ダブログ宣言!

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☆初投票

2007年07月31日 00時12分42秒 | テレビ
生まれて初めて選挙で投票に行く。
投票なんかしたって意味ないと思っていたので選挙に行ったことがなかった。その考えが変わったわけではないが、なんとなく行ってみようかと思い、行く。
この辺の心境の変化はうまく言い表せない。
こどものころからずーっと嫌いだった野菜があったとして、本当はそれが嫌いなわけではなく、単にその野菜が嫌いである自分を変えたくない、守りたいだけなんじゃないか、とふと思い、そんなことがどうでもよくなって食べることができるような感覚?
じゃないかもしれないが、いまのところそういう説明しかできない。次回行くかどうかもわからない。他人に「とにかく選挙には行きなさい」とは死ぬまで言わないと思う。
最初の紙に民主党の候補者の名前を書き、二枚目の紙に「民主」と書くのか「民主党」と書くべきなのかしばらく迷い、
「民主党」
と書いて箱に入れる。
とくに民主党に強いシンパシーを感じているわけではないけれども。
最近マルクスを読んではいるけれど共産党とは書かなかった。なんでだろう。絶対書かないな。
どこを書いてもなにかしら反対意見があるので、正解を書こうとすると書けないが、まあいいかと思って書けば書ける。
家に帰ってずっとテレビを見ていて筑紫哲也が出演と聞き楽しみに待っていたが声だけの出演ですこし騙された気持ちになる。
「ニュース23」は他の司会者を立てるか、毎日電話での出演でいいから筑紫哲也を出すかどっちかにしてほしい。先生がいないあいだに生徒だけで学級会を進めているような雰囲気で好きになれない。
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☆タッチ3です。

2007年07月28日 16時33分17秒 | 映画
タッチ3 君が通り過ぎたあとにアニメ映画「タッチ3 君が通り過ぎたあとに」。
鬼監督が何の目的で監督をやったのかがわからない。
基本的に「タッチ」では野球の勝敗はどうでもいいという姿勢が感じられて潔い。
チームメイトの恋愛や追悼や、監督の復讐、そのためなら試合に勝とうが負けようがピンチになろうがどうでもいい。盛り上がったらいいんだという感じだ。
こんな試合やってらんねーよ(達也ふうな台詞)、って誰も言わずに試合を続けるのがすばらしい。人間が出来てますね。

手がいてーよ。家帰って風呂に入りてーよ。
ってもう言えなくなったと達也が思う部分にもっとも共感が持てた。
達也も大人になってしまったな。
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☆タッチ2です。

2007年07月28日 13時31分39秒 | 映画
タッチ2 さよならの贈り物アニメ映画「タッチ2 さよならの贈り物」を見る。
マルクスであれば、
偉大な歴史的人物は二度現れる。一度目は悲劇として、二度目は茶番として。
伯父(ナポレオン)の代わりに甥(ルイ・ナポレオン)。
双子の弟の代わりに双子の兄。
と言うかもしれない。
上杉達也が死んだ弟の和也のフォームを真似して、いわば霊媒のような役割として決勝まで進むが、須見工の新田に負ける。結局物真似では勝てない。
浅倉南としても和也の代わりとしての達也を愛すわけにはいかない。
須見工の新田はいったい何が目的なのかよくわからない。
彼が好きなのは、浅倉南ではなくて、上杉達也なのではないか。上杉達也の成長をなぜあそこまでサポートするのかわからない。
最初から打てた球を9回まで打たない理由もわからない。監督に叱られると思う。

しかし、おもしろかった。
いい映画です。よくできてる。
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☆タッチです。

