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中島岳志『「リベラル保守」宣言』

2017年10月31日 10時43分46秒 | 文学
中島岳志『「リベラル保守」宣言』(新潮文庫)を読んだ。
保守というものの印象が最近ものすごく悪いのだが、この本を読むと保守というのはいいものだと思った。
人間が作るものは不完全であるのでその時々に応じた改革を行っていくというのが保守らしい。これは左翼の、人間の理性によって理想の社会を作ることが出来るという考えと対立する。
福田恆存の名前が何度か出てきて、興味を持った。ちょっと読んでみようと思う。

中島岳志の文章は「終わりに美辞麗句」という特徴が少しあり、そこが良くないと思う。
いろいろ語った後になにか一文最後に言って終わる、という傾向があって、癖なのだろうと思うがちょっと無責任な感じがする。

親鸞の「悪人正機」について、
《親鸞は「悪人正機」を説いたことで知られていますが、これは何も「悪いことをした者が救われる」と言っているのではありません。「人間存在はすべて悪である」という認識を持つことによって、はじめて阿弥陀仏の絶対他力にすがる態度が生まれると説いているのです。》(100頁)
と語っているところがあり、確かに親鸞の手紙などを読んでいると「悪人正機」については誤解されているのではないかと思うことがあり、考えてみたい。
「悪人こそ救われる。では善人は?」とか、常識の反対を言っていて素晴らしい、みたいな話になりがちなのだが、親鸞はもう少し常識的な話をしているのにたまたま言った言葉の言葉尻をとられているだけなのではないかという気もする。
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中島岳志『親鸞と日本主義』

2017年10月29日 01時14分53秒 | 文学
中島岳志『親鸞と日本主義』(新潮選書)を読んだ。
倉田百三のはちゃめちゃな生活が凄いと思った。正妻を含む女性三人と同居して、それぞれとの間に出来た子どもも一緒に育てていたというのはいまではちょっと考えられないなと思った。自分の強い性欲に罪悪感を持ち、それを親鸞の思想で乗り越えようとしたのだろうということがわかった。
亀井勝一郎は戦時中に親鸞の思想を題材にしてその時代の考えを肯定したが、戦後に訂正する。

親鸞の思想そのものの中に、上から言われたことをそのまま受け入れるという思想があってそれによって戦時中に利用されたのかどうかこの本を読んでも実は良く分からなかったのだが、いまの日本でサラリーマン的傾向というか、「いいか悪いかを判断するのは自分ではない」と思っている人が結構多いのではないかということはよく感じる。
これはいろいろなところで、政治家の人たちにも感じるし、会社でも感じるし、もちろん自分の考えにも感じる。
学校教育を受けてサラリーマンを長くやっていると自分の考えなんか持たないで言われたことをやっていればそれでいいと考える傾向の人が増えていくのは仕方のないことなのかもしれない。
そういうようなことを感じた。

親鸞の思想はどうしたらいいのか分からないという人に寄り添っていくものであるということを「あとがき」(この「あとがき」がいちばんよかった)に書いてあって、そういうものならもう少し理解していきたいと思った。
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成瀬巳喜男監督『流れる』

2017年10月24日 23時28分54秒 | 映画
成瀬巳喜男監督『流れる』を見た。
とってもおもしろくて夢中で見ていられた。
女優がたくさん出ていて、すごい。ちょっと”女優あたり”(食あたりみたいなもの)しそうな感じだった。
田中絹代と山田五十鈴と高峰秀子と杉村春子と岡田茉莉子を同時に見られるなんて凄い。成瀬巳喜男には必ず出てくる中北千枝子も見てるとなんだかくせになる。

芸者屋がそのうち売られると田中絹代だけが分かっていて、みんなで芸を磨いているのを見るところは残酷だった。
栗島すみ子はなぜ良いひとそうな顔して、裏で芸者屋をつぶして料理屋にして田中絹代に店を任せようとするのだろうか。
これは原作でもその通りなのだろうか。
原作は読んだことはないが興味を持ったことはあって、幸田文のルポルタージュのようなものかと思っていたがそうではなくてこの映画の通りだとするとちゃんとした(?)小説なのだな。
いつか読もう。
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川本三郎『成瀬巳喜男 映画の面影』

2017年10月23日 00時12分58秒 | 文学
川本三郎『成瀬巳喜男 映画の面影』(新潮選書)を読んだ。
成瀬巳喜男の映画はまだ二本しか見ていないけれど、とても興味深く思っている。
見ていて退屈することもないし、嫌な気持ちになることもない。
代表的なもの以外では、『女が階段を上る時』と『乱れ雲』を見たいと思っているのだが、近所のレンタルビデオ屋にないのでNHKでそのうち成瀬巳喜男特集をやらないかなと思っている。やれば、全部見る。

本は、やはり映画を見た上でないと川本三郎の言っていることが頭に入って来ない。
もっと見た上で、読んでみたいと思う。
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ジョン・カーニー監督『はじまりのうた BEGIN AGAIN』

2017年10月22日 00時16分54秒 | 映画
ジョン・カーニー監督『はじまりのうた BEGIN AGAIN』を見た。
いい曲があって、そのアルバムを作っていく興奮を描くもので、同じ監督の『ONCE ダブリンの街角で』と同じようなものなのだが、『ONCE ダブリンの街角で』のほうがよかった。どちらを先に見るかによるのかもしれないが、あちらのほうが素朴で良かったように思う。
最初のほうで同じ場面を違う人物の視点で何度か描かれるところがあり、この間見たテレビドラマの『監獄のお姫さま』を思い出した。
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倉田百三『出家とその弟子』

