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ナンシー・マイヤーズ監督『マイ・インターン』

2018年03月31日 02時18分56秒 | 映画
ナンシー・マイヤーズ監督『マイ・インターン』を見た。
雑誌「BRUTUS」の「いまさら観てないとは言えない映画。」号で紹介されていて興味を持った。

アン・ハサウェイの作った会社に、ロバート・デ・ニーロが年老いたインターンとしてやってきて、だんだんと仲良くなっていく話だった。
ガードしている人の心を、だんだんと解きほぐして仲良くなる話というのは、『赤毛のアン』がすぐに思い浮かぶのだが、基本的に好きだ。
ロバート・デ・ニーロがとても良くて、礼儀正しく生きることは美しい、という思いがする。
おしゃれで楽しい、飽きない映画だった。
いやなことがあったら(なくても、だが)、また見たい感じの映画だった。

「ハンカチを持ち歩く最大の理由は人に貸すため」
というのは名言だなと思ったのだが、たぶんいい言葉だと思ったのだろう、物語のもっとも重要な台詞だった。
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岡本太郎・宗左近『ピカソ[ピカソ講義]』

2018年03月30日 21時13分51秒 | 文学
『ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉岡本太郎』の読書案内で最初に挙げられていたので興味を持ち、岡本太郎・宗左近『ピカソ[ピカソ講義]』(ちくま学芸文庫)を古本屋で買って読んだ。
岡本太郎がピカソに強く影響を受けたのだろうということはよく分かったが、あんまり印象に残る本ではなかった。
もうしばらく他の本も読んで、岡本太郎について考えようと思う。

プラトンを読みながら、アランとアレントの解説を聞き、たまに岡本太郎を読む。暇つぶしには山本周五郎を読むということをしばらく続けていきたい。
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プラトン

2018年03月29日 11時06分25秒 | 文学
アランの『わが思索のあと』(中公文庫)を読んでいると、難しくて何を言っているのやらさっぱり分からないところも多くあるのだが、きちんと本を読まないといけないなという気持ちにさせられる。
特にプラトンを読まなければならない。
『国家』がずっと気になっていながらいまだに読んでいないのだが、これを機会に読んでみることにする。
そしてしばらくプラトンを読み続けてみようかと思う。
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『ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉岡本太郎』

2018年03月21日 23時22分48秒 | 文学
誰のいつ言った言葉だったのか、もはや思い出せないのだけれど(たしか宇多田ヒカルだったような気もするが)、人生で大切なことをほとんど映画『ゴッドファーザー』の台詞から学んだと言っている人がいた。
そのようなことに少し憧れ、そして最近NHKでよく岡本太郎のことがやっているので、僕にとってその大切なことを教えてくれるのは岡本さん(早くも敬称)なのではないかと思い、『ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉岡本太郎』(筑摩書房)を図書館で借りて読む。
そう思ったことはこれまでにないわけではなくて、岡本太郎の本は少しだけこれまでも読んだことはある。
その度に感動はするのだが、いつの間にか家に本が溢れてくると、古本屋に売ってしまうので岡本太郎の本は手許にない。だからそこまで強く影響を受けていないのだと思う。
今回のNHKの岡本太郎ブームは太陽の塔の内部が見ることができるようになるということによるもののようだが、そう言われるとちょっと行ってみたい気がしてくる。

岡本太郎は父一平と母かの子の三人家族かと思っていたが、この本によるとその他二人の男性がいたらしい。ヨーロッパに行くときもその二人の男性、家事を全部やってくれる歴史学者の恒松安夫と、かの子の主治医であり愛人の新田亀三が同行している。家族の形は一つじゃない。
でもこんなの、「TAROの塔」(テレビドラマ)で描かれてたかなあ。
岡本太郎に絵画の技術や素養があまりなかったこともはっきりと書かれていてすごいなと思った。
《これ〔=ピカソ〕に対して、太郎には古典的絵画の技術や素養はほとんどありません。》(134頁)
《「形だけ真似た現代美術」と非難する人たちも少なくなく、埴谷雄高なども、「太郎の言っていることはすばらしいが、絵はまったく分からない」などと言ったものです。》(135頁)
本を最後まで読んだら、なんとなく岡本太郎のことが分かった気がしてしまい、彼の本を読む必要はもうないのかなと思いかけていたのだが、「巻末エッセイ」のよしもとばななのエッセイを読んでいたら「つわりがひどくて」も岡本太郎の文章は読めたということなので読んでみようかなという気に再びなった。つわりがひどいわけではないのだけれど。
また、太郎の作品も見に行ってみたいなという気にさせる。
よしもとばななのことをひさしぶりにすごいと思った。

