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エッカーマン『ゲーテとの対話(上)』

2014年10月31日 23時01分06秒 | 文学
エッカーマン『ゲーテとの対話(上)』(岩波文庫)を読んだ。
ものすごく評判のいい本で、ずっと読まなければいけないと思っている本なのだが、どこがどうおもしろいのかまだ私にはつかめていない感じ。ゲーテのところで秘書のように暮らしている(秘書なのかもしれない)エッカーマンが、ゲーテが言うことを聞き取って書いた本。
詩は言いたいことがなくてもかけるが、散文は言いたいことがなければ書けない、というのが記憶に残っているゲーテの言葉だ。

最初にこの本を知ったのは、多くの人と同じく(?)、小林秀雄の「モオツァルト」を読んだ時のこと。
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井伏鱒二の「豊多摩郡井荻村」

2014年10月31日 00時29分09秒 | 文学
大岡昇平『成城だより』、もうすぐ上巻読み終わる。
武田百合子の『富士日記』のほうが好きだったかもしれない。ご飯に何を食べたかが出てくるのが案外よかった。それと公開を意識していないのも良かったのかもしれない。
富永太郎の話が多い。富永太郎全集の仕事をしている。今調べると結局刊行できなかったようだ。
井伏鱒二の「豊多摩郡井荻村」という連載が雑誌「新潮」にあったようで、「そんなの知らんな」と思っていたが、『荻窪風土記』のことのようだ。『富士日記』では『黒い雨』が、『成城だより』では『荻窪風土記』が登場し、井伏鱒二が気になる。
しかしその前に、この間新潮文庫で太宰治を何冊か買ったので先にそちらを読む。

武田百合子の『富士日記』に続き、大岡昇平の『成城だより』で、日記が続いている。次は沢木耕太郎の『246』を読むつもり。これも日記。
このまま有名な日記をすべて読んでしまいたい気にさせられる。永井荷風の『断腸亭日乗』くらいは読んでおこうかな。
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武田百合子『富士日記(下)』

2014年10月26日 01時17分57秒 | 文学
武田百合子『富士日記(下)』(中公文庫)を読んだ。
武田家では新たに猫(タマ)を飼い始め、近所の大岡昇平の家でもデデという犬を飼っているので、どちらか死ぬのだろうと思っていたが死ななかった。武田泰淳のほうが先に死んだ。
(余談だが、つい最近妻の実家で飼っていたモルモットが死に、旅行中の義母に代わって餌やりに行っていた妻と娘が第一発見者となった。で、今朝娘が「モルモット死んだね。お祖父ちゃんとお祖母ちゃん、死ぬね」みたいなことを言っていた。)
武田泰淳は肝臓癌で死んだようだ。

この日記を読んでいて、日々の献立が書いてあるのだが、雑煮が食べたくなった。正月以外でも雑煮を食べていた。地方によるのかもしれないが私の家では正月以外に雑煮は食べない。

武田泰淳は運転しない。おそらく運転免許も持っていなかったのだろう。奥さんの百合子が運転している。大岡昇平の家もそれっぽい。
江藤淳もアメリカに行ったときに効率的だから奥さんに免許証を取らせたと自慢げに書いていたような気がする。
文学者の妻は運転しなければならないという時代があった。

武田百合子は昭和四十四年から四十六年の三年間、毎年夏に『黒い雨』を読んでいる。しかも日記に感想は書いていない。読む、としか書かない。
一か所だけ昭和四十六年八月に「涙が出て、それから笑う。」と書いてある。
井伏鱒二の『黒い雨』が読みたくなった。
毎年同じものを同じ時期に、みたいな読書にも憧れる。

武田百合子『富士日記』を読んでしまったので、大岡昇平の『成城だより』を読んでいる。長い間、武田百合子や武田泰淳や武田花子(娘)や大岡昇平らと付き合ってきたような気がして、もう少し離れがたい感じがする。
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「ごめんね青春!」第二話で泣く

