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綾辻行人『人形館の殺人 <新装改訂版>』

2015年08月29日 01時17分05秒 | 文学
綾辻行人『人形館の殺人 <新装改訂版>』(講談社文庫)を読んだ。
シリーズの、他の作品と比べるとすこし落ちる気がする。あまり惹き込まれなかった。
やはりたくさんのひとが集まって、次から次へと殺人事件が起き、誰が犯人だかわからない、そういうものを期待して読んでいるので期待したものと違うと(まことに勝手ながら)興味を少し失ってしまう。
島田荘司の『占星術殺人事件』と我孫子武丸の『殺戮にいたる病』を読みながら思い出した。

次はついに『時計館の殺人』。ここまでは読もうと思って、このシリーズを読んできたので期待が膨らむ。
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孫崎享/カレル・ヴァン・ウォルフレン『独立の思考』

2015年08月28日 22時40分25秒 | 文学
本屋で、岩波文庫の『パンセ』の腰巻きに、「ついに、読むときが来た!」みたいなことが書かれていて、「たしかにそうだな」と思って本を手に取ってレジに並ぼうとしたが、まだ上中下の上巻しか出てないからもう少しあとでいいやと思って、思いとどまる。
ヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』(平凡社ライブラリー)を確認しようとしたが、まだ並んでなかった。
ちょっと文学的なものが読みたくなってきている気がする。

孫崎享/カレル・ヴァン・ウォルフレン『独立の思考』(角川学芸出版)を図書館で借りて読んだ。
ウォルフレンの本を読むのは三冊目。だんだんとどういう主張のひとか分かってくる。
政治家ではなく官僚によって政治が動かされているのがよくないと思っていて、メディアによる「人物破壊」がひどいと思っている。
日本の”左翼”が「戦争反対」としか言わずに改憲について考えようともしなかったことをいけないと考えている。
こんな感じか。
やはり外国人だからか、日本人ではここまですっきり言えないなと思うことがある。
とくに”左翼”については、白井聡との対談でも意見が合っていなかったが、孫崎享とも合っていなかった。
社会党も大江健三郎もまったく意味がなかった、みたいに言われると「ちょっと、さずかにそこまでじゃないんじゃない? それなりに存在意義があったんじゃない?」と言いたくなるのだ。
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笠井潔/白井聡『日本劣化論』

2015年08月27日 00時58分31秒 | 文学
笠井潔/白井聡『日本劣化論』(ちくま新書)を図書館で借りて読んだ。
私には難しかった。特に笠井潔の話が難しい。
このひとは昔から(といって『テロルの現象学』を途中まで読んだことがあるくらいだが)、なにかというとボルシェヴィキの話を始めるが、こちらとしてはボルシェヴィキが何なのかよくわからない。そのようなことが多くある。
必要な前提知識が多すぎるような気がする。
笠井潔を読む前に何冊も本を読まないと読めない。
久しぶりに読んだがやはりボルシェヴィキが何なのかいまだにわからない。インターネットの発達のおかげで、人の名前でないことはわかった。
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綾辻行人『迷路館の殺人 <新装改訂版>』

2015年08月23日 22時01分53秒 | 文学
綾辻行人『迷路館の殺人 <新装改訂版>』(講談社文庫)を読んだ。
島田のところに届いた小説を読むという、非常に凝った作りの小説で、話の内容は推理作家たちが閉ざされた場所で推理小説を競作するということで、とても興味を惹かれる話だった。
とてもおもしろかった。
犯人については、まったくわかりませんでした。予想を完全に裏切られた。
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カレル・ヴァン・ウォルフレン『誰が小沢一郎を殺すのか? 画策者なき陰謀』

2015年08月22日 22時44分57秒 | 文学
カレル・ヴァン・ウォルフレン『誰が小沢一郎を殺すのか? 画策者なき陰謀』(角川書店)を図書館で借りて読む。
田中角栄や江副浩正や堀江貴文や鈴木宗男など、詳細は知らないが、なんとなく印象の悪い人々が、検察によってスキャンダルを起こされて、「人物破壊」をメディアによって行われたということが書かれていた。これからは、検察がダンボールに「証拠」を入れて出て行く姿がメディアによって報道された場合は、そのような「人物破壊」が行われようとしているのだなということを肝に銘じたい。
日本の政治が結局はすべてアメリカの決定に従っている姿がきちんと描かれていて、かなり絶望的な気分になった。
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綾辻行人『水車館の殺人 <新装改訂版>』