読書案内にあった、岡本太郎と宗左近の『ピカソ[ピカソ講義]』と瀬戸内晴美の『かの子撩乱』が気になった。

最後に、この本は中高生向けということで設問が3つあるのだが、愚直に答えてみる。

設問1 太郎の代表作「太陽の塔」はどのような意味をもって作られたのでしょうか。

解答  母への供養

設問2 太郎の初期の作品によく描かれた「リボン」は何を象徴していたでしょうか。

解答  母親かの子

設問3 フランスから帰国した二年後、太郎は危険人物として徴兵され、中国に送られましたが、自由を奪われた地獄のような軍隊生活で、彼はどのように生き延びたのでしょうか。

解答  最悪のところを引き受ける。「四番目主義」。殴られてもへこたれず、どんどん前に出る。
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山本周五郎『白石城死守』

2018年03月21日 01時25分08秒 | 文学
山本周五郎『白石城死守』(講談社文庫)を読む。

「与茂七の帰藩」
過去の自分のような姿を見て、反省する話。

「笠折半九郎」
すぐにカッとなって行動するのは良くないという話。

「白石城死守」
よく、理解できなかった。

「豪傑ばやり」
やっぱりそうだったか、という話。

「矢押の樋」
これもよくわからなかった。駄目な弟が実は素晴らしかったという話か。

「菊屋敷」
この本のなかでもっともおもしろい。
長い年月のなかで子どもを育てたり、人に期待したり、そういう気持ちがきちんと描かれる。
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NHKの「100分deメディア論」

2018年03月19日 23時28分23秒 | テレビ
NHKの「100分deメディア論」を見たが、
オーウェルの『一九八四年』
サイードの『イスラム報道』
に興味を持った。
『一九八四年』は村上春樹の『1Q84』を読んだときに多少は興味を持ったのだが、読むほどでもないかと思っていたのだが、あらすじを聞くと興味深いので読んでみようかと思う。この前読んだ『ワイルド・スワン』のなかでユン・チアンが『一九八四年』を読んだときに中国の状況がそのまま書いてあって驚いたというようなことを言っていたが、いまの日本の安倍政権も似たようなところがあるので読んでおきたいと思う。
『イスラム報道』は現在品切れだった。
みすず書房は早めに増刷すべきだと思う。NHKか中島岳志は、放送前にみすず書房へ連絡してあげたらどうなのだろうかと思うが、よく考えたら連絡はされているはずだろう。放送されるというだけでは増刷は決まらないのだろう。
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田中美知太郎 『人間であること』

2018年03月18日 10時13分34秒 | 文学
田中美知太郎 『人間であること』(文春学藝ライブラリー)を読んだ。
もともとは小林秀雄の講演を聞いてこの本の、「哲学の文章について」に興味を持っていた。
読んでみると、いまの私には難しい話が多かった。
ヘーゲルの話が何度か出てきて、ヘーゲルに興味を持った。
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トーマス・マン/渡辺 一夫『五つの証言』