2014年10月25日 01時13分20秒 | テレビ
ドラマ「ごめんね青春!」第二話を見た。
女の子たちが悪ぶる感じがちょっといやで、このドラマは最後まで見られないかもしれないなと思っていたのだが、そのようなことはなく、最後は不覚にも泣いてしまった。
「金八先生」のように錦戸亮が生徒に毎回(?)お説教をするのだけれど、そこが私には毎回おもしろい。錦戸亮のことがどんどんどんどん好きになる。彼は良い役者なのだな。そのお説教で泣いてしまった。
風間杜夫といえば、「スチュワーデス物語」の教官だよね、と今回思った。宮藤官九郎は過去の栄光に泥を塗りたくる。
最後に永山絢斗が登場。次回が楽しみだ。
永山絢斗が瑛太の弟であることを今知った。驚いた。だから今回トリンドル玲奈が瑛太が好きとか言っていたのか。そういえば似ている気がする。でもしゃべり方が似てないな。
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武田百合子『富士日記(中)』

2014年10月22日 21時28分35秒 | 文学
武田百合子『富士日記(中)』(中公文庫)を読んだ。
日記が小説と違うのは書いてある時点では書き手にも誰にも先のことがわかっていないということ。
それでも読んでいると、先のことを予想してしまう。
ポコという名の愛犬がいたのだが、やはり死んでしまった。ペットの役割は死んで人間に悲しまれること、そして死を教えることなのだなと思ってしまう。
いま下巻を読んでいるが、夫武田泰淳が死ぬのだなと思いながら読んでいる。悲しい。夫というものの役割は死んで妻に悲しまれること、そして死を教えることなのだな、とはさすがに思わないが。
大岡昇平とその夫人と花火を見ているときに「戦地を思い出す」「空襲を思い出す」と書いていて、こういう人たちにはかなわないと感じる。戦争を経験していることは人間としての勁さ(あえて古い漢字)がぜんぜん違うのだと思う。

この間トイレが詰まり、ラバーカップ(所謂スッポンのこと)を買った。
会社から帰る前に妻がすでに買ってきていたのだが、柄の部分が太くなっていて水を吸引するタイプのもので、何度かシュコシュコやっていると壊れた。
なので近所のドン・キホーテ(よろずや)に行き、購入。ほんとうに何でも売っているし、店員が売っている場所をよく把握している。
古風な、プラスチックの柄にゴムのカップが付いているタイプのものだが、これでシュコシュコやって流れるようになった。なんとなく、自分の喉に詰まっていたものがすっきり流れたような、そんな爽快な気分になる。

岡田准一が司会のNHKの番組「追跡者 ザ・プロファイラー」の太宰治の回を見ていたら、やはり太宰治が読みたくなる。
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武田百合子『富士日記(上)』、ドラマいろいろ

2014年10月15日 21時30分46秒 | 文学
武田百合子『富士日記(上)』(中公文庫)を読んだ。
なんだか具体的なものが読みたい気分である。
日付があって、天気が書いてあって、実在の人物が登場する。そういうものが読みたい。
上巻では梅崎春生が死に、江戸川乱歩が死に、谷崎潤一郎が死に、高見順が死ぬ。昭和三十九年から昭和四十一年の間の出来事。
事故の話も多い。
日々の献立も書かれていて、朝御飯をちゃんと食べないといけないなという気持ちになる。
毎日の日記ではなく、富士山の見える別荘にいるときだけの日記なので、それ以外の(おそらく)東京にいるときの生活は見えない。そこもおもしろい。

具体的なものが読みたいと書いたが、その反動かドラマは見ている。
NHK大河ドラマ以外では、「昨夜のカレー、明日のパン」と「ドクターX ~外科医・大門未知子~」と「ごめんね青春!」を見ている。
「昨夜のカレー、明日のパン」は仲里依紗の声が妙にくせになる。アニメの少年のような声、と言ったらいいだろうか。木皿泉の脚本のドラマを見るのは初めて。元気がないことを正直に語りたいという気持ちがあるのだろう。まあまあ。
「ドクターX ~外科医・大門未知子~」は馬鹿馬鹿しくておもしろい。時間を忘れるドラマだ。あっという間に終わる。
「ごめんね青春!」は非常におもしろい。宮藤官九郎ってすごいといつも思う。斉藤由貴が出て学園ものと言えば「はいすくーる落書」を思い出す。錦戸亮が非常にいい。ほんとうに好感のもてる表情をする。
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三谷幸喜演出『抜目のない未亡人』

