![NHK「100分de名著」ブックス ニーチェ ツァラトゥストラ](https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/61rzjTgoHGL.jpg)
これがニーチェだろうかという気がしないでもない。西研じゃなかろうか。
ニーチェをダシに西研が自分の思想を語るのはべつに悪いことでもなんでもないのだが、この本は一応ニーチェの『ツァラトゥストラ』の参考書のような扱いでそのように読む人が多いと思うのだが、実際にそういう人がこの本を読んだあとにニーチェの『ツァラトゥストラ』を読んだら、ぜんぜん違うと感じる、または読めない、またはそこから西研の思想を必死に拾い集める、というようなことになるのではないかと思ったりした。
私も間違いなくそうなりそうなのでしばらくは『ツァラトゥストラ』は読まないことにする。
この本から学んだこと。
これから私は自分を肯定したい。これに尽きる。
![「自分の木」の下で](https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51JKWCTJZ0L.jpg)
大江健三郎については少し前に全集で読みたいものはあらかた読んだので亡くなられても読むつもりはなかったのだが、全集にエッセイは載っていなかったのでこのエッセイのことが気になり読んでみた。出た当時、彼の本気の仕事ではないように思いバカにして読まなかった。
読むと、感心できることとそうでもないことが書かれている。
たとえば以下のようなところに感心した。
《あなた方が、ある本とジャストミートするためには、それを読むことを急ぎすぎてはなりません。しかも、いつも自分の知らない本に目を光らせていて、これは良い本らしいと思ったら、まず、その実物を本屋なり図書館なりで、見ておくことです。余分のお金があったら、買っておくのがいちばんいい。そしてずっと忘れないでいて、ある日、その本に向かってバッター・ボックスに入って行くのです。》(103頁)
《そのいま、はっきりわかることはですね、なにより大人と子供は続いている、つながっている、ということなんです。(中略)さらに、自分の生きてきたやり方がまちがっていた、と考えることになったら、そこで死んでしまったりしないで、生き方をやりなおすことができる。》(110頁)
死んだと聞いてから読んでみると、大江健三郎は元気を出して死んだかなとか、大江健三郎の死を彼の家族は「ある時間」を待ってきれいに解くことができるかな、とか考える。
少なくとも私にはもう少し「ある時間」を待ってみる必要がある気がする。ちょっとまだよくわからない。
続篇も読んでみようかなと思うくらいは心を動かされた。
ここ最近興味を持った本で、なぜ興味を持ったかを忘れてしまいそうなのでメモしておく。
・奥村土牛『牛のあゆみ』(中公文庫)
NHKで放送している『人と暮らしと、台所 冬から春』という番組が、台所を見るのが好きなので見ている。台所が好きというよりもそこで料理するのを見るのが好き。
取り上げられた人のひとり、画家の牧野伊三夫が七輪で食パンを焼いていたのだが、もともとそれが「こけい」がやっていたのを読んだからと語っていた。「こけい」がわからなかったのだが、調べてみると、おそらく日本画家の小林古径のことで、七輪で食パンを焼くことが弟子である奥村土牛の『牛のあゆみ』に書かれているのではないかと思っている。
・沢木耕太郎『深夜特急』(新潮文庫)
こちらもテレビだが『アナザースカイ』で、俳優の斎藤工がかつて香港へ行ったが、そのきっかけが『深夜特急』だったという話だった。
沢木耕太郎はわりと好きで読んでいるが、この代表作を読んでいない。文庫の文字が大きくなったときに読もうかと思ったが読んでいない。読んで、いま香港に行きたくなっても困るのではあるが。
番組で語られたウォン・カーウァイ監督の『花様年華』はまた見たい。
・新井白石『折りたく柴の記』(中公クラシックス)
少し前に食あたりになり寝込んでいた。原因はおそらく店で食べた焼き肉。
寝込んでいる間に退屈しのぎに逝去した大江健三郎について調べていると、大江健三郎が担当編集者のために新井白石の『折たく柴の記』の言葉を色紙に書いたという話があった。
大江健三郎が新井白石について何かを語っているのを聞いたことがなく、『折たく柴の記』というのも、タイトルを覚えるものであって人が読むものではないと思っていたので驚いた。
・杉田玄白『蘭学事始』(講談社学術文庫)
大江健三郎の『「自分の木」の下で』のなかで、『折たく柴の記』について書かれているところに同様に登場し、興味を持った。『蘭学事始』もタイトルを覚えるものであって人が読むものではないと思っていた。
・ポール・ヴァレリー『ドガ ダンス デッサン』(岩波文庫)
