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ガブリエル・ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』

2020年04月30日 10時57分56秒 | 文学
ガブリエル・ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』を読んだ。
とっても良かった。
川端康成の「眠れる美女」よりも断然おもしろい。
語り手は九十歳の新聞記者なのだが、彼の、本を読んだり音楽を聴いたり猫を飼ったりする生活を読むのがたいへん心地よかった。村上春樹の小説のとても良いところに近い。
この前読むべき本をまとめたが、そういえばロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』もいつか読むべきだと思っている。
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周防正行監督『シコふんじゃった。』

2020年04月27日 00時26分21秒 | 映画
録画していた周防正行監督の『シコふんじゃった。』を観た。
とってもおもしろかった。『ファンシイダンス』の何倍もおもしろい。
いい映画だと思いました。
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こんなときに読む本

2020年04月26日 22時13分15秒 | 文学
いまはガルシア=マルケスの『わが悲しき娼婦たちの思い出』と内田樹訳の『徒然草』を交互に読んでいるような状態だが、こんなふうに家からあまり出られないときにどんな本を読むべきかをよく考える。その整理。

まず前々から読もうと思いながら家に置いてあるが読んでいない長い本。
・吉川英治『三国志』
・トルストイ『戦争と平和』

それから、こんなときじゃないと再読しないから再読しておけばいいかもしれない長い本。
・谷崎潤一郎『細雪』
・トーマス・マン『魔の山』

こんな時代を考えさせることが書いてあるのではないかと思われる長い本。
・モンテーニュ『エセー』
 最初の一冊だけ持っているが読もうとして読んでいない。
・エッカーマン『ゲーテとの対話』

暇つぶしに読んだらいい本。
・村上春樹訳のレイモンド・チャンドラー
 読むものが無くなったら全部まとめて読んでも良い。

長いと言えばやっぱりこちら。
・『源氏物語』(A・ウェイリー版)
 いま読むのなら角田光代訳よりもこっちに惹かれる。谷崎訳では和歌が理解できなかった。結局感情の盛り上がりを和歌で表しているのにその和歌が理解できない。突然、「磯のワカメが風に揺られてあなたのそばに寄り添っています」とか言われて物語と関係のない話をされ前後の文脈がブツ切られてしまう。ちょっと見たところでは左右社のA・ウェイリー版では和歌が自然に会話に入っていたように思う。
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川端康成『眠れる美女』

2020年04月26日 13時03分18秒 | 文学
川端康成の『眠れる美女』(新潮文庫)を読んだ。

「眠れる美女」
この話どこがおもしろいのかさっぱりわからない。
ガルシア=マルケスはどこが好きなのだろう。ガルシア=マルケスの本を読むためだけに読んだ。
裸の女を薬で眠らせている宿に行き、隣に寝て自分も薬を飲んで眠る老人のお話。全部で五回通う。五回目は二人の女が眠っていて、ひとりが死んでしまう。
ほんとうに、何がおもしろいのか分からない。

「片腕」
片腕を女から借りて来て、家で楽しむ変な話。
女の人の肉体を、骨董品のように愛でるものという特異な感覚が川端康成にはあるのだろうか。

「散りぬるを」
殺人事件の裁判記録から小説家として空想するというような話で、おもしろそうな話だがあまり楽しめなかった。

全体的に川端康成は不思議だなと思った。
しかしその不思議さを特に追求しようという気持ちにはならない。同じ変態なら谷崎潤一郎のほうが興味がある。ガルシア=マルケスを読むためだけに読んだ。
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周防正行監督『ファンシイダンス』

2020年04月26日 01時39分12秒 | 映画
録画していたので、周防正行監督の『ファンシイダンス』を観た。
みんな若いな、彦摩呂痩せてるな、という感想。
この映画が、例えば小津安二郎の『秋日和』のような印象を与えるにはまだまだ褪色するのに時間がかかる。まだまだ観ていてあの時代が恥ずかしかったり懐かしかったりする。
お坊さんの生活がなんとなく分かって、悟りというものはまったく分からない映画だった。
観ていて退屈しない映画だった。田口浩正の食べ方が怖い。
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徳岡孝夫とドナルド・キーン『三島由紀夫を巡る旅 悼友紀行』

