![暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)](https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51HLt0y+SrL.jpg)
國分功一郎『暇と退屈の倫理学 増補新版』(太田出版)を図書館で借りて読んだ。
最近ちょっと生き甲斐のようなものを感じられなくなっている気がして、なにかヒントになればと思って手にした。この本について知っていたのは、映画『ファイト・クラブ』について書かれている部分があるのだろうということを以前テレビで著者が出ていたときに語っていたので知っているくらい。
確かに『ファイト・クラブ』について論じられている部分があった。
最初のほうはとても読みやすく興味を惹かれる。哲学書でこんなに読みやすいのも珍しいと思う。
途中ハイデッガーについて論じられるあたりから、なぜハイデッガーの著作についていっしょに考えていかなければならないのだろうかと疑問に思いはするが、それでも最後まで読めることは読める。
初めのほうの、遊動生活から定住生活に変わったことによって人間の生活は大きく変わり、退屈を感じるようになったというような話のあたりはとても興味深く読んだように思う。しかし読むとすぐに忘れてしまうので、どこでどうおもしろかったのか詳しく書けない。
疎外論はいいのに、本来性の論理が駄目なので、本来性の論理が駄目なのは疎外論が駄目なのだと思っていっしょに捨てられてしまったという話はおもしろかった。もっと聞いてみたいと思った。
最後の結論は、あまり納得できなかった。
「贅沢を取り戻す」というのは、物を味わって生きるというようなことのように読めたが、小林秀雄のように生きるというようなことなのだろうか。なぜ小林秀雄かというといま小林秀雄についての本を読んでいるから思い浮かぶのだが、読んでいるとどうしても小林秀雄的に人生を楽しむというような、骨董を愛でるような生き方を思い浮かべてしまった。
増補新版の付録「傷と運命」はさらにわかりにくい。
退屈だと過去の記憶が甦ってくる(から嫌なのだ)というような話のように読めたが、そうかなあ、と思った。
普通の読み物として普通に読めるというのは素晴らしいと思った。