2015年08月16日 22時55分37秒 | 文学
綾辻行人『水車館の殺人 <新装改訂版>』(講談社文庫)を読んだ。
横溝正史の『犬神家の一族』のスケキヨみたいな覆面の男が登場する。
読みながら、ひょっとして「こういうこと」じゃないかな、と思いながら読んでいたら、「こういうこと」だった。
騙されることが出来なかったので少しつまらなかった。
なので、このシリーズを読むのはここで終わりかもしれない。
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南直哉・為末大『禅とハードル』

2015年08月15日 23時45分40秒 | 文学
南直哉と為末大の対談『禅とハードル』(サンガ)を図書館で借りて読んだ。
ジョギングをしているので、走ることをついて人がどのように語るのか興味があり、陸上選手の為末大の本なので読んでみた。南直哉は一度、茂木健一郎の講演を聞いていたときに、対談の相手として話しているのを聞いたことはあるがそんなに興味はない。
ジョギングをするのを後押しするような話は全然なく、為末大がどのようなことを考えているかを語り、南直哉がそれを少し上から解説するというような体の本だった。
以下、気になったところ。

 (中略)私もそうだけど、あなたみたいに物事をあれこれ深く考え込んでしまう人は、ルールがはっきりしているところにとりあえず自分を預けてしまうと安定するんですね。よく、心の状態を保つとか、平常心を持つとかいうけれど、心をコントロールしようと思ったら、体をコントロールするしか道がないですからね。(33頁)

 つまり「好きなこと」を認められるための「手段」にしてしまうと、苦しくなってしまうわけですね。本来、好きなことをやるのは「遊び」であって、遊びには「目的」がないものなんです。目的があったら遊びにはならない。(47頁)

 結局、夢や希望を信じている世界というのは、前のめりになっている人なんです。今の自分じゃなくて、常に未来の自分、要は前に向かって実存を投げてるんです。前にばっかり投げていくから、現在が空洞になっていくんですね。(102頁)

 (中略)ギャンブルっていうのは、時間が常に未来にしかないんですよ。未来に結果が出るまでの時間しか興奮しないわけです。つまりそれは普通の時間を解体してしまうことになる、それで自意識も崩れちゃうんですよ。つまり自我を宙吊りにするということです。自我を宙吊りにするってことは自己存在を宙吊りにするということ。結局それって「快感」なんだと思う。自分がいるとか自分があるとかいう意識の苦しさを、消してしまいたいという欲望があるんだと思いますね。

付箋を貼っていた部分を書き写したが、結果、南直哉の言葉だけになってしまった。

盆休みに実家に帰って早起きし、自分の通った中学校と小学校と幼稚園を一時間ほどかけてジョギングして巡った。
田舎の風景はほとんど変化していなくて、こんな場所だったなと思った。
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綾辻行人『十角館の殺人』

2015年08月11日 23時31分29秒 | 文学
綾辻行人『十角館の殺人』(YA! ENTERTAINMENT)を図書館で借りて読む。
ずっと昔、大学の友人に借りてこの本を読んで非常におもしろかった。ぜんぜん話を忘れていて、「ああそんなオチだったか」と思った。
読んでいて、僕もミステリ研究会に入ってメンバーといっしょに”嵐の山荘”に合宿に行きたいな、と思った。わくわくするだろうな、殺されるかもしれないし。
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フローベール『感情教育(上)』

2015年08月11日 23時13分12秒 | 文学
フローベール『感情教育(上)』(古典新訳文庫)を読んだ。
長く時間がかかっているせいかおもしろさがよくわからない。
社交界を描いているからか、読んでいるとプルーストの『失われた時を求めて』を思い出す。
下巻はおもしろくなることを期待する。
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江戸川乱歩『青銅の魔人』

2015年08月09日 21時11分49秒 | 文学
江戸川乱歩『青銅の魔人』(ポプラ文庫クラシック)を図書館で借りて読む。
テレビで高橋源一郎が、青銅の魔人は太平洋戦争で死んだ兵士たちなのだ、というような意味のことを言っていて、それならば読んでみるかと思い読んだ。
思い入れがないせいか、私にはそのような深読みは出来なかった。相変わらずの江戸川乱歩だった。
小林少年が捕まって目が覚めてみると目の前に青銅の魔人がいるのだが、実はそれは鏡に映った自分の姿で、自分が青銅の魔人になっていた、という場面がおもしろかった。
人質になった子どもが、実は変装した「チンピラ別働隊」の一員だった、ああよかった、という場面があり、いまではちょっと書けないなと思った。チンピラであれば人質になって殺されてもいいのか、と言われる。
昔はそれでよかった。
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