2020年04月23日 19時46分44秒 | 文学
徳岡孝夫とドナルド・キーンの『三島由紀夫を巡る旅 悼友紀行』(新潮文庫)を読んだ。
徳岡孝夫の『五衰の人』がおもしろかったので読んでみたが、この本はそんなにおもしろくなかった。
ドナルド・キーンは基本的に褒めるだけの人かなと思っていたが、案外三島由紀夫のきらいな部分について語っていて、印象に残った。
《ぼくには『太陽と鉄』がわからないし、別の意味では、あの作品、大きらいです。》(142頁)
《こまごまとしたことを書き込むことによって、自分は満足したかもしれません。だが、読者には、わざとらしい印象以外はなにも与えないんです。》(185頁)
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高橋源一郎訳『方丈記』

2020年04月22日 21時39分12秒 | 文学
やはりこういうときには古典を読むのが似つかわしいのではないかと思い、鴨長明の『方丈記』がなんとなく無常観を感じさせるのではないかと書き出しの印象から思って読むことにするが、手許にあるのが高橋源一郎訳の『方丈記』(河出書房新社『日本文学全集07』所収)だけなのでそれを読んだ。
タイトルの「方丈記」に「モバイル・ハウス・ダイアリー」とルビが振ってあり、カモノ・ナガアキラとカタカナで書かれている。そのあとも結構やり過ぎで、こんなので読んだことになるのだろうかと不安を感じさせる。
短いものなので最後まですぐに読めた。
しかしこれは『方丈記』を読んだことになるのかどうか分からない。高橋源一郎の創作ではないだろうか。
それでも雰囲気はつかめて、おそらくきちんとしたまっとうな翻訳を読んでも、大きな感動は得られないだろうという気はした。
私がいま求めているものはこれではない。次は内田樹訳の『徒然草』を読んでみよう。
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ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』

2020年04月22日 00時53分37秒 | 文学
新型コロナウイルスの影響で外に出歩けないこんな時だから長くて古い小説を読んだらいいと思い、『源氏物語』を読むならば今度はちくま文庫で読もうと思っていたそのちくま文庫の大塚ひかり訳について調べたら現在全巻揃っては手に入りにくくなっていた。角田光代訳はどうも読む気がしない。
やはりずっと家で眠っている『戦争と平和』でも読むか。

というわけでこんな時なので、ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読んだ。
長い話なのだがわりと退屈せずに読めた。また読みたい、というほどは惹かれなかった。もう読まなくてもいいと思うと少し嬉しい。
大江健三郎のように「ガルシア=マルケスはどんどん衰弱しているじゃないか」と言ってみたいがほぼ初めて読むに近いので言えない。
この小説は、アウレリャノ・ブエンディア大佐が銃殺隊の前に立つところから始まり、いつもこの始まりを読むたびに(ずっと読まないでいた小説の書き出しは何度か読んでいることがある)、手塚治虫の『火の鳥』のどこかの巻で鼻の大きな登場人物(猿田彦系)がおそらく第二次世界大戦あたりの時代に銃殺隊の前に立って撃たれそうになっている場面が一瞬描かれ、それが『火の鳥』シリーズのどこかで描かれるのかと思っていると描かれない、ということを思い出していた。
そして『百年の孤独』はアウレリャノ・ブエンディア大佐が銃殺隊に撃たれるところで終わり、円環構造になっているのだろうと勝手に想像していた。が、違った。しかもアウレリャノ・ブエンディア大佐は銃殺隊に撃たれて死ぬわけではない。
『百年の孤独』は同じような名前の登場人物がたくさん登場し(それは本当)、それらの人物が区別がつかず(それは嘘)、どこから読んでもおもしろい(嘘)、というような話をこれまでこの小説の紹介で読んだことがあるような気がするがそんなことはない。はじめから読んで、最後まで読むべきだと思う。
いろいろな不思議な出来事があり、たくさんの人が死に(登場人物が死ぬ場面に付箋を付けていってたら戦地の墓標のようになった)、亡霊として登場したり、ずっと登場しなかったら引きこもってずっと生きていたりする。天女のように消えてしまった人もいたな。
最後はこれまでの歴史は全部古い本に書かれていた、というオチだった。

