわからないような話で、しかしなんとなくわかったような気はしているのだが、看護婦の安達クミの再生する話が何が言いたいのかいちばんわからない話だった。
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☆「1Q84」のプルースト

2010年04月30日 00時04分59秒 | 文学
村上春樹「1Q84」はBOOK3の200頁あたり。
長い。
今回は本の引用が多い。村上春樹はこんなに引用の多い作家だったろうか。
「平家物語」やチェーホフの「サハリン島」や「マタイ受難曲」や内田百や「マクベス」から引用される。意図が分からない。
売れるものに宣伝を仕込んでおくという、出版業界の新たなコマーシャル戦略なのだろうか。
ただ単に執筆時点で村上春樹が読んでいる本を書きこんでいるような気もするのだけれど。
BOOK3になり青豆がプルーストの「失われた時を求めて」を読んでいるのだけれど、彼女がこの小説を最後まで読むのかどうかにもっとも関心がある。天吾に逢えるかどうかにはさほど興味がない。
青豆の読んでいる「失われた時を求めて」が全五冊と書かれてあり、いったい全体どこの出版社の誰の翻訳なのだろうかとものすごく気になっている。
ものすごく気になったので調べてみたら、筑摩書房の筑摩世界文学大系では五冊で出ているようだ。そうか、1984年の設定だものなあ。集英社の新訳はまだ出ていないんだよな。
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☆「1Q84」の対位法

2010年04月25日 21時21分25秒 | 文学
NHK教育「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」の四回目を見た。
対位法についてだった。
それぞれが独立した旋律だけれど、各断面で不協和音にならないように作曲する方法らしい。
話を聞いていて、いま最初から読み始めてBOOK2に入ったところの、村上春樹の「1Q84」のことを思った。
青豆と天吾の話が交互に語られるのは、右手と左手で独立した旋律を弾きながらもきちんと和音になっていて、右手で、あるテーマ(例えば”セックス”とか”少女の失踪”とか)を弾いたら左手でも同じテーマを弾くというようなことをやろうとしているのだろうなと思った。
そのような構造的な美しさを目指すことは「だから何?」という気がしないでもないし、「1Q84」がそのような構造を持っているから僕にとってものすごく感動的でおもしろい小説であるということもない(長すぎて少し疲れる)。
しかし、数学的な美しさを目指す小説はたぶん日本では珍しい。

坂本龍一の番組によって、バッハと対位法に興味を持った。
簡単に理解できる入門書がないか探している。
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☆キリスト教とは何か

2010年04月20日 23時50分50秒 | 文学
いま空前のキリスト教のマイブームで、雑誌「pen」の”キリスト教とは何か”特集号を買う。
しかし少し前に買った雑誌「考える人」の”はじめて読む聖書”特集と較べると厚さも内容も薄い。写真が多く、お手軽な感じ。
聖書の登場人物の関係図は便利だ。
キリスト教の音楽とキリスト教を扱った映画については載っていたが、僕が一番知りたい本については載っていなかった。そこも「考える人」との違いだ。

その「考える人」で知った、遠藤周作の「死海のほとり」を読んでいる。
イエスが奇跡を起こすひととしてではなく、奇跡を起こせないひととして、不幸なひとのそばにいて肩をたたいてくれるひととして描かれている。そうそう、奇跡で病気を治してくれる人よりもつらい時にいっしょにいてくれる人の方が実は必要なんだよなあ、と思った。負けを勝ちにしてくれる人よりも、負け試合を一緒に負けてくれる人こそ、いま求められているのかもしれない。

村上春樹の短編「中国行きのスロウ・ボート」を読んだ。
そんなに昔に読んだわけでもないのに、内容を全く覚えていないのは、「このような話」としてまとめられない話だからだろう。「このような話」としてまとめられる話も、実は内容を覚えているわけじゃなく、「このような話」という言葉(記号、符号)で記憶できているというだけなのかもしれない。
語り手の出会った3人の中国人についての話で、作りから、志賀直哉の「城の崎にて」を思い出した。それと最後の「友よ、中国はあまりにも遠い」から中野重治の詩(なんかそんなような詩があった気がするだけで実際はないのだが)と萩原朔太郎の「ふらんすはあまりに遠し」を思い出した。
今回この短編を読んだのは、「中国行きのスロウ・ボート」という曲(On A Slow Boat to China)のあることを知ったのがきっかけ。曲も聴いてみたが、小説との関連も特にわからず。
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☆試験が終わる。宿題が山積み。