2017年10月20日 23時14分16秒 | 文学
倉田百三『出家とその弟子』(新潮文庫)を読んだ。
有名な本で、学校でも名前は習ったように思うが、いままで読んだことがなかった。
親鸞とその弟子の唯円、そして親鸞の子どもの善鸞などが出てくる。
親鸞は宗教的な師匠なので、もっと謎に包まれた、深い思想に満ちた、何でも分かっている人のように描かれるかと思えばそうではなくて、わりと迷っている人のように描かれる。
唯円は遊女と結婚する。これはほんとうなのだろうか。
五木寛之が親鸞の伝記的なことはあまり分かっていないので好き放題に書けるというようなことを言っていたので、唯円のことなどさらに分かってはいないのだろう。

唯円が兄弟子たちに遊女と付き合っていることを責められる場面、それに続いて親鸞が悪人を追放するというようなことはできない、なぜなら私たちはみんな悪人だからという場面など、よく『歎異抄』の思想がわかるように描かれていた。
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『刑事ゆがみ』と『オトナ高校』

2017年10月15日 01時39分26秒 | テレビ
新しく始まったテレビドラマ『刑事ゆがみ』と『オトナ高校』を見た。

『刑事ゆがみ』は神木隆之介と浅野忠信という見たことのない組み合わせで興味深かったので初回を見た。
浅野忠信がだぼっとした背広でふざけた態度をする。これはものすごく誰かを思い出させるのだが、誰だか思い出せずに悔しかった。
これは誰かの演技をものすごく思い出させるのだ。おそらく日本人ではない。欧米の誰かが似たような演技をしていたような気がする。
誰なのだろう。
それを思い出したいがために引き続き見るかもしれない。

『オトナ高校』は三浦春馬が誰かの演技を思い出させるのだが、これはすぐに分かる。劇団ひとりだ。
三浦春馬が童貞で、オトナ高校に入学させられ、女性経験をするまで卒業できないという話のようだ。
最近のドラマは滅茶苦茶だなあ、と思って興味深い。

そういえば『刑事ゆがみ』では神木隆之介が25歳で童貞と浅野忠信に家に落書きされていた(たぶんドラマの設定としては本当にそうなのだろう)が、最近は童貞が流行りなのだろうか。
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司馬遼太郎『花神(上)』

2017年10月15日 01時16分17秒 | 文学
司馬遼太郎『花神(上)』(新潮文庫)を読んだ。
村田蔵六の生涯を描く。
司馬遼太郎は、どこかの段階で坂本竜馬の生涯を描いたようにはもう描くまいと決めたのだと思う。
主人公に感情移入してロマンティックに興奮させて感動させるようなことを、たぶん恥ずかしくなって、もうそんなに青いことは出来ないよと思い始めて、森鴎外の史伝みたいな描き方になってきたのだと思う。
僕は正直言ってまだ『竜馬がゆく』が司馬遼太郎の中ではもっとも好きで、嘘でもいいからおもしろくさせてよと思ってしまう。
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成瀬巳喜男監督『乱れる』

2017年10月12日 00時06分58秒 | 映画
成瀬巳喜男監督『乱れる』を見た。
若いころの加山雄三って長嶋一茂に似てるなと思った。長嶋茂雄と加山雄三って似てるんだろうな。
確か何かの映画の本を読んでいたときにこの映画が出てきて、気になっていたのだが、そのときにどういう取り上げられ方をしていたのかもう思い出せない。動線とかそんな話だったと思う。
『ONCE ダブリンの街角で』を見たときも思ったが、男女が肉体関係にならない関係というのはいい。
肉体関係も持たないし、キスもしないというのは見ていて飽きない。
この映画も、お互いに好きなのに、でどちらかといえば高峰秀子が加山雄三のことが気になって仕方がないのに、戦死した夫の弟ということで関係が深くならない。でもいっしょに旅館に行く(高峰秀子が加山雄三を連れて行く)。
でも、それでも何もできない。
最後は加山雄三が崖から落ちて死んでしまうという、ちょっと滅茶苦茶な終わり方だった。
二人は結ばれない、でも話を終わらせる、となったときにこういう終わらせ方しかなかったのだろう。ちょっと終わりがどうかな(でも仕方ないかな)と思うが、とてもおもしろかった。
草笛光子が美しい。
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保坂和志『小説の自由』

2017年10月11日 21時19分52秒 | 文学
保坂和志『小説の自由』(中公文庫)を読む。
とってもおもしろかったというほどではないが、半分くらいまではおもしろかった。小津安二郎の映画に付いて語っているあたりは読んでいて楽しかった。
おそらくカポーティの『冷血』の話あたりからあんまりおもしろくなくなり、最後のアウグスティヌスからの引用は嫌がらせなのだろうかと思った。あんなに引用を続ける必要はあるのだろうか。この人のよく言う、本は途中でもおもしろくなければ読むのをやめる、というのを実践しようかと思ったが、もう少しだけなので読み続けた。
《小説は小説の外にある意味がそのまま小説の中に持ち込まれることに抵抗する。》(397頁)
ということを言いたいためにアウグスティヌスの引用を続けたように読めたが、あそこまで引用する必要があるだろうか。
アウグスティヌスに興味がなく読み始めて、あれだけのアウグスティヌスの引用を読み通せる人がいるのだろうか。僕には理解できない。村上春樹の『1Q84』の、チェーホフの引用を思い出した。
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