2007年07月28日 02時15分54秒 | 映画
ナポレオンⅢ世のことを知るために、鹿島茂の「怪帝ナポレオンⅢ世」(講談社)を読み始める。まだすこしだけ。
ほんとうは歴史上の人物のことを知ろうと思ったら、その人物が登場する小説を読むのがいちばんいい。すくなくとも僕にとってはそうだ。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んでそう思った。
歴史的な出来事の記述が並んでいるだけよりも、会話している人物のほうがいい。それがうそでもぜんぜんいい。
しかし、ナポレオンⅢ世が主人公の小説はないようで、この鹿島茂の本を読んでいる。小説ではなく、評伝のようなもの。
知らない作者の場合はウィキペディアで調べることにしているのだけれど、今回も鹿島茂のことを調べて、気になる箇所があった。
「猫好き。」
やれやれ。またか。
文学者の猫好きというのはいったいどれくらいいるんだろう。
思い浮かぶだけでも結構いる。
夏目漱石、
大佛次郎、
村上春樹、
吉本隆明、
あと坂東眞砂子(ちがうかな?)。
それにひきかえ犬好きは江藤淳くらいしか思い浮かばない。
なんなんだろう。
猫好きということでどういうメッセージを伝えようとしているのだろう。猫が好きということで猫に疎外されてないんだろうか。お金のことばっかり考えてたらお金に疎外されるってマルクスが言ってたよ。
あえて経歴に書かれるべきことなのかなあ。
日本の文学者の猫好き申請は保坂和志あたりでいったん締め切ったんじゃなかったんだっけ? そんな通達が役所からあったよ、確か。平成3年ぐらいに。

タッチ 背番号のないエース録画していたアニメ映画「タッチ 背番号のないエース」を見る。
これはファンタジーなんだ。
現実じゃない。
和也が死んだ後、達也の頭の中で起きている出来事なんだ。
と思った。
甲子園の予選の決勝戦で、死んだ弟の代わりに達也が替え玉で登場して勝ってしまう話だった。

テレビアニメの「タッチ」はほとんど見てないので(なんで見てないんだろう。塾に行ってたのかなあ。)、初めて話がわかった。
できのよい弟と幼馴染のかわいい女の子に、素直になれない屈折した兄の話なんだな。
なかなかおもしろかったが、昔のアニメはこんなにゆっくりと静かに進むものだったんだということに驚いた。
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☆加藤周一「読書術」

2007年07月27日 00時27分44秒 | 文学
読書術図書館で借りて加藤周一の「読書術」(岩波現代文庫)を読む。
加藤周一の存在は昔から知ってるが読むのは初めて。
大江健三郎のお友達で、立派で知的で、声が経営コンサルタントの堀紘一にそっくりというイメージです。
「読書術」は読みやすかったが、内容に時代を感じた。テレビと本を較べているところなどは特に。自動車が走り始めたばかりの雰囲気も感じられた。
そこまで今後の僕の読書生活に影響を与えるような本ではなかった。

マルクスの「ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日」を読もうとしたが、何のことかよくわからず、ちょっと中断。
書いている言葉が難しいわけではなく、フランスの歴史を知らない。
だいたいタイトルからして、”ルイ・ボナパルト”のことも”ブリュメール一八日”もわからない。”ブリュメール一八日”って、フランスの都市ブリュメール(そんなのないよ)での18日間かと思っていた。
ルイ・ボナパルトとは一般的によく言われるナポレオンの甥の、ナポレオンⅢ世のこと。それは知っていたがどんな人物かは知らない。
そして、「ブリュメール」というのはフランス革命の後にフランスでは「フランス革命暦」という独自の暦を使っていたらしく、その二月のことらしい。「ブリュメール一八日」というのは1799年の、ナポレオン(伯父さんのほう)がクーデターを起した日のことをそのように呼ぶらしい。
つまり、「ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日」というタイトルは、
坂本竜馬の大政奉還
というような雰囲気の意味だけれど、「ブリュメール一八日」の当事者はルイ・ボナパルトではなく、伯父のナポレオンなので、つまり、
武田鉄矢の大政奉還
というぐらいだろうか。
タイトルだけの理解で結構な時間がかかる。

二日前に、今度読もう、と書いた町田康が怪我したらしい。
パンク作家、殴られて候。
くだらぬことを思いつく。
へんな偶然を感じ、これは是が非でも読まなくてはならない。
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☆「マルクス・コレクションⅠ」読了

2007年07月26日 00時37分02秒 | 文学
マルクス・コレクションIカール・マルクスの「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異」を読んだ。
タイトル通りのわけのわからぬ代物だった。
読んだことすら忘れてしまいそうな論文だ。