2010年04月18日 20時09分29秒 | 文学
試験が終わる。
今日は丸一日試験でへとへとに疲れた。
しばらく勉強はいいや。
読んでなくて山になっている本を少しずつ読んでいこう。
遠藤周作の「死海のほとり」は予想していたよりも面白い。いわゆる「普通におもしろい」というやつ。昔「深い河」を読んだときはぜんぜん深くなくて「浅い川だな」、とまでは思わなかったが、あんまり関心もしなかった。「死海のほとり」は、現代の、遠藤周作っぽい作家がエルサレムを旅行する話と、イエスの時代の話が交互に描かれる。この形式を使うのは日本では村上春樹だけかと思ったら、遠藤周作もやるのだな。(手塚治虫も「火の鳥」で使ってたかも。)
聖書は「出エジプト記」を読まないといけない。
それを読んで途中まで読んでいる色川武大の「私の旧約聖書」を読む。この本は旧約聖書の話をなぞっているだけでそんなに面白いとは思えないが、読みやすいからよい。
今日から始まるドラマで「新参者」が気になっている。それ以外に気になるものはない。
遠藤周作を読んでいて思ったのだけれど、信仰に悩む日本のインテリの姿ってドラマで見たことがないので見てみたい気がする。やってみてほしい。
あとはドラッカーは「傍観者の時代」が途中止めになってる。
ダン・ブラウンの「ロスト・シンボル」がある。
そして村上春樹の「1Q84」がある。
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☆レヴィナス「倫理と無限 フィリップ・ネモとの対話」

2010年04月17日 16時31分28秒 | 文学
エマニュエル・レヴィナス「倫理と無限 フィリップ・ネモとの対話」(ちくま学芸文庫)を読んだ。
たいへん難しくて、ほとんど何を言っているのか理解できなかった。この本は読みやすくてレヴィナス入門に最適という評価をどこかで読んで、期待していたのだけれど、僕が最近読んだ本の中でも(最近はあまり難しい本を読んでいないせいかもしれないけれど)、いちばん難しい。
大学院生が大学院生に向けて書いたような日本語で、その翻訳のせいもあるのかもしれないが、レヴィナスの言っていることを普通に日本語にするとこのような日本語になるのかもしれない。
もしかしたらレヴィナスは僕がこれまで考えたことのないようなことを考えたことのないような言い方で語っているのかもしれない。その可能性も大いにある。いや、たぶんそうに違いない。
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☆のど、創世記、1Q84、三田佳子

2010年04月17日 00時34分53秒 | 文学
今週は朝起きるとのどが痛く、昼間仕事をしている間はなんともなくて、夕方あたりになると再びのどが痛くなるという毎日だった。
試験勉強はできていない。日曜日なんだけど。
明日一日でがんばろう。

聖書の「創世記」の部分を読んだ。
人妻に言い寄られ、「私にはその気はありません」と断ると、何さって言うんで人妻が自分の服をびりびり破いて、この男に犯されたと言う場面が強烈だった(実際の内容とは多少異なるかもしれない。そんな場面があった)。
ヨセフが兄弟たちの策略で売られるのも印象的なシーンだった。
ヨセフの父ヤコブはイスラエルと呼ばれる。「創世記」はヤコブの死で終わる。

妻が村上春樹の「1Q84 BOOK3」を買ってくる。
そのうち読もう。BOOK1からもう一度読もう。
目次を見ると、BOOK1とBOOK2はふたりの話が交互に語られる形式だったのだが、BOOK3は三人の話が語られるようだ。
しかしその前にダン・ブラウンの「ロスト・シンボル」も読んでいない。
試験が終わったら、ベストセラー本づくしだ。