2018年03月11日 22時36分08秒 | 文学
トーマス・マン/渡辺一夫『五つの証言』(中公文庫プレミアム)を読んだ。
この文庫シリーズのアランの『わが思索のあと』を買ったのだが、渡辺一夫のこの本にも興味を持ち読む。
トーマス・マンの本を渡辺一夫が仏訳から日本語に訳したものと、渡辺一夫の随筆が載っている。トーマス・マンも良いのだが、渡辺一夫が素晴らしい。
《無智や無関心の故に一人の危険人物の登場を許したら、その人物の冒す一切の暴力を予め許すものと申さねばなりません。》(108頁)
《単に戦争を愛する思想家や政治家が権力を握っているばかりか、「戦争はもうからぬものだ」ということを教えられた筈になっている日本国民のうちにも、再び「戦争でもうけよう」としている人々もいるし、無責任なスリルを相変らず戦争に求める人々も居り、しかも、その数は決して少くないのですから、なかなかうまくはゆきますまい。》(111頁)
などを読むと、最近の政治のことを思わずにはいられない。
文学者や学者も政治に関心を持たないといけない、ということを語る。
また、「機械になってはいけない」という思想も素晴らしいと思う。これは以前この文章を読んだときにも思った。
《戦時中、僕は爆撃にも耐えられた。しかし、親しい先輩や友人たちが刻々と野蛮に(機械的に)なってゆく姿を正視することはできなかった。二度とあんな苦しい目はいやである。》(145頁)
こういうようなことは、会社などでもだんだんと経済的に、あるいは人間関係的に悪化していくと見られるような現象で、「このひとは戦争になったらろくでもない人間になるだろうな。いまでもろくでもないし」というようなひとはいるのだが、そうとも思っていない親しい人たちが変わっていくのを見るのはつらいことだろうなと想像できる。
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4月の文庫にいったい何があるというんですか?

2018年03月06日 23時40分34秒 | 文学
このところ、ものすごく興味を惹かれて、まるで男子学生の性欲のような情熱を持って読みたいと思える本がない。
一応毎月新たに発売される文庫をチェックはするのだが、あまりない。
4月で言うと皆無に近かった。村上春樹の『ラオスにいったい何があるというんですか?』が文庫になるようなのでこれを読むと思う。他は、ない。
たぶんそのせいで、つまりあんまり期待していないせいで、見逃すことも多い。
アランの『わが思索のあと』が文庫になっていたのだが見逃すところだった。本屋をぶらついていてたまたま見つけた。アランの本を見逃しそうになるとは危ない、危ない。
原りょうの新作『それまでの明日』も発売されるまで知らなかった。これは文庫になったら必ず読む。

そういえば村上春樹が本を出すときは、なぜだかいろんなものをまとめて出すという傾向があるので、そろそろ『騎士団長殺し』も文庫になるのかなと思う。しかしまだちょっと早いか。ということは短編集か『騎士団長殺し』の続編でも出るのかなあ。
『騎士団長殺し』はどうしても読みたいというわけではないが、文庫になったら読もうと思っている。
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清水真木『ニーチェ入門』

2018年03月05日 23時44分11秒 | 文学
清水真木『ニーチェ入門』(ちくま学芸文庫)を読んだ。
健康な時は運動などをして肉体を傷つけることが出来て、病気の時は肉体を傷つけないようにする。
永劫回帰(「等しきものの永劫回帰」)というのは、同じことが繰り返されるというペシミスティックな思想に耐えることが出来るかどうかを試すためのもので、それに耐えられる人はものすごく健康な「超人」であるということになる。
というような話が、とても言っていることが独特でこれまで読んだことのない話だった。
とてもおもしろくて、一気に読むことが出来た。

もっともおもしろかったのは「プロローグ」で、ニーチェの言っていることが何の役に立つのかよくわからないという感じを素直に書いていた。
僕も同じように思うので、ニーチェの思想を理解できることを期待したのだが、この本を読んでもそんなに「分かった」という気にはなれなかった。
ニーチェの思想は、テレビや本など公の場で言ってはいけないような話が含まれているので、実は本を読んでも理解できないのではないかという気もする。ほんとうは信頼できる先生と一対一くらいの関係で、静かな場所で、決して怒られないという安心感のなかで勉強するものなのではないかと思う。
こんなことを有名な哲学者が言うはずがないというような思い込みを捨てなければニーチェは理解できないのだと思う。

ニーチェの妹エリーザベトは、印象に残る。
宮沢賢治の弟の宮沢清六のことを思い出した。
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