ということで、これで「マルクス・コレクションⅠ」(筑摩書房)に収録されたものはすべて読んだ。
「ユダヤ人問題によせて」がもっとも読みやすく、
「経済学・哲学草稿」
「ヘーゲル法哲学批判序説」
と続き、
「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異」
がもっとも読みにくい。
ずっと気にはなっていて、はじめてのマルクス体験だった。
このまま「資本論」まで行きつけばよいのだが。

ああそうそう、勘違いされると困るので(べつに困りはしないけど)、言っておくと、「マルクス・コレクションⅠ」は図書館で借りました。こんな本は買いません。高いし。
文庫になったら買うかといったらたぶん買わない。
このシリーズの「資本論」を読んでみてものすごく感動したら、「資本論」の文庫は買うかもしれない。ちょっとの感動くらいでは買いません。
そして気の迷いでシリーズ全部揃えたくなるかもしれない。
ま、文庫化はまだまだ先の話だし、そもそもこのシリーズはまだ2巻が、2巻だけが発売されてない。
シリーズなのに最後の1冊がなかなか発売されないといえば岩波書店の「ことばのために」シリーズの、高橋源一郎の「大人にはわからない日本文学史」もずっと発売されない。
このシリーズのなかで2冊を読んでいるので、高橋源一郎のものも一応気にしてはいるのだけれど、なかなか出ない。(2年くらい?)
もう出す気ないのかなあ。
代わりに鯨統一郎あたりに書かせてみれば良いのにな。
高橋源一郎の、だいたい予想の付く「大人にはわからない日本文学史」(二葉亭四迷と樋口一葉と森鴎外と宮沢賢治)もまあいいけれど、鯨統一郎のハチャメチャな「大人にはわからない日本文学史」も読んでみたい。少なくとも僕にはどんな内容かわからない。
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☆松田聖子の結婚と辻仁成の結婚

2007年07月25日 00時42分22秒 | 文学
今日は少しだけ勉強。1時間ほど。
マルクスほど難しくはない。
試験まで3ヶ月を切ったのでそろそろやらないとな。

今日ふと町田康の「告白」を立ち読みして、これはすごいんじゃないかと、びびびときた。(古いなあ!)
最初のほうに、
あかんやないか。
という一行があり、これはすごいと思った。
何がすごいのかはうまく言えないがとにかくすごい。
吉本ばななの「キッチン」を読んだときと同じくらいの衝撃があるのではないかと期待している。
文庫化を刮目して待つ。
そのまえに、「パンク侍、斬られて候」でも読んでみようかな。

いま読むべき現代作家は、伊坂幸太郎ではなく、町田康なんだ! と気づいた。
中山美穂に初めて会った辻仁成ではないが、
「やっと会えたね」
といった感じだった。
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☆「ユダヤ人問題によせて」上げて

2007年07月24日 00時10分05秒 | 文学
マルクスの「ユダヤ人問題によせて」は二部に分かれていて、
Ⅰ ブルーノ・バウアー『ユダヤ人問題』
Ⅱ 『今日のユダヤ人とキリスト教徒の自由になりうる能力』
という構成になっている。どちらもブルーノ・バウアーという、誰なんだかまったく聞いたこともない人の本を扱っている。
後半はそうでもなかったが、前半はなるほどと思う部分が多かった。
ちょうど十年位前、働き始めたころに、他人のいやな部分ばかりが目に付いて、そのいやな部分というのは長く付き合えば付き合うほど出てくるものだな、と思っていたことがあった。
初対面で出会ったばかりのときがもっともいいひとで、つきあえば付き合うほどいろいろとめんどくさいことも言ってくるし、個人的なことも知りたがるし、しょうもないあれこれ(「キャッチャー・イン・ザ・ライ」より)に付き合わないといけなくなる。だんだんといやな人間に見えてくる。
毎日知らない人と出会って、挨拶と天気の話だけしていい気持ちでお別れして、もう二度と会わないのがもっともいい人間関係なんじゃないかとわりと本気で思っていた。
書いてみるとひどい人間観だなあ。
しかし、まあそんなふうに思ってたような気がする。

