ダブログ宣言!

ひとりでするのがブログなら、
ふたりでするのがダブログ。

三浦しをん『風が強く吹いている』

2015年07月20日 23時36分22秒 | 文学
三浦しをん『風が強く吹いている』(新潮文庫)を読んだ。
箱根駅伝について全く知らなかったが、少し知ることが出来た。十人で走って、一日目五人、二日目五人で分けて走るらしい。
でもたぶん今年のお正月も見ることはないだろう。ひとがスポーツする姿を見ることにどうしても興味が持てない。
この小説は箱根駅伝に出るまではまあまあ興味を持って読んでいたが、箱根駅伝で順番に一人ずつ走り始めると、だんだんと興味が失われてしまった。一人ひとり順番に十人の走りながらの話を聞かされると退屈してしまう。「ああまだ三人目だからあと七人も続くのか」と思ってしまう。どうしても僕はそんなふうに読んでしまう。

少し前に見た映画の『ピンポン』を思い出した。中村獅童がやった丸坊主のひと、みたいなひとが出てきた。
だんだんと勝ち上がっていく部活動の話というのはだいたい似るのかもしれない。

三浦しをんの小説を初めて読むが、好んで次に何かを読もうとは思えなかった。
コメント (2)

吉野剛『裸足ランニング』『新走法で速くなる! 裸足感覚ランニング』

2015年07月19日 23時02分32秒 | 文学

図書館で借りて、吉野剛の『裸足ランニング』(ベースボールマガジン社)と『新走法で速くなる! 裸足感覚ランニング』(洋泉社)を読んだ。
先に『裸足ランニング』が出て、たぶん裸足で走ることに抵抗のあるひとが多かったため、『裸足感覚ランニング』を出したのだろう。最近は裸足の感覚で走る靴も結構出ている。
踵で着地することで故障するひとが多いらしく、そのために裸足で走って足先で着地するようになるのが目論見なのだが、これまで走ってきたひとは走り方を変えられずに怪我をするひともいるらしい。具体的にどのように走ったらいいのかが、本を読んだだけではわかりにくいのだろう。
田中宏暁のスロージョギングのほうが具体的で実行しやすいと思った。歩くよりも遅い速度で走ることで自然にフォアフットになる。
吉野剛の裸足ランニングではどのように速く走るのかがよくわからない。
コメント

リチャード・カーティス監督『アバウト・タイム ~愛おしい時間について~』

2015年07月18日 10時44分56秒 | 映画
リチャード・カーティス監督『アバウト・タイム ~愛おしい時間について~』を見た。
少し前に会社で、メンタルヘルスについての講演会があり、そのときに講師がおもしろかったと言っていたので見た。
たしかにおもしろかった。タイムトラベルものはやはりおもしろい。
主人公が、自分の人生のある場面を選んでやり直すことができるという設定だった。
そこをやり直す? と思わせる場面(恋人との初めてのセックス。しかも三回)がありとても可笑しかった。
やり直したら、子どもが娘じゃなくて息子に変わってしまっていて、それは嫌だから元に戻すという場面があり、「それは嫌だよな」と思った。たとえ短い時間でも子どもと過ごした時間は大切な記憶で、突然別の子どもに差し替えることはできない。
ほかにも、生まれた私の子どもに無関心でいる他人がいることが信じられないといった台詞など、子どもがいないと僕にはわからなかったなと思える場面があった。

ひとを好きになるとはこういうことだったなと思い出すことができました。
人生は気持ちの持ち方で大きく変わるのだという思想があり、たしかにそうだなと思わせる映画だった。
軽くて深い、いい映画だった。
コメント