ある人が別のある人の思い出と重なり、短く読めるプルーストのようでもあるが、僕はプルーストのほうが好きかな。
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大林宣彦監督『時をかける少女』

2020年04月19日 23時47分46秒 | 映画
テレビで放送していた大林宣彦監督の『時をかける少女』を録画して観た。
非常に懐かしくて、いい時代だったなと思った。大袈裟にいえば、泣きそうになった。
昔観たはずだけれど憶えていないなと途中まで思っていたのだけれど、原田知世が温室でラベンダーの香りを嗅いで失神したあとの、特殊撮影のあたりで思い出した。やはり強烈。いまもあんな感じは観ないし、あの時代より前でも観ない。ヒッチコックを少しだけ思わせる。
しかしいままで大林宣彦の映画を観てそんなふうに思ったことはないのだが、役者(とくに若い女の子)のしゃべりかたに小津安二郎的なところを感じた。またどことはっきりは言えないが、音楽や映像の感じに岩井俊二を感じた。
大林宣彦というのはなんとなく今語るのが恥ずかしい時代の、恥ずかしい映画を撮った監督、のように思っていたけれど、やはり映画の歴史のなかにいる重要な監督なのだろうと思った。

尾美としのりの家の近くで火事があって、それを見に行った帰りに原田知世が何者かに口を抑えられるのだが、二度目にはそんなことが起きない。これをどのように解釈すればいいのか謎だ。
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伝染性の不眠症

2020年04月12日 22時05分56秒 | 文学
新型コロナウイルスの流行の影響でカミュの『ペスト』が読まれているらしいが、以前読んだときにまるでおもしろくなかった記憶があるので家にはあるが読む気がしない。ペストを何かの比喩としてとらえるという話で、実際に具体的な行動の参考にはならないように思うので読み通せない人が多いんじゃないのかなと思う。
大江健三郎を読んでいるので、疫病が発生して少年たちが村に閉じ込められる『芽むしり仔撃ち』を読むという手もあるのだが、最近読む限りでは大江健三郎は後期になるほど、そして長篇ではなく短篇のほうが、おもしろいと思っているので初期の長篇小説をあまり読む気がしない。
ということで、トーマス・マンの『ヴェネツィアに死す』でも読んでみようかと考えている。
他にも疫病を題材した小説はないだろうかと思っていたら、ちょうど読みはじめたガルシア=マルケスの『百年の孤独』に登場したので驚いた。「伝染性の不眠症」というものが登場する。
《この不眠症のもっとも恐ろしい点は眠れないということではない(体はまったく疲労を感じないのだから)、恐ろしいのは、物忘れという、より危険な症状へと容赦なく進行していくことだった。つまり、病人が不眠状態に慣れるにつれてその脳裏から、まず幼年時代の思い出が、つぎに物の名称と観念が、そして最後にまわりの人間の身元や自己の意識さえ消えて、過去を喪失した一種の痴呆状態に落ちいるというのだ。ホセ・アルカディオ・ブエンディアは先住民の迷信がでっちあげた多くの病気のひとつだと考えて、腹をかかえて笑った。しかし、ウルスラは万一の場合にそなえて、レベーカをほかの子供たちから引き離した。》(60頁)
ホセ・アルカディオ・ブエンディアもまわりの人間もどんどんこの不眠症に感染し、物の名前を忘れるので、物に名札とそれの使用方法を書いた紙を貼付ける。小川洋子の『博士の愛した数式』という小説があって、こんな場面があった気がする。ガルシア=マルケスの影響があったのかもしれない。
伝染性の不眠症はメルキアデスというジプシーが持ってきた薬によって回復する。
いまのところ『百年の孤独』はとってもおもしろい。構えていたけれど難しくはない。『ペスト』のほうがよっぽど難しかったと思う。
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