マルクスの言う、政治的国家の政治的な人間は、抽象的で類的な存在で、つまり顔が見えなくて、いろいろいるなかのひとり、「誰々ちゃんのお父さんはよく知らないけどふつうのサラリーマンで、優しいらしいよ」と表現されるような存在(と僕は理解した)。
一方で、市民社会の人間は、自己中心的で好きなことをやってそれぞれ勝手な宗教を信仰しているような利己的な存在。(「ほんとは酒癖悪くて、変な宗教にはまってて、口臭がひどいんだって」)
そのふたつの種類の人間がいるというわけではなく、あるひとが政治的でもあり利己的でもあるということ。その二層に分かれているというところが新鮮に感じた。

最初の話に戻ると、つまり僕は抽象的な、政治的な人間の部分とだけ付き合いたいと感じていたんだな、と思った。
いまはさすがにそこまでは思っていない。

そのあと、「ヘーゲル法哲学批判序説」も再び読んでみて、少しはわかりよくは思ったが、やはりそんなに興味のある話ではなく感じた。ドイツは遅れていてだめだ、というふうな表現が目立ってあまり好きではない。
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☆吉本隆明「カール・マルクス」感想

2007年07月22日 23時01分22秒 | 文学
カール・マルクス吉本隆明の「カール・マルクス」(光文社文庫)。
「マルクス紀行」と「マルクス伝」を読む。
ほかのはぱらぱらと読んだ。
マルクスがすごいすごいとこの本にちょくちょく書いてあるので、へえそうなの、とは思うが、どのへんがすごいのかいまいちよくわからない。
マルクスの、
「ヘーゲル法哲学批判序説」と
「経済学・哲学草稿」、
それとこの、吉本隆明の本を読んではみたが、いまだに何も引っかかりを感じることがない。
それでもその何も感じない中ですこしだけ、「?」(クエスチョン)を感じたのは、「類として」という概念。しかしまだご説明できるほど理解できてない。

今日運転していて、ふと、赤信号で渡るのが「信号無視」なら青信号で止まるのも「信号無視」なんじゃないか、と思った。
最近こどものような疑問を感じることが多い。
この前は、夫婦は縁を切ることができるのに、親子は何で縁を切れないんだ、とも思った。そこから考えが進んで、一般的に親の悪口を言うのはよくないこととされるのに、配偶者の悪口を言うのはさほど悪く思われないのは何でだろう、同じ家族なのに! 親の悪口を言いたいときのほうが圧倒的に多いのに! と思った。(朱子学の影響か、と自分なりに結論付けた。)
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☆マルクスに疎外される

2007年07月21日 17時48分35秒 | 文学
マルクスの「経済学・哲学草稿」を読むがさっぱりわからない。
最初、アダム・スミスとセー(誰だ?)の著作の読書感想のようなものにえんえんとつき合わされ、資本と地代と労働という言葉が繰り返し繰り返し繰り返され、結局労働者って搾取されるだけなんだなと悲しい気分になる。
疎外っていうものの意味がピンとこない。
働いて、作ったものが、作った本人を疎外するってどういう意味だ。
筑摩書房の「マルクス・コレクション Ⅰ」を読んでいるのだけれど、「経済学・哲学草稿」がよくわからないので、同じ本に入っている「ヘーゲル法哲学批判序説」を読んでみたが、こっちもわからない。ドイツがだめだってことだけはわかった。
ヒントになるかと思い、吉本隆明の「カール・マルクス」(光文社文庫)もすこし読んでみる。こっちはまだわかりやすいほうだ。昔の吉本隆明独特の、徹底的な個人攻撃はみていて楽しくなる。(なんて意地が悪いんだ)
《笠啓一という「新日文」の文学青年》が知ったかぶりをこき下ろされる。
《「芸術と疎外」などという誤謬だらけのつまらぬ本をかいている人物》も同様にやられる。威勢がいい。(興味があったので「芸術と疎外」などという誤謬だらけのつまらぬ本をかいている人物が誰なのかインターネットで調べる。杉山康彦という人らしい。)

そんなことはどうでもいいがマルクスはほんとうに難しいと思う。
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