「中居正広の金曜日のスマたちへ」で三田佳子を見た。
かわいそうな三田佳子。ひどいマスコミ。
素直な感想を持った。
テレビには逆らわず、流されるままに見て感情を抱くのがときに快感。
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☆ダンテ「神曲 天国篇」感想

2010年04月12日 22時34分48秒 | 文学
ダンテ「神曲 天国篇」(河出文庫)を読んだ。やっと「神曲」全部を読み終えた。
「地獄篇」がいちばんおもしろかったと思う。「天国篇」は挿絵も極端に少なくなっているし、何が行われているのかよくわからないところが多かった。「こんなに非道いんです」は言いやすいが、「こんなに素晴らしいのです」は表現しにくいということかもしれない。
「神曲」読んで「聖書」を読んで、この先どこに向かうのだろうか私は、という感じです。

発売を楽しみにしていたレヴィナスのインタビュー「倫理と無限」(ちくま学芸文庫)をすこし読んだ。読んだがしかし、レヴィナスはこんなにひねくれたしゃべり方をするのだろうか。なかなか読みづらい。翻訳のせいかな。結構意味がとりにくい。
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☆聖書とバッハ

2010年04月12日 00時03分56秒 | 文学
本屋で聖書を買う。文庫本よりも小さい「BIBLE MINI」(新改訳聖書刊行会)というのを買う。三色あるのだが、ブラウンを選んだ。
岩波文庫で買おうかとも思ったのだが、全部は揃っていないし、よい機会なので一冊買っておくことにした。
小さくて持ち運びには便利なのだが、「何を読んでいるんですか?」と訊かれたときに「聖書です」と答えるのは周りの人の僕への認識に変化を起こしそうなので、家で読むことにする。
「旧約聖書」の「創世記」を少し読んだ。なかなか面白い。

NHK教育「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」の第二回目を見た。前回に引き続きバッハだったが、この番組はそうとうおもしろい。
音楽というのはそういうものなのだなあと思うことが多く感動する。
何を気持ちいいと感じるかを帰納的に考えていったのが音楽なのだな。それは文学と同じなのだなとひどく納得できた。

聖書を読み、バッハを聴く生活をしばらく続けていきたい!

データベーススペシャリスト試験まであと一週間。勉強も結構しているつもりだが、なかなか難しい。
午後2の試験は一問解くのに二時間かかるのでなかなか疲れるし時間もかかる。今日は二問解いた。
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☆「日本経済復活 一番かんたんな方法」感想

2010年04月10日 10時41分28秒 | 文学
勝間和代と宮崎哲弥と飯田泰之の鼎談「日本経済復活 一番かんたんな方法」(光文社新書)を会社で借りたので読んだ。
途中で言っていることがよくわからないところも多くあったのだけれど、この本で言いたいことは、貨幣を刷ってデフレを脱却しようということなのだろうと思った。
少し前にテレビ番組「ぴったんこカン・カン」で勝間和代の出ているのを見たのだけれど、たいへんおもしろかった。勝間和代が「ドラえもん」に詳しいことを初めて知った。安住伸一郎は才能があるなあと感心した。距離感を保ちながら入り込むのが上手い。
で、その番組の中でも、勝間和代は脱デフレについて語っていた。最近の流行りなのだろう。
本の中で「リフレ」という言葉が何度か出てきて、知らないので調べてみると、リフレーションの略で、デフレとインフレの中間の状態のことのようだ。
印象に残ったのは、モノとカネの関係で、モノの需要が減るとカネの需要が増え、カネの需要が減るとモノの需要が増えるというところだった。
あとは、《経済学者を含むほとんどの人間が、経済学は実際の経済政策に役に立たないって思っている》(167頁)という飯田泰之の発言。確かに僕もまったくその通りだと思っている。天気予報にしても地震予知にしても、「当たるわけないし、先のことなんて知りたくない」と僕は思っている。先のことがすべて予測可能になることの、何が嬉しいのか理解できない。
これは強固な信念で、旧約聖書に惹かれるのもそのへんの気質のせいだと思う。
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