ディズニー映画『塔の上のラプンツェル』

2015年07月18日 10時19分27秒 | 映画
ヤクルトのジョアのパッケージがいまディズニー映画のお姫様たちなのだが、飲んでいる娘がそれぞれのお姫様について根掘り葉掘り質問する。白雪姫や人魚姫やシンデレラなどについて妻が説明する。
が、ラプンツェルについては僕も髪が長い女の子の話ということしか知らなかったので、借りてきてアニメ映画『塔の上のラプンツェル』を娘と一緒に見た。
自分の若さを保つためにラプンツェルを誘拐して監禁している老女の描き方が高度で、ただの意地悪な継母ではなくて、表面的には優しい言葉をかけ、自分勝手な面も見せて、なかなか複雑だった。このような母親像というのは、娘から見るとわりとよくある母親像なのかもしれないなと思ってしまった。
見ながら、母親の愛情を感じて塔から出られずにいるラプンツェルは、アメリカに従属して自立できない日本にも重なるなとも思っていた。
その場合、最後に切られてしまうことで母親から解放される反面、恋人が一度死んでしまう原因となる長い髪は、いったいなんだろう。いわゆる平和憲法だろうか、駐留米軍基地だろうか。
そのようなことを思いながら見たのでした。
アクションシーンもあり、たのしい映画だった。
コメント

政治の話

2015年07月17日 01時00分12秒 | 文学
少し前にドナルド・キーンの本を読んでいたときに、近所に政治的な考えでは相容れないひとがいて、でもそのひとと話をすることがあり、というような話があったように思う。それを読んで、さすがアメリカ、だと少し思ったのでなんとなく覚えている。
アメリカ人がホームパーティで集まって近所の人と政治的な話をして、意見の違う人と共和党がどうとか民主党がどうとか言い合っている姿というのは(実際に見たことはないが)なんとなく想像できる。
しかし僕のまわりでは、そもそもホームパーティをすることもないし、何かの集まりで政治的な話をすることもない。なぜ政治の話をしないかというと、政治の話をするには詳しく知っていないと出来ないと思っているからということと、意見が対立したくないから、と思っているような気がする。
何か意見を決めるときに「おそらく周りもみんなもそう考えるはずだから」ということが非常に大きな位置を占めているように感じる。そう感じられない意見は口に出せない。
だから意見が違う人がいたときに、どうしても信じられない。なぜそのような考えを持つに至ったのか理解できない。しかしなんらかの原因を考えてしまう。

私には、安倍政権のやっていることはろくでもないとしか感じられないが、そう言えるのは、おそらく周りもそのように考えるはずだという信憑があるからだ。そう感じない人がいるとしたら(いるのだが)、どうしてそう感じないのか想像ができない。

しかし隣に、全く意見の異なる、そしてどういう経緯でそういう意見に至ったのか想像することすら出来ないひとが住んでいるという世界に私たちは突入し、生きていく、それに慣れていく必要があるのかもしれない。
そして相容れない意見の人とパーティで語る技量を身につける必要があるのかもしれない。
それが民主主義の成熟なのかも。

安保法案のニュースを見ていてそのようなことを感じる。
コメント

読んでいる本

2015年07月17日 00時44分05秒 | 文学
このところ、ニュース番組をよく見ていてあまり本を読む時間がない。朝も出来るだけジョギングしているし。

いま読んでいるのはフローベール『感情教育』と三浦しをん『風が強く吹いている』。
『感情教育』はあまり興味を惹かれてはいないのだが、読んでいる。これはおもしろいのだろうか。主人公が仲間たちとおしゃべりをしたりして過ごし、伯父さんからの遺産を得たことで金持ちになって、さらに仲間たちとおしゃべりをしたりして過ごす。アルヌー夫人に(なぜだか)心惹かれているが、その夫アルヌーの愛人にも心惹かれている。が、なかなか手が出せない。
ほんとうはアルヌー夫人でも愛人でもなく、アルヌーが好きなんじゃないかと思ってしまう。どうして正妻と愛人に惹かれるのだろう。
『風が強く吹いている』は昨日くらいから読み出したばかりだが、読みやすくておもしろそう。こちらも主人公と仲間たちの物語のよう。駅伝の話。
コメント

宣言

2015年07月15日 18時49分12秒 | 文学
私はもう二度と(といってこれまで一度も入れたことはないのだが)、自民党には入れません。
一生入れません。
コメント