三島由紀夫と小林秀雄の対談「美のかたち」のなかで、小林秀雄が三島由紀夫に勧めていた。
この文庫が出たときに気になったが、読まなくてもいいかと思っていた。
対談のなかで「かたち」ということが多く語られるがこの本を読んでから対談を再読したい。
小林秀雄と言えば、『小林秀雄全作品』の27巻と28巻(どちらも『本居宣長』の巻)の表紙は奥村土牛の「山桜」という絵のようだ。奥村土牛のことも27巻で書いている。
・奥村土牛『牛のあゆみ』(中公文庫)
NHKで放送している『人と暮らしと、台所 冬から春』という番組が、台所を見るのが好きなので見ている。台所が好きというよりもそこで料理するのを見るのが好き。
取り上げられた人のひとり、画家の牧野伊三夫が七輪で食パンを焼いていたのだが、もともとそれが「こけい」がやっていたのを読んだからと語っていた。「こけい」がわからなかったのだが、調べてみると、おそらく日本画家の小林古径のことで、七輪で食パンを焼くことが弟子である奥村土牛の『牛のあゆみ』に書かれているのではないかと思っている。
・沢木耕太郎『深夜特急』(新潮文庫)
こちらもテレビだが『アナザースカイ』で、俳優の斎藤工がかつて香港へ行ったが、そのきっかけが『深夜特急』だったという話だった。
沢木耕太郎はわりと好きで読んでいるが、この代表作を読んでいない。文庫の文字が大きくなったときに読もうかと思ったが読んでいない。読んで、いま香港に行きたくなっても困るのではあるが。
番組で語られたウォン・カーウァイ監督の『花様年華』はまた見たい。
・新井白石『折りたく柴の記』(中公クラシックス)
少し前に食あたりになり寝込んでいた。原因はおそらく店で食べた焼き肉。
寝込んでいる間に退屈しのぎに逝去した大江健三郎について調べていると、大江健三郎が担当編集者のために新井白石の『折たく柴の記』の言葉を色紙に書いたという話があった。
大江健三郎が新井白石について何かを語っているのを聞いたことがなく、『折たく柴の記』というのも、タイトルを覚えるものであって人が読むものではないと思っていたので驚いた。
・杉田玄白『蘭学事始』(講談社学術文庫)
大江健三郎の『「自分の木」の下で』のなかで、『折たく柴の記』について書かれているところに同様に登場し、興味を持った。『蘭学事始』もタイトルを覚えるものであって人が読むものではないと思っていた。
・ポール・ヴァレリー『ドガ ダンス デッサン』(岩波文庫)
三島由紀夫と小林秀雄の対談「美のかたち」のなかで、小林秀雄が三島由紀夫に勧めていた。
この文庫が出たときに気になったが、読まなくてもいいかと思っていた。
対談のなかで「かたち」ということが多く語られるがこの本を読んでから対談を再読したい。
小林秀雄と言えば、『小林秀雄全作品』の27巻と28巻(どちらも『本居宣長』の巻)の表紙は奥村土牛の「山桜」という絵のようだ。奥村土牛のことも27巻で書いている。
![三島由紀夫: なぜ、死んでみせねばならなかったのか;ナゼシンデミセネバナラナカッタノカ (シリーズ・戦後思想のエッセンス)](https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/81oAfS-pRhL.jpg)
少し前に見たテレビ番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』で俵万智が、言葉から言葉をつむぐのはよくないというような主旨のことを語っていたが、三島由紀夫はまさしく言葉から言葉をつむいだ人だったのだなと感じた。そこには触れることのできる現実がない。彼にとってはそうしかやりようがなかったということなのだろう。
本はわかりやすかったが、三島由紀夫を読む気にはなれなかった。
三島由紀夫にとって戦後日本が生きづらかったのはわかるが、それを確認するためだけに読むことになりそうであまり楽しくない。いまの日本もそれなりに生きづらい。
![オリーヴ・キタリッジの生活 (ハヤカワepi文庫)](https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/416o1WLLe1L.jpg)
なんというか、ものすごくおもしろかった。最近読んだ小説のなかで最もおもしろい。
連作短篇集で、オリーヴ・キタリッジという女性が主人公だったりそうじゃなかったりで登場する。夫との関係や息子との関係、近所の人との関係など、いろいろなことを思わされる。
ほんとうはもっとオリーヴ・キタリッジが善い人で、周りの人間たちをほっこりさせていくようなそういうものを期待していたのだが、ぜんぜん違って、どちらかと言えば嫌な人だった。腹が立ったら何かを言わずにはいられない。
上手に書いてるなと思った。
続篇も文庫になったら読む。
誰に似ているかと言えば、フラナリー・オコナーに似ているかな。