2014年10月12日 21時58分51秒 | 舞台
NHKでの放送を録画していた三谷幸喜演出の舞台『抜目のない未亡人』を見た。
ひさしぶりに演劇を見た。
特別心に残るような作品ではなかったが、楽しく、気楽なものだった。
大竹しのぶが桃井かおり風の話し方をしたり黒柳徹子風のしゃべり方をしたりしていた。
最後は古風な、というか私の知っている範囲では、シェイクスピア的な、変装して相手の本心を聞き出すという喜劇の結末だった。
古風なものを見るとなぜだか安心する。
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佐田啓二の啓示

2014年10月05日 22時17分35秒 | 文学
佐田啓二について昨日書いたばかりだが、今日武田百合子の『富士日記』を読んでいたら、昭和三十九年八月十七日の日記に、
《今朝、佐田啓二が蓼科の別荘からの帰り、韮崎で交通事故死。》
とある。
『富士日記』について興味持ったのは、二十代のころで、加藤典洋の『言語表現法講義』を読んだときにひどく興味を惹ひかれたのだが、それ以来気にはなりつつも読まず(二十年近く)、今日読み始めた。
このようなことがあると、本を読むには読むべきときがあるのだなと感じる。
読むべきとき、と言えば、武田百合子はこの日記を書いているとき四十歳になるかならないかのあたりで私と同年である。
そのあたりも大袈裟に言えば運命を感じる。
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時にはゲーテの話を

2014年10月04日 22時01分36秒 | 文学
車に乗るときに最近は娘が聞きたがるのでジブリアニメの主題歌集を聴いている。
娘は『となりのトトロ』と『魔女の宅急便』だけを見ていて他の主題歌は全く興味がない。
僕は加藤登紀子の歌う「時には昔の話を」や『火垂るの墓』の「埴生の宿」なども好きなのだが、いつも「トトロまだかな?」とチャイルドシートから言われる。

気分が落ち込んだときには古典が読みたくなるのが私の昔からの傾向のようで、いまはエッカーマンの『ゲーテとの対話』を読んでいる。
あまり小説などは読みたくない気分なのだ。最近のものなどは特に。
エッカーマンがゲーテのそばにいて起きた日常を綴る。
こういう、出来事の日付のきちんと付いたものをしばらく読んでいこうと思い、武田百合子の『富士日記』全三冊を本日購入。

古典と言えば、宮崎駿の本を読んでいたときに、これからは小津安二郎を見ていけばよいなとも思った。娘もいるし、ちょうど良いような気がする。
小津安二郎か、最悪でも前期クロサワくらいかな。
外国映画では、ベルイマンかタルコフスキー、と言いたいところだが、あまり面白いと思えないので、ウディ・アレンとかを見よう。見る時間があれば。

この前見たNHKの「中井貴一 父の背中を見つめて」という番組がとてもおもしろかった。
佐田啓二の出てくるような映画が見たいと思ったこともあり、小津安二郎が見たい。
中井貴一って、いつのまにかとてもいい位置にいるのだなと思った。
彼がナレーションをするNHKの「サラメシ」という番組を見るたびに、自分も会社を作るようなことになったら、昼ご飯を社員といっしょに食べよう、週一回くらいは僕が作って食べさせよう、と思う。
しかし会社を作りたいとは思わないので実現しない夢だ。(なにをしたらいいのか全く思い浮かばない。)
ただただ若手社員に昼ご飯をしっかり食べさせたい。
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サリンジャー『フラニーとズーイ』

2014年10月04日 02時16分51秒 | 文学
サリンジャー『フラニーとズーイ』(新潮文庫)を読んだ。
村上春樹が訳した、ということで読んだ。
「名もなき人々」にわざわざ「リトル・ピープル」とルビを振っているところがあり、村上春樹の『1Q84』に登場したリトル・ピープルというのは、TVピープルみたいな、小さなひとを想像していたが、それだけではなく、一般大衆というような意味も含んだのかもしれないな、含んだのだよと村上春樹はここで言いたいのかもしれないな、と感じた。
短編「フラニー」も「ズーイ」も会話をしながらお互いにぜんぜん違うことを考えていて、自分の言いたいことだけを言っている感じが描かれていたように思う。
「ズーイ」については途中退屈だなと思ったのだが、最後あたりの太ったおばさんがキリストだというあたりですげえ短編だと思った。どのあたりをすげえと思ったのだか、よく思い出せない。でもサリンジャーはやっぱりすごいんだなと思った。きちんと説明するにはもう一度最初からきちんと読むべきだと思う。
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