クリストファー・マクドゥーガル『BORN TO RUN 走るために生まれた』

2015年07月15日 18時45分11秒 | 文学
図書館で借りて、クリストファー・マクドゥーガル『BORN TO RUN 走るために生まれた』(NHK出版)を読んだ。
走ることに調べていると結構この本のことが出てくるので読んでみたが、とても読みにくかった。
わりと長い本なのにみんなきちんと読めるのだろうか。僕は読めずにかなり飛ばした。
小説風に書かれている、何人かのランナーの冒険談みたいなところが読めなかった。というとこの本の大部分が読めなかったのだが、裸足で走ることや人間が実は走るようにできているというような話は興味深く読んだ。そこの部分だけ取り出して本にして欲しい。小説風の部分がいらないと考える人は多いのではないかと思う。
コメント

久保田競・田中宏暁『仕事に効く、脳を鍛える、スロージョギング』

2015年07月12日 23時16分45秒 | 文学
図書館で借りて、久保田競・田中宏暁『仕事に効く、脳を鍛える、スロージョギング』(角川SSC新書)を読んだ。
田中宏暁のほうはいつも通りの話。スロージョギングについて新たな話はなかった。
久保田競は脳科学の専門家らしくスロージョギングを脳科学的な見地から解説するが、僕が脳科学の説明に全く興味が持てないのでほとんど読み飛ばしてしまった。
「前頭前野が」とか「10野が」とか「46野が」とか言われても、ほんとうにそうなのか僕にはわからないし、それって結局「スロージョギングはいい」ということを別の表現で言っているだけにしか聞こえない。
脳科学的な説明というのはどうにも胡散臭く感じてしまう。脳科学ではここまでわかった、とよく聞かされるが、それって直感的に感じていることを、そのような結果が出るのではないかと思っているひとが、そのようなテストを作って、数値データをとっているのだろうなと感じてしまう。
今回もスロージョギングをしたら頭がよくなったというようなことが書かれているが、ほんとかなあと思う。
納得させてスロージョギングを始めさせるのが目的の本なのだろうが、僕には合わなかった。
久保田競の言うことはぜんぜん信用できないが、しかしスロージョギングは続ける。

クリストファー・マクドゥーガルの『BORN TO RUN』という本もいま読んでいるが、こちらの言うことはわりと納得できる。
裸足で走るのはいいことなのだろうと思う。
何か、走ることを別のことを得るための(体重を減らすためとか、お金のためとか、頭が良くなるためとか)手段として行うことで走ることがつらくなるのだが、もともと人間は走ることが楽しくて仕方がなかった、子どもはみんな最初は全速力で走ることを楽しんでいる、というような話が出てきて、確かにその通りかもしれないなと思った。
コメント

田中宏暁『スロージョギング健康法』

2015年07月03日 21時28分16秒 | 文学
図書館で借りて、田中宏暁『スロージョギング健康法』(朝日新聞出版)を読んだ。
この前読んだ『スロージョギング入門』と内容はいっしょだった。新たな情報はなにもない。
スロージョギングだけですべての問題は解決されるので、新たな情報は必要ないと言えば、ない。スロージョギングをやっていさえすればいい。そんな気持ちにさせられる。
ここ二週間はほぼ毎日三十分のジョギングができている。
このままずっと続けられたらいいなと思っている。

バーゲンだったのでトレーニングウェアも買った。
最初にアディダスの店に行って、なかなか格好良くて買おうかと思ったのだが、Tシャツの右下あたりにチャックのついたポケットがついていて、気になって確認するとどれもこれもこのポケットがついていたのでアディダスで買うのはやめた。走るときに必ずiPodで音楽を聴かなければならないという発想が嫌だ(聴かないし)。
結局ナイキのTシャツとパンツを買う。

走ることがつらくないので、嫌にならない。
走るとは速く走ること、速く走らないと走る意味がない、後から来た人に追い越されるのは恥ずかしいこと、そのような呪縛を解いてくれた田中宏暁は偉大